うどん
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第一章
第一章
うどん
日本に来たのは只の旅行だった。最初は。
ウッディ=アレン。ニュージーランド人で趣味はラグビー。その趣味が物語るように大柄で逞しい身体つきをしている。今はプロレスラーでありトラックの運転手もしている。とりあえず食べる量は桁外れに多い。
そのせいで日本に来て。彼は非常に困っていた。
「なあワンダ」
「どうしたの?ウッディ」
自分より四十センチも低い妻に対して声をかける。妻のワンダは大きな口を持つ緑の猫に似た目にブロンドをたなびかせたはっきりとした顔立ちの女性だ。少しマオイの血が入っている。確かにアレンと比べると背は低いがそれでも日本人の女性と比べればかなり高い。何しろアレンは二メートルを超えているのだからそれは仕方がなかった。その夫の言葉に顔を向けたのだ。
「日本は僕にとっては困った国だね」
「どうしてなの?いい国じゃない」
何を言っているんだといった顔で夫に顔を向けてきた。
「奇麗だし人情はあるし」
「食べ物がね」
困った顔で妻に答えた。
「それがどうも」
「美味しいじゃない」
やはりここでも何を言っているんだといった顔になる。
「繊細な味で。ニュージーランドにないような」
「量が少ないよ」
彼はそれを言う。
「高いしね、それに」
「量ね」
「僕には少な過ぎるよ」
その巨大な体格を屈ませて言う。見ればその身体はあまりにも大きい。道行く日本人達と比べてあまりにも大きく必然的にかなり目立ってしまっていた。
「あれっぽっちじゃとても」
「じゃあ。また食べるの?」
「うん」
こう妻に答える。
「何かね。ある?」
「あることはあるわ」
ワンダもすぐに言葉を返してきた。
「一応は」
「ライスかな」
「ライスがいいの?」
「いいけれどやっぱり日本のライスは」
ここでもまた困った顔を見せる。
「どうにも量が少なくて」
「困ったわね。じゃあ何がいいのよ」
「だからお腹にたまるものだよ」
やはりこれだった。
「さもないと身体がもたないよ。だから」
「そんなに言うんだったら」
ここでまた周りを見回す。それで見つけたのは。
「ああ、いいのがあったわ」
「何?」
「ほら、あれ」
ここで丁度目の前にある店を指差した。そこは木造の見事な和風の建物であった。如何にも日本のものという雰囲気を醸し出してさえいる。
「あれっていうかこのお店ね」
「ああ、このお店なの」
「うどんがあるじゃない」
「うどん!?」
「ヌードルの一種よ」
こう夫に対して答える。
「簡単に言えば」
「ヌードルねえ」
「といってもパスタじゃないわよ」
これは断りを入れる。
「わかるわね」
「一応はね」
ぼんやりとだがこう妻に答えた。
「ああしたものじゃないっていうのは」
「日本のヌードルよ」
あらためてこう夫に説明する。
「美味しいらしいわ」
「らしいの」
「私も食べたことはないのよ」
実はそうなのであった。ワンダにしろアレンにしろ日本語は学んでいるがそれでも食べ物までは学んでいないのである。それはこれからであったのだ。
「だから。はじめてよ」
「じゃあ食べてみる?」
「ええ。お箸だけれどいいわよね」
「一応は」
やはりぼんやりとした返事であった。
「いけるよ」
「だったらいいわ。行きましょう」
「うん」
こうして妻の後について行く感じでその店の中に入った。店の中もまた和風そのものであり畳の座敷の席もあれば木造の椅子やテーブルの席もある。カウンターもまた木造であり二人にとっては実に新鮮で目を奪われるものがあった。既にこの日本で何回も見ていても。
「何処に座ろうかしら」
「カウンターがいいんじゃないかな」
アレンはこうワンダに提案してきた。
「そこに二人でね」
「そうね。それでいいわね」
「うん。それにしても」
アレンは店の中を進みながらその中を見回していた。見回すと共におしながき、つまりメニューを見ていた。そのうえでまた妻に言ってきた。
「ねえワンダ」
「今度は何なの?」
「力うどんって何なのかな」
「力うどん!?」
力うどんと聞いて逆にワンダの方から声があがった。
「何なの、それって」
「知らないの?」
「ええ、全然」
返事はこうだった。
「全然知らないわ。けれど面白そうだね」
「うん」
「じゃあ私はそれにするわ」
ここで丁度カウンターのところに来た。いい具合に席が空いていた。
「力うどんね。あなたはどうするの?」
「そうだね。僕は」
二人は椅子を引いてそこに座る。座りながら話を続けていた。
「あれがいいな」
「あれっていうと」
「ほら、ビッグうどん」
メニューの端にそんな名前のものがあった。
「あれがいいよ」
「やっぱり量なのね」
「だからお腹が空いて仕方がないんだよ」
こう述べて右手で実際にそのお腹を押さえてみせる。表情も困り果てたものになる。
「本当にね」
「仕方ないわね、そればかりは」
「人間食べないと死んじゃうよ」
続いての言葉はこうであった。
「だからさ。余計にね」
「わかったわ。じゃあそれね」
「うん」
これで話は決まりであった。二人はそれぞれメニューを注文した。それで出て来たのは。
「あらっ」
まず声をあげたのはワンダだった。
「力うどんってこれだったの」
「あれっ、これって」
「お餅よ」
ワンダはこうアレンに答えた。見ればワンダの前にあるうどんには白い餅が数個浮かんでいる狐色と黒の焼けた色がまた実に食欲をそそる。
「これはね」
「そうなんだ、これもお餅なんだ」
「お菓子のお餅とはまた違うのよ」
ワンダはこう夫に対して説明する。
「これはね」
「そうなんだ。これもお餅なんだ」
「お餅って言っても色々よ」
また言う。
「こうしたお餅もあるのよ」
「成程ね」
「ほら、貴方のところにも」
ここで彼女は夫のうどんの丼を指差す。見ればそれはかなり大きい、ワンダのそれよりも優に三倍はある大きさの巨大な丼であった。
「見なさいよ」
「あっ」
「入ってるわよね」
「うん、確かに」
見ればその通りだった。彼のところにも餅が入っている。他には若布や葱、鶏肉、揚げと実に多彩だ。とにかく具は何でも入っているといった感じのうどんである。
「美味しそうじゃない」
「確かに。それじゃあ」
「ええ、食べましょう」
「うん」
こうして箸で食べはじめた。アレンは最初は戸惑っていたがやがて口の中にそれを入れると。彼の表情は瞬く間に一変したのだった。
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