トワノクウ
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トワノクウ
第六夜 ふしぎの国の彼女(三)
前書き
イタイ 再会
――これが、妖祓い。
朽葉による鵺の撃退にあったある種の鮮やかさは、みじんもない。あるのは手順を踏んでこなされただけの作業工程であり、戦うという意識や命への痛痒がなかった。
「助けて、って言ってたよ」
少女がくうを睨みつける。
「死にたくないって、言った」
「命乞いされたからやめろって? 馬鹿じゃないの。あんた、クモとかハエに命乞いされて駆除やめる? やめないでしょ」
「害虫扱いするの……?」
「害虫ならまだいいよ。普通の人の手でも殺せるから。妖は違う。まず視えない奴は自分に何が起きたか知ることもできず殺される。視えても祓えない奴は恐怖しながら殺される。あたしらみたいな仕事人が鬼になんなきゃ、そういう人達が次々死んでくの。分かる? 危険なものにはね、例外なんて設けちゃだめなの」
「――っ」
くうにはあのカマイタチたちへの思い入れはない。だが、腕の中に抱えた小さく愛らしい獣が拠り所にしただろう存在が消された事実にやりきれず、執行された殺害が精神に傷をつけた。
めちゃくちゃに怒号を上げかけた瞬間、朽葉がくうの背中を強く、その豊かな胸に押しつけた。
「相変わらず貴様の弟子は優秀だな」
黒鳶は嬉しそうに肩をすくめる。
「お褒めにあずかり光栄、と言いたいとこですが、私にいわせりゃまだぎこちねえ。これからですぜ」
少女はまだこちらを凝視している。唯一覗く目はそのものが鋭利な包丁のようにくうに刺さる。――まるで憎まれているようだ。
「積もる話もありやすが今日はこの辺で。緋ィ様に報告しねえと。――藤さん、帰りやすよ」
「はい」
少女はそこでやっと顔を覆った布を外した。
あらわになった少女の、顔、に。
先刻の生々しい光景とか、理不尽とか、残されたイタチへの同情とか、一瞬で忘れた。
「――薫ちゃん――」
一緒に同じ3Dアドベンチャーに入ってから、くうの時間で1週間、離れ離れだったチームメイト――長渕薫だった。
「薫ちゃん、薫ちゃんだよね!?」
くうは腕からイタチを落とし、朽葉の手をふりほどき、黒鳶の横を走り抜け、一気に薫に抱きついた。
誰も知る人がいない異世界のこんなに身近な所で友達に再会できるなど思いもしなかった。
くうは潤んだ目元をそのままに薫に笑いかけた。しかし、薫は怪訝な顔をしている。自分は何か変なことをしただろうか。
「あんた、誰?」
「――、え」
ことばを失う、という慣用句の意味が分かったな、とそんな呑気なことを頭が勝手に考える。さもなければ薫の台詞を理解しなければならないからだ。
「何言ってるの? 薫ちゃん」
「薫って誰よ。あたしは藤袴だ」
彼女はくうを邪険に突き飛ばし、足早に去ろうとした。
「ま、待って!! 私のこと分からないのっ? 私、くうです、篠ノ女空。そりゃ髪と目の色は変わっちゃったけど」
くうは急き立てられて薫の腕にしがみつく。――次の瞬間に起きたことは、実際のダメージよりずっとくうを傷つけた。
「――ぃやあっ!!」
薫はくうの腕を全力で叩き落とした。
くうの喉から声が失せた。
うざい、離せ、と薫には何度も言われた。けれど本気でないと分かったし、言葉の裏の照れや恥じらいを確かに感じた。薫はくうを気持ち悪さや恐怖から拒絶したことなど一度もなかった。
だが、今の薫は恐怖に慄き、くうを凶悪な犯罪者であるかのように見ている。
双方異なる感情から押し黙る中、場の空気を変えたのは、黒鳶だった。
「帰りやすよ、藤さん」
くうと薫の間に入るように歩み寄った黒鳶に、薫は表情を弛緩させて肯いた。自分や潤以外に薫が無上の安心を向けた。
くうはもはや頭の天辺から足の爪先までブリキと化していた。木材の耳には薫と黒鳶の会話は聞こえないし、木材の目には映らない。
「では、私達も帰らせてもらう」
いつの間にか朽葉がくうの横に来ていた。そっと二の腕に添えられた体温が、くうを生身に戻してゆく。
「こいつを戻せないならいる意味もない。行こう、くう」
さらにくうを促すように、寄ってきたイタチがくうのむき出しの足をてし、と叩いた。くうは何とか足の動かし方まで思い出して、朽葉について歩き出した。
屋敷町を出て、路地を何度か曲がって、川の前に出た頃に朽葉は立ち止った。後ろを歩いていたくうも自然と止まる。
「大丈夫か?」
「え……」
「藤袴と知り合いだったんだな」
薫を指しているらしい。藤袴。川原に咲く赤紫の小さな花。およそ薫に似合う花ではない。
「同じ部の、友達です」
楽研メインボーカルの薫はそのポジションにふさわしい実力者だった。くうは薫ほど、ずっとその歌を聴き続けていたいと思わせるアマチュアを知らない。
それほどの実力者と、「音が一番合う」との理由で部内で誰よりたくさんコラボしたのはくうだった。
だからくうが誰より薫の近くにいたのに――
この世界に来たのはくうだけだと思っていた。まさか薫まで来ていて、しかも陰陽寮にいるなんて。
陰陽寮は性別性格、果ては前科も問わず異能者を集めて妖と戦わせる集団。妖と戦うというのはそれだけで相当高い腕が求められ、危険も多く死人さえ出る。――そんな危ないことを友達がしているのか。
「藤袴は……昔のことも自分のことも覚えていないんだそうだ」
くうは勢いよく顔を上げ、朽葉を凝視した。
「――、記憶喪失ってこと、ですか?」
「そうなる。『藤袴』は間に合わせに黒鳶がつけた名だ」
くうは嘆息するように、胸の下で手を組んで夕空を仰いだ。
ああ神様、いったい彼女に何が起きたというのでしょう、と訴えかけたい心持で。
「……薫、ちゃん……」
太陽を融かしたようなオレンジの空に呼びかけても、友からの答えはなかった。
Continue…
後書き
友人お目見え+久しぶり黒鳶。
黒鳶そんな好きじゃなかったのになぜか彼に愛着が湧いたのはとある黒鳶スキーサイトさんのせいだと宣言する。愛ゆえに。
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