【短編集】現実だってファンタジー
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Mission・In・賽の河原 後編
地蔵菩薩。それは特定の菩薩を指すわけではなく、実際には数多くの菩薩が存在している。たった今賽の河原に訪れた男性姿の地蔵菩薩は、賽の河原専属の地蔵菩薩の一人である。両手にポンポン菓子だのウォッカだの現世で流行のヒーローのお面だの、実に様々なお供え物を抱えてホクホク顔だ。彼は地蔵菩薩の中でもとても真面目で、そしてトップクラスのお人よしだったりする。
全ての菩薩には割り振られた区画が決定しており、修行の一環として輪廻転生のシステムに触れることを許されているのだ。いわば菩薩の中の下っ端ともいえる。しかし、鬼たちと違って彼らは望んでその役職にたどり着いているし、今回の縁日みたいに人に感謝される機会はそれなりにある。きちんとしたやりがいを感じて職務を行っていた。
閑話休題。賽の河原に降り立った地蔵菩薩は、その気配から驚くべき事実を把握した。
「これはもしかして・・・供養の塔が完成している!?」
発せられる善行のオーラを手繰ればそれはすぐに把握できる事柄だった。しかも、完成しているのは一つではない。2,3,4,5・・・8つ近くの塔が完成している。それも鬼の巡回に遅れが出ての出来事ではなく、あの問題児だらけの『”ゐ”の九十九区画』で、だ。
ここで普通の地蔵菩薩ならば果てしなく嫌な予感がしたことだろう。あの区画は賽の河原の全エリアでも最低のさらに下と言う具合の粗鋼の悪さと手癖の悪さを誇る。今までも幾度不穏な空気を感じたことか、鬼の間でもあそこは鬼門、などと揶揄されるわんぱく共の巣窟なのだ。が―――
「ああ、とうとうあの子たちも供養の本当の意味に目覚めたのですね!何と・・・なんと良き日なのでしょう!ああ、私は嬉しい・・・!!嬉しさのあまり皆救済してあげたいぃぃぃっ!!」
生憎ここの管轄菩薩は、頭の中がおめでたかった。
喜び勇んで法力によって体を浮かせ、急いで積石の所へとひとっ飛びする。湿度が高くひんやりした三途の空が体に纏わりつくが、喜びのあまりそれも気にならない。ぐんぐんと速度は伸び―――鬼の関所の上にある『”ゐ”の九十九区画』と書かれた看板の前で停止させる。
本当ならば今すぐ飛び込んででも救済したいのだが、あいにく地蔵菩薩の一人として、あまり品のない形ではいる訳にはいかない。看板の下の関所に入り、菩薩用の部屋に荷物を全て置き、身なりをもう一度整え、そしてようやく準備が終了する。
それにしても関所の鬼が何やら騒がしいが、何か失態でもあったのだろうか。疑問には思うが、いらぬおせっかいは鬼の仕事を邪魔する結果になりかねないため止めておく。
ああ、とうとう救済だ!と、地蔵菩薩は喜色満面で足を進める。
あれだけ反抗的で、親に供養など必要ないと突っぱねていたやんちゃでかわいそうなあの子たちがようやく親に供養して自分を見直したことを考えると、その感動たるや計り知れない。きっとあの足しに対してみせる死んだ魚のように生気のない瞳も、今は純真な輝きを取り戻している筈だ。レッツ、イン!!
子供たちは思ったより奥の方―――この区画に2つある供養の塔の近くに集まっていた。気配からして完成した塔はあの辺りに8つ、確かに完成している。これで完成させた子供は供養を終了したことになる。また、すでにこの中の数十名は十分な期間賽の河原で過ごしたことから救済の対象となっている。
迷える魂が輪廻の環に戻るのは、地蔵菩薩としてとても喜ばしいことだ。人の魂はより多くがその罪を償い、また現世で生まれてほしい。特に不幸な前世を送った子供たちには、来世では良き未来が訪れて欲しい。そんな慈悲深き願いがあるからこそ、菩薩は救済する魂が増えることが喜ばしい。
くしくも、瞳に関しての想像だけは正しかった。確かに子供たちは鬼や地蔵菩薩に向けるあの胡乱気で鬱陶しそうな瞳ではなく、何かをやり遂げた人間の、死んでいるくせに生気に満ち溢れた顔をしていた。もう余計なことは言うまい。既に子供たちの後ろにそれは見えている。
―――完成された供養の塔。十重二十重にも重なった石の積み重ね、生半可な覚悟では組み上げることも叶わず、無情にも鬼に崩されてしまう、人の意志の結晶。
父様、母様、先立つ不孝をお許し下さい―――その謝意。
それが積み重なった供養の塔なのだ。
感無量。ただその一言に尽きる。塔に込められた思いの量くらい、功徳を積んだ地蔵菩薩には手に取るように感じられる。
その感動をそのまま、地蔵菩薩は子供たちの方を向いて問うた。
「この塔を完成させたのはどの子でしょうか?」
「はい!」
「へい!」
「はぁい!」
「HEI!」
「はいはい~」
「ほいさ」
「はいはいは~い!」
「ハイッ!」
妙に個性を出そうという芸人精神が垣間見える返事だったが、きっちり8人。全員が今回救済対象だったことは違うため、理論上の最高数の救済だ。救済は地蔵菩薩の一大大仕事なので気合を入れなけれな―――と考えていた、その矢先。
「はーい!」
「ういっす!」
「あ、俺も」
「あたちもよ」
「私もよ!」
「俺も俺も!」
「妾も~」「某もにござる」「小生も~」「わたくしめも従事しました」「おいらも積んだぜ!」「ワタシも~」「おいどんも~」「お前ら喋り方がウケ狙いすぎだろ」「きゃはははっ!みんな面白ーい!」「お前はこんな湿っぽいところでもマイペースだな」「元気なのはよいことだ!」「元気があれば転生もできる!」「つーかウチ、キリシタンやってんけど」「・・・それマジ?」「うちは浄土真宗~」「真言宗~」「17歳教~」「お前それは信仰とはちげーから!」「普通に無神論者だったんだけど、死後に否定されましたです」「お前ら真面目に返事返してやれよ!地蔵兄ちゃん困ってんぞ!」
「へ・・・・・・?はひ・・・っ!?」
10人、20人、30人・・・自己申告者は次々に増え、とうとうその数は―――この区画の子供全員である256人に達した。全員が全員、乱立するように挙手をして我こそはと名乗り出て来るこの事態に、菩薩は大混乱に見舞われた。当然のことながら、普通に考えればそんなに多くの人数いる訳がない。
「ちょちょ、ちょっと待ちなさい!どうして積石が8つしかないのにこんなに多く・・・というか全員名乗りを上げているのです!?嘘つきは功徳を積めませんよ!?」
塔が8つなら救済者は8人。ならば残りの皆は嘘つきという事になる。たとえ軽い気持ちで付いた嘘であれ、故意の嘘であれ、それは煩悩によるもの。輪廻転生をするには不要なものだ。積石には清らかな心を持った者を選定する意味もある。不正は許されない。
「まったく、皆で嘘をつけば私の判断がうやむやになって救済を受けられる、なーんて考えていないでしょうね?私、期待してたのと違ってしょんぼりです・・・」
やむを得ない。嘘を暴いて本当のことを言っている子だけ連れてゆこう。そう考えた菩薩は、印を結んで法力を込める。
「オン・カカカビ・サンマエイ・ソワカ!!浄玻璃の鏡、再現!!」
子供たちを覆うように、半透明の幕が覆う。形状こそ鏡ではないが、これは物理的な反射をする鏡ではない。浄玻璃の鏡とは、映った者の生前に辿ったすべての出来事が映し出され、その行動が周囲に与えた影響までもが映し出される閻魔大王の所持品だ。
地蔵菩薩の出現させたそれは、法力によってその機能を再現したもの。とはいっても閻魔大王の物とは違って死後の情報を把握するために法則が書き換えられており、機能は同じでも映すものは違うのだが。
とにかくこれで、誰が嘘つきか分かる。
その時の地蔵菩薩はそう信じて疑わなかった。
だがその思惑は、予想の遥か斜め上を大陸間弾道ミサイルのように突き抜けていったのだが。
「そ、そんな・・・嘘でしょう?こんな悪ふざけの類で・・・」
「現実見ろよ、地蔵菩薩サマ?―――俺達を救うのは、俺達を於いて他にない」
その日、賽の河原『”ゐ”の九十九区画』からは、しばしの間、完全勝利を祝う子供たちの歓声ばかりが延々響き渡り、謎に包まれた『バベル計画』の概要がとうとう明らかになるのであった。
少年少女たちの前代未聞の解脱事件はその余波を他の区画にまで及ぼし、『”ゐ”の九十九区画』から、ろ・は・に・ほ・へ・との九十九区画まですべてのエリアの巡回時間を狂わせ、実に4万人近い子供の供養完遂、解脱を引き起こした。更にこの影響は現世の日本で唐突な「第三次ベビーブーム」を引き起こし、社会にそこそこ大きな混乱を引き起こしたという。
その規模は過去二回起きた鬼の失態を大幅に上回るものであり、転生と子供の区域再分配など大量の魂の処理に追われた閻魔は、その職務について初めて部下の鬼を無罪放免にして馬車馬のように働くよう命じざるを得なくなるほどの多忙さだったという。
彼らは神の法を曲げて自由を勝ち取った。
子供たちは、死後の世界にて神殺しの剣となったのだ。
= = =
「やられたな」
執務室で閻魔大王のため息交じりの声が響いた。
5メートル近くある巨大な裁判長用の椅子に座る、さらに巨大で恐ろしく強面の男性。鬼でさえもその男の前では萎縮する強烈な存在感を放つその男はしかし、呆れと脱力の入り混じったやるせない態度で笏を弄んでいる。その姿から普段の威厳は感じられず、体も一回り小さく見える程だ。
「やられましたね」
それに返答するは、あのお人よしの地蔵菩薩。今回起きた事の顛末を閻魔に伝えに来た彼もまた、閻魔に似たり寄ったりの表情でくたびれたため息をついた。
「はぁ~・・・・・・」
「はぁ~・・・・・・」
「・・・気が滅入るから、溜息はやめろ」
「もう滅入っていますよ・・・はぁ~・・・」
「はぁ~・・・・・・」
浄玻璃の鏡によって映し出されたもの。それは、子供たちの解脱作戦「バベル作戦」の概要と、その実行内容だった。
まず、最初の鬼が通り過ぎたことを確認した瞬間に時間稼ぎ用の3段重ね積石を大量に生産。全員がかりとあらばさしもの鬼でも苦戦は必至だ。そしてその後、彼らはさらにメンバーを分割した。
まず最初の供養の塔の周囲で積石をする腕利き精鋭部隊。
次に『第二供養塔周囲にも石を積む』大多数部隊。
そして、そこで『あること』を済ませたのちに関所~第一供養塔間と、そこから第二供養塔の間で更に積石を重ねて時間を稼ぐメンバーの計三部隊に役割分割していたのだ。
この第二供養塔の仕掛けがバベル作戦のキモだった。
最初の鬼が通り過ぎたのちに2つの部隊でひたすら鬼の時間稼ぎを行って、すべての積石を崩すだけの時間を奪い、「鬼が崩しきれない積石を生む」。これが出来るかできないかこそ、この作戦において最大の注目点だった。
鬼が一区画で動き回れる時間は半刻と決まっている。その規律を知っていればこその時間稼ぎ。腕利き連中があのリスキーな時間稼ぎせず、菩薩が彼らを救済した後ならばこの作戦は恐らく失敗することになったろう。
そしてその間に残りの部隊がやる事。大多数部隊から第三の部隊へ移る条件。
それは―――
「一人一段ずつ積石して。共同作成の塔を完成させるなんて・・・・・・信じられない」
過去に一度だけ、2人共同の積石を作った子供がいた。あの時も2人とも救済することになった。ルールの不備だとして改正する動きもあったのだが、供養の塔の完成条件にメスを入れる危険性を恐れて結局そのまま問題は放置された。それが、こんな形で牙をむくことになろうとは。
「だが、こういってはお前に悪いが見事な手だ。確かに供養の塔は『完成させてしまえば取り消しは出来ない』。こうしてしまえば、誰が完成させたかは断定できなくなるし、出来た以上は救済を行わないのは理屈に合わない」
「完成した瞬間に供養は終了する。賽の河原にある掟・・・いったいどこでそれを知ったのか知りませんが、その努力の方向性をもっと別の所に向けられなかったのですか?あの子たちはぁ・・・・・・」
一人一石。時間稼ぎの間に、ほかの腕利き石積みの監修の元、河原の子供たちは次々に石を積んでいった。そして石を積み終わった子供は他にやることもないので次の鬼の襲来に備えて再び三段積石の生産に移っていった。
積石に適した石はそこいらに大量に転がっていたため、普段よりも積み上げるのは早い。更に、鬼が第一の供養の塔を通り過ぎた時には腕利きたちが僅か十数分で供養の塔包囲積石を再生させてしまうものだから、次の鬼も地獄を見る羽目に。
さらに先ほど発覚した法力を可能な限り消耗させるために、子供たちは何度も何度も鬼の周囲をかごめかごめで波状包囲。散々法力を無駄打ちさせて鬼の精神と肉体を情け容赦なく追いつめてみせた。
そうして3人目の鬼も本命である第二供養の塔に手を付けられないまま区画を通過。そして、4人目の鬼が中腹あたりに来た時点で、全員が1回以上石を積んで、精鋭部隊が最後の石を積むことで8つの供養の塔が完成。後は菩薩が来るのを待てばいい。バベル計画、完遂である。
「しかし、バベル計画か・・・神に崩された塔を計画の名前にするとは、我々に対する皮肉かな」
「・・・本当にそうでしょうか?」
神の怒りに触れたため崩された、と一般には言われている旧約聖書の「バベルの塔」だが、実際にはこの塔の崩壊には諸説ある。そもそも建設の理由も、神に挑戦する、威嚇する、近づこうとするなど目的がばらけており、さらに言えば崩されたのか勝手に崩れたのか、あるいは実は崩れていないのかに至るまでも諸説ある。
通説では、神によって統一した言語を話せなくなり意思疎通が取れなくなったため内部崩壊した、というが。恐らく問題は崩壊した事ではない。
当時の人類にはそれを作る技術力があった。本当に天に届く可能性があると神に思わせるほどの勢いがあったのだろう。それは全知全能である神に、知能を持っていようと所詮は造物でしかない人間が並ぶという事。ならば神はそれを快く思わないだろう。神にも追いつけるとおごれる人類に身の程を教えなけえればいけないとも考えるかもしれない。どこまでいっても神は上で、人は下なのだ。
だがもしも神が言葉を乱してなお、人類が協力し合えるとしたらどうだろう。
人が、神の思っているほど愚かな存在ではなかったとしたら、どうなのだろう。
地蔵菩薩も閻魔大王もあくまで人間が道から外れないよう手助けしているだけであり、支配する気などさらさらない。だがもしも、人間がそれを余計に思い、自分の道を示したら、自分たちはその時も存在理由を失わずに入れるだろうか。
「積石を共同で行うというのは、元来何の利点もない行為です。互いに石を積むから一人で行うより時間が余計にかかるし、そもそも赤の他人の親を供養するのに力を貸さなければいけないという損の感覚を捨てるのが難しい」
ミスをして積石が崩れれば、どちらが悪いといういさかいの元にもなるだろう、と地蔵菩薩は思う。煩悩を捨てて欲しいと思うが故、人の煩悩はよく知っている。だからこそそれを放っておくまいとこのような役割をこなしているのだ。
「積石は本来、孤独と”しじま”の供養です。他人を思いやったり手を貸すことを前提としていません。地獄ならば分かりやすい苦があるから罪人同士が手を取り合うこともありますが、他人と繋がる必要も利点もない積石では、皆で助かろうなどとはまず考えません」
「それは単純に方法が無いからだろう。勝ち馬と知れば乗るはずだ」
「本当に?突然、『助かる方法がある』などと言い出す見知らぬ子ども。目の前には完成させれば救われる積石。知っている積石と知らない子供、果たしてどちらの方が信用できますか」
「むっ・・・」
閻魔は言葉に詰まった。人は自分の知るものにばかり心を許し、未知を避けるきらいがある。特に三途の川に流れ込む大多数の日本人はそのような傾向を多く内包している。そのうえで、あの平成生まれの子供たちは一致団結して、全員が全員しっかりと協力し合っていた。抜け駆けだってやろうと思えば出来たのに、あくまで全員で積石を完成させた。
ルールの穴をついたという一点だけで、子供たちがあさましいと決めつけるのは早計だ。自分たちが、人間の可能性を甘く見ていたと思えば、喜ばしいことだともとれるではないか。
「彼らは互いに互いの未来を預け合った。損得の壁を越え、神の目論見を越えてみせた、本当のバベルの塔を作ったのだと・・・そんな素敵な助け合いをしたとも考えられませんか?」
そう言ってにっこりと笑った地蔵菩薩を見て、閻魔はやれやれと首を横に振った。
「私よりもずっと昔からここにいるくせに、お前はそんなことだから出世できんのだ。人間に甘すぎるぞ?」
「いいんですよ、好きでやってますから」
昔は彼とともに菩薩として働いていた時代がある閻魔は、その何でも許容してしまう”先輩”の人の好さに呆れた。
= = =
「―――という訳で俺は輪廻を越えて再び現代に・・・・・・って、延年、聞いてんのかお前?」
「どうして俺の知り合いには馬鹿しかいないんだ、頭が痛くなってきた・・・」
突然近づいてきたと思えば訳の分からない小話を始めたこの阿呆と、何故俺は友達になってしまったんだ。そんなあまりにも遅すぎる後悔に苛まれた延年冴鮫は頭を押さえて小さく呻いた。
「どぉしたのさざめくん?達田くんの話、私は結構面白いと思うけどなぁ?」
「おお、さすが田楽さんはよくわかってらっしゃる!その点においてさざめ、お前のイマジネーションは屑だな」
「黙れ人間の形をした糞が。お前が授業中に散々その話を続けたせいで俺まで説教されていらついているのが分からんのか?糞が偉そうに人間の言葉を喋るんじゃあないっ!」
「なぜそこまで人権を否定されなければならねえ!?」
あれから十数年、かつてリーダーと呼ばれた少年は・・・友達に罵倒されながらも人生を満喫している。バベル完遂の英雄、ベビーブームを作った男、神殺しの切っ先。前世の事は覚えていなくとも、死後の世界での激戦を、達田唐丸と言う名で生まれ出たこの男は何故か覚えていた。
心当たりがあるのは転生前に地蔵菩薩が唐丸に施した封印法力だ。確か、救済された人間の魂から生前の情報を洗い落とすのが間に合わず、一部の霊魂は地蔵菩薩の法力によって前世の情報を封じられたのだったと記憶している。
元々賽の河原にいると時間がたつにつれて生前の記憶は摩耗していく。河原で古参だった自分を含むメンバーはとっくに生前の思い出は思い出せなくなっており、ならば河原の記憶だけで問題ないだろうと術を掛けられたのだ。
『時間無いしこんなもんでいいよね?』
『別にいーよー』
あれ、よく考えたら俺の合意の上だったな。合意取る意味あったんだろうかと思ったが、今のような状況を考えると全くなかったわけじゃないのか。
そのことを思い出したのは延年と友達になってからだ。こいつと握手した瞬間、心の中で種・・・じゃなくてお札のようなイメージが弾け飛んだ。理屈は全く分からないのだが、状況からしてさざめがきっかけになったんだと思われる。
あの時の記憶は自分が戦った証だからこそ、思い出せた感謝も込めて今日、意を決して伝えてみたのだが・・・
「ま、信じちゃくれねえとは思ったけど・・・ムトーコッケイ過ぎたか?」
「それ多分、荒唐無稽の事だと思うなぁ」
「そうそうそれそれ、ケーコーギューゴ」
「全然違う言葉になったぞ。ある意味お前の話の内容にあってなくもないが」
笑顔で懇切丁寧に間違いを指摘する田楽さん。恥ずかしいけどそのおかしそうな笑顔を見れたら俺は感無量です。惜しむらくは親友の彼女であることのみ。まぁ彼女出来ない男のさざめが彼女のパートナーになるんなら全然許せる。こいつの事だから口で何だかんだ言いつつ頭の中では結婚式のタイミングまで決めてそうだ。本人は未だに交際を否定してるが。
と、そんな俺の顔を横目で流し見したさざめはぼそりと呟いた。
「言っておくが、俺がお前を糞と言ったのはそこだけじゃねえぞ?」
「そうなのか?」
なんと、さざめが着目したのは俺の傍から聞いたら限りなくホラっぽいあの世談義ではなく、もっと別の所だったらしい。流石は我が親友、イマジネーションが素晴らしい。顔をそらして教室の外の空を見上げたさざめ。こういう態度をとっている時というのは、自分で自分のいう事を少し恥ずかしく思っている証である。
「真実かどうかなんぞ正直どうでもいい。俺はな、結局この世と同じお役所仕事してる”あの世”が気に入らないと思ったのさ。っていうかお前、それ自慢していえる事か。ズルして楽してるってことじゃねえか。それこそ糞野郎だぞ」
「うっ・・・・・・」
想像以上に理由がまっとうで言葉に詰まった。
「カンニング常習犯のさざめくんがそれ言うのぉ?」
「俺はカンニングを誇ったことはないね」
「本当かなぁ?いつかカンニングすれば楽勝とか言ってなかった?」
「悪いことという自覚はある。いつだってカンニングするときは良心が痛む・・・茨で締め付けられるように」
「これ絶対嘘ついてる顔だよぅ・・・」
さざめのユーモアセンスはさておき、確かに言われてみればそんなにいい事はしていない。やらなければいけないと決められたのが気に入らなくて反発したが、今になって思えばそれは両親への供養に手を抜いていい理由にはならなかった。
むしろ自分の前科を自慢しているようで、冷静に考えると今の俺はすごく格好悪いのでは?マル・デ・チンピラーだ。自分が糞人間だと否定できない・・・だと!?
不良仲間として付き合ってきたのに、さざめは何だかんだでそういう所をずばり指摘してくる。不真面目なくせに悪いことは悪いと分かっている。実直なのだ。そんな所があるから、罵倒されても嫌いになれない。
「つーか・・・なんか俺、人として器の差で負けてる?」
「お前の器がおちょこサイズなだけだろ」
「もしくは穴が開いちゃってるのかも!」
「ぉぐへぁッ!?」
バベル完遂の英雄、ベビーブームを作った男、神殺しの切っ先・・・・・・友達にあっさり敗北。
次に死んだときはちゃんと両親に供養しようというか、生まれて来てごめんなさいというか、自分という存在の矮小さを思い知らされたような気分。
何となく、ズルして転生した罰をたった今受けた気がしてならない唐丸だった。
何はともあれ、Mission・In・賽の河原・・・これにて終幕である。転生した子供たちの行き先は、地蔵のみぞそる。
後書き
久しぶりに投稿して久しぶりに点が入りました。そこはかとなく嬉しい。
やっぱり頭を使う作品は自分には書けないなぁと思い知らされつつも、無理して頭使おうとしたらこんな話になっちゃいました。
数か月前に書き始めていたんですが、なかなか後半が仕上がらずに後に後に回したせいで遅れました。物語に登場する鬼や地蔵、閻魔の役割にはフィクションが多く混じっていますが、暇つぶしになったのならばこれ幸いです。
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