高音
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第三章
第三章
その困惑するスタッフ達にだ。ニルソンはというと。
決意した顔でだ。こう言ったのだった。
「少し。考えがあるわ」
「考え?」
「考えといいますと?」
「悪い子供にはお仕置きが必要よ」
ここで言ったのはこのことだった。
「それをするわ」
「それはといいましても」
「お仕置きといいましても」
「一体何するんですか?」
「それで」
「今度彼と共演の予定があるのよ」
実はニルソンとコレッリの共演は多い。今彼女がいるアメリカニューヨークのメトロポリタン歌劇場はコレッリの活動の中心地だ。そしてニルソンもこの歌劇場で歌うことが多いのだ。
それでなのだった。二人の共演は多いのだ。それでだった。
ニルソンは意を決した顔でだ。スタッフ達に話していく。
「トゥーランドットでね」
「トゥーランドットですか」
「あのオペラで、ですか」
「お仕置きをですか」
「するんですね」
「そうよ。まあ見ていて」
ニルソンはここで表情を変えた。含む笑みになった。
そしてその笑みでだ。こう言ったのだった。
「舞台についての我儘は舞台で済ませるから」
「そうですか。それじゃあ」
「御願いしますね」
「このままじゃ本当にたまったものじゃないですから」
こう言ってだ。スタッフ達はニルソンに託したのだった。そしてそのトゥーランドット、プッチーニの最後の作品の舞台においてだ。
ニルソンは表題役でありヒロインであるトゥーランドットで出た。中国の王女で求愛する男達に謎を出しそれが答えられないと処刑する氷の王女だ。
対するコレッリは韃靼の王子カラフだ。この作品の主人公であり向こう見ずな若者だ。二人は最後は結ばれる役なのである。
その役でだ。二人は激突したのだった。だがコレッリはまだそのことを知らない。
彼は舞台がはじまる前もはじまってからもだ。何処かびくびくとしてだ。
周囲にだ。あれこれと言っていた。
「タイツはそれだよ」
「そう、剣はここで」
「いいかい?録音は忘れないでくれよ」
「舞台の照明はちょっと強くして」
こうだ。神経質に注文を続けていた。その彼をだ。
ニルソンは横目で見てだ。スタッフ達に話す。既にトゥーランドットの中国風の豪奢な、頭には冠まであるその姿になっている。
その姿でカラフになっているコレッリを見て言うのだった。
「第三幕よ」
「そこで、なんですね」
「仕掛けるんですか」
「お仕置きを」
「そうよ。そこでやるわ」
こう彼等に話すのである。
「まあ見ていてね」
「はい、じゃあお任せします」
「舞台で、ということなので」
「それじゃあ」
彼等にしてみればだ。ニルソンに任せるしかなかった。何しろ彼女がそう言うからだ。
それで彼等は見守るだけだった。舞台が進むのを。
そしてその第三幕の終盤でだ。遂にだった。
二人は対峙し歌い合う場面になった。愛の成就の場面だ。
しかしここでだ。ニルソンは。
重いきり高音を伸ばしてみせた。それを見てコレッリもだ。
これでもかと高音を伸ばしてみせる。二人の勝負がはじまった。
コレッリにも意地があり必死に続ける。だが。
ニルソンの方が強かった。彼女は最後の最後まで伸ばしてみせた。そうしてだった。
コレッリに勝ち誇った笑みを見せた。その笑みを見てだ。
コレッリは顔を真っ赤にさせて憤然としてだ。舞台を後にした。そのうえで。
机に座りその机を拳にした両手で何度も叩きながらだ。こう叫んだのだ。
「恥をかかせてくれたな!」
こうだ。ニルソンに対して怒りを露わにさせていた。
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