とらっぷ&だんじょん!
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第二部 vs.にんげん!
第20話 つみのろうごく!
ウェルドは遺跡をさまよい歩き、太陽神殿の最下層にたどりついた。
ある地点で床に貼られたモザイクが消え、むき出しの岩盤になる。点々と黒い石が落ちている。拾い上げると、鋭い断面が鏡のように光った。溶岩が急激に冷えて固まってできた天然ガラスだ。蹴られたり戯れに持ち運ばれたりするうちに、ここまで来たのだろう。
どこに溶岩が、という疑問はまもなく解消された。
長い通路の先で、世界が一変した
蒸し器に放り込まれたような熱気。
ごつごつした地面。転がる岩。切り立つ断崖。
断崖の下には赤々と溶岩が煮えたぎり、そのグロテスクな自然の大釜の上に、頼りなげな細い橋が渡されている。
聖書によれば、煉獄は死者の魂が天国に召される前、その罪を焼き清めるために存在する世界だという。
神も宗教も嫌いだが、その程度の知識はある。知識はあるのに、暑い場所だろうということをまるで予想していなかった。
なんてこった。
それほど余裕がなかったのだ。ついでにもう一つ、ウェルドは思い出す。そういえばアッシュに案内してもらう約束をしていた気がする。
なんてこった。
ため息をつきながら、腰掛けるのにちょうどいい岩を見つけ、それに座りこみながら、足下の溶岩を見下ろした。
罪を焼かれると言われたところで、そこに封じ込められていた自分の過去が少しでもきれいになった気がしない。紫の剣に遭い意図せず行った殺戮の事も……それ以前の事も。
自分の経歴の汚さは自分でよくわかっている。
どうして学者になろうと思ったのか。
身売りされた、文字も読めない非力な子供が。
まずどこで読み書きを学んだのか。
どうやって奴隷同然の身の上から抜け出したのか。
どうやって学費を稼いだのか。
パスカやシャルンにはふざけて答えた。ふざけるくらいがちょうどいい。本当のことなんて、実際は誰も聞きたくないし、直視したくないのだ。
罪が、どの罪が、洗い清められたというのだ?
よそに売られた妹を連れだし、セフィータに逃げようとした罪か? そのせいで、見せしめに妹と仲のよかった奴隷の子が殺された件か?
金もないのに学問の道には行ろうとした罪か? その学費を稼ぐために、隊商の用心棒として人を殺しまくった件か? あるいは、そこまでして入った大学も一年そこそこで学籍剥奪された不甲斐なさについてか?
身売りされ、あるいは文化や技術を学ぶためにバイレステに来た実に多くのセフィータの子供たちが、自分と同じ道をたどった。つまり、本当は夢も希望もない人間の多くがそうするように、あり得ない夢や希望に現実の全てを賭けてしまったのだ。
ある少女は自分がかわいくさえあれば、親は自分に愛情を抱き買い戻してくれると信じた。そうして周囲の大人に誰彼かまわず媚びを売り、下衆な男共にむごい扱いを受け、二度と戻ってこれない真っ黒い世界へと売り払われていった。
ある少年は密かに金をためて自由を得ようとした。さすらいの吟遊詩人が夢だったそうだ。彼は夜、主人に隠れて大麻売買の仲介人として働き、結局大麻に手をつけて、右も左もわからぬ廃人となってしまった。
自分も彼らと何も違いはしない。結果に救いがあるかどうかというのは問題ではなく、夢を抱き夢に人生を賭けた、その動機と経緯が同じなのだ。
論文一つで世界を変える事ができると信じていた。
思いこそすれ誰も口に出さない事、それをあえて明確にすれば、何かが、時代が、世界の現状が変わると信じた。いい道化だ。
神はいない。学問は必ず神の不在を証明する。
それを言ったのは自分が初めてではなかったのだ。ただ、世に広まる前に抹殺されていたまでだった。
「あら」
女の声、そしてヒールの踵の音が洞窟内に木霊する。顔を上げた。
「イヴ!」
「一人になりたくて来るにはあまり向いてない場所だと思うけど。って、どうやら本当に一人みたいね。あなたの事、騎士の坊やが血相変えて探し回ってたわよ」
「お前こそ」
ウェルドは気まずいのを隠すために、ぼさぼさの髪を掻きながら立ち上がった。
「意外だな、人助けのためにこのクソ暑い場所にわざわざ来るなんて、一番しそうもねえくせによ。何やってんだ? あんたも一人か?」
「一人になりたいとこだけど」
イヴの後ろ、洞窟の曲がり角からオルフェウスが現れた。
「また君ですか」
彼は悲しそうに眉を垂らした。
「せっかくイヴさんと二人きりになるチャンスだと思ったのに、ついてないなあ」
「……逢引きにくる場所でもないと思うぜ?」
「冗談じゃないわ。彼が勝手について来ただけよ。あたしはどんな場所なのか興味があって見に来ただけ」
「見に来て、どうだ? 楽しいか?」
「全然」
ウェルドは背中の鞘から大剣を抜く。
「じゃ、俺は先に進むぜ。あんたらはどうすんだよ?」
「付きあってあげてもいいわよ。……あなたは帰れば?」
「時の行路図が使える場所まで、一人で魔物の群れを突っ切って帰れと言うのですか? 冗談じゃありません」
ニコッと笑い、
「ご一緒させていただきますよ。ま、僕は働きませんけどね」
ウェルドはうんざりして溜め息をつきながら、煉獄の奥に足を踏み入れた。
ティアラから渡された煉獄の地図を頼りに歩き、未だ探索されていない洞窟の内の一つにたどり着く。
赤々と溶岩に照らされる世界。ドーム状の空間は熱に満たされており、ひりひりと肌が痛い。汗は、かいた端から乾いてていく。砂漠の昼を思い出す。地を埋めるものが砂ではなく岩、潜む脅威が蟻地獄ではなく溶岩、という違いはあるが。
長い岩石の橋の向こうに、魔物達が蠢いていた。
見覚えのある魔物だった。槍を持ち、鎧を着た二足歩行のトカゲ。太陽神殿の消える石碑がある部屋で、以前戦った事がある。
トカゲ達が槍を構え、橋の上を一直線になって走ってくる。イヴがウェルドを押しのけ、前に立った。彼女が杖をかざして呪文を唱えると、紫色の雷が橋の上を駆け抜けて、魔物達を貫いた。
生き物の焼ける臭い。
魔物達は肉体の制御を失って倒れ、痙攣し、何体かは橋から落ちていった。
「やるじゃん」
イヴは面白くもなさそうに銀髪をかき上げた。
「どこかの頼りにならない気障な魔法使いと一緒にしないで欲しいわね」
ウェルドは橋の上に残っている魔物をフリップパネルで弾き飛ばし、溶岩に沈めてから、対岸に渡った。
「結局あなたとあの子、仲いいんじゃない」
「あの子って、ノエルか」
「もう一人のほうよ。やれぶん殴ってやるだの、やれ無視されただの、散々大騒ぎしながらこうして汗水垂らして探してあげるなんて」
仲がいいかどうかはわからない。
一つだけわかるのは、何故最初の仲間にディアスを誘ったかだ。知識が豊富そうだから? ディアスにはそう言った。だが、違う。今ならはっきりわかる。
同族の臭いを、暗い、血の臭いを感じ取ったからだ。
「アイツの為じゃねーよ」
ウェルドは歩きながらかぶりを振った。
「探してやる理由なんて決まってるだろ! 後で思いっきり恩に着せてやるためだよ。二度と偉そうな口きけないようにしてやる」
「本当に単純ね。柱から出た順番がたまたま早かったっていうだけで、優位に立った気でいるんだから」
溶岩の流れる音に混じって鎧の触れ合う音が聞こえる。またトカゲ人間だ。この洞窟内は独立した島と天然の橋で構成されているが、行く先々に同じ魔物がいる。ウェルドは面倒くさくなって、橋の上にバキュームを置き、直線状にいる魔物を吸い取った。吸いきれなかった対岸の魔物にイヴが雷の魔法を撃ちこむ。
ウェルドの顔の横を、光る弾がひょろひょろと通り抜けて行った。弾は対岸の魔物に当たり、怯ませた。
イヴの後ろにいるオルフェウスが杖を構えているので、彼の魔法だとわかった。
「今のお前?」
「何ですか? その煮え切らない顔は。働かないと宣言したこの僕が折角働いていると言うんだから、もう少し感謝を示してもいいのではありませんか?」
「いや、なんつーか、お前の……イヴのと比べると随分見劣りするよな……」
「どこまでも失礼な人ですねえ。単に僕は美意識が高すぎてゴリ押しするのに向いてないだけですよ。攻撃すればいいってものでもなし、それにほら、何にでもバランスという物があるでしょう。その点、僕たちの中で攻撃用の魔法と回復用の魔法を使えるのは僕だけですしね!」
「回復魔法を頼むならルカかサラをアテにするわ」
「攻撃魔法が欲しけりゃディアスかノエルに頼むしな」
オルフェウスが黙る。
対岸の魔物が滅んだ。
その島の先は細長い洞窟になっていた。
「この辺りの魔物はさっきので全部か?」
「随分あっけなく片付きましたねえ。さすが僕ですね!」
「うるせぇぞ中途半端」
「あなた達、ホントよく喋るわね」
後ろを歩くイヴが肩を竦める。
「なんだ。やけに静かだと思ったらお前でも疲れるんだな」
「当たり前でしょ。何だと思ってるの?」
「別に。早く帰って一杯やりてぇな」
「賛成。でもあたし、さすがに今ばっかりはお酒じゃなくて水が欲しいわ。もう喉カラッカラ」
洞窟の先は小さな広場になっており、そこに人が二人いた。
「新入り共じゃねえか! お前、ウェルドだっけ?」
どちらも中年の男で、一人は頭の禿げた剣士、もう一人はローブの魔法使いだ。
「ああ……。シェオルの柱を探してくれてるのか?」
「おうよ。ティアラちゃんとバルデスさんに頼まれてな。お前も災難だったな」
思いのほか優しい言葉を掛けられて、ウェルドはほっとして力を抜いた。
「俺は、別に……」
「そんな面すんなって。俺らは別にお前に恨みなんざねえし。なあ」
剣士は立ち上がり、ウェルドに握手を求めた。
「フォルクマイヤーだ。こっちは相棒のオンベルト。ま、仲良くやろうぜ」
「どうも」
「君たちはこっちのフロアを探していてくれたのか?」
オンベルトが地図を広げ、今しがた通り抜けてきた場所を指で示す。
「ああ。あんた達は、二人だけか?」
「さっき一人で行動してる奴とすれ違った。危ないから俺達と組まないかって言ったんだが――」
「一人で? 誰が」
「お前に言っても知らないと思うが、ネリヤって女さ」
「ネリヤ?」
ウェルドは目を瞠る。
「知ってるのか?」
「ああ。よくドレスティって剣士と一緒に酒場で飲んでた奴だろ?」
「何だ、知ってるじゃねえか。しっかしネリヤの奴も不憫だよな。フォールトは凶戦士として仕留められちまって、弟のイロットも死んで、前回ので恋人のドレスティまで……」
心臓が大きく脈打ち、ウェルドは顔がサッと熱くなるのを感じた。
死んだのか。
あの夜、狂戦士から逃れて宿舎に向かう道すがら、助けてくれた男が。
この手で殺したのか。
ウェルドの顔色が変わった事に気が付くと、二人は慌てて話題を変えた。
「で、お前ら、そっちに柱はあったのか?」
「いいや、残念ながら」
「そうか……まあ、仕方ない。一旦戻ってティアラちゃんに報告しよう」
五人はそれぞれの時の行路図を広げた。
煉獄を出た後では、町の寒さが一層身に堪えた。十分に雪かきをする人手もないせいで、遺跡の入り口の前には粉雪がすぐに積もり、それを両手でかき分け、僅かな雪の壁の間をくぐらなければ広い通りに出られない。
鈍色の雲の下、酒場がうるさい。何かの騒ぎが扉の向こうで起こっているようだ。
五人は顔を見合わせた。
「おい、どうした――」
フォルクマイヤーが扉を開ける。酒場の人いきれより酒の臭いより、まず喧騒が溢れてくる。
怒りと嘆きと混乱。それが喧騒を構成する要素だった。
「見てみろよ、フォルクマイヤー! この壁新聞、やっと来たと思ったら――! ふざけてやがる!」
肩で人を押しのけるように、フォルクマイヤーが中に入っていく。続こうとしたウェルドの肩を、オンベルトが掴んだ。
「待て。君は入らない方がいい」
理由がわかるだけに、従うほかない。イヴとオルフェウスも、ウェルドと一緒に外で待ってくれた。
「何てこった」
冴えない顔でフォルクマイヤーが酒場から出てきた。
「どうした? 壁新聞に何が書かれていたんだ」
「悪夢だよ」
彼はよほど言いたくない様子だった。目を泳がせ、腕組みし、降り注ぐ雪を注視し、何も言わずにいる口実を探している。だが、四人が沈黙によって促すと、仕方なく口を開いた。
「外界に魔物の大群が出現して、暴れまわっているらしい。俺達の故郷は地獄だよ」
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