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第一章


第一章

                          能
 長谷川如是はだ。能の師匠に言われていた。
「御前の動きも演技もいい」
「有り難うございます」
「しかし駄目だ」
 師匠はだ。厳しい顔でこう告げるのだった。
「まだ足りないものがある」
「といいますと」
「稽古が足らん」
 言うことはこれであった。
「まだ足らん。足りんぞ」
「足りませんか」
「より稽古をしろ」
 師匠は厳しい顔で弟子にまた告げた。
「よいな、よりだ」
「そのうえで、ですね」
「能にまことに必要なものが何かを見出すのだ」
 そうせよというのである。稽古を通じてだ。
「よいな。それで」
「わかりました」
 そしてだ。如是も静かに、そして素直に答えた。
「さすればその様に」
「うむ」
 こうしてだった。如是は師匠の言葉通りこれまで以上に稽古に励んだ。彼は元々稽古好きで知られていた。しかしそれがさらに激しくなったのだ。
 まさに朝から夜までだった。誰もがそれを見て驚きを隠せなかった。
「前よりもだな」
「ああ、稽古に励まれるようになった」
「あそこまでとはな」
「なかったな」
 こう話すのだった。その彼を見てだ。
「稽古は確かに大事だが」
「あそこまで励まれるとは」
「まさに寝食を忘れるまでだ」
 そこまでなのだった。今の彼はだ。
 食べる量も寝る時間もだ。かなり減った。それで見る間に痩せていく。しかし彼はだ。英気をみなぎらせて稽古を続けているのだった。
 その彼を見て誰もが心配した。しかしだった。師匠は言うのだった。
「あれでいいのだ」
「宜しいのですか」
「今の状況で」
「あれで」
「そうだ、いいのだ」
 また言う師匠だった。稽古場で稽古を続ける如是を見ながら。
 稽古着は着物だ。それを着てだ。能のそれぞれの舞を舞いそれぞれの役を演じていく。一人でもそこには舞台そのものがあった。
 その舞台の中でだ。彼は待っていく。それを見てなのだった。
「あれでだ」
「しかしです。あのままでは」
「やがては」
「一度倒れるのもいいのだ」
 師匠はそれも見ていた。
「そうなるのもな」
「いいというのですか」
「倒れるのも」
「それも」
「そうだ。倒れるまでやる」
 師匠の言葉は強い。
「そうしてまた起き上がりやるのだ」
「そこまでやってなのですか」
「能はそうだと」
「そう仰るのですか」
「能にあるものは深いのだ」
 彼は見ていた。今それをだ。
「如是はそれを見るべき者だ。だからこそだ」
「あそこまで稽古をですか」
「されているのですか」
「わしが言った」
 言ったのは自分だと。師匠はここで言った。
「しかしだ。やっているのはあの男よ」
「如是さんがですか」
「御自身からですか」
「稽古から掴める」
 師匠の言葉は変わらない。
 
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