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アマガミという現実を楽しもう!

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第16話:ただ自分を超えるために(1)







『よーい……』




 ピッ、と電子ピストルの音が会場内に響き渡る。その合図に従ってスタート台に立った選手達は一斉に飛び込み、全力で泳ぎ出す。会場内が声援に包まれ、声援の熱が次第に高まり、冬なのに身体が高揚して熱くなってくるのを感じた。
 季節は冬、十二月中旬。俺は腕を胸の前で組み、プールサイドの壁にもたれ掛かりながら、目の前で行われている100m平泳ぎのレースを眺めていた。25mを過ぎたところで、4コースの選手が身体半分集団から前に抜け出し、突き放しに掛かる。5コースの選手はそれに負けないように必死にくらいついている。
 電光掲示板で4コースと5コースの名前とタイムを見る。輝日南高校三年と輝日東高校一年の選手であり、俺の知らない選手だった。二人のレースの様子を遠目で見ながら、二人の関係性について要らぬ推測を楽しむ。


「調子はどうかしら、輝日南中のエースさん」


ふと右から俺を呼ぶ声が聞こえたので、呼ばれた方向に顔を向ける。そこには、100mバタフライを終えた知子が立っていた。レース後のクールダウンを終えて、塗れた身体と水着をセイムタオルで拭いていた。


「ああ、知子か。いい感じだよ」
「そっか」


 知子は、俺のすぐ傍の壁に寄りかかる。そして、顔だけ俺のほうを向くがその口からは何も発されず、視線を合わせても逸らされてしまう。そして互いに会話が続かず、他人からは分からない緊張感が広がる。二人になった時に生じる気恥ずかしさは、未だに俺と知子の中に健在であった。女の子と気恥ずかしくて喋れないなんて、中学生かよと自嘲気味に思ったことも何度もあった。その後に、自分が中学生であることを思い返すことも御馴染みであったが。
 プールに視線を戻すと、どうやらレースが終わったようだ。電光掲示板には、4コースの選手が一着で指しきり、二着は5コースではなく3コースの選手だった。ひょっとして前半から飛ばすタイプだったのかな。


「そっちも調子よさそうだな。さっきベストが出たじゃないか。後半バテずにいい感じに泳げてたし」


俺は先ほどの知子の100mバタフライの泳ぎについて話題に出した。


「そうなの?後半どんな感じだった?」
「そうだな、ラップを計算してないから感覚だけど、いつも残り25mで疲れてくるのに、今回はバテてなかったよ」


 プールサイドからレースの様子を見ていたが、泳ぎ方やラップも泳者の好調を物語っているような印象を俺は感じた。俺は、自分の覚えているイメージをなるべく言葉を選んで知子に分かりやすく話した。
 その後も、頭の中に残っている知子の泳ぎとタイムを思い出しながら、知子にその様子を一つ一つ伝えた。知子も、俺の言葉に相槌を打ちながら耳を傾けていた。


「そうなんだ。嘘ってことは無いよね」
「嘘なんてついてどうする。気になるなら森島にラップ聞いてこいよ」


 向かい側のプールサイドで先輩マネージャーと一緒にノートに何かを書いている森島を指差す。二人とも笑顔で、仲良く作業をしているようだった。


「ううん、はるちゃんには後で聞くわ。ありがとう、私の泳ぎを見ていてくれて」
「そうか? まあ、これくらい誰でも言いそうだけどな」
「それでも! ありがとう」


 知子は、笑顔を向けてこちらを向く。俺は照れくさくなって頭を掻く。本当に精神も中学生に戻ってしまったみたいで、胸の辺りがむず痒かった。


「どういたしまして。それより、早めにスタンドに戻って休んでおきな」
「うん、それじゃあ1フリ頑張ってね」


 知子は壁から身体を離し、スタンドへ向かう階段に向かって歩いていった。きっとベストが出たことや欠点を克服できたことから来る嬉しさなのだろう、その足取りはすごぶる軽やかであった。俺もそんな姿を見て、自分のように心が温かくなるような気持ちになった。そうした姿が見て、俺もレースを頑張ろうとする気になる。それが、個人種目なのにみんなで頑張る競泳の醍醐味なんだ。














 知子と離れた後も、俺はその場に留まり周囲をのんびり眺めていた。視線をアッププールの一角に向けると、古巣のスイム輝日南の選手やコーチの面々が見えた。せっかくだし、挨拶しに向かうかと思い、俺はその場から離れ集団に近づいた。


「お、拓じゃないか! 久しぶりだな」
「ご無沙汰してます。コーチもお元気そうで」

 俺は、コーチに頭を下げる。「元気そうだな」「はい」と、とりとめのない世間話を興じながら俺は周囲のスクール所属の選手達を見る。二人ほど知っている顔があったが、残りの年少の生徒は既に俺の知らない選手だらけであった。選手の数人かは、俺の知らない新任のコーチに「あのひとだあれ」と尋ねられており、困った様子であった。

「選手もコーチもいろいろ代替わりしてしまいましたね」
「まあな、お前の知っているのは知子と響を除けば、五年の逢、それにそこにいる四年の健太と敦だけじゃねえか?」
「……ですね」

 自分のかつて居た場所が、他の知らない誰かで一杯になっていると、居場所が無くなっていくようで寂寥を禁じえなかった。思い出というものは代わらないけど、周囲は時間の変化と共には変わっていくもんだ、ということを再確認したような気がした。




 ふとアッププールから少し離れた飛込み台付近で騒ぎ声が耳に入ったので、コーチと共に一緒に声のした方を向く。すると、俺の知らないスクールの選手が騒いでいるのが見えた。横ではレースを終えた響が慌てている様子が見える。


(相変わらず、響は子どものお守りは苦手なんだな)


 と苦笑して、その様子を眺めていた。その子どもは相当なお調子者なのだろうか、聞き取れないが何かを叫んでいて、響は手を付けられず困っているようだった。


「響は、やはり子どもの面倒がまだ得意じゃないそうですね」
「小五の頃、逢の面倒を見終えた後に任せた一年生の子どもが相当な悪ガキだったからな。それ以来、ああいう理が通じないタイプが苦手意識を持ってしまったみたいでな。何とか克服しようと頑張ってはいるんだが、中々順調にはいかないなようだ」


 苦笑いをしながらコーチが言う。確かに逢はとても良い子だったが、その一年後に担当した男の子は暴れん坊で、見る方は堪ったものではなかった。両親も我が子のやる事にケチをつけるな、と仰る相当変わった方々だった。三ヶ月ほど辛抱強くコーチと俺と響が一緒に面倒を見ていたがどうにも態度は変わらず、残念ながら退会してもらった子がいた。あの子の言動は親の育て方に問題があったんだ、気にするなよ、と俺は響には言ったんだが、相当あれで苦手意識を持ってしまったんだよな。あれは当時、本当に腹に立ったもんだ。
 助け舟を出すか、という事で俺は動き出し騒ぎ出す彼をなだめに掛かる。これが初試合で緊張と興奮のしすぎでつい大声を出したくなったことは、判別できた言葉と雰囲気から伝わってきた。
 少し強めの言葉を出して、興奮した様子を抑えた上でなるべく穏かな声で喋り、その少年選手を宥める。少年が落ち着きを持ったところで、響に謝るように諭し、コーチの元に戻させた。


「ありがとう拓君。助かったわ」


ほっとした様子の響の顔が見えた。


「いいさ。それより響、おまえ相変わらず子どもが苦手なんだな」
「う……ごめんなさい」


 俺はほっとした響を、からかうような口調で言う。そんな俺の言葉に、痛い所を突かれたのか、響は頬を染めて言葉に詰まり俺に謝る。それとも自分の失態を見られたことが恥ずかしくなったのか、再び沈黙。まったく、急展開や合理的でないことに弱いのは相変わらずだな、と数年前の響の様子と較べながら思った。
 響の顔をもう一度見る。響の顔が、沈んだまま浮き上がってこなかった。俺の言葉を冗談だと受け取ってなかったように感じられ、俺はやりすぎたかなと思ってフォローを入れる。こいつが真面目過ぎることを、俺はすっかり忘れていた。


「すまん、冗談だ。だから別に謝らなくてもいいさ。それにな、ゆっくり慣れれば何とかなる。大丈夫だ」


 響の頭に手を置く。落ち込んだ仲間を励ますときには頭に手をそっと置いて少し撫でる、昔から俺の癖だ。響の沈んだ感情がやっと浮き上がってきたのか、徐々に顔に赤みを帯び始め、口元が綻び始める。


「そうね……いつまでも逢に頼りっぱなしというのも悪いし」
「逢?」
「そう、今は逢が主に小さい子の引率をしているのよ。中学生の私は忙しいから、そうそう役割を振るわけにはいかないし。ほら、そこにいるわよ」


 響の指の先には、ジャージを着た逢が小さい子達の泳ぎ方の一生懸命指導している姿があった。アッププールの1つのコースを往復している子達の泳ぎを見て、口を動かして何かを伝えているようだ。あんなに小さかったのにきちんとお姉さんが出来るようになったのだなぁ、時間というものは凄いな、と何か感慨深くなった。
 逢の姿とまだ表情に元気の無い響を見て何かピンときて、


「なあ、ちょっと逢のところに行ってみようぜ」
「え……ちょ、ちょっと」


 と、響の手を牽いて逢の方に向かった。こんなところで世間話を細々やるよりも、場所を変えて違う人と話したほうが気分転換しやすいしな。
 響は少し批難の声を挙げたが、別に抵抗は無く、大人しく俺に手を引っ張られながら逢のところへ向かう。


















「よう、レースでは久々だな」

 と、俺は後ろから逢に声を掛ける。ビックリしてこちらを見た逢は、俺達の顔を見てぱあっと顔を輝かせる。子ども達に、ちょっと待っててね、と断ってから俺達の方へと早足で掛けてくる。


「私に会いに来てくれたの!」
「そいつもあるな、あとこいつがしょぼくれちまったから少し気分転換させにちょっと、な」


 しょぼくれていた本人に目線を向けると、罰の悪そうに視線を逸らして頬を染める。逢も先ほどの光景を見ていたのか、少し苦笑していた。


「あー……あの子。元気な良い子なんだけど、ちょっと腕白で周りに合わせられないところがあるから……コーチも大変そうだったし」
「そうか」


 と、俺達は先ほどの子とコーチが話をしている様子を遠めで見る。コーチが口を動かして、子どもの方は何も動かない。


(軽いお説教かな。まぁ少し叱られたほうがあの子の将来のためにもなるし、いいことだな)


と俺はおっさんのような事を考えた。


「まあ、あの子は例外として……それでも、お前はしっかりお姉ちゃんをできるようになったんだな」
「本当? 本当にそう思ってる!?」
「お前に嘘ついてどうするんだよ」
「やったあ!」


 と、元気良く飛び上がる。たまに思うが、原作のクールさがこうすると微塵も感じられない。本来はクールと言うよりかは、感情に正直な性格なのかな、とさえ思ってしまう。俺にとっては、これは嬉しいことなのかどうかは分からないけど。
 子ども達の方に目を向けると、そのうちの白いゴムキャップを被った一人が俺達のほうに口を開いて何かを訴えているようだった。子ども達が何か俺達と逢を呼んでいる気がしたので、その方に足を運ぶ。


「ケイくん、どうしたの?」


 と、俺達を呼んでいたケイくんに優しい口調で尋ねる。周囲の子どもがニヤニヤした表情で、お前聞けよ、あんたが聞きなさいよと質問を投げる責任者を押し付けあっているようだ。


「もう、ケイくん、どうしたの」


そのケイくんは口をもごもごさせた後、次の質問を投げかけた。


「あのね、あいちゃん。ひょっとして、この前言ってた好きな人ってこのお兄ちゃんのこと?」
「ば、ばか!何を言ってるの!」
「あ~赤くなってる!やっぱりこの兄ちゃんなんだ!」


 周囲の子ども達のボルテージが高くなる。どんな世代でも、こういう話題で盛り上がるのは変わらないようだ。


「でもこのお兄ちゃん、ひびきお姉さんと手を繋いでるよ」
「きっと、フタマタなんだぜ! フタマタ!」
「しゅらば、しゅらば」


 その子ども達の言葉に自分の左手を見る。堅く握られた手と手、そして俺のものじゃない手の持ち主の顔を見ると顔を赤くした響がいた。さっきから、どうにも喋らないなと思ったら、ひょっとしてこれで気恥ずかしかったのか。


「あ、いや、すまない」
「あ……」


 と、さっと手を開いて響の手を離す。響は小さく声を出して、繋がれていた方の手の平を見る。もしかして、手汗でも掻いていたのかなと思い、俺も自分の手を見るがプールの水のせいでよく分からなかった。それでも、雰囲気が何かいつもと違う感じがするぞ。


「むぅ……」
「あれ? あいちゃんがちょっと怖い顔になったよ?」
「知ってるか? あれって『しっと』って言うらしいぜ!」
「やきもち、やきもち」
「もう、貴方達は自分のレースに向けてちゃんと泳いでおきなさい!」


 と、逢は何かちゃちゃを入れていた子ども達を叱り付ける。子ども達は「うわー! 逃げろー!」と言って、全員一列で向かいのコーチたちがいる方に泳いでいく。
 逢は顔を真っ赤にして、肩で息をしている。やれやれ、逢も響も年下から慕われるのはいいが、からかわれやすいのは同じなんだな。
 俺達は、プールの中で泳いでいる子ども達の姿に気持ちが向いていて、後ろから迫る捕獲者の気配を感じることは出来なかった。
















「げっちゅう~!」
「わわっ!」


 隣に立つ逢が驚いた声を挙げる。何事かと思って横を見ると、大きな何かが後ろから逢を抱きしめていた。視線を逢の顔から少し上に上げると、眩しいくらいに輝いている森島の顔があった。


「遠野君! この子、すっごくカワイイ!」
「い、いきなり、なんですか!」


 いきなり後ろから森島に抱きしめられた逢は、手をバタバタさせて逃げだそうとする。逢に頬擦りする森島の目は、可愛いらしいものや面白そうなものを見つけた時に見せる光り輝く星みたいなものが見えた気がした。こうなった森島は、抵抗したところで並の力では引き離せないだろう。


「もう……こら、はるか。いたいけな小学生をいじめないの」


 スクールの後輩の面倒から解放された響が、逢に抱きつく森島に注意を入れる。どうやら気持ちを立て直したらしい。響の声を聞いた森島は、それでも離したくはないと不満そうな顔を浮かべる。


「え~、でもスッゴクかわいいのよ? ひびき、この子飼っちゃダメ?」
「飼っちゃダメ。あと1年間弱で水泳部に入るんだから、それまで待ちなさい」
「む~、ひびきちゃんの意地悪……」


 まるで、駄々っ子が近くで見つけたカワイイ子猫を拾って、母親が飼ってはダメと言っているような光景であった。









 森島と響は、原作では大の仲良しであり、この世界でもそれは引き継いでいるようであった。正直俺の存在がどれだけ影響するのかと内心焦っていたのだが、あまり変化が無くて本心からほっとしたものだ。水泳部の活動でも、森島、響、知子の三人は水泳部に関する話を始め、学校生活、最近見た恐竜映画、ビーイングブームなど色々な話に花を咲かせていた。
俺も森島の強引な誘いでその姦しい輪に混じり、彼女らのガールズトークを聞くことが頻繁にあった。年頃の女の子三人のパワーに、俺はたじろがない時が無く、たまに話を振られたら返すくらいであった。
 ただ、森島が「みんなの初恋っていつなの?」という話題を振られた時は一気にその場の姦しさが嘘のように静かになったことがあった。知子は、頬を赤くして何にも応えようとせず、響も頬を赤に染めた微笑を称えたまま黙っていた。異様な緊張感で俺は口を開けず、森島だけが「おりょ?みんなどうかしたの?」と小鳥が首をかしげるように不思議そうな態度を取っていた。
 それはともかく、知子は「はるちゃん」、響は「はるか」と森島を呼ぶようになり、森島も「ともちゃん」「ひびきちゃん」とお互い愛称で呼び合うようになった。
 森島は俺についても愛称で呼んでほしいと言ったが、また要らぬ誤解を巻き起こしたくないと思って「森島」と呼ばせてほしいと頼んだ。残念そうな顔をしていたが、必死に頼み込んで何とか納得させた。








「何でもいいですから、離してください!」
「そうね、はるか。逢を離してあげて」


 抱きしめていた腕を逢から離すと、逢はすぐさま俺の背後に隠れる。


「あ~あ、逃げられちゃった」
「逃がしてあげなさい」
「むう……逢ちゃん。お姉さん、一年待ってるからね……」

一年待ったら飼われるのか、と俺は心の中で突っ込む。


「まったく……逢。そろそろ1フリの召集が始まるでしょ、行ったほうがいいわ」


 響の言葉を聞いて、天井の電光掲示板で今行われているレースの種目と組を確認する。10歳以下の男子100m自由形の第6組が行われていた。10歳以下の男子100m自由形の最終組の召集を行っている役員の声が聞こえる。


「そうだな。逢、行ってこい」
「行ってらっしゃい」
「頑張ってね!」
「はい!」


 皆が逢に声援を送り、俺が逢の頭をポンと撫でた後、逢は召集場所へと向かって早足で歩いていった。
 逢の姿を見送った後、俺も自分のレースが近いことを思い出した。


「俺もレースに向けて少し身体を動かしてくるわ」
「うん! 応援してるからね、遠野君!」
「ええ。がんばってきてね、拓君」
「まかされよ」


 と二人は俺から離れて、それぞれの持ち場に戻っていく。お祭り騒ぎが終わり、全力を出せるよう集中し始める。
 電光掲示板を見ると、100m平泳ぎの順位と結果から100m自由形のスタートリストへと切り替わる。ここからが本番だと言い聞かせて、俺はストレッチを始めた。










(次回へ続く)
 
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