緋弾のアリア-諧調の担い手-
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その手に宿る調律。
生れ落ちる生命
前書き
綺羅side
《出雲・周辺》
PM:2時42分
「…いい天気ですね」
私は今、出雲の緑に溢れた森林の中を穏やかに歩いていた。
目的はただ一つ。お昼寝をしている時夜様を起こしに行く為だ。
今日の三時のおやつは、時夜様の大好きな桜餅とおはぎ。
今頃、ナルカナ様と環様が時夜様の為に、腕を揮っている事だろう。
木々、野に咲く野花を揺らす春風。
木漏れ日より漏れる、心地よい柔らかな陽気な日差し。森の合間から見える空には雲一つない。
その中で、私も眠りに誘われそうになる。
今直ぐにでもそっと瞳を閉ざせば、きっと気持ちよく眠る事が出来そうだ。
けれど、そうは行かない。思わず零れる欠伸を噛み殺して、意識を切り替える。
穏やかな薫風をその身に受けて、森の中へと新たに一歩踏み出す。
「……っ…これは」
……刹那。一歩踏み出した、次の瞬間であった。
この陽気をも容易に吹き飛ばす程の、膨大な力を感じ取ったのは。
木々に留まった鳥達が、急ぐ様にして一斉に飛び立つ。
虫達は息を、その声を押し殺す様にして、静まり返る。
それだけで、先程までの森とは最早別の場所の様に思えてくる。未知の空間。
不気味なまでの静寂が森林を包み込み、思わず背筋が冷たくなるのを感じる。
ゾクリ…とする程の濃密で濃厚なマナ。
それが私の犬神族としての嗅覚、感覚が異常なまでに感知する。
その発信地は此処から程遠くない場所だ。私は急いで場所を特定する。
そして一気に脳内から色が抜け落ちて行く。そして、焦燥の色が頭を支配する。
特定された、その場所。
それは、時夜様が眠っている大樹の方向から発せられている。
先程までの穏やかな足取りとは一転。私は跳ぶ様にして森を駆ける。
念頭に、ナルカナ様に告げられていた言葉が脳裏を過ぎる。
今より幼き頃、時夜様に干渉を及ぼしているという存在がいる。
真っ先に浮かんだのはその存在であった。
その存在マナは予想を悪く裏切る程に膨大だ。
戦闘になるとしても、今現在の私の能力では著しく厳しい所だろう。時間稼ぎ程度も出来ないかも知れない。
けれど、私の事を姉と慕う可愛い弟の危機なのだ。
多少の無茶も危険も、目下の視野に入れなけれならないだろう。
「待っていてください、時夜様ッ!」
1
「…ナルカナ様、今のは」
「……ええ、間違えないわね」
不意に思わず、おはぎを作っていた手が止まる。
此処に居てでも明瞭と感じ取れる程の膨大なマナと、上位の神剣の気配。
……この気配は。
その気配には覚えがあった。
昔より時夜に干渉を及ぼしている神剣のマナの波長だ。
その力で言うならば、叢雲の化身である私。
そして私をこの時間樹に封じた、忌まわしき“聖威”と同等の力を有しているだろうか。
「環」
「はい、この場は私が残りますので。…ナルカナ様は時夜さんの元へと」
「当然よ、時夜の所に向かうわ。何かがあった場合私が対処するから、環は時夜が帰って来た時におやつを食べれる様にお願いね」
私はそう環に告げて、急いでその場を離れる。
目指すべき場所は、時夜が眠っている大樹の元だ。
綺羅も先行している。
けれど、戦闘の類になれば未だに過去の戦の傷が半ば癒えていない彼女には荷が重いだろう。
あの子の両親が不在中の今。
時夜を守る事が出来るのは、私達家族だけだ。
時夜を守る事。
それは私達家族にとっての義務であり、使命だ。
けれどそんな建前など無くても、私は時夜の為ならば盾とも矛ともなる覚悟がある。
それ程までに、私はあの子を愛しているのだ。
「…待ってなさい、時夜ッ!!」
そんな可愛い弟の為。
私は自身の力を解放し、疾風を纏って森の中を駆け抜けた。
0
時夜side
《出雲・周辺》
PM:2時53分
「時夜様、何か変わった事はないですか?」
綺羅お姉ちゃんに手を引かれ、森の中を通って出雲大社を目指している最中。
そんな事を先程から、度々と聞かれている。
「……さっきからどうしたの、綺羅お姉ちゃん?」
昼寝から目覚めた後より、不安に満ちた、心配そうな表情を見せる綺羅お姉ちゃん。
俺はそれに怪訝な表情を浮かべて、首を傾げる事しか出来ない。
……何か、変わった事はあったか?
自問自答するが、特に思い当たる節は無い。
…何かあったかと言えば、今まで忘却されていた夢を思い出した事位か。
それ以外は得にはない。
けれど、それは夢の中での話だ。現実に影響を与える様な類ではない。
うん、何もないな。
「…そうですか、何かあったら直ぐに言って下さいね」
「は~い!」
そんな俺の声を遮る様に、森の中に女性の甲高い声が響く。
―――黒い閃光。
視界に映った処理落ちした情報を解析すると、その言葉が当て嵌まった。
遠方より、弾丸の様に迫ってくるが、近づくにつれてその全貌が明らかになってくる。
「―――時夜ッ!!」
森林の出雲方面より、かなりの速度でルナお姉ちゃんが現れる。
その表情は、どこか危機迫っている様にも見える。
「…ルナお姉ちゃん?」
俺はそんな自身の姉今までに見せた事のない姿に、思わず目をパチクリ…とする。
どうしたのだろうか?言葉に出す前に、俺はルナお姉ちゃんに抱き締められた。
「―――んっ!?……んっ!」
ナルカナの豊満な胸が顔を塞いで、息が出来ない。
「―――ぷふぁ!!」
俺がもがくと、それに伴ってその二つの豊かな丘が激しく形を変える。
もがき苦しみ、ようやく顔を外に出して新鮮な空気を吸う事が出来た。
「…る、ルナお姉ちゃん、どうしたの…?」
「大丈夫、時夜?何もされていない?!」
何やら困惑状態に陥っている自らの姉に、俺自身も困惑する。
……何かされていない?
綺羅お姉ちゃんもそうだが、その問いに別段思い当たる節はない。
昼寝から覚めてからというもの、姉達の様子が鬼気迫って見えるのは俺の思い過ごしか?
「…どうして?特にないよ?」
その言葉を聞いて、ルナお姉ちゃんは真正面から俺を見据える。
だが数瞬後には、ほっ…と安堵の息を吐く。そうして何時もの様に、優しい微笑みを浮かべる。
「…そう、何かあったら直ぐに言うのよ?」
「うん!」
「…綺羅、ちょっといいかしら」
「はい。…時夜様、ナルカナ様と少々お話があるので先に屋敷の方に戻っていてもらってよろしいですか?」
「うん、解った」
「直ぐに追いつきますからね」
そうして俺は二人に背を向けて、出雲大社に向けて歩き出した。
話の内容は気になるが、幼い俺が口を挟む余地は無い事だろう。
1
「はむっ♪」
三時のおやつの時間。
俺は今日のおやつである、姉謹製の桜餅とおはぎに舌鼓を打っていた。
特に、環お姉ちゃんの作る桜餅は絶品だ。
お母さんの作る桜餅も美味しいけれど、桜餅に関しては環お姉ちゃんに軍配が上がる。
けれど、それを前に出して言葉にする事はない。それを口に出せば、あの親バカは泣いてしまう事だろう。
だが、どちらの桜餅にも、しっかりとした情が籠もっている。
本来ならば優劣の付けようがない。けれど、好み的には環お姉ちゃんだ。
口一杯に、リスの様に桜餅を頬張る。
精神は身体に引っ張られるというけれど、正にその通りだと思う。
ここ数年の俺は幼児退行したかの様に、何処かしら仕草や言動が歳相応の物へと変わっている。
我ながら、それを恥ずかしいとすら思う時がある。
桜の葉の淡い風味と、餡子の味が口の中へと広がって行く。和の上品な味わいだ。
俺は前世より、和菓子好きであった為に、毎度おやつの時間が楽しみでしょうがない。
「ちょっと時夜、私の作ったおはぎも食べてよね?」
「は~い、食べるよ」
ルナお姉ちゃんの作ったおはぎを、一口食べる。
うん、こっちも和独特の上品な味わいで美味しい。こちらも絶品と言える一品だ。
おやつの時間こそ、至福の時だと実感する。
思わず、顔の筋肉が蕩けて破顔する。
漫画やアニメで例えるならば、作画崩壊もいい所だろう。
「ふふっ、そんなに急いで食べなくても誰も取りませんよ?」
「そうですよ、もう少し落ち着いても大丈夫ですよ時夜様?」
一心不乱に和菓子を交互に食べる俺を見て、微笑ましい笑顔を向ける三人の姉。
環お姉ちゃんが、口の端に付着した餡子を拭き取ってくれる。
「…時夜、本当に何もなかった?」
おやつの時間の前から聞かれ続けているが、やはりそれに該当する記憶はない。
ただ、例を挙げるとしたら。
「だから、何もないよ?……ううん、ただちょっと変な夢を見ていただけ」
「夢、ですか?」
「…うん、昔からずっと見てきた夢なんだけど。ずっと思い出す事の出来なかった夢」
俺は長年見続け、漸く思い出す事の出来た夢を頭に浮かべる。
目覚めた今でも、あの存在の放つ膨大な力に身が竦みそうになる。
あれは一体、なんだったのだろうか?
あの存在に比べると、自分が酷く矮小な存在にすら思えてくる。
俺はあの夢の内で出会った“鞘”の姿を思い浮かべる。
―――何だ?
思考の海から意識を引き戻し、その淡い眩しさに思わず目を細める。
そうして何が起こっているのか理解出来ない俺は、周囲を見回す。
「……この膨大なマナは」
そうして俺は姉達の表情が神妙な面立ちになっているのを目にする。
それと同時。
―――ドクン、ドクン
光の殻を破らんと、非才なこの身でもその膨大な力の波動を感じ取る事が出来る。
それは俺の身体、精神の内側から激しく脈動している。
生誕の雄叫びでも上げるかの様に、それは激しく世界に轟き始める。
―――……■□■
声が聞こえた。
あの夢の中で相対した存在の声が。
そうして、光の殻を破って此処に新たな存在が生れ落ちる。
……それは、俺の愛する今と言う刹那を破壊する音であった。
そしてそれと同時に、俺の新たな生を祝福する祝砲の音でもあるのだ。
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