TAC-AN!
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
これから!
暑さ厳しい折から、いかがお過ごしでいらっしゃいますか。
こんにちは。琴吹紬です。合唱部を志していた私がひょんなことから軽音部に入部することになってから、早いもので三ヶ月が経ちました。
入学初日に苦戦した電車通学にも慣れ、今では友達とお出かけしたりする時も活用しているくらいです。
それはさておき、実を言いますと、私は今ある問題に直面しています。
発端は今からほんの数日ほど前、夏休みが始まる少し前のことです。
私たちが通う桜が丘高校には二学期の中頃に「桜高祭」という名の文化祭が開催され、軽音部がそのステージで演奏を披露するというのは慣例らしいの。けれど、何せ私たち軽音部のウリはあのまったりとした雰囲気なものだから、練習もままならくって――私もその一端を担っているのだけれど。
そんな私たちの様子を見かねた澪ちゃんは、桜高祭に向けた練習するため強化合宿をすると明言したのだけれど、そこには色々な問題があったの。
まず、軽音部の合宿なのだから、単に寝泊りできるだけじゃなくて楽器を演奏できる環境が整っている場所でなければ意味がありません。次に、資金の問題です。前述したように整った環境を借りるにはそれ相応の資金が必要らしくて、唯ちゃんたち曰く、それはとても高校生が払えるような金額ではないらしいの――私にはよく分からないのだけれど。
それらの解決策を模索した結果、私のお家が所有している別荘を借りようかという案が出たのでした。
確かに、別荘の中にはスタジオを兼ね備えているものがいくつかあるのだけど、正直言って、私はその案に賛成する気にはなれませんでした。
何となく、「普通」ではない気がして……
私たち軽音部に、そして、私に立ちはだかる問題を憂いてふうと溜息をついていると、
「どうした、紬。溜息などついて」
背中に威厳をたっぷりと含ませた低い声が掛けられました。
その声に驚いて背後を顧みると、そこには一人の初老の男性が立っていました。
貫禄を十二分に備えたがっちりとした体躯、それを包む衣服は家の中であるにも拘わらず今すぐにでもどこかのパーティーに出席できそうなほど立派なもの。人のよさそうな表情をしていますが、言葉では表現しづらい威圧感のようなものがまるでコロナのように発せられています。そして、その顔の上部には私とそっくりな太い眉毛。
彼は琴吹家の現当主であり、某大手企業の社長でもある私の父です。
「お、お父様!?お戻りになっていたのですか」
私が飛び跳ねるように立ち上がって父に挨拶すると、父は快活な笑い声をあげて私の頭をぎこちない仕草で撫でてくれます。
「少し時間ができたんで、可愛い紬の顔を見に来たんだ」
私の父はとても多忙な方で、家に帰って来ることは滅多にありません。現に、私が父と会ったのも、春の長期休暇中に行った海外旅行の時以来なのです。
「ところで、そんな浮かない顔をしてどうした、紬。学校で何かあったのか」
「いえ、そういうわけではないのですけれど…」
私は事情を話すか否か躊躇いました。お父様のことですから、事情の一部始終を話せばきっと別荘を用意してくれるでしょう。でも、それではダメなんです。そんな「普通」でない方法では意味がないんです。
私は物心ついた時からずっと「普通」ではありませんでした。
どこへ行くにもお付きの人が一緒で、幼稚園や学校の登下校は毎日車でした。
小さい頃に気付くことはありませんでしたが、年を重ね、一部の心無い人達から嫌がらせを受けるようになって初めて自分が「普通」ではないということに気付かされました。
そして、何時しか思うようになったのです。「普通」でありたい、と。「普通」でなくてはならない、と。「普通」でなければ、皆から爪弾きにされてしまう、と。
それは軽音部の皆にも言えること。今は物珍しさから何も言わないでいてくれているけれど、これから先、私が「普通」でないことを見せ続ければ、彼女達もこれまでと同じようにきっと私から離れていく。
だから、私は「普通」でありたい。
だから、私は「普通」でなくてはならない。
――でも、それでいいの?
「普通」ではないからと言って、一般の価値観から大きく逸脱するからと言って、困っている友達を見捨てるような真似をすることが、私の追い求めていた「普通」なの? それとも、そんな希薄な関係をあの子達に、軽音部に求めていたの?
違う。私が軽音部に入ったのは、あの娘達と音楽をやろうと思ったのは、「普通」になりたかったからでも、上辺だけの淡泊な関係を築きたかったからでもない。
あの子達になら、私の「普通」でない部分を見せられると思ったから。あの子達となら、今まで築くことのできなかった深い関係になれると思ったから。
それが分かっているのなら、私のとるべき行動は一つ。
「あの、お父様――」
数日後――
童話の「ウサギとカメ」をモチーフとした手摺を擁する階段を上り、その先にある音楽室のドアを押し開きます。
私以外の三人はもう既に来ていて、何時ものように何でもないようなことをああでもないこうでもないと話していました。
「あ、ムギ。どうだった?」
私の入室に気付いた澪ちゃんの問いに、私は笑顔で頷きます。すると、音楽室に三人分の歓声が木霊しました。
「ねえねえ、ムギちゃん。その別荘ってどんなとこなの?」
「小さいけれど、海のそばにあってとても快適なところよ」
「おぉ~!じゃあ、水着持っていかなきゃな」
「遊びに行くんじゃないぞ、律」
「いいじゃん。折角海が近いんだし」
「全く……ちゃんと練習してからだぞ」
私はその光景に思わず笑みが零れました。
始めは愉快な人達の仲間になりたいと思って入ったこの軽音部。でも、今はかけがえのない居場所になりました。それは私を必要としてくれる仲間が、私を受け入れてくれる仲間がいるから。だから――
――これからもこの仲間達と音楽を奏でていきたい
私はそう思うのでした。
ページ上へ戻る