無名の戦士達の死闘
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第八章
第八章
近鉄の先発は若手の村田辰美、対する南海はベテラン佐々木宏一郎であった。佐々木もまた近鉄にいた。大阪球場は三万二千の観客で埋まった。
「今日は絶対に勝たんかい!」
「そうや、今日負けたら承知せんぞ!」
昔からの近鉄ファンが旗を振って叫ぶ。彼等もまた必死であった。
試合はまず近鉄が先制した。二死二塁から梨田がタイムリーを打ったのである。しかし佐々木はここで踏ん張った。後が続かない。
村田は持ち前の多彩な変化球を駆使し南海打線を寄せ付けない。しかし四回裏王天上にタイムリーを許す。これで同点となり試合は動かなくなった。
「おい、まずいんちゃうか」
観客の一人が村田を見て言った。
「ああ。何かあの時の鈴木にそっくりやな」
隣にいた男が相槌を打った。彼等の目には村田の姿が藤井寺での鈴木とだぶって見えたのだ。これは彼が左投手だったからであろうか。
試合は終盤になった。ツーアウトながら一、二塁のピンチである。ここで広瀬は代打を告げた。
「ピンチヒッター、阪本」
アナウンスが告げる。阪本敏三、そう西本が大橋と交換トレードに出したあの阪本であった。彼は東映から近鉄を経て今年南海に移籍していたのだ。
「よりによって阪本かい」
「西本さんもつくづく因果に悩まされるお人やな」
彼は左打者攻略を得意としている。広瀬が満を持して投入した切り札である。
村田の全身から汗がほとぼしり出る。絶対絶命のピンチであった。
だがこの危機を乗り越えずして何が優勝か。近鉄は勝負に出た。
しかしそれは裏目に出た。阪本のバットが村田のボールを捉えたのだ。
打球は二遊間を抜けた。二塁ランナー定岡智秋は俊足だ。彼はツーアウトということもあり一目散に走った。
打球は遅い。ゆっくりとセンター前に転がっていく。誰がどう見ても一点入る状況であった。
「終わった・・・・・・」
皆そう思った。この点が入れば間違いなく決まる。球場は絶望に覆われた。
「これで終まいか・・・・・・」
西本もがっくりと肩を落とした。彼は今までこうして幾度となく敗れ去ってきたのだ。
だが一人諦めていない男がいた。彼は今鬼となった。
平野光泰。不器用だが闘志に溢れる男であり西本はその心意気を気に入り切り込み隊長にしている。勝負強い打撃と広い守備範囲で知られていた。あのマニエルの死球の時八木沢にバットを持って殴りかかろうとして周りに止められたあの男である。
「させるかあっ!」
その平野が吠えた。彼はボールめがけ突進しボールを捕った。
そして投げる。速い。まるで流星の様であった。それが今ホームにいる梨田のミットにダイレクトで収まった。まるで地を這うようなボールであった。
「何っ!」
それに驚いたのは定岡であった。だが止まるわけにはいかない。彼は猛然と滑り込んだ。
しかし梨田も負けられない。彼も名キャッチャーとして知られる男である。それを身を挺して防いた。
砂塵が巻き起こる。球場は完全に沈黙した。
「アウトか!?」
「セーフか!?」
皆審判の動きに注目した。
西本は喉を鳴らし唾を飲んだ。組まれた腕に指の力が強く加わる。
審判の手がゆっくりと動いた。そして彼は口を開いた。
「アウトォッ!」
彼は拳を突き出して叫んだ。その瞬間三万二千の観客は爆発に包まれたように騒ぎだした。
「なんちゅうバックホームや・・・・・・」
定岡はホームの上で正座をする形で呆然となっていた。さしもの彼もこれ程凄い返球は見たことがなかったのである。
試合はこれで決まった。引き分けとなり近鉄は前期優勝を決めた。
「マニエルおじさんの遺産をドラ息子共が食い潰してもうた」
西本は優勝後のインタヴューでそう言った。ここまで来れたのは彼のおかげだったからだ。
「ミスターニシモト・・・・・・」
マニエルはそれを病室で聞いていた。赤鬼の目に涙が浮かんだ。
「おい、近鉄が優勝しよったで」
この話は阪急ナインにもすぐに伝わった。
「そうか、あいつ等藤井寺のお爺ちゃんを男にしたったんやなあ」
彼等はそれを我がことのように喜んだ。チームは違えど彼等もまた西本の弟子達なのであった。
「ようやりおったわ。あの連中も成長したな」
それを特に喜んだのは加藤であった。彼はあの時西宮で近鉄ナインを怒鳴りつけたことを昨日のように覚えていた。
(平野、ようやったな)
西本は心の中でそう言った。彼ですら諦めたというのに平野は諦めてはいなかったのである。
(そして、すまんかったな)
諦めたことが申し訳なかった。選手達は諦めていなかったというのに。
こうして近鉄は前期優勝を成し遂げた。しかし戦いはまだ続いていたのである。
ページ上へ戻る