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恋よりも、命よりも

作者:ぽてと
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空を、見て

戦争は終わった。

…とは言ってもまぁ、すでに儚くなった私にとってはあまり大したことでもない。

彼女はそんな天邪鬼な事を考えながら、それでも水面を見続けていた。

「釣れますか」
背後から聞こえた若々しい男性の声に、くすりとほほ笑んで答える。
「ええ、良いネタがたくさん入りましたよ」
一緒にいかが、と続けると、彼もまた楽しそうな声で「どれどれ」などと言いながら隣に座り込んだ。

「ああ、今日はリュータンさんの結婚披露宴でしたか」
すき焼き屋とは珍しい、しかも燕尾服同士ですか、などと、水面から伺えるあちらの世界の出来事を、楽しそうに話している。

「ホントにあの人は、『タカラジェンヌ』である事を誇りにしていましたから」
結婚式にまで燕尾服なんて、ほんとあの人らしいですよねぇ、と続ける彼女に彼も「そうですね」と返す。
「戦争が終わって、これでやっとあの方々も伸び伸びと暮らす事が出来る。…本当に、良かった」
どこか眩しそうにしている彼の視線の先には、タッチーの笑っている姿が映っていた。

「あそこに居たかった、とは思いませんの?」
静かにそう尋ねる彼女に、彼もまた静かに答えた。
「居たかった、と思わないと言えば嘘になります」

「…そうですね、ごめんなさい」
「いえ、いいのです。
…それに、居たかった、と思う事もありますが、実はさほど後悔はしていないのです。だからこそここにいるんですよ」
そうでなかったら、今もまだ海の底か日本のどこかで暗い顔をしながら彷徨い続けているはずでしょう?と、少しおどけながら彼は続ける。

「こうして、今ここにいる自分に対する満足感も、少しではありますが確かにあるのです。…日本は戦争に負け、何故あんな無駄な…人間魚雷や神風特攻隊などという作戦を決行したのかという思いも残らないでもないでしたが…。
それでも。あの時の自分には、愛する人を、愛する場所を、守るための手段はあれしか考えられなかった。
そしてその気持ちを彼女に伝える事もでき、実行に移す事もできた。
あの激動の時代の中で、確かに色々と他にやりたい事はあったけれど、ああいった人生を送った事に自分は意外にも充実感を得ていたのですよ」

色々と後悔をした事もあるのだろう。
しかし、それを乗り越えた発言をしている彼に向って、彼女もあえて負の感情を呼び起こす発言はしなかった。
ただ、からかうようにこう言った。

「あら…お気持ちをタッチーにお伝えになったの?知らなかった」

すると彼も、にこりと笑って返す。
「ええ。熱烈に」
「まぁ。熱烈に?それはタッチーがこちらへ来たら、是非からかわないと」
そして水面に映るタッチーに向かい、「楽しみにしてるわよ」とささやく。

「しかし彼女は、新たな良い方と一緒になっているかもわかりませんよ」

彼はまだほほ笑んでいたが、それは彼女の目にどことなく寂しそうに映った。
「あら、意外にタッチーをご存じないのね?掛けてもいいですけど、きっとあの子、結婚しませんよ」
「…何故、そう思われるのです?」

「だってあの子、単純馬鹿ですもの」

「…………」
「あの子は、タッチーは目の前の事で精一杯で、ちっとも他所事に目を向けれないんです。それは彼女の家庭環境がそうさせたのかもしれませんけど、でもあそこまでいけば元々の性格もあるのだと思います。
ホント、昔っからそう。
宝塚っていう居場所だけはなんとか確保しようとがむしゃらに努力して、結果的に成績が良くなっただけだし。
居場所が宝塚しかないっていう苦しさをなんとか脱却しようとして初恋に目覚めて、思わず「さらってけ」発言して相手に引かれてしまった事もあったわねぇ。
宝塚こそが自分の道だと、思ってからはまた一途にタカラジェンヌたろうと他所事に目を向けれなくなって、やっとこ本気になった初恋の君の思いなんか気づかずじまいだったし…
あなたに妻問いされてからは、あなたのことしか頭になくて思わず戦死しそうになるし…」

「…同僚をどんな目で見てたんですか、あなたは」
「それはもう、冷静に」

あきれ顔の彼に、にっこりと笑って彼女は続ける。

「それこそ人生の一番輝いていた部分を共有していたんですよ?あなたとは年季が違いますもの…その私から言わせていただければ」
そう、あの子はきっと。
「きっと、あの子はあなたの事を忘れたりしない」
「…………」
「『熱烈に』思いを伝えあったのですもの、きっとあの子はその思い出を後生大事に、一途に心の中にしまいこんで生きていくのだと思います。
…それに、今は『宝塚 雪組主演男役』になったのだから、それで頭が一杯ね。きっと」
同期の友を想像して話す彼女は、まるでその光景が目に見えているかのように、歌うようにスラスラと、とめどなく話している。
「今は、宝塚のトップとして。それから先は宝塚の指導者として。戦後の混乱期でもありますし、宝塚も人材が不足しておりますもの。結婚しなくても、女の一人暮らしでも悠々と生きていけるのではないかしら。
…ですからあなたも、心おきなく待っていてよろしいんじゃないかと思いますよ?」

「そうで、しょうか」
「そう思いますけど」

和やかに歓談しているタッチーやリュータンの見える水面を眺めながら、
彼は不安そうに、彼女は少し呆れたように会話を続けている。

「しかし、どうしてそう思われるのか…。私は彼女に、「幸せになってください」と言ってしまったんです。いわば、「貴女を幸せにできる誰かを見つけるように」と、言ってしまったようなものだと思うのですが」
「男の方って皆そう。なんで結婚が女の幸せって決めつけるのかしら。…私達はタカラジェンヌですよ?演じる事でお金を頂いて、自力で生活する事もできるんです。あなたが現れる前は、タッチーはそうして自立していこうと考えていたし、あなたが居なくなった後は、宝塚で生き抜こう、と思っているようでもありますけど」
タッチー、今幸せそうに笑っているでしょう?と、彼女が言う。
「そうですね…」

「それに私、聞いたんですタッチーに。『どうせ私が先にあの世に行くから、あの人によろしく言っておきましょうか?』って。あの子、『そうしてくれる?』って言ってましたよ」
「え…」
「『私もいずれ、そちらに行きますから、それまで待っていていただけませんか』ですって。…なんで疑問形なのかしら、もう答えをいただいてもあの子に教える手段なんてないのにねぇ」
まぁ、でもね。
「だからあなたも、その気があるなら待っていてあげてくださいな。きっとあの子、たとえ年老いてこっちへ来ても、根性で若返ると思います。…今生では勤労女性としての一生を、来世ではあなたとの幸せな一生を、少なくとも今は望んでいる気がするんです」

そう言い終えて彼女は、少し心配そうに、そして期待を込めて彼を見た。
彼は、しばらく水面に映る件の彼の人を見つめていたが、やがてぽつりとつぶやいた。

「そうですね…私も来世では、彼女と名実ともに夫婦と呼ばれる関係になりたい、と思います」
「………!!」
「彼女には、幸せになってほしい。しかし今はそれが自分の力ではできないのがもどかしく、つい弱音を吐いてしまいましたが、今は彼女が幸せならいいのです。
そう、来世で、今度こそ私と共に幸せになっていただけるなら、今はいくらでも彼女を待つ事が出来る気がする」
「まぁ、熱烈ですわね」
「伊達に出会って数回で結婚を申し込んではいませんから。…実際一目惚れに近く、そして想いは相当深いのですよ。もしも彼女が今生で伴侶を得たとしても、こちらに来てからは情熱で奪い返そうと思えるほどには」
「ふふふ、なんだか楽しみになってきました」
「そうですか?…そうかもしれませんね」
待つ事は退屈かもしれませんが、未来を思えば楽しめそうですね、と彼らは顔を見合わせて笑った。

「ところで、あなたこそあちらに居たかった、とは思わないのですか?」

ひとしきり笑った後、そう尋ね返した彼に、「まぁ、ずいぶんと今さらな話」と言いつつ彼女は答える。

「そうねぇ、確かにあちらに居たい気持ちはありますけど…でも私、ずいぶんと満足してここに来たんです」
「ほう」
「死ぬなら、舞台の上で。そう願った俳優は数多いでしょうけど、実際にその願いがかなう俳優なんてそういないはずでしょう?でも、私の願いはかないました。…あの子たちのおかげで」
ホント、馬鹿な人たち。そう呟きながらも、彼女の瞳はやさしい。
「私はあの時、…正直その少し前からほとんど正気ではなくなっていて。痛みも苦しみも、頭のでき物のおかげかほとんど感じなくて、その代わり周囲の事も全く分からなくなっていて。それでも、最期に『舞台に出るよ』という言葉と、お客様の拍手だけは聞こえたんです。本当に私の望みを、あの子たちはかなえてくれた。」
最期は、本当に走馬灯が見えたのだと言う。
「ほとんど、あの子たちと過ごした日々の出来事で…私の青春の日々は、一番大切だった時期は、全部あの子たちと一緒にあったんだと思ったんです。……だから」
「………だから?」
「だから、できれば来世も一緒にありたいじゃないですか。そのためには、ちょっとくらい寂しくてもここで待ってようかなぁって思ってるんです」
けなげでしょ?

おどける彼女にしかし彼は優しく微笑むだけだった。
「そうですね…では、一緒に待っていましょうか。…大切な人たちを」
「案外待たされるかもしれませんよ~なんせ、皆図太いから」
特にタッチーなんて、ああいう子は案外長生きなんですよね~

そんな事を言いながら、それでも彼らは水面を見続けて、願い続ける。

どんなに待たされてもいいのだ、彼女らが幸せであるのなら。
ここは人生を終えた事に納得できたものだけが来れる空の上なのだから。
できれば幸せに、満足した人生を満喫してから来て欲しい。

ただ、たまには。
自分たちが話すように、彼女たちも自分たちの事を思い出して、そして
空を、見て。

そう、願いつづける。
そんな、
秋の良き日。
 
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