銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
決戦2
「退路?」
怪訝そうなラインハルトの視線が、ヘルダーを捕えた。
「ああ。予想よりも敵の反撃は酷かった。だが、少尉の進言を受けるとすれば、敵の基地が陥落するのも時間の問題なのだろう。ならば、次を考えるというわけだ」
「まだ陥落していない今で、次を望むのは二兎追うものというものでは」
「君は負けるというのか?」
「負けるというわけではありません。しかし、特に敵の中央は二時間に渡るこちらの攻撃を防ぎ、いまだ健在。決して侮ってよい相手ではないと思います」
「確かに」
ヘルダーは頬を曲げた。
「いまだ敵の中央をおとせない。しかし、それは君が左右の連携によるものだと、今そう言ったのではないか」
「ええ。左右を狙えば中央の防御は弱まるでしょう。しかし、それはあくまでもこちらの理想論でしかない。敵の中央がそれ以上の策を考えていたのならば、戦場は水面に揺れる木の葉のように動きを変えることでしょう」
「ここには少尉だけしかいないと思っているのか?」
強い視線にラインハルトは言葉を奪われる。
ラインハルトをあざ笑うように、ヘルダーが口を開いた。
「起死回生の策があったとしても、我々が何とかしよう。だから、少尉は安心して敵の退路を確認してくれ」
「……わかりました。では、部隊を連れて、敵の退路確保に向かいます」
「それには及ばない」
振り返ったラインハルトの目に、ヘルダーは笑っているように見えた。
「少数部隊を送ったところで、窮鼠猫を噛むと言うこともある。あくまで退路の確認だけにして、戦わないことだ」
「一人で?」
「最初はな。こちらの手があけば、すぐに援軍を送る。それともママの付き添いがいなければ、夜中にトイレにもいけないか?」
「けっこう。では先に言っております」
握り締めた拳で金色の髪を払い、ラインハルトは歩きだす。
わずかな冷笑を唇に残して。
+ + +
「まずい」
敵の攻勢が止み、少しの休憩の時間ができた。
誰もが息を吐いて、銃を下ろす。
銃を構えて固まった手を揉みほぐしながら、アレスは塹壕から顔を出しながら顔をしかめていた。吐き捨てるような口調に、カッセルが随分と深刻な顔をしてますなと軽口を叩いた。
「ちょうどいい休暇だと思いますがね。一体何が……とっ」
直後に巻き起こった爆音に、カッセルの言葉が遮られた。
遠くからあがる雪煙と細かな振動が雪を震わせる。
顔をしかめながら、カッセルが耳を塞ぐ。
「何が心配なんです!」
声高に叫んだ言葉に、顔を戻しながらアレスが首を振った。
「こちらの意図に気付かれたようですね。さすがというべきか、あるいは今まで良く持ったというべきか」
「なぜ、わかるのです」
「攻撃が左翼に集中し始めています。左翼の戦線が崩壊後は、すぐにこちらにも来るでしょう。その時に助けは期待できそうにありませんね」
「そりゃあ」
攻撃の集中する左翼防御陣を他人事のように見ながら、カッセルが息を吐く。
「面白くない話ですね。今まででも十分辛い。いっそのこと逃げますか?」
「どこにです?」
「さて。塹壕を走って、山の獣道を歩けば、運が良ければ生き残れるでしょうな」
「運に任せるのならば、助けが来る方を信じたいですね」
苦笑しながら、アレスは塹壕に腰を下ろす。
空を見上げる。
曇天の空は吹雪こそ止み始めているが、いまだに太陽は顔をのぞかせない。
発進すれば数分で来るであろう航空戦力は、いまだに来る気配すらなかった。
少しの休息に、今まで忘れていた疲労と乾きが思い出される。
脇から雪を手にして口に含んだ。
乾いていた唇が、ほんのわずかに潤った。
視線を感じれば、カッセルがこちらを見ていた。
油断するなと激を飛ばしているバセットにも疲労の色が強い。
アレスとカッセルが話している様子に、幾人かが気がつく。
誰もが疲労を浮かべる様子に、アレスは冗談めかして肩をすくめた。
「敵が休めというならこちらもゆっくり休みましょう。元より時間稼ぎが任務――このまま援軍が来るまで休みましょう」
突然塹壕に響くようなアレスの言葉に、気付いたようにカッセルが眉をあげた。
「その援軍はワインも運んでくれますかな」
「きっとね」
アレスの意図に気付いたように声を張り上げたカッセルに微笑を浮かべれば、アレスは空を見上げた。
援軍はまだ来ない。
+ + +
惑星カプチェランカから遥か数十万キロメートルも上空。
成層圏よりも更に上空に一隻の巡航艦が待機していた。
自由惑星同盟軍巡航艦――ラフロフ。
銀河帝国軍のそれとは違い、画一化して他の艦船とも違わぬ、特徴のない形状。
武骨な深緑色のそれは静かにカプチェランカ上空を漂っていた。
救援要請を受けたラフロフは、戦闘開始後二時間で上空へとたどり着いていた。
しかし、命令はない。
「まだなの」
「苛立っても仕方がない、らしくないな。天気図を見れば、今行くのは自殺行為だと明白だろう?」
「この雲の厚さならば、いけるわ」
「雲を抜けて、敵の高射砲と対空砲の集中砲火はごめんだ。言っても平気だっていう、確信が必要でね」
惑星飛行用の爆撃機の副操縦席で、男が肩をすくめた。
操縦席のモニターには惑星カプチェランカの天気図が表示され、雲の様子が逐一変わっている。天気自体は比較的落ち着いている。
もっともカプチェランカにおいての落ち着いているという事であり、吹雪はないものの厚い雲が惑星の――戦闘地帯の様子を隠している。
彼女の腕であれば、飛べない事はない。
だが、副操縦席の同僚の言葉通り、文字通り飛べると言うだけの状況。
敵も高射砲や対空砲など、空に対する備えは万全だろう。
その状況で突入したとしても、集中放火を受ければ一矢報いる前に撃墜されてしまう。
ほんのわずかでも状況が確認できれば。
そのわずかな状況確認の隙間すらも、厚い雲は許さなかった。
唇を噛む力が強くなる。
いまも続いているであろう戦闘に、自分は何の助けも出来ない。
感情的になろうとする心を落ちつけて、彼女はレーダーを確認する。
まだ大丈夫だ。
だが。
「このままでは敵の援軍が来るかもしれない」
「違うね。おそらく、来ている」
否定された冷静な言葉に、彼女は隣の席を睨んだ。
鋭い視線を受け止めながらも、副操縦席で男は首を振った。
「こちらの援軍要請を敵さんが知らないわけがない。今頃カプチェランカ外周にきて、こちらに回り込んでいる頃だろうさ」
「ますます時間がないわ」
「ああ。いま出発できなければ、おそらく撤退命令が出るだろう」
「それなのに随分と落ち着いているのね」
「仕方がないことだ。いま撃墜されれば、次に誰が敵を攻撃する?」
「その次、その次と、年金をもらうまであなたはそう言い続けるつもりなの」
「挑戦的な言葉だな」
「本音よ」
手元のモニターに目を向けて、彼女は息を吐いた。
厳しい言葉をぶつけたが、男の言っている言葉も間違えてはいない。
無駄死にをするくらいなら、次のチャンスを待つべきだ。
それが理解できているからこそ、彼女も待つ事を選択せざるを得ない。
でも。
頭で理解できていても、感情は別だ。
この状態を彼女の――先輩が、そして、後輩が見れば何というだろうか。
仕方がないと諦めるか。
いや。
コンソールに伸ばそうとした手を、寸前で彼女は飛ばした。
彼女だけが死ぬのであれば、おそらく彼女は押したであろう。
だが、彼女の手には憎らしいことだが、隣の副操縦士と、そして兵士の命が握られている。
おいそれと、簡単に行動が出来る立場でもない。
そんな状況を、彼らは笑うか。
自らが自嘲の笑いを浮かべかけ、外部のモニターに通信が入った事が告げる。
それは全体への一斉メッセージだ。
一拍の呼吸を経て、おそらくは戦場であろう精悍な顔をした男が映った。
『カプチェランカから、ラフロフ――カプチェランカから、ラフロフ……こちらカプチェランカ基地司令官クラナフ大佐だ』
+ + +
『敵の襲撃から三時間。現在まで、敵を基地広場内でとどめているが、敵がこちらの策に気づいたようだ。既に左翼部隊の攻撃機能が八割を奪われ、前線基地が孤立している。おそらくはあと三十分も持たない』
クラナフ大佐の艦船全体へ向けた通信に、誰もが小さく息を飲んだ。
『この通信は一方的に送信している。私もすぐに……』
爆音。
『すぐに現場に戻る事になる。前線基地のマクワイルド少尉が持ちこたえてくれているが、時間はない。できれば――すぐにでも救援をお願いしたい』
それは真っ直ぐな願い。
『この通信は、おそらくは最後となる。貴殿らの武運を――そして、我らの武運を祈ってくれ』
一方的に送られたメッセージは、やはり一方的に切断された。
息を飲んだ兵士の視線が集中する。
それら出撃が可能かどうか、最終的な決断を任されているこの機の機長である彼女の背に。誰もが出撃したいと思っている。
だが、冷静な頭がそれを許さない。
通信が入る前と変わりがない。
「大尉――」
「ええ。わかっているわ。確信が欲しいっていったわよね、私も確信がなければ動くつもりはない。でも」
コンソールを叩き、エンジンが動き出した。
伝わる振動に、副操縦席の男が目を開く。
その目の前で唇をゆっくりとあげながら、彼女――ミシェル・コーネリアは笑った。
「あのアレス・マクワイルドが、援軍を待ちながら敵の高射砲を許すわけがない。それは、確信よ」
大丈夫だと思う。
その想いが、身体に伝わって、次々と出撃の準備を整えていく。
『A-03爆撃機。出撃します』
呟いた言葉に、外周部では出撃に向けて兵士達がせわしなく動き始めた。
アラームが鳴り響き、出撃のランプが点灯する。
コンソールのスイッチを次々にあげていけば、諦めたように副操縦席の男が補助スイッチをあげていく。
「はぁ。撃墜されたらデートでも付き合ってくださいよ。コーネリア大尉」
「幾らでもね」
きっと、彼の名前が出てこなければコーネリアは動けなかった。
そして、何も出来ない自分を攻め続けていたことだろう。
だが、いまは違う。
彼を知っている。
だからこそ、確信できる。
あの雲の下で、今も待っているであろう彼を。
「待ってなさい。今度は私が助けてあげる」
小さく呟いて、コーネリアは小さな笑みを浮かべた。
ほんの――少しの事。
たった一人の歴史が変わる、たったそれだけのこと。
だが、この時、確かに歴史は変わった。
+ + +
左翼の反撃がなくなって、それまでの倍する攻撃が前線基地に集中した。
雨のように着弾する爆撃に、反撃を許さない。
その間隙を抜く様に、敵の歩兵たちは押し寄せる。
こちらの砲弾は休むことなく、吐き続けていた。
「迫撃砲、照準を変えます!」
「駄目だ。敵の高射砲が再び集結し始めている。そこを」
「しかし、このままでは!」
「しかしも、かかしもねえ。いいから言われたとおりにしろ!」
カッセルの言葉により、迫撃砲の照準は敵の後方に爆撃を始める。
高射砲を備えつけようとしていた兵士達が慌てて避難した。
だが。
接近する敵兵士によって、前線基地の防御はさらに薄くなり、放たれた銃弾が幾人をも貫いた。
悲鳴をあげて倒れる兵士。
駆け付ける衛生兵。
それらをあざ笑うように放たれた砲弾が、血しぶきをまき散らす。
地獄といえども、少しの慈悲はあるだろう。
慈悲すらない光景を前にして、兵士達はただ銃を放ち続けるだけだ。
狙いも何もない、ただがむしゃらに。
撃ち続けた弾丸がなくなり、身体を探る。それすらも見つからず、死体を漁った。
倒れ伏す同僚から得た弾丸で、再び銃を構える。
その瞬間に、構えた兵士は頭部をレーザーに焼かれて息絶えた。
誰がも自分の事で精一杯だ。
久々に感じる戦場の空気に、バセットは唇を舐めた。
誰もが自分のことで精一杯だからこそ、自分はそうあってはならない。
そう今は亡き上司に教えられた言葉を思い出して、バセットは周囲を見渡す。
防戦をするあまり集中して、塹壕から身を乗り出す者はいないか。
あるいは。
「狙いは敵後方っていってるだろう。勝手にかえるんじゃねぇ、ぼけがっ!」
身近に迫る脅威に狙いを変更しようとしていた砲兵を叱咤して、バセットは周囲を見る。
既に限界であることはわかる。
アレスがカッセルに話していた事を聞かなかったわけじゃない。
まずいという言葉、その通りになろうとしている。
今までは左右からの連携で近づかせなかった敵歩兵が近づいている。
こちらも反撃をしているが、多勢に無勢。
よく持ったと思うべきか。
でも。
周囲を見渡しながら、バセットが見るのは正面に立つアレスの姿だ。
本来であれば後方で指揮をとるべき指揮官が、最前線で敵の進撃を防いでいる。
それだけではなく時には後方に目を光らせて、ともすれば撃ち過ぎて砲身が自爆しそうな迫撃砲を交換するように指示を出している。
とても初戦には思えない。
敵の集中砲火を浴びてもなお、いまだに戦線が崩れないのは彼の力量によるべきか。
もはや認めざるを得ない。
だからこそ。
「死なせるわけにはいかないだろう!」
バセットも塹壕から身を乗り出せば、近づく帝国兵に砲火を加えた。
その視界に赤毛の男が見える。
獣を思わせる勢いで近づけば、手にしたものを投げた。
それは放物線を描いて、塹壕の奥深くへと届く。
「まずい」
それは見なくても、理解ができる。
塹壕の奥で爆発したプラズマ手榴弾は、容赦なくこちらの防御を抉るだろう。
敵の侵入を許す事になる。
手榴弾の近くにいた兵士達は慌ててその場から離れようとしている。
無理はない。
だが。
そこで、あんたが動く場合じゃないでしょうよ。
逃げる兵士達と逆に、走り出したのは――アレスの姿だ。
間に合えと思う。
アレスが走り出すと同時に、バセットもまた走りだしていた。
雪に足を取られて満足に走れない。
それでも足に力を込めて、走り出す。
膝が笑う。
でも。
「死なせるわけにはいかないんですよ!」
もう、二度と。
アレスの背に届きそうな瞬間、横から襲った暴風にバセットは転ばされた。
雪に埋まる視界の先で、暴風はアレスを突き飛ばし、さらに走る。
「軍曹――」
呟いた言葉の先で、アレスを突き飛ばしたカッセルがプラズマ手榴弾を握り、投げた。
直後――プラズマの光に、バセットの視界が包まれた。
後書き
すみません、感想への返信は三章終了後に行いたいと思います。
ページ上へ戻る