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第一章 ~囚われの少女~
予告
王座の前で片膝を地につける若い騎士が居た。
「女王様、何やらこのような怪しい文が……」
青年は跪いたまま、女王へ封筒を差し出す。
横長の茶封筒の口を封じた蝋――封蝋は、濃い赤茶色に着色されており、仮面の形にかたどられていた。
その封筒はすぐさま女王の手に渡り、粉々になった蝋は塵のごとく舞い散る。
女王は入っていたカードを抜き取り、そこに書かれている内容に目を見開くのだった。
今宵、麗しの姫君
レナ姫を頂戴いたします
~マスカレード~
「――!? じゃと!?」
女王は予告文を驚嘆とともに読み上げた。それからなにやらぶつぶつ呟く。
「ふ、ふんっ。このような文をよこすなど、なにかの悪戯のつもりかの……!善からぬ輩じゃ……」
それは自分になんとか言い聞かせるかの如くで、その動揺は隠しきれていない。
そうして憤慨している女王に、この国の大臣が口をはさんだ。
「女王様」
そう申すとお辞儀をする。
「お話はお伺い致しました。念のため、警備の強化をされるのが良いかと……。今日の式典はいかがなさいますか?」
女王は怒りの感情に憑りつかれたかのようにカードを睨みつけたまま、相変わらずぶつぶつ言うように。
「中止することは許さぬ……! 断じて! 今日の式典は必ず予定通りに執り行うのじゃ!」
女王の、カードを持つ手が戦慄き、カードは醜く歪む。
「ダニエル・アンダーソン!」
「はっ!」
其処に跪いていた騎士は短く返事をした。
「姫の護衛を、貴様に任せる!」
(姫にはこやつ一人つけておけば、十分……なはずじゃ)
女王からの命を、いかにも律儀そうな青年の騎士は即座に引き受ける。
「はっ!」
そして、一世一代の仕事を受けたかのように、誇らしげな返事をするのだった。
「この、アンダーソン。姫様は私めが必ずお守り致します! この身に変えてでも!」
―
女王様の命を受けてから、俺はすぐに姫様の部屋の前に向かった。
「……姫様。いらっしゃいますか? アンダーソンです。女王様より、姫様の護衛を命ぜられました」
「…………」
物音がするのでいらっしゃるようだが、姫君の返事はない。
「姫様を誘拐しようという、賊からの予告状が届いておりまして」
(国一番美しいレナ姫を私から奪おうとは、なんて不届きな輩だ……)
「……そう。」
扉の向こう側から聞くことが出来たのは、淡々としたお声。
「お支度の最中でなければ、姫様の一番お傍にいさせて頂きたいのですが」
「…………」
しばらく姫様の返事は得られないと肝に銘じておこう。しかし、気のせいだろうか。元気のないご様子が取って感じられる。何か自分にできることはないだろうか。
「姫様。お節介かもしれませんが、ご不安を抱えていらっしゃいますか?」
ドアの隙間の傍らに跪いたまま様子をうかがう。この場所でこうしておけば、ドアが開いたとしても頭をぶつける様なヘマはしない。
「ご心配には及びません。この、ダニエル・アンダーソン。命をかけて、姫様をお守り致します!」
自分にできるのは、この気持ちを伝える事のみ。
特にご返事を期待していたわけではなかったが、
「ぷっ」
――なんと、姫様はお笑いになった。
「ど、どうかされましたか?」
姫の笑顔は、騎士の勲章。これは怪我の功名といったところだろうか。姫の笑顔のためなら、何を笑われようが気分は悪くない。
「……だって、あなたの話し方があんまり必死だったから……ついね」
姫様の笑みとともに、開いた扉のすき間から光が溢れてきた。
向こう側から、侍女が扉を押し開ける。
「笑ってしまってごめんなさい」
深い、土色の瞳で真っ直ぐ、姫様はこちらを見つめていた。
その姿にはいつも、つい見とれてしまう。
透明感のあるなめらかな肌。栗色の髪はこれ以上伸ばせないという程に長く、それでいて艶やかだ。
「でも、ありがとう」
姫様はきらびやかな絹色のドレスから、華奢な腕をこちらに伸べられる。
その肘から細い指先までは、上品に布のグローブに包まれており、貴賓を感じさせられるものだ。いつもながら、相変わらず見目麗しい。
「勿体ないお言葉にございます」
自分の頬に添えられた小さな手を取り、軽く口づける。
「麗しの姫君の微笑みを頂けたというのならば、このアンダーソン。身に余る光栄にございます!」
姫様はまた、ふふっ、とお笑いになる。
「?」
よくはわからないが、元気なご様子なので安心だ。
「姫様」
姫の後ろから声がする。終始扉を押さえていた侍女が、腕の痺れを訴えようとでもしているのだろうか。
「なあに? キャスリン」
そのお返事される様子は、姫様をとても無邪気な印象に思わせた。
「髪を結わせて頂きたいのですが、よろしいですか?」
姫様よりも小柄なその侍女の名は、キャスリン・ワトソン。
姫様に申し出た後、その深緑色の瞳は、冷ややかにこちらを見上げる。
「あなたは、扉の外を守るだけでよろしいのでは?」
幼い印象があるものだから、その小さな口が放つ言葉は地味にエグい。だが、俺も男だ。このまま引き下がるわけには行かない。
……が。『相手は子供』と自分に言い聞かせ、ぐっと、紳士的にこらえる。
「では、姫様。私めは扉の外で待機しております。外出の際は、必ず私めをお頼りください。“女王様の命でございます”ので」
(どうだ、ワトソンめ。これなら口出しはできまい)
姫は私めに向かって「ごめんね」といった風なお茶目な表情をなさる。そして軽くウインクを下さった。
そうしたのちに、扉は重々しく向こうへ閉じようとする。
しかしその刹那に姫様は、切なげというか、何とも妙な表情をなさるのだった。
「?」
そして私めは、姫様の唇の小さな動きに目を凝らす。
「では、また――」
――小さな唇の動きから読み取ったのは、“またあとで”という言葉。
扉が閉まった後も、姫様の表情は頭から離れなかった。明るい表情が一瞬にして曇ったのが余計に気になる。
『では、またあとで』――どのような想いであのように言われたのだろう。姫様は後で私に何か、相談事でもあるのだろうか。
この、重々しい気持ちはなんだ。なにが、彼女をあんな表情にさせるのだ。
盗賊団に狙われているということは、キャスリン嬢から既にお聞きになっていると思うが……。きっと、それとはまた別の事なのだろう。
姫様は一体、後で何をなさるんだろう?
考えすぎかもしれないが、美しいお方の、あの表情は反則だ。おかげで、姫様の事で頭がいっぱいになってしまった。色々と期待をしてしまうのは、不謹慎なのかもしれないが。
―
「姫様。このように結わせて頂きました」
ドレッサーに向かったまま、背後から少女の声を聞いた。
「お気に召して頂けたら嬉しいです」
私の髪はとても長く、よく伸びている。なのでとても自分では結ぶことが出来ない。しかし私より小柄なこの女の子は、その髪を見事に編み上げてくれた。
いつも黒い服に、控えめなフリルのエプロンを腰に身に付けている。幼げな容姿に反して、常に冷静な侍女のキャスリン。
「ありがとうキャスリン」
背もたれのない丸椅子に腰かけたまま、キャスリンの方を振り向く。座ったままなので、軽く上目遣いになりながら彼女の方を見つめる。
目が悪いからか眼鏡をかけているキャスリン。その奥の、深緑色の丸っこい瞳は綺麗で、とても不思議。乳白色の肌に浮かぶそばかすも、素朴で可愛いと思う。肩につくかつかないか程の長さの髪は、身軽そうでうらやましい。
「いいえ。姫様の髪を結えるなんて、ワトソン家末代までの光栄です」
幼い雰囲気の、そんな彼女が言う言葉は少し大袈裟に感じる。
そう思うと、先程のダニエルに次いで、またしても吹き出してしまいそうになった。
「姫様?」
不思議そうな顔でこちらを伺う。
「ううん、なんでもないわ」
本人は真面目に言っているのだから、笑うなんて悪いことしたかな。
それにしてもこの城の者たちは。皆、真面目で従順で、なんてひたむきなんだろう。
(それに比べてお母様ときたら……いや、私も同じかもしれない)
父が亡くなってから、何かが変わってしまった。
(厳しかったけれど心のうちは寛大で、優しかったお父様……)
そう思うと心がつい、暗くなってしまいがちになる。でも、部屋に閉じこもっていたら、余計にそうなってしまいそう。
「キャスリン。しばらく部屋を空けます。あなたは自分の事をお願いね。付き添いはダニエルに任せてね」
「わかりました。では、くれぐれもお気をつけて……」
そしてキャスリンを残し、部屋を後にする。
「あまり無茶をなさらないように……レナ姫様」
-第九幕へ-
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