誰が為に球は飛ぶ
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焦がれる夏
参拾壱 心か、理屈か
第三十話
人は、理屈だけじゃ、動かないんだ。
もちろん、理屈は大事だよ。
でもそれだけじゃ人は納得しないんだ。
何故なら、人がそもそも、合理的な生き物じゃないから。
「お前の気持ちなんか知るか!お前は俺の為に野球しろ!」
日向さんが僕にそう言った時、何故か僕は、やる気になったんだ。
おかしいよね。
理屈じゃ絶対説明できない。
全然仲良くもない先輩の為になんか、毎日毎日練習に明け暮れて苦しい思いをしたくないって思うのが普通の考え方だよ。
でも、僕は嬉しかったんだ、その勝手な言葉が。
理屈じゃなくて、気持ちをぶつけてくれたから。
それだけの資質があって、野球しないのは勿体無いとか、そんな事を言われても全く響かないんだ。理屈じゃなくて、僕は情緒で、もう一度野球をする事を決めた。
そして今、「頑張れ」……こんな無責任な言葉が僕にたくさん、降り注いでる。
みんな勝手に僕に期待して、そして祈ってる。
何でたかが野球なんかに、他人がする野球なんかに周りの人々は必死になれるんだろう?
何でチームメイトのみんなは、自分以外の、僕のプレーなんかに必死になれるんだろう?
分からないや。理屈じゃ分からない。
でも、今確かに、僕は心からその願いに応えたいと思ってる。この右腕が千切れたって、良いとさえ思ってる。
僕は理屈より、この気持ちに忠実でいたい!
ーーーーーーーーーーーーーーー
是礼の攻撃に拍手を送っていたバックネット裏の観客が、一瞬のうちにその手を止めた。
「え?」
「おい…」
ヒートアップする応援席とは対照に、是礼ベンチも一気に静まり返る。
(誤作動か?何じゃこりゃ、おかしいじゃろ)
最も驚いているのは、打席の東雲。
豪快なフォームから繰り出された真司の真っ直ぐは、さっきより10キロ以上速い快速球だった。
「あぁああああ!!」
真司は絶叫と共に二球目を投げ込む。
やはり、真っ向から豪快に投げ下ろすフォーム。破壊力満点にしなるその右腕から放たれるボールは、グーンと手元で伸びながら薫のミットを突き上げた。
球速表示は、初球より速い145キロ。
「…これだ。」
センターのポジションで真司の投球を見ながら、剣崎はハッとした顔をしていた。
中学3年、自分達の最後の大会で対戦した田舎のシニアのエース。2年生ながら、全国出場の新琴似シニア打線を抑え込んだ。
真っ直ぐをガンガン投げ込み、真っ向から勝負を挑んできた。
「お前が、戻ってきたな…六分儀真司!」
剣崎は、真司のかつての名前を呼んだ。
(球が速なっても、関係ないわ。150までなら、ワシらはマシンで打ちよるわ!)
東雲は3球勝負を挑んできた真司の速球にフルスイングで立ち向かう。しかし、東雲が見てきたどの速球よりも、それは速く。まるで光線となって鋭くストライクゾーンに切れ込んだ。
「ストライクアウトォ!」
東雲のバットの上をボールは通過し、薫のミットが三たび、高い音を立てた。
球速は147キロにまで上がっていた。
呆れたような顔をしてベンチに戻る東雲。
是礼の勝ち越しを期待していた一般観客は、息を吹き返した真司の投球に拍手喝采する。
「こんな事が……」
是礼ベンチでは、予想外の出来事に冬月が言葉を失う。彼の長い監督生活の中でも、試合途中にここまで劇的に投手が"変身"したような例はない。調子が上がるとか、そんなレベルではない。
もはや別人だ。
続いて打席に入るのは4番の分田。
もちろんパワーには自信がある。
真司の速球に対して、フルスイングで真っ向から勝負を挑む。
カンーー
打球は力なく上がる。
セカンドの健介が落下点に入り、難なく捕球して二死となった。
(ど真ん中だったのに、俺が力負けした?)
痺れる右手を押さえながら、分田は顔を歪めた。絶好球だったのに、球自体の威力に完全に抑え込まれた。
パシィーーーン!!
「ストライクアウトォ!」
5番の最上にも速球で真っ向勝負。
最上はバットに当てる事もできず、最後はインコースに腰を引いて見逃し三振。
天を仰ぎ、ため息をつく。
「よしッッ!!」
短く声を上げて、真司は自軍ベンチに帰っていく。ネルフのベンチも、みんなポカンとして喜びの反応が鈍い。頬をつねって夢ではないかと確かめる輩も居た。
(真司君……君は…君は何て人なんだ!)
ミットをはめた左手に強烈な痺れを感じながら、薫は真司の投球に感じ入っていた。
リードなんて要らない、その投球。
捕手の仕事は受けるだけ。
なのに、何故か最高に気持ち良かった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
「何だありゃぁ…」
「ずっと出し惜しみして、ここまで来やがったのか……?」
絶好の勝ち越しのチャンスを真っ直ぐ一本で封じられた是礼ベンチのダメージは大きかった。
皆それぞれに驚きを口にし、勢いをせき止められて不穏な空気が広がる。
「お前ら何をビビってるんだ。碇は追い込まれたからこそ、あの真っ直ぐを見せてきたんだ。後はあの真っ直ぐさえ打てば勝ちなんだよ。恐れる事はねぇよ。」
その不穏な空気を払拭すべく声をかけたのは同点ツーランを放った主将の琢磨。
「そうだそうだ、まだ同点だろ?俺がこれから点をやらなけりゃ負けねぇだろ。あと一点取ってくれりゃいい」
高雄が琢磨に同意して、その太い右腕をぶす。
これには、是礼ナインはポカンとした。
「…お前がしょーもないホームラン打たれてなきゃ今頃4-0じゃけぇの!」
「バカタレが反省しやがれ!」
東雲が、分田が頭を叩き、そのケツを蹴飛ばす。
高雄は追い立てられるように8回表のマウンドへと向かった。
(でもよ、今日は二回からこっちは絶好調だよ)
周りに呆れられた高雄だが、今日の試合は初回だけが落第点で、それ以外の回はこれまでにない程に球が走っていた。球速もMAXを超え、自分の思い通りの相手をねじ伏せる投球ができている。
8回表も、その剛腕が唸った。
先頭の健介を真っ直ぐ3つで三振。
3番の日向の打席ではMAXを更に更新する144キロが計時され、球場にどよめきを起こした。
前の回の真司にも負けないパワーピッチングで、二者連続三振を奪った。
(これまで、ホントゴミ扱いしかされてこなかったけどよ…)
自分の代まではバッピにも使えないと言われ、ずっとファーストをやらされていた。直訴して投手に戻ってからもチキンハートと制球難で中々信頼は得られず、秋の背番号はまさかの13。野手扱いは変わらなかった。
春に背番号10ながらまずまずの好投を披露し、この夏に初めてエースナンバーの1を背負った。
(よく見ろ!これが俺のピッチングだ!)
4番の剣崎に対しても簡単に追い込む。
ホームランを打たれた相手に対しても、恐れは全くない。高雄は自分の球を、信じきっていた。
(今年の是礼のエースは俺だ!)
昂ぶる気持ちをボールに込めて、捕手・長良のミットに放つ。剣崎の目がギラリと光った。
カァーーーーン!
ーーーーーーーーーーーーーー
「!?」
「サード!サード!」
打球がどこに飛んだのかを見失ったサードの最上に、ショートの琢磨が叫ぶ。
最上が周りを素早く見回すと、自分の横をコロコロと転がるボールが見えた。
慌ててそのボールを掴むも握り損ない、拾い直した時には打者走者の剣崎は既に一塁を駆け抜けていた。
「すまん!高雄!」
最上が高雄に声をかけ、ボールを返そうとする。
しかし、それに返事は無かった。
高雄は自分の足を押さえてうずくまっていた。
「お、おい!」
「大丈夫か!?」
内野陣がタイムをかけて素早く駆け寄り、ベンチからもコールドスプレーを持った控えが飛び出してくる。
剣崎がジャストミートしたピッチャー返しは、高雄の足を直撃した。そして高雄は動けなくなった。
「担架!担架頼みます!」
駆け寄った球審が顔を歪め脂汗を浮かべる高雄の様子を見て、ネット裏に担架を要求した。
立ち上がる事さえままならない高雄が、ベンチ裏の医務室へ運ばれていく。
「……」
顔を青ざめさせたのは、是礼ベンチに居る冬月だった。
ーーーーーーーーーーーーーー
「真矢君、高雄は戻ってこれると思うか?」
腕組みしたまま微動だにせず、冬月は真矢に尋ねた。真矢も愕然として、ペンが小刻みに震えていた。
「……何とも言えません…ですが…厳しいかと…」
冬月は、聞くまでもなく分かっていた。
あの剣崎のジャストミートの打球をモロに食らって、無事でいるはずがない事を。
まだ望みがあるのであれば、部長と一緒に医務室に行って様子を見ていただろう。
無理である。
少なくとも、マトモな球を投げられる状態にはない。
(準備させていた控え投手は大坪と加藤だ。とても試合の最終盤を任せられる投手ではない。投手はもう一人東野が居るが肘を痛めている。誰を代わりに投げさせるというのだ?なぜこの試合、神は我々に味方してくれないのだ?)
ブルペンで準備を終え、緊急事態の発生に伴い慌ててベンチまで戻ってきた大坪と加藤を見比べ、冬月は呻吟した。
エースがマウンドを降りる時は、チームが負ける時。このままただ控え投手をマウンドに送って良いのだろうか?まだできる事は無いのだろうか?
「…………」
長い沈黙の後、冬月は答えを出した。
「伊吹!」
ショートのポジションでファーストの分田とキャッチボールをしている琢磨を冬月は呼んだ。
琢磨はベンチの方を振り向く。
「肩を作れ!貴様がピッチャーだ!」
この指示には、琢磨だけではなく全員が驚いた。琢磨の投手経験は、たまにバッピを引き受ける程度。とてもこの場面で投げさせるべき人間には思えない。琢磨はびっくりした顔で冬月を見返すが、冬月はその視線を合わせようとはしなかった。観念したように琢磨は控え選手から投手用のグラブを受け取り、マウンドで投球練習を始める。
「…何で?…俺たち投手ですよ…?」
肩を震わせているのは、控え投手として準備していた大坪と加藤だった。加藤は信じられないといった顔で言葉を漏らす。
「高雄さんがトラブったこの場面で…どうして琢磨さんが投げるんですか…おかしいですよ…」
加藤とは対照に、大坪は黙っている。
黙って唇を噛み締めている。
「これじゃ俺たち、何の為に居るかわかんないですよ!」
「やめろ加藤!」
大坪は加藤の襟首を掴んだ。
加藤はその形相に口を噤む。
「琢磨より俺たちは、使えないんだ。ほとんど投手の練習してない琢磨の方が、俺たちより上なんだ。そう監督は判断したんだよ…」
加藤はうなだれる。
大坪はその手を放した。
「是礼はここで勝たないと意味が無いんだ。是礼は勝つためならどんな策でも使わないといけないんだ。ここで俺たちが投げて、あぁ打たれた仕方がない、運が悪かった、そんなもんじゃ納得できねぇんだよ…納得しながら負けるよりも、どうにかして勝とうと足掻かなきゃいけねぇんだ!」
大坪はベンチの最前列に身を乗り出して、投球練習を続ける琢磨に対して叫んだ。
「琢磨ーッ!お前ならやれるーッ!落ち着けーッ!俺を甲子園に連れてけーッ!」
琢磨は投球練習を中断し、その叫びに深く頷いた。大坪はニッと笑って、琢磨に親指を立てて見せた。
後書き
絶不調のレギュラーの方が、それでもなお絶好調の下手くそよりも上。
ありがちな事です。
この時、補欠に回る側はどう気持ちを整えるべきなのか。
今だ自分も正解を持っていません。
正解は必要なのかどうかも、分かりませんが。
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