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虹との約束

作者:八代 翔
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第一部
第一章
  初デート

 
前書き
いよいよ二人の初デートです♪ 

 
 体育祭も、中間考査も終わり、六月も終盤を迎えた。
 初デート、読者のみなさんはいつだろうか?
 デートの定義を、男女が共に、二人きりで時を過ごすことと定義するなら、二人の初デートは、六月下旬だったと言える。 
 祐二が家に帰ると、叔父が家に来ていた。そういえば、と思う。叔父は郊外区に住む若々しい男性で、もの静かだが思いやりのある男だった。一年に一度は祐二の家を訪れて、様子を見に来ていた。
「お帰り。祐二君。おじゃましています。」
叔父に頭を下げられて、祐二も慌ててお辞儀をした。年上の人物にこうした態度をされると、逆に困ってしまった。店の店員さんとは違って知人であるから、余計そうだ。
「あ、どうも。え、えっとーいらしてたんですか。」
「まあ。ですが、もう帰るところです。あ、そうそう。」
突然、叔父が、何かを思い出したように鞄を探った。そしてようやく一つのクリアファイルを取り出し、祐二に差し出した。
「これ、ウチの近くの草原公園で開かれます。よろしければいらしてください。」
クリアファイルを受け取って見ると、それは何やらイベントの案内だった。
「蛍の祭典?」
来週の日曜日、蛍の鑑賞イベントが開かれるというのだ。家からそう遠くないので、行ってみようかと思った。でも、入場料がかかるようだった。
「さすが祐二君。鋭いところに目がつきますね。」
祐二が料金のところを見ているのを見て、叔父は微笑んだ。祐二はなんだか照れくさくなって、そこから目をそらした。
「大丈夫。招待券を二枚お持ちしました。どなたか誘ってみてください。」
祐二は叔父から招待券を受け取った。小さなチケットが二枚。
「それでは失礼します。」
祐二が考え込むのを見て、叔父が玄関へ進む。
「あ、ありがとうございます。またいらしてください。」
慌てて返事をして、祐二は自分の部屋に駆け込んだ。

 誰を誘おうかな…
 夏の匂いのする学校で、祐二は悩んでいた。第一候補は親友である直哉だった。第二候補は学級委員の一樹。小学校から一緒なので、誘いやすいといえば誘いやすい。だが優等生は部活も忙しいものに入っているので、来てくれる見込みは少ない。
 やっぱり直哉にしよう、と祐二は席を立った。その時、廊下で話している真里が目に入った。祐二は目を見開いた。第一候補が入れ替わった。だが、永遠に遠く感じられる第一候補だった。何を考えているのだ、と思った。女の子をこういうのに誘うのは、もっと親密な関係なときだけだ。
「直哉ー。」
祐二は直哉を呼んだ。
 だが、金曜日になって、直哉は突然約束を断ってきた。
「ごめん。親戚の法事が入っちゃって。」
何を!と思った。数ヶ月間この男と過ごしてきたが、こんなことは初めてだった。
「珍しいな。なんかあったのかよ?」
怒りと言うより驚きを感じた祐二は、直哉を問い詰めた。
「だ、だから法事と言ってるだろ。」
直哉は苦笑いをした。梅雨の季節にもかかわらず、今日と明日は晴れる見込みということで、絶好の日だったのに。
「お、おい。一人で行けっていうのかよ。」
祐二は困惑の色を隠せなかった。また考えを、誰を誘うかに戻さなければならない。
「大丈夫。愛しの君がいるだろ。」
直哉は笑った。
「お、おい。何言って…」
「頑張れよ。」
直哉は祐二の肩を叩いた。何にもわかってないくせに、何もかもわかっている彼を、祐二は心から軽蔑した。
 学校が終わって、祐二は真っ先にあの交差点に向かった。真里に出会った場所だ。誘おうと思って行ったわけではない。祐二はまだ迷っていた。この際行かなくてもいいかと思うほどだった。叔父にチケットを貰ったときの義務感は、とうの昔に消え失せていた。
 でも、別の義務感が芽生えた。直哉の言葉から、真里に会わなければ、という義務感だった。緊張と期待の入り交じった、不思議な心境だ。
 雨は降っていなかった。あの日とは大違いで、多少雲があるものの、夕焼け空が街を染め上げて、人々の心を和ませていた。一日が終わるというだけなのに、どうして夕日を見ると、こんな切ない衝動に駆られるのだろう。日本人の哀愁というものだろうか。
 そうして夕日を見ていると、時間はあっという間に過ぎていった。遂に太陽の端っこが地平線に沈み込んで、さよならとでも言うように最後の光を発した。祐二の影も伸びに伸びて、交差点の反対側まで届きそうだった。
「もう来ないかな…」
早めにここに来たつもりだったけれど、もう真里は先に帰ってしまったのかもしれない。
 はあ
 祐二は溜息をついた。そうして鞄の取っ手に力を入れ始めた、その時だった。
 交差点から続く坂道の上に、一人の女性のシルエットが浮かび上がった。鞄を持っている。そよ風に髪を揺らしながら、こっちに近付いてきた。
 まだ彼女とわかったわけでもないのに、祐二は高揚を感じた。なぜか確信があった。古代より人が受け継いできた、愛という名の本能だった。
 次の瞬間、女性は手を振ってきた。向こうからはこちらが見える。真里に違いなかった。祐二も手を振った。
「井原。どうしたの。こんなところで。」
真里は首をかしげた。間近で彼女を見ると、すごくドキドキするけれど、心かポカポカと温かくなった。
「待ってたんだ。」
祐二はそう言うと、彼女と共に歩き出した。動悸は決して止まることがなかったが、なんとか冷静であろうと、祐二はありったけの精力を費やした。
「ははは…どうかしたの?」
「い、いや…その…」
説明して誘うのはなんだか照れくさいので、パンフレットに頼ろうと思った。
 叔父が渡してきたのと同じようにして、クリアファイルを彼女に差し出す。差し出しながらだと、ようやく誘うことができた。
「近くで…蛍の…鑑賞会があるんだけど…そ、その…招待券が二枚あって…」
そこまで言って、祐二は俯いた。なんだか恥ずかしかった。ドラマみたいに格好良くは誘えないものだ。胸がドキドキして、ついおろおろしてしまう。女の子を誘うなんて、初めてだった。なんでもないようなことなのに、心も体も凍り付いている。
「蛍!もう蛍の時期なんだね。いいなあ…」
夢見心地にパンフレットを眺める彼女を見て、祐二は剛毅果断した。
「原崎、一緒にどう?僕と。」
祐二は彼女の瞳をまっすぐ見つめた。夕日に照らされて、それはきらきらと輝いていた。
「えっ。私を誘ってくれるの?」
真里は微笑んだ。祐二は頷いた。
 彼は集中した。彼女の答を聞くことだけに。あらゆる雑音が消えた。
「ありがとう。一緒に楽しもうね。」
「本当に?来てくれるの?」
「うん。」
祐二は叫びたい気分だった。体育祭で優勝したときとは比にもならない、底知れぬ喜びを感じた。
「あ、ありがとう。」
 それから何をしたか、祐二はもう覚えていない。ただ連絡用にメールアドレスを交換し、駅で別れ、家に帰って至福に身を寄せた、それだけだ。何を話したのか、全く覚えていない。しかし、そんなことはもうどうでもよかった。大事なのは、彼女と同じときを過ごせるようになったこと、それだけだった。

 当日、祐二は精一杯のオシャレをして、待ち合わせ場所に向かった。駅前のバスターミナル。その中の一つ。隣町までまっすぐ走るバスの停留所だ。
 五分も早めに来たのに、真里はもう待っていた。祐二は仰天してしまった。本当に真面目な子なんだなと思った。
「ごめん。待たせちゃった?」
祐二は慌てて駆け寄った。
「ううん。今来たばっかり。」
彼女は言った。祐二はそう信じることにした。
 バスが来るまで、時間があった。
「…夜の街もきれいだね。」
祐二は静けさが嫌で話しかけた。街灯、ビルの灯り。物騒な世の中のせいで夜にいい印象を持っていない人も多いけれど、こうして眺めると、夜も悪くなかった。闇である夜が美しいのは、社会が豊かな何よりの証拠だった。
「うん。」
彼女も頷く。
 ようやくバスが来た。二人分の料金を投じて、後部座席に座った。自分で払うと彼女は言ったけれど、誘っておいてそれはないと思って、やめてもらった。
「蛍、楽しみだね。」
彼女はそっと祐二に身を寄せる。もっとも、それは祐二の解釈に過ぎない。バスの座席が狭すぎただけなのかも。
「うん。蛍、見たことあるの?」
蛍に強い興味を抱いているようなので聞いてみた。
「ううん。本や映画の中だけ。初めてだから楽しみだなー。それにしても蛍観賞に女子を誘うなんて、井原意外とロマンチストだね。」
彼女は笑う。
「そ、そんなんじゃないよ。って、意外とって何だよ。」
なんだかくすぐったいようで、視線を窓の外に移した。ついつい笑ってしまった。とりとめもない話をしている間に、バスはどんどん進んでいった。
 バスは草原公園前のバス停で止まった。蛍の祭典と看板が建てられていた。
「着いた~」
真里はバスから降りて、思い切り深呼吸をした。
「ごめん。バス苦手だった?」
そっと尋ねる。
「えへへ。よく酔ってたけど、今日は井原と話してたから全然大丈夫だったよ。」
彼女の笑顔に魅せられながら祐二は共に会場へと入った。途端、温かい光に満たされた世界が、視界に飛び込んできた。
「うわああ。きれーい。」
彼女が歓声をあげる。祐二も同じように感心していた。これが、蛍。なんて温かい…
「星空を近くで見てるみたいだね。」
祐二は思わずそう言った。小さな無数の光が草原を飛び交っているさまは、まさにそのように見えた。
「やっぱロマンチストじゃん。でも素敵だよ…誘ってくれてありがとう。」
真里の瞳がまっすぐと祐二を捕らえた。蛍の光に照らされたそれは、どんな宝石よりも美しく輝いて見えた。
「ううん。来てくれてありがとう。ちょっと見てみようか。」
祐二と真里は、星空の中を歩んだ。優しい光は祐二達を取り囲み、挨拶するようにぽっと照った。もちろん空には無数の星々が―
 ちょこんと祐二の指先が真里の指先に触れる。それを返すかのように、真里の指先が突き返す。そしてその指先は、自然と繋がっていく。
「温かい。」
真里が笑った。祐二はどこか気恥ずかしかった。
「あ、祐二君。おおお。お似合いの格好だね。」
見ると、叔父が通り過ぎていった。彼の言葉につい赤面する。
「何赤くなってんのー。社交辞令でしょ。社交辞令。」
真里が笑った。祐二はほっとしたような、残念なような、とにかく、祐二は叔父を恨んだ。恨みながらも、ちょっとだけ感謝した。
 幸せな時間だった。大好きな人の温もりを、左手に感じる。愛しの人が、たしかに今、傍らにいる。二人で、手を繋いで、星空のような世界を歩いている。まるで夢のようだった。祐二は、できることならこのままずっとこうしていたいとさえ思ったが…
 草原公園を一周すると、もう夜遅くなった。
「もうだいぶ遅くなったね。どうする?」
祐二は尋ねた。
「うーん。もうちょっといたいけど…仕方ないね。絶対また来ようね。」
真里が言った。祐二も頷く。二人は草原公園を出た。
「うわっ。暗い。」
祐二はつぶやいた。蛍の光も、照らし出す光もない。改めて夜の深さを知った。
「なんだか夢から覚めたみたいだね。」
「うん。」
二人はバスに乗った。帰路をまっすぐ、バスは進んだ。
 二人は気づいていただろうか。
 夢から覚めたあとも、繋がった二人の手には、無数の夢と希望が握られていたことを―
 
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