乱世の確率事象改変
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月詠に願いを憶う
桃香様に言われてそれぞれが己がすべきことのために動き出した。
私は朱里ちゃんと共に陣内の兵に指示を出し、ある程度こなしてから秋斗さんの指示通りに董卓さん達の様子を見にやってきていた。
天幕の外で聞き耳を立てると中からは話し声が聞こえる。
ひそひそと話すその声はよく聞き取れなかったが、あまり時間を掛けるわけにもいかないので中に入る事にした。
「す、すみません。もう入ってもよろしいでしょうか?」
私が声を掛けると少し人が動く気配を感じる。
「はい。大丈夫です」
董卓さんの静かな返事を聞いてから中に入った。
二人が泣いていたのは涙の後から分かり、しかしその表情はどこかすっきりとしたものだった。
「お気分は……いかがでしょうか?」
「私はもう大丈夫ですよ」
「ボクも問題ないわ。もう落ち着いた。心配してくれてありがとう。……あんた一人なの?」
しっかりとした口調で二人は私の問いに答え、最後に賈駆さんが少し意外そうな顔をしてこちらが一人で来たことを尋ねて来た。
「はい」
「……ボク達があんたに乱暴するとは考えないわけ?」
訝しげに尋ねる様子は何か裏がないのかと勘ぐっているのかもしれない。
「そうですね。しかし軍師であった賈駆さんならそれがどのような事態を招くか予想できると思いましたので」
乱暴をしても不利にしかならない。自分達の首を絞めるだけなのだから。董卓さんのためを考える賈駆さんはそんな事しないと確信している。
「ボクの失言だったわ。ごめん。さすがは噂に名高い鳳雛ね」
謝り私を認めてくれる。都で董卓さんを守りながら連合との戦いを描いていたこの人のほうが凄いのに。
「い、いえ。賈駆さんの方こそすごいでし、あわわ……」
また照れて噛んでしまった。直そうと思ってもいつまでも直らないなぁ。
「……月、この子すっごく抱きしめたいんだけど」
「だ、だめだよ詠ちゃん。……でも確かに私も抱きしめたいかも」
私が噛んだのを聞いて二人は何やらこそこそと内緒話をしている。恥ずかしい。
「その……お二人に確認します。これからあなた方はどうしたいですか?」
内緒話を続けていた二人に質問を投げる。まずここから聞いておかないと。私達からの押しつけでは納得できない事が多くなるだろうし。
「……鳳統さん。二人で話あったんですが……もしよろしければ侍女として置いて頂けませんか?」
董卓さんからの提案に驚きながらも私は少し思考する事にした。
侍女なら確かに他の目も欺ける。生活の心配もしないでいい。それに賈駆さんや董卓さんからいろいろと学ぶこともできるかもしれない。
「ボク達は涼州へ戻っても家族や民達に迷惑をかけるだけ。かといってどこの街にも行くあては無いのよ。勝手を言ってるのはわかってるわ」
「それに私達は人をたくさん巻き込んでしまいました。大陸に平穏を作る所を傍で見て、自己満足ですが少しでもその責を背負いたいんです。雑用でもなんでもしますから……」
この人はどこまでも……あの人に似ている。それが少し羨ましい。人となりというよりも根幹にあるモノが、向ける想いと進む道筋が似ているんだ。
嫉妬ではなく、純粋な羨望の気持ちを零してしまいそうになったが、どうにか振り切り、彼女達へ返答を行う。
「……お二人はこれから名を失う事になりますがよろしいんですか?」
「どっちにしろもう名乗る事なんかできないでしょ? だから真名を預けるしかないわね。名前を呼べないと侍女なんかできないし」
大切な真名を預けるしかなくなるなんて。私達はそれほどの事をしてしまった。
偽名を使う事は出来るだろう。しかしそれをしない理由が私には分かってしまった。彼女達は偽りたくないから真名を預けてくれるんだ。
胸の奥に冷たい鉄の塊が落ちたように罪悪感が圧しかかった。そんな私を見てか董卓さんは優しく微笑みながら口を開いた。
「鳳統さんが気に病む必要はありませんよ。これは私達が招いた事で、望んだ事です。自身の不手際を、どうして他人に押し付けられましょうか」
「そうよ、鳳統。ボク達がしようと決めた事だからあんたが泣きそうになることないわ。それに、ボクが言えたことじゃないかもしれないけど感情に引きずられて最善を判断できないのは軍師として失格。ボクはもう割り切った。まあ、月のおかげだけどね」
「……それでも、ごめんなさい」
優しく諭してくれても謝らずにはいられなかった。本当はそれさえも、彼女達の覚悟を穢す行為であるというのに。
「ふふ、あの人と同じでお優しいですね」
董卓さんの微笑む顔は暖かくて全てが慈愛に溢れていた。
「……っ……ではその旨を桃香様に伝えてきます」
その笑みに自分の罪深さと彼女の強さを思い知らされ、ここにいる事が辛くなり一つ言葉を置いて急いで天幕を出る。
歩き出した途端、愚かしい事にも涙が目に溜まった。
ダメだ、こんなの。
私は弱い。こんなことじゃあの人を支えられない。
この重みを一人で背負わないとあの人の隣には立てないのに。
強く自分に言い聞かせても心にのしかかるモノは軽くならなかった。
桃香様の天幕に向かう途中、ゆっくりと歩いてくる秋斗さんを見つけた。
「……雛里、彼女たちはどうだっ……た?」
立ち止まり、呼びかけられても顔を上げられず、直接目を合わせることが出来なかった。
答えないといけないのに何も話す事ができずにいると、一つ二つと地面に水滴が零れだす。
止まれ止まれと無言で呟いて、手を握りしめても、目を瞑っても、次から次へと溢れる雫は頬を伝う。
突然ふっと身体が包みこまれる。
「大丈夫。溜めないでいい」
あったかい。鼓動が重なる。心に落ちた鉄の塊がゆっくりと溶けて自分に染み込んで行く。
背中を撫でてくれる手は優しくて
温もりをくれる身体は暖かくて
私も支えられている事を確認できて
涙は自然と止まっていた。
先ほどの内容と自分の気持ちをゆっくりと話すと彼は少し考えて、もう大丈夫だなと言うように私の頭を軽く撫で、桃香様を呼んでくるように言った。
多くを語らないのは私のため。私が自分で背負えるようにと。
一人一人が同じモノを背負って、それから支え合えるようにということ。
私はまた一つ強くなれた気がした。
†
鳳統が少し泣きそうになりながら出て行った後に少し先ほどまでの事を思い出す事にした。
ボクはしばらく月と泣き続けて、少しすっきりしたからか頭が軍師の思考を開始した。
この先どうするか、月がどうしたいか。
月に確認するとこの先の世界が作られるのを近くで見届けて責を少しでも果たしたい、との事。まさしく月らしい答えだった。
ただその後に、
「詠ちゃん。この先もしかしたら徐晃さんはこの軍から居なくなるかもしれない。私はその時、徐晃さんに付いていこうと思うの」
そんな事を言った。どうして、と聞くと、
「あの人が居ないなら、ここに居ても意味がないよ」
なんて他の誰かが聞いたら少し勘違いされそうな事を口にした。
でもその真意は理解できた。
徐晃がいない劉備軍では本当の平穏なんか手に入らない。乱世を生き抜くには甘すぎる。あいつがいなければ群雄割拠を生き抜いての大陸統一という考えには至らないだろう。
この乱れた世の事は負けたボク達が一番理解していると思う。本当なら劉備に食って掛かりたい所だけど……ボク達はもうそれを出来る立場では無い。
最後まで生き抜く事を決めた以上はその可能性を下げる事をしたくない。何より軍内に不和をもたらすような発言をすればあいつに切り捨てられる事が予想できる。
でも……あいつは、徐晃は異常だ。
劉備の甘い思想に染まらずにただ一人現実と未来を見据えている。
ほぼ最初期から近くにいるくせにこれといって影響されていない。そして何よりも内部で行っている事がおかしい。
悪く言えば月が傀儡にされたように、劉備を傀儡にして軍を動かしている。
良く言えば馬騰や孫策と同じように後継を成長させているともいえる。
でもそんなめんどくさい事をする利はなんなのだろうか。大陸を統一するのが目的なら野心家で実力もある曹操の所にでも行けばいいのに。袁家さえいなくなれば今の大陸で一番輝くのはあの女なのだから。
きっとあの女の目指すモノは自身による大陸の平定、支配。それに曹操自身も徐晃ほどの将ならば喉から手が出るくらい欲しいはず。
「失礼するよ」
思考を繰り返していると一つ声を掛けて徐晃が入ってきた。
「うちの軍師から話は聞いた。……生きる事を決めてくれてありがとう」
言いながら身体を大きく曲げて頭を下げる。感謝と、多分謝罪を込めて。
こちらが何も言えずにいるとすっと顔を上げ、口を開く。
「賈駆、慌ただしくてすまないが少し君の頭脳と経験を貸してほしい」
「……何?」
劉備がまだ来てないからボク達の身柄の行く先は後でということか。しかしこの男はボクに何を求めている。
「董卓を隠しながら戦った君は大陸で三本の指に入る政略家だろう。各諸侯の情報も多く入っていると思う。それを見込んで聞きたい。これから袁家はどう動く?」
自分の事を大きく褒められて少し照れるが思考を開始する。
こいつが気にしているのはこの軍の行く末。現時点で立ちはだかる最大の壁は袁紹。
袁紹はこの戦の総大将となった事でかなりの評価がされるだろう。
多分、袁紹は大将軍の位に抜擢されるはず。そこからどう動くか。
「袁家は連合を組んだ事で自分から帝と都である洛陽の価値を下げたわ。帝が居なくても連合が組まれ、帝がいても洛陽が攻められた。なら次に欲するのは自分達による大陸支配。多分、戦後処理が終わり次第、各諸侯を傘下に置く為に侵略を開始するでしょうね」
間違いなくそう来る。あの欲深い一族が次を求めないわけが無い。
「クク、欲しいのはそんな曖昧な答えじゃない。次の大きな戦がどこで起きるかだよ、賈駆」
徐晃の声を聞いた瞬間、背筋に悪寒が走った。
こいつはやっと戦が終わったのにもう次の戦の事を考えてる。
しかも次の戦がどこで起きるか確信していて、そしてボクの頭では次がどこになるか明確な答えを導き出していると、自分と同じだと分かっている。
「……幽州ね、間違いなく。後背の憂いを断ってから大陸を徐々に呑みこむと思う」
背を伝う汗に不快感を感じながらできる限り平静を装って予想を話す。各諸侯の兵力、財力、統治者の思考、全て繋げるとそれが妥当だし一番的確だろう。
「ありがとう。ならもう一つ。俺達の今回の勲功でどこまで上がれる?」
続けられた質問によって心の臓に冷たい手を這わされているような感覚に陥る。こいつはどこまで予測しているのか。
「……最大で州牧よ。あんたたちの今回の働きを考えるとボクなら間違いなく徐州に置く。陶謙より勢いがあって大陸の民の支持が高い劉備を置いて徐州に活気を与える」
陶謙は少し老いすぎた。子孫にもあまりいい人材はいないし、何より今回の連合に参加しなかった事が大きい。
「……やはりそうなるか」
何やら考え出した徐晃に少し質問を投げる事にした。
「あんたはどこまで読んでるの?」
この大陸のこれからについて。
ボクは無言で思考に潜っている徐晃の答えを焦らず待つ事にした。
何が三国志とちょっと違うというのか。
この世界は最初から異常だったんだ。情報を集めても、あまりに有名な将や為政者が少なすぎる。董卓軍には化け物武将が何人か足りなかった。
性別反転を無理やりそういうモノだと呑み込んだ後、一番初めの疑問は白蓮に対して起こったモノだった。公孫賛は野心家だったはずだ。なのにあいつは違う。温和で、徳溢れ、侵略を行うモノには容赦しないが自分から簒奪する事など考えない。
幽州にいる時に何度もお前のような公孫賛がいるか、と突っ込みかけた。
今の賈駆の言葉でずっと考えてきた事を確信できた。
この世界では幾人かの人物が統合、もしくは消去されている。例えば白蓮なら劉虞と合わさっている。
現代の知識のみではそんなモノのこれからなど予測のしようがない。
それに大局は変わらず、三国志の通りに進んで行くのならいいが、もしいくつかの戦までもが省略されているとしたらこちらも危うい。下手な手を打てば俺達が潰れる可能性が大きいのだから。
正直、徐州の州牧なんてこちらから願い下げだ。袁術、袁紹、曹操に囲まれて詰みの状態になる。さらに徐州に呂布が逃げていると内にも外にも敵がいる事になり完全に終わりだ。
先に袁紹と組んで官途で曹操と戦うという正史を少しいじった手もあるが、その後に肥大した袁家を潰す事が出来ないし呑みこまれるだけだろう。何よりも今回の戦の真実を知った桃香が袁紹と組むはずがない。
先に曹操と袁紹で戦をされると完全に終わる。そのあとの逃げ道がないし、無理やり逃げたとしても莫大な犠牲を伴ってしまう。予測では、最低でも半数の兵や将が脱落するだろう。重要な戦略地である荊州の様子も未だに分からないのが怖い。今は情報不足が一番の敵だな。
しかし……こんな状況でどうやって入蜀するのか。
非常事態に陥ったなら曹操に保護を申し出るか? ……無理だ。正論で叩き潰され、逃げ道を無くされて、去ろうとしたらあの楽しそうな笑みを浮かべながら俺達の何人かに自分の元に来いと言われるだけだ。多大な恩を押し付けられて逃げられなくなるのが目に見えている。何より一番先に桃香が切り捨てられるだろう。
どう動けば生き残れる。これからは降りかかる火の粉を払うだけじゃ生き残ることなんざできやしない。
自分から動かないと何も変わらない。ここで歴史を捻じ曲げるか? しかし選択を間違えれば滅亡、さらにある程度の先が読めるアドバンテージを放棄する事になる。
しかし現代の知識が自身の思考をここまで縛るとは思わなかった。一度視点を変えてみる、もしくは壊してしまうのも手かもしれない。
なら……ずっと考えてきた他の方法を使うのが最善か。
歴史に手を加えよう。切り捨てる覚悟はあるが保険は掛けておくべきだ。歴史通りでも、道筋から外れるにしても、どちらに転んでも生き抜けるのが一番大事なのだから。
「賈駆、俺にはそんなに先は読めないよ。軍師じゃないし。ただ目の前に迫るモノくらいはわかる。袁家をどうにかしないと早いうちに俺達が潰されるだけだってことくらいは」
「袁家をどうにかするなら劉備軍だけじゃだめね」
賈駆が厳しい目で俺を見つめる。董卓は隣で静かに話を聞いていた。
「まあな。とりあえず俺達がどうなるか決まってからでないと本格的には動けないが……先手を打とう。公孫賛を使って」
俺の言葉に賈駆は絶句した。まるで汚いモノを見るかのような瞳で見つめてくる。董卓はと言うと落胆した目で俺を見ていた。
「何を驚く? 乱世を終わらせるための犠牲に友を賭けられないとでも?」
白蓮を切り捨てる事も考えているが同時に助ける事も考えている……だからこの方法を使うんだ。心にのしかかるモノを無視して軽く言葉を繋げる。
「お前達を踏み台にした俺が甘い事を言う訳がないだろう? それに捉え違いをしているようだが俺達が生き残れてあいつも救えるならそれが最善なんだよ。少し注意を喚起するだけ。俺は袁紹包囲網を作りたいんだ」
続けた俺の話の内容を聞いて、賈駆は知性の宿った瞳で思考にふけり、董卓はほっと息をつき安堵した表情になった。
曹操、公孫賛、劉備による袁紹包囲網。もし徐州に配属されたならの話だが。その時できれば後背の袁術に孫策をぶつけたい。あれは呉の地を欲しているから交渉がしやすそうだ。
「そのために俺は今から公孫賛のもとへ話をしに行く。戦が終わったすぐの、各諸侯の意識が次に向きにくい今じゃないとだめだからな。今回の戦の真実を話し、今後の大陸の予想を伝えて、袁紹対策として曹操と盟を結ぶように言おうと思うが……元軍師である君ならどう思う?」
できればあいつに生き残って欲しい。そうすれば蜀の地を踏まずして二国によって曹操と戦える。
歴史通り蜀漢を立てることも出来るだろうけどこちらの方が効率がいい。袁家討伐後、曹操が先に退場するか、組み込むことができれば後の大きな敵は呉のみ。呉よりも曹操と早期に決着を着けておかなければ懸念事項がどんどんと増えて行くだけだ。それまでに桃香が大陸を呑み込む決意を固めてくれればいいが……。
「……確かに曹操と公孫賛が組むだけでも袁紹を打ち倒せる確率はかなり上がるわね。劉備軍がどこへ行こうとこの先袁家は邪魔になるだろうし、ボク達の身の安全の為にも早く退場してもらったほうがいい」
そう、董卓たちにとってもこれが一番最適な道だろう。
「でも曹操が断ったら……見捨てるしか無いわよ?」
何が、とは聞かなくてもわかる。袁紹に対して白蓮達だけでは負けの目が大きすぎると言う事も。
その事態はずっと考えてきた。甘い思考のまま幽州で別れを告げ、彼女たちの行く末がどうなるかの絶望に気付いてから。
だが他人に事実として告げられると余計に心が重くなった。見せるな。これは俺だけが背負うモノだ。
「……分かってる」
込み上げる吐き気を抑え付けて無表情でどうにか言葉を紡ぐ。
分かってるよ。俺は友を見捨てる最低な奴だ。未来を知ってるくせにあいつらを救おうとしないクズだから。
董卓の時とは違う。分かっていて助けないんだ。これは王の決断と同じなんだ。ずっと前から心に決めていた。桃香に強いているくせに自分が出来ないとは言わせない。
ふいに董卓が立ち上がり椅子に座る俺の隣に来て……ゆっくりと抱きしめられた。
「徐晃さん、そんなに一人で溜め込んではだめですよ? 友達を切り捨てる事は確かに最低でしょう。でもあなたは精一杯救おうとしているじゃないですか。王というのは大切なモノも、自国の民も両方大事でないと務まりません。それに私達の時とその事は違うのですから気に病む事は無いんです。あなたは正しい判断をしてますよ」
彼の瞳が悲しみに沈み込んで行くのが見ていられなくて、まだ起こってもいない事なのに心を砕いている姿があまりに小さくて、私は思わず抱きしめてしまった。
そんな私を見た詠ちゃんは少しむっとしたがゆっくりと瞼を閉じ、口を開いた。
「あんた優しすぎるわ。多分ずっと予測していながら今まで黙ってたんでしょうけど、それは一人で抱え込むモノじゃない。まあこの軍じゃ仕方ないか」
呆れた、というふうに肩を竦める。詠ちゃんもきっと同じ気持ちだ。
「後ね、考えが甘いわよ。盟を結べたとして公孫賛が先に攻めればいいけど後手に回れば曹操は何もしないわ。結局注意を喚起するくらいにしておいて、後は今後の様子を見ながら自分たちで対応していくしか手がないわ」
言われて私も気付く。確かに曹操さんは空き巣を行うような事はしないだろう。あの人は正々堂々と敵を打倒することを好む。利が大きいなら盟を結び助けるだろうけど……難しいと思う。
ふと気づくと私の手は彼の頭を撫でていた。
「っていうか月! いつまで抱きついてんの!? しかも頭まで撫でて!」
「あ! ご、ごめんなさい!」
ぱっと離れて恥ずかしくてわたわたと手を振ってしまう。彼の瞳は少しだけ穏やかになったように見えた。
「あはは! ありがとう、二人とも。助かったよ。それとごめんな、もう戦場から離れた二人にこんな話して」
不機嫌な顔で睨んでる詠ちゃんに向かって彼は言葉を紡いだ。私は頬が熱くて手を当てて冷まそうとしたけどあまり意味はなかった。
「ふふ、確かに変ね。もう軍師じゃないのにこんな話して。……徐晃、あんたがどんな奴かはよくわかったわ」
苦笑した後に真剣な顔になり、その瞳の中には憎しみのかけらも無かった。
「そこまで、友達を切り捨てる覚悟まで持って大陸の平穏を考えてるあんたになら、ボクはちゃんと自分から真名を預けたい」
「わ、私も……仕方なくではなくてちゃんと心から真名を預けたいです」
私達が言うと少し罪悪感が甦ったのか彼の瞳はまた暗く沈む。同時にそんなモノは欲深い偽善の心だと自分を責めているのかもしれない。
「……俺も平穏の世を望む君たちに真名を預けたい。俺の真名は秋斗」
きっと彼から真名を言ってくれたのはその気持ちの表れだろう。
「月といいます」
「ボクは詠よ」
真名を聞いた彼は少し懐かしむような顔になった。私達二人の真名が彼にとって何か思い出深いモノだったんだろうか。
「ありがとう。必ず平穏の世を作ってみせる。だからそれまで――――」
「それまで支えてあげるわ」
言い終わる前ににやりと笑う詠ちゃんに違う言葉を続けられていた。そんな詠ちゃんのいじわるが少し可愛くて笑ってしまう。
「あとさ、あんたに聞きたいんだけどなんで他の軍に行かないの?」
詠ちゃんの言葉に、面喰っていた秋斗さんは目を瞑り、何か悩んでいるようだった。
「それは――――」
「秋斗さん、入るよー」
彼が口を開いたと同時に天幕の外から声がした。劉備さんが来たんだろう。
声を聞いて詠ちゃんの表情が少し険しくなる。
「ああ、構わないぞ」
返事を聞いて劉備さんと諸葛亮ちゃんと鳳統ちゃんが入ってきた。秋斗さんが椅子を用意して劉備さんを中心に皆それぞれ座る。
「えっと……お話は聞きました。お二人の身の安全は私達が保障します。でも……」
言いよどんでいるのはきっと真名の事だろう。自分自身の全てと言っても過言では無い真名を預けると言う事は彼女に対しても多大な罪悪感を与えている。
「桃香、お前が優しいのは分かっているが二人の決断を穢しちゃダメだ。偽名を使おうとすればできるだろうが二人はそれをしなかったんだ。分かるだろう?」
秋斗さんの厳しい口調に劉備さんが哀しい顔になる。それを見て少し険の取れた表情で詠ちゃんが答える。
「秋斗、ありがとう。気にしなくていいわ、劉備。ボク達は偽りたくないのよ」
詠ちゃんの言葉は全てを言ってない。秋斗さんには、という言葉が抜けている。けど私も同じ気持ちだから何も言わない。
彼の真摯な想いに対して私達は真名を預ける事を決めたから。劉備さん達は信用出来るだろうけど信頼は出来ない。
でも、鳳統ちゃんはきっと別。多分彼女は秋斗さんと同じだと思う。詠ちゃんの怨嗟の叫びに、彼を心配して飛び込んできたのは彼女だけなのだから。
「うん、分かったよ。ごめん。私の真名は桃香。これからよろしくね」
それは日輪のように明るい笑顔だった。きっとこの人はとても綺麗な心を持っているんだろう。だからこそ民が惹きつけられて、誰かが希望を持たずにはいられない人なんだ。
「し、朱里といいます」
「ひ、雛里でしゅ」
ああ、やっぱり雛里ちゃんかわいい。朱里ちゃんもかわいいけどおどおどしてる雛里ちゃんの方に目が行ってしまう。後で抱きしめてもいいか聞いてみよう。
「私の真名は月です」
「ボクは詠。それと……厚かましいお願いかもしれないけどボク達二人は基本的にこいつの侍女としてつけて欲しい」
詠ちゃんの提案を聞いた秋斗さんは変な顔になり戸惑っている。朱里ちゃんは目の色が昏く落ち込み、雛里ちゃんは少しだけ不機嫌になった。
「……秋斗さんは小さい子に好かれるね。いいよ、秋斗さんも小さい子好きみたいだし」
「なっ……違うわよ! そういう意味じゃない! こいつの侍女としておいて貰った方が自然だからよ!」
ほへーとした顔で桃香さんが言うと詠ちゃんが必死に反論を行う。
「おい、桃香。それは俺がロリk……幼女趣味だとでも言いたいのか?」
ろり? 何を言おうとしたんだろうか。
確かにさっきの反応を見ると朱里ちゃんや雛里ちゃんから好かれてそうだけど。彼は危ない人じゃない……と思う。
「……えへ」
「……はぁ、どうせ俺が否定してもお前の見解は何も変わらないんだろう?」
「うん。でも少し違うのも知ってるよ。秋斗さんはなんていうか……皆のお兄さんって感じだから」
もう天幕内の空気は真剣さのかけらも無くなってしまった。緩い雰囲気が全体を包み、誰もが冗談を言い合えるようになった。
「とりあえず二人の事は決まったか。桃香、すまないが俺は白蓮と約束があってあいつの陣に行ってくる。叱られてくるよ」
苦笑しながら楽しそうに言う彼の顔はきっと嘘。でも私と詠ちゃんしかそこに隠された事を知らない。きっと三人にはまだ言わないつもりなんだ。
「分かった。行ってらっしゃい」
コクリと頷いて桃香さんに返すと彼は天幕を出て行った。
その後、いろいろと細かい事を説明され、自身にあてがわれた天幕へと連れられた。
ふう、と一つ息をついてそれぞれの寝台に腰を下ろす。
「ねえ、月。きっとあいつはそのうち壊れるわよ」
唐突に語られた言葉は彼のこれからを予想しての事。
「あんなに耐えてまでどうしてこの軍にいるんだろうね。悪い事を企んでるわけじゃ無いと思うけど……」
自分で考えても答えは出なかった。詠ちゃんも同じようで難しい顔をしながら唸ってる。
「詠ちゃん。きっとあの人がここにいるのも、私達が助けられたのも、全部天命なんだよ」
私がそう言うと詠ちゃんは不思議そうな顔をした。
「あいつと出会ったのが天命?」
「きっとね、私達にはまだ生きてやる事がある。あの人にもここでやる事がある。そういう事」
天から私に与えられた役目はなんだろうか。ただ生きる事に耐えられなくて誰かのために死んでしまう事を望んだ私に出来る事はなんなのか。
「……そういう事にしとく。まあ早いうちにあいつがなんでここにいるかちゃんと聞いとこう? さっき話しかけてたし教えてくれるでしょ」
少し前の彼とのやり取りを思い出して、そういえばそうだったと思い至り、
「うん、そうだね」
一つ返事を返して寝台に横になり目を伏せる。
今まで自分が辿ってきた道と、これからの自分達について考えながらいると、いつの間にか眠りについていた。
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