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乱世の確率事象改変

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一人月を背負う


 愛紗と鈴々は動ける兵を連れて民達の手助けに向かった。
 帰ってきた俺を見て鈴々はしきりに大丈夫か? もう倒れないか? もうどこにも無理して行かないか? と聞いてきた。
 朱里が民の救援活動の手伝いを、と伝えに来た時は
「お兄ちゃんはここで雛里と朱里と留守番してるのだ! 絶対に動いちゃだめなのだ!」
 と涙ながらに厳しく言い残し、それでもどこか心配した顔をしながら洛陽に走って行った。
 愛紗はというと、何を考えているのか無言で悲しげにこちらを見てすぐに兵のまとめに戻り、洛陽に向かう時も何も言わずに桃香の手伝いの為に動いていった。
「二人とも優しいな」
「はい、お二人なりの気遣いだと思います」
 地に降ろしたがこちらの手を握って離さない雛里が告げる。ほんのりと暖かい手は戦で疲れた心に安心感を与えてくれた。
「二人とも自身を責めないでくれるといいんだが」
 あの優しい二人の事だ。きっと自分自身を責めてしまっているだろう事は想像に難くない。
「朱里、すまないな。残って貰って」
 何故か終始無言で俯いて着いて来ていた朱里に話しかけると、
「はわわ! だ、だいじょぶでしゅ!」
 どこか暗い顔をしていたが声を掛けるとすぐに顔を上げ、最近はめっきり聞かなくなった『はわわ』が聞こえた。
「……秋斗さん、その……私も手を繋いでも……いいでしょうか?」
 真っ赤な顔をしながら朱里がもじもじと言う。
 この子も心配してくれたんだな。
 少しその可愛い仕草に悩殺されそうになったがなんとか気を引き締めることができた。
「ああ、いいぞ」
 返事をするやすぐに隣にならんで雛里とは反対の手を握り、恥ずかしそうに俯いて歩き出した。
 雛里が少し怪訝な顔をしているがどうしたんだろうか。
 そのまま三人で歩き、何故か無言のまま、俺の天幕の前まで着くと徐晃隊の一人が俺達を見つけて吹き出し、笑いながら話しかけてくる。
「お、御大将……ふはっ、つ、ついに軍師様達を籠絡したんですか?」
 にやにやと笑う眼はこちらを茶化す事しか考えていないのが透けて見える。
「黙れバカ。二人は俺の無茶を心配してくれたんだ。なんにもやましい事はねぇよ。……お前達も此度の戦ではご苦労だったな」
 そう徐晃隊に言うと隣の二人は何故か不機嫌になりそれぞれが口を尖らせた。
「……相変わらずで。我らには鳳凰の加護がありましたから御大将の手を煩わせるまでもございませんでした」
 その言葉を聞き雛里が照れているのかわたわたと慌てて片手を振る。朱里はまだむーっと口を尖らせたままでいたが今は流しておこう。
「そうか。所で連行した二人は?」
「御大将の寝台に寝かせております。中では三人が護衛をしておりますので」
 訝しげな眼を向けながら報告をしてくる徐晃隊の一人。そういうことか。
「……言っておくが彼女らはこの戦の重要参考人だ。他の徐晃隊を後五人呼び、中の声が聞き取れない距離で俺の天幕を守り、見張れ。『上位命令』だ」
 声を抑えて徐晃隊の一人に伝えると厳しい表情になりすぐに行動を開始した。
「とりあえず入ろうか。詳しい事は中で説明する。朱里は帰ってくる前の洛陽内の様子も教えてくれ」
 首を傾げていた二人に話して俺達は天幕内に入った。

 †

 目を開けるとそこは知らない場所だった。細めた目で白い天井を見つめていると、横からこそこそと話す人の声が耳に入る。
「董卓と賈駆が……死んだ?」
「はい、帰ってくる途中に報告を聞いたのですが、隠れ屋敷にて自害している所を袁紹軍の将、顔良が発見したとのことです」
 耳に入ってきた会話に驚き、起きていることが気付かれないようにすっと目を閉じて耳を澄ませる事にした。
 私が……死んだ? こうしてちゃんと生きてるのに。
 詠ちゃんと二人で話をしていて何かを刺されて……
 そこまで考えて全てが繋がった。
 私は……生かされたのか。じゃあ詠ちゃんはどうなったんだろう。
「……朱里、雛里、この子達は董卓軍の別の軍師か文官だと思う。二人を分けて話を聞き、正確な情報を得たいんだが尋問できるか?」
 軍師か文官二人ということは詠ちゃんも一緒なんだ。
 そのことに気付き思わず安堵し、少し大きく息をついてしまった。
「「「……」」」
 男の人の声に返答は無く、周りに変な空気が流れている。
 しまった。起きている事に気付かれたかもしれない。
「……起きてるんだな?」
 男の人の発した言葉にじわと汗がにじみ出るが目を瞑り続ける。
 大丈夫、騙し通してみせる。話を聞いてなかった振りをしないと。
 幾分かの沈黙の後、隣で衣擦れの音が聞こえ、人が立つ気配がした。
「……尋問はやめだな。拷問にしよう。そうだな……こっちの眼鏡の方から――――」
「ダメです! 詠ちゃんは……詠ちゃんだけはやめてください! やるなら私……に……」
 声を上げて飛び起きて周りを見ると目を丸くしている二人の可愛い女の子と立ち上がっている大きな男の人がいた。
 あ……やってしまった。
「クク、冗談だ。騙してすまない。君たち二人に拷問なんて絶対にしないよ。だから安心して質問に答えて欲しい」
 低い落ち着いた声で男の人は言い聞かせるように私に話し、微笑んで優しく頭を撫でてくれる。
 撫でてくれる大きな手は少しくすぐったくて、でもどこか安心感を与えてくれた。
「へぅ……」
 撫でられているのが恥ずかしくてついいつもの悪い口癖が出てしまった。
 それでも誰も笑わずに微笑んだままこちらを見ている。女の子二人の雰囲気が少しだけ変わったけど。
 その空気を感じ取ったのか少し苦笑して男の人は手を放して椅子に座った。
 女の子の一人が立ち上がりとてとてと天幕の端に向かう。
「最初に聞くが……どこか体調で優れないとかは無いか?」
 どんな質問が来るんだろうと思っていたら心配そうに私の事を気遣ってくれた。
「……その」
「す、すみましぇん。話す前にまずお茶をどうぞ」
 話そうとしたら三角帽子の女の子が戻ってきて湯飲みを差し出してくれる。
 少し面喰ったが受け取って口をつけ、喉を潤す。
 あ、おいしい。
 その香りは静かな森林を思わせた。味は少しほろ苦く、それなのに嫌なモノではない。
 気分を落ち着かせてくれて心の中まで暖かくなる。
「……おいしい」
「ふふ、店長さんから貰った緑茶が残っててよかったですね秋斗さん」
 金髪の女の子が笑顔で男の人に話しかける。
「そうだな。店長にまた借りが増えちまったが……気に入ってくれたかな?」
「はい、とても」
 凄く優しい空間。尋問するのにお茶を出すなんて普通はしないのに。
 そういえば最初の質問に答えてなかった。
「少し擦り傷がありますが体調は大丈夫です」
「……女の子の肌にキズをつけられる前に助けられたらよかったんだが……間に合わなくて。ごめんな」
 男の人が発した言葉に疑問が起こる。
「その……私はどんな状況だったんでしょうか……?」
「……洛陽の街で民の救援を行っていたら連れ去られそうな君とその子を見つけてな。どうにか連れ去られるのは阻止したが、抱えて逃げ出している奴が君を投げ捨てたんだ。すぐに助けられなくてごめん」
 言われて隣の寝台に寝かされている詠ちゃんの方を向く。
 頭に布が巻かれているのが痛々しい。
「その子は少し頭を打ったみたいだ。その他に擦り傷は少しあるが大きな外傷は無いよ」
 その言葉にほっと胸を撫で下ろす。詠ちゃんの命が無事でよかった。
「危ない所を助けて頂きありがとうございます。私の名は――――」
 助けてもらったのに自己紹介をしないのは失礼と思い、名を口にしようとして……そこで言葉が止まる。
 私は董卓。この戦で責任をとって死ぬべき人間。でももう死んでいると報告が上がっている。
 生きたいと望む私が囁く。偽名を使って逃げ延びたらいい。
 死にたいと願う私が怒る。今更逃げようなんて考えるな。
 二つの感情と思考が綯い交ぜになってどうしたらいいか分からない。
 急に心に大きな罪悪感が押し寄せ、涙が溢れてきた。無意識に自分で自分を抱きしめて蹲る。
「だ、だいじょうぶでしゅか!?」
「む、無理しないでくださいね……」
 この子達は優しい。こんな最低な私を気遣ってくれる。
 そうだ。この人達は連合の人だろう。なら私を差し出せば名が上がる。
 こんな私でも最後に人の役に立てる。民の心も憎悪の対象が明確になったら救われるんだから。
 もう逃げないと決めた。もう死ぬ覚悟も決めていた。だから最後まで董卓としてやりきらないと。
 自分で自分を鼓舞して死の恐怖を追い払い、口を開いた。ごめんね、詠ちゃん。
「……私の名は……董卓です」
 私が名乗ると三人は一様に驚愕し、しばらく呆気にとられて沈黙の時が流れた。

 †

 この子が董卓だと? こんな儚げで優しそうな少女が?
 しかもこの子は董卓死亡の報告を聞いていた。なのに何故自分でその名を明かすんだ。
 すっと顔を上げてこちらを見据える瞳には覚悟が宿っている。
 その眼は嘘をついているモノではないな。死の覚悟を決めた者が持つ眼だ。
「……その言に嘘は無いな?」
「はい」
 力強い返答に少し気圧される。ここは戦場ではないのに。
 ああ、そうか。これは王の放つ覇気だ。自らの死によってその責を全うしようとしているのか。
「朱里、雛里。この子は嘘を言ってない。それと……死ぬつもりみたいだ」
 言葉を放つと二人は瞳に知性を宿し、思考に潜った。
「……秋斗さん。この天幕の周りに人は?」
「徐晃隊に守らせているが少し間隔をあけさせているからそいつらにもここでの話は聞こえやしない。俺の上位命令を聞かない徐晃隊がいるならそいつはもう死んでる」
 尋問中の情報断絶は基本だからな。徐晃隊には上位命令という形の、それを破れば極刑だと言ってあるモノを布いた。
 俺の言葉を聞いて董卓の表情に少し怯えが滲んだ。
 どうやら俺が徐晃だと気付いたか。董卓に会えたら言っておきたい事があったから丁度いい。
 そう考えて天幕内の端に立てかけてあった斧を天幕の中心に持ってくる。
 斧を置き、片膝をついて董卓に向かうと朱里と雛里は少し不思議そうな顔をしていたが、董卓は斧を見てすぐに真剣な表情になりこちらをじっと見据えていた。
「董卓殿。我が名は徐公明、シ水関にて華雄を討ち取りし者。その最期、勇敢にして誇り高きモノでした。あなたの誇りのために斧を振るい、あなたを守るために戦い、命果てるまであなたへの忠義を貫きました」
 華雄の生き様、死に様を伝えたかった。自己満足だが、心にけじめをつけるために言っておきたかった。何よりその忠義の心を届けたかった。そして俺を……憎んで欲しかった。
 董卓は寝台から降りて俺の前に膝を付き手を添えて口を開いた。
「そうですか……。伝えてくれてありがとうございます。あなたが届けてくれた華雄さんの想い、確かに受け取りました」
 微笑む瞳に哀しみを浮かべ返答を発した董卓と目が合い思考が止まる。
 その瞳は優しく、力強く、憎しみなどかけらもなく、慈愛に溢れていた。
 董卓はすっと立ち上がり二歩下がって寝台の前で背を伸ばしてこちらを見る。
「民に被害を与えてしまった事は私の責、戦が起こってしまった事は私の力不足によるモノ。徐公明、忠臣華雄を討ち取りし者よ。その刃にて私の命を刈り取り、民の心を救いなさい」
 圧倒的な覇気と共に放たれた言葉は俺の心を真っ直ぐに穿った。それによって停止していた思考が回り出した。
 この子は幼く見えるがまさしく王。朱里と雛里は気圧されているのか言葉を紡げないようだ。
 だが、どうすればいいかは、わかってるよな?
「董卓殿、命をもって責を果たそうとするその覚悟や見事。しかし……あなたを殺すわけにはいかない。だろう? 朱里、雛里」
 二人はハッとしてこちらにコクコクと頷く。
「そんな……」
 王の気を纏っていた董卓が戸惑い、一人の少女に戻りだす。
「連合総大将の軍から死亡報告が出ている今、あなたを亡きものにしてしまうと私達の軍に嫌疑がかかります」
「匿っていたのではないか、繋がっていたのではないか、その疑心暗鬼により次の標的になるのは私達となります」
 だから殺せない。そしてそれは他の軍でも同じ。
「なら総大将の軍に――――」
「それも不可能だ。でっち上げでこの戦を始めた袁家が、洛陽を燃やした袁家が、あなたを引き渡した所で俺達を潰さないという保証が無い。他の軍も引き取らないだろう。それに今更あなたが表舞台に出てきたら、民にも連合全てにも余計な混乱を招くだけだ。だからあなたは殺せないしどこにも行かせられない」
 俺の話の途中で朱里の表情が驚愕に変わった。
 お前は気付かなかったもんな。いや、見ない振りをした。『諸侯の嫉妬がほとんどの理由』と言ったのはお前だったのに。
 董卓は力無く膝を折り何かを呟き始めた。それを今は無視し、朱里に向かい言葉を放つ。
「朱里、甘い考えは捨てろ。俺達は正義なんかじゃない。悪の手助けをしたんだ。お前の頭の中ではもう答えが出ているはずだ」
「わ……私達は……民のために」
 頭では分かっているが心が拒絶しているのか、まだ現実を受け入れるには言葉が足りないか。
「こんな可能性もあったんだよ。俺達が間違っている可能性もな。無実の人を力で制圧する覚悟も無く戦いに参加した俺達は……ただの道化だ。踊らされていたんだよ。いいように使われていたんだ」
 俺の言葉を聞くと目が虚ろになり、どこかに救いがないかと辺りを見回し、最後に雛里のほうにぎこちなく泣き笑いの顔を向ける。
「ひ、雛里ちゃん……」
 朱里の様子を見て雛里は悲痛な顔で俺を見上げた。その眼には涙を溜めていたが、雛里はとっくに覚悟が出来ていたからか朱里のように取り乱していなかった。
「二人で話しておいで。今の朱里を支える事は雛里にしかできない事だよ。ここは任せてくれていい」
「ありがとうございます。朱里ちゃん、行こう」
 そう言ってふらつく朱里を支えながら俺の天幕を出て行った。
 見送ってから蹲る少女にゆっくりと声を掛ける。
「董卓殿」
 話しかけても反応は無く、不審に思い近づいてみると呟く声が聞き取れた。
「いやだ、死にたい、もういやだ、生きてたくない、私のせいだ、私が巻き込んでしまった、誰か……殺して……」
 ああ、これは俺だ。そして救う術も俺は知ってる。だが、俺はまた……引きずりこんでしまうのか。しかし最後にどちらが幸せかこの子が自分で決めればいい。
「董卓、話を聞け」
 肩を軽く掴んで無理やり身体を起こし目を合わせる。涙が溢れ、目の焦点は合わず、瞳は絶望に濁り、生きることに疲れ切っていた。彼女は安らかな死を望んでいた。
「華雄はお前が生きる事を望んでいた」
 その言葉にびくりと反応し、こちらに意識が向いたのが分かった。
「お前のせいで死んだんじゃない。お前は悪くない」
「いいえ! 違います! 私に力が足りないから! だから皆巻き込んでしまった!」
 俺の言葉を聞き弾けるように必死で返答してきた。
 このままでは自責の念に潰される。方向を変えるか。
「お前は助けようとしたんだろう? 手を差し伸べたんだろう?」
 ゆっくりと言い聞かせるように言うと彼女は少し考えた後言葉を返す。
「……そうです。私は助けたかった。殿下を、洛陽の民を、この大陸を……」
「誰が責める? その心を、その想いを」
「死んでいった人が責めます。生き残った洛陽の民が責めます。私が居なければ、私がここに来なければ……」
「……じゃあそこの少女はお前を責めるか?」
 言うと同時に手を放すと彼女は振り向き、寝台に向かって行った。
「詠ちゃん……」
 未だ眠っている少女を見つめて少し落ち着きを取り戻したのか静かにこちらを向き椅子に腰をおろした。
「取り乱してしまい申し訳ありませんでした」
「いいよ。それよりお茶を飲もう。少しゆっくりしないと思考はちゃんと回らない。甘いモノがあれば尚いいんだが今は無いし……」
 すっと立ち上がって先ほどの残りのお茶を湯飲みに入れる。
 董卓に片方を差しだし二人でお茶を飲む。うん、うまい。
「あまり無理をするな。先ほどまで倒れていたんだから」
 追い詰めたのは俺のくせによく言う。自分の罪深さに吐き気がしたが気力でどうにか抑え込んだ。
「……私が眠っていたのは詠ちゃんが私を助けようとしたからです。王として死ぬ事を望んだ私を生かしてくれる為に」
 ……この子は覚悟を決めていたが仲間に生かされたのか。生きてくれと願う仲間の想いを裏切ってでも責を果たそうとした。そして同時に……休みたかったんだな。
「すまないが聞かせてくれないか? 董卓軍の真実を。君には辛いかもしれないがそれを聞いてからでないと何も進まない」
 眉間に皺を寄せしばらく逡巡した後、董卓はゆっくりとこの戦の真実を語り始めた。

 †

 どうして? なんで? 私達は正義だったはず。私達が正しかったはず。
 間違ったことなんて無かった。選択は全て上手く行っていた。
 きっとあの人は嘘をついているんだ。だって董卓さんは死んだっていってたから。
 偽物だから嘘をついているんだ。きっと、いや、絶対そうに違いない。

「じゃあどうして秋斗さんは確信を持って私に話していたの?」

 脳内の黒い自分が甘く囁く。

「本当は分かってるんでしょう?参加する前に自分でも言ったんだから。諸侯の嫉妬が理由だって。」

 違う。

「私の嫌いな田豊さんと張コウさんは桃香様に現実を見ろと言ったでしょう?」

 違う。

「あの優しい人は最初から自分達の愚かしさに気付いていた。でも止めなかった。私達が否定することを分かっていたから。」

 違う。

「あの優しい人は戦前に不和が出るから今まで言わなかったんだよ? 自分達の軍の犠牲を減らす為に。桃香様が大陸に平穏を与える為にはこの戦の参加は絶対に必要だったから。」

 違う。

「……否定しかしないならあの優しい人に置いていかれちゃうよ? 雛里ちゃんだけ連れて。……雛里ちゃんの方があの人にとって特別なのが羨ましいんでしょ? 今まで一番だったのにいいの?」

 自分の考えに黒い感情が心を渦巻き叫びだしそうになる。どうにか堪えたが、歩いていた脚から力が抜けて崩れ落ちた。

「朱里ちゃん! しっかりして!」
 大きな声が聴こえて顔を上げると涙を流す雛里ちゃんが居た。
 いつから自分は取り乱していたのか、いつ秋斗さんの天幕を出ていたのか分からない。
 周りを見ると陣の中だとすぐわかった。もうすぐそこに私達の天幕がある。
「どうしたのだ朱里!?」
 民達の元から帰ってきたのか遠くから鈴々ちゃんの声が聞こえた。
 後ろには桃香様と愛紗さんが続いている。
 三人が近づく前に雛里ちゃんが耳元で囁く。
「朱里ちゃん、桃香様達にはまだ内緒にして。秋斗さんは被害者の二人から桃香様達に直接現実を聞かせるつもりだと思う」
「雛里ちゃんは……どうして取り乱して無いの? 私達は悪い事をしたんだよ?」
 私の言葉に少し哀しそうな顔をして静かに呟く。
「人を死なせてる私達に良いも悪いも無いよ、朱里ちゃん。」
 頭の中で反芻し、奥深くまで浸透した雛里ちゃんの呟きは、私の心を捉えて離さなかった。

 †

 陣に戻ると朱里と雛里が外にいた。
 雛里が滅多に出さないような大きな声で朱里に呼びかけていたので走って近づくと、彼女は朱里に何か呟き、それ以降朱里は話しかけても何も答えなくなった。
 とりあえず桃香様の天幕に連れて行き何があったのかと聞いても二人とも何も答えない。
「二人とも……お願い。何があったのか教えて?」
 桃香様の必死の懇願に耐えかねたのかゆっくりと口を開いた。
「秋斗さんから指示があるまでここにいてください」
 絶望に染まった瞳で答えたのは朱里。
「秋斗殿が……関係しているのか?」
 彼が二人に何かしたのか? バカな。ありえない。彼は人の心を傷つける事を嫌う人だ。いつも飄々と誤魔化しているのはその優しさからなのだから。ここまで朱里が傷つくような事などするはずがない。
「桃香様、秋斗さんがシ水関の戦いの後で何を言ったか思い出して下さい。そしてご自分の理想を胸の内にしっかりと持っていて下さい。何があっても絶対に迷わない事です」
 真剣な表情で語る雛里は鬼気迫るモノだった。その表情は何か大切なモノを守ろうとしているようにも見えた。
 それ以上私達が何を聞いても雛里は答えてくれず、ただ時間だけが過ぎた。
 戦が終わったというのに、いったい私達の軍に何が起こっている。
 思考に潜っていると桃香様が立ち上がった。
「……やっぱりだめだよ、待ってるだけじゃ。あの人は私達から聞かないと何も話してくれないし何も答えてくれない」
 そう言って桃香様は天幕を出て行こうとした。
「桃香様……わかりました。秋斗さんの天幕に行きましょう。ただそこには捕虜の人が二人いるので刺激しないように静かにお願いします」
 いつの間に捕虜など捕まえたのだ。彼はたまによくわからない事をする。
「愛紗さん、別に傷つけたりはしていません。ただこの戦の事を話して頂いているだけですから」
 雛里の話に少し安堵する。私も彼が蛮行に出るとは思っていないが、それでも彼も男であるということが警戒心と猜疑心を持ってしまっていたようだ。
 心の中で彼に謝りながらコクリと一つ頷いて、ゆっくりと私達は秋斗殿の天幕に向かった。


 †


「――――そして今ここに至りました。そこまでが私の知っているこの戦の真実です」
 徐晃さんは真剣な表情で所々頷きながら私の話を黙って聞いていた。
「……わかった。ありがとう、話してくれて」
 彼は目を少し瞑り何かを考えてからゆっくりと息を吐いた。
「この軍の情報は入っているか?」
「はい」
 劉備軍の情報は入っている。正義のため、民のために戦ってきた人たち。嘘の情報に騙されてこの戦に来てしまった人達。
「正直に話そう。桃香達……他の劉備軍の面々と違い、俺は別に民が苦しんでるからとこの戦の参加に同意したわけじゃない」
 一瞬何を言ってるか理解できなかった。
「君たちがどんな存在であろうと踏み台にし、乱世を乗り越えて行く力を得るために同意した。この大陸を変えるために必要だから生贄にしたんだよ」
「それは……どういう事でしょうか」
 尋ねると彼は少し厳しい面持ちになり話を続けた。
「君なら分かるだろう? 中から漢を変える事はもはや不可能だ。民の心はもう漢王朝から離れてしまった。諸侯達には野心が芽生え、もはや乱世は止められない。なら自分達が喰われないためにも、乱世でのし上がり大陸に平穏を作るしかない。そのために必要だったから俺は他の諸侯達同様の理由で参加を是としたんだ」
 理屈は分かる。黄巾の乱が起きてしまい、その後に私達も巻き込まれたのだから。でも聞きたいのはそこじゃない。
「劉備軍は民のためにと聞きましたが……」
 この人は違うのか。優しい人だと思ったのに。
 「そうだな。助けられる民がいるなら動く子達だ。とても綺麗で尊い事だ。けど……それだけだ。
 乱世を生き抜くのには汚さが足りない。何が何でも救おうという想いが足りない。俺はな董卓。君のように利用されるものが出ない平穏な世の中を作りたいんだよ。必要ならばどれだけの今を生きる善人を犠牲にしたとしてもだ。
 憎まれてもいい、怨まれてもいい、その先に恒久の平穏があるなら喜んでそれを受けよう」
 強い覚悟を携えた瞳に気圧されてしまう。
 彼はしっかりと未来を見据えていた。嘘を付いていたのでは無かった。
 この人は私達に自分を憎めと言っている。その代わりに別の人には幸せを与えるからと。
 自分勝手な理論。でもそれは……私がしようとした事と同じだった。
 憎しみを自分に集めて民を救う。この人は私とほとんど同じ人だ。けど少し違う。
 この人は自分から動いている。私は流されて最期にそれを選んだ。
「だけどな……生きて欲しいという想いを殺せはしない。少しでも多くの人が生き残ってほしい。だから俺は君に生きて欲しい」
 泣きそうな顔で言われた。その表情は子供のように見えた。
「生きる事ができる可能性があるなら生きてくれ。精一杯生きて、平穏な世で新たな幸せを探してくれ。もしこの戦が自分のせいだと思うのなら、天寿を全うするまで生きて、平穏になった世を見て、君と君の周りが幸せになる事を罰としてくれ。君に生きて欲しいと願った人は、少なからず救われるだろうから」
 それは厳しくて優しい罰だった。生きることの方が辛い、死をもって安息を得るよりも。でも詠ちゃんたちの願いは叶えられる。こんな私でも誰かを救える。
「ずいぶんな綺麗事ね、徐晃」
 ふいに後ろの寝台から声がして振り向くと詠ちゃんがむくりと身体を起こしていた。
「あんた達が攻めてこなければボク達は幸せだったのに……最初から疑っていたなら、どうしてどちらが正しいか確かめなかったのよ!」
 詠ちゃんの瞳は憎しみに染まっていた。
「少しでも助けがあればこんな事にはならなかった! 結局あんたは他の欲の張った諸侯達と同じ! 先の平穏なんかいらない! ボク達は今幸せが欲しかったの! 兵達を返して! 華雄を返して! ボク達の幸せを返してよ!」
 詠ちゃんの向ける感情は正しい。でも……私には徐晃さんを責める事は出来ない。
 その時さっと音がして天幕の入り口が開いた。
 最初に飛び込んできたのは泣きそうな顔をした三角帽子の女の子で、徐晃さんのもとへ行こうとしたが手で制される。そのあとに二人の女の子。一人はさっきの子でもう一人は赤い髪をした子。最後に二人の女の人が驚くほど暗い顔で入ってきた。
「……いつから聞いてた?」
 低い声と無表情で尋ねる徐晃さんからは感情が読み取れなかった。
「……戦の話の途中から……です」
 ほとんど全部という事か。桃色の髪の女の人が涙声で申し訳なさそうに言うと徐晃さんは少し目を細めてため息をついた。
「とりあえず自己紹介しておけ。この二人は董卓と……」
「今更隠してもしょうが無いわ。どうせ尋問するつもりだから人払いもしてあるんでしょう? ボクは賈駆よ」
 詠ちゃんはキッと徐晃さんを睨んで吐き捨てるように言った。
 続くように劉備軍の人たちも自己紹介をしてくれたが、詠ちゃんは劉備さんの自己紹介の時に怒気が溢れ、しかしそれでも何も言わずにただ黙っていた。
 自己紹介が終わると天幕内に痛いくらいの静寂が訪れた。
「賈駆。お前の憎しみは正しい」
 沈黙を破ったのは徐晃さんで、その瞳は呑みこまれそうに昏い色をしていた。絶望と憔悴と哀しみの色。
「俺達はお前達の描いていた幸せな未来を奪った。そして俺達の望む未来を押し付けようとしている」
 天幕内の皆は徐晃さんの話に聞きこんでいる。劉備軍の人たちは皆言葉を聞くごとに顔が翳っていく。
「憎んでくれていい、怨んでくれていい。……でも死なないでくれ。せめて生き残ったのならその気持ちを糧にしてでも生き抜いてくれ」
 詠ちゃんの顔が怒りに歪む。彼はその時すっと頭を下げた。
「お前達のようなモノが出る世の中は……見たくないんだよ。世界を変えさせてくれ。次の世代の子供たちが笑って暮らせるような世界を作らせてくれ」
 その言葉は謝罪ではなくただの懇願。彼は何かに祈るように言葉を紡いでいた。
(俺には……それしかできないんだ……)
 ぼそっと引き絞られたように掠れた声で漏らした呟きが聞こえたのは一番近くに居た私だけだったようだ。
 この人は自分の無力さを呪っている。全てを助けられない、命の取捨選択をするしかない今の世を変えたいだけ。その犠牲の重さも分かっている。
 自分が呪われる事で誰かが幸せに生きてくれるならそれでいい。やっぱり私と似ている。そして詠ちゃんにも。
「……詠ちゃん。徐晃さんは救いたい命が多いだけで詠ちゃんと同じだよ。頭のいい詠ちゃんならそれがもう分かってるよね? きっと詠ちゃんの言葉を否定する事も、批難する事も、反論する事もできた。でも徐晃さんはそれをしなかった。それもどうしてか分かるでしょ?」
 私が言うと詠ちゃんは悲しそうな顔をした。
「……理屈では分かってるわ。でも……抑えられなかったのよ。だって華雄は、もう帰ってこない……し……皆……ばらばらに……」
 それ以上続かずに泣き崩れてしまった。私は詠ちゃんの横に座って抱きしめ、背中を撫でる。
「皆さん、捕虜の身での非礼、申し訳ないのですが少し二人きりにしてもらってもいいでしょうか?」
 厚かましいお願いだ。でも詠ちゃんと少し話がしたい。聞いてくれるだろうか。
「桃香様」
「うん。皆、行こう」
 劉備さんの言葉に皆が天幕内から出て行き始める。顔を上げた徐晃さんの頬には涙の後があった。皆が出て行ってから少し遅れて一人出て行こうとする彼に声を掛ける。
「徐晃さん……王としての私の想いは、あなたが繋いでください。劉備さんではなくあなたに繋いで欲しい」
 口から出たのはそんな言葉だった。
 流されるでなく自分で選んだ彼に託したかったから。
「……分かった」
 振り向いた彼はすっと目を細めて私の瞳を幾分か見つめ、短い返答をして出て行った。
 そこで私の目から塞き止めていた涙が溢れ出る。
 責任から解放された安心と、生きていていいんだという安息と、多くを失ってしまった哀しみからその涙は留まることを知らない。
 天幕に二人残った私達は、それから長い時間抱き合ったまま泣き続けた。

 
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