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デュエルペット☆ピース!

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デュエルペット☆ピース! 第2話 「聖職」(前編)

 
前書き
Pixivにも同じ名義、タイトルで連載しています。試験投稿中。 

 
 むかし、むかし、あるところに―――。
 と、始めるほどには時の経っていない、ほんの100年ほど前のこと。サライエボの花火を皮切りに、人間の世界すべてを包み込む大きな火の手が上がりました。炎は何年も燃え続け、近くの人と、遠くの人とを焼き尽くし、ようやく消えました。火が消えたあと、西洋の小国に住むとある魔法使いが、この世の平安を願い、人間の世界を幸せにするために、もう一つの世界を作りました。もう一つの世界、デュエルワールドは、女神様によって守られ、この世界と同じようにたくさんの人々が暮らす世界です。そして、デュエルワールドの人たちの願いを受けて、女神様が生み出した決闘の精霊、デュエルペットたちは、人知れず人間の世界に降りて、人々の幸せのために尽くすことになったのです。

『それが私の世界、デュエルワールドだ』
「なんだか漠然とした説明ですね……」
『昔話の類だし、100年とはいえデュエルワールド創世の時代から生きているのは女神ただ一人だからね。私を含め、創世の詳細を知るデュエルペットはいないんだ。現代に生きる人間が神代の出来事を知りえないのと同じことさ。それより続きだ』

 80年ほど平穏な時代が続いたころ、デュエルワールドに突然悪の怪人が現れました。怪人は女神様の力を奪い取り、人間の世界に解き放ったのです。女神様の力は人間には強すぎるものだったので、たちまち人間の世界に不幸があふれ出してしまいました。

「その女神様の力というのが、デュエルピースですね!」
『ああ、察しがいいね。20年前にデュエルピースが飛び散ったあと、デュエルペットの使命は人間とコンタクトをとって幸福をもたらすことから、デュエルピースの回収へと移り変わったんだ』
「でも、今でも探しているってことは……まだ全部は見つかっていないんですか?」
『恥ずかしながら……デュエルピースは全部で13枚、昨日君のおかげで回収できたものは……1枚目だ』
「ええぇっ!? 20年も探してて、今日が1枚目? それって……単純計算であと240年かかりますけど!?」
『仕方ないだろう……デュエルペットといっても頭数に限りはあるし……なによりこんな小さい身体では限界があるんだ!』

 ナイトはそっぽを向いてしまう。その姿に少女の本能が再度刺激されたが、重要な話題故に、アズは愛玩衝動をなんとかおさめた。

『ともかく私は、この世界で残るデュエルピースを探さなくてはならない。残念だが……君とはこれでお別れだ。登校の邪魔をして、悪かったね―――さよなら』

 急速に、白獅子の姿が小さくなり、ついにはアズの肉眼ではとらえられないほどになってしまう。突然の成り行きに驚きの声を上げる暇もなく―――アズは目を覚ました。


                     *     *     *


 目覚めてすぐなのに、いやに意識がはっきりしている。毎朝けたたましい目覚ましの音で叩き起こされていた日常の彼女とは、決定的に違っていた。すべてが夢だったのかと一瞬疑ったが、床に転がった鞄のだらしなく開いた口の中に、書籍類のないのが目に入って、教科書の支給を受けていないこと、すなわち、昨日登校していないことを確認した。全て現実。よく見ると、枕元に昨夜一緒に寝ていたはずのグラナイトのものと思しき、白の毛が幾本か抜け落ちている。
 アズは布団から体を起こした。夢の中でナイトが語ったことが真実だとすれば、デュエルピースはあと12枚。全てデュエルに勝利して収集するのだとすれば、最短でもであと12回、昨日のような激闘をくぐり抜ける必要があることになる。そして、獅子とともにその死闘を戦い抜く覚悟は、正直言って彼女にはなかった。
 竜の白い炎に焼かれた記憶がよみがえる。体が震え、心の芯が凍りつくような恐怖。自分の生命力でよく持ちこたえられたものだと、正直驚いている。あんなものを何度も味わうかもしれない戦い。おそらく、正気ではいられまい。だからこそ白獅子は、彼女を巻き込むまいと、夜のうちに去って行ったのだ。
 だから塗り替えればいい。一日ぶん、多く寝てしまったのだ。昨日のことは全て、光り輝く夢なのだと。仮にデュエルで負けていたとしても、そこで目が覚めて、悪夢という後付け評価を下していただけのこと。
 布団から出て、伸びをする。窓の外は快晴。新生活をやり直すには申し分ない天気だった。

「それでいいんですよね……ナイト」

 きっと、この名を口にするのも最後。ぬいぐるみのような手乗りの獅子は、きっと今日もどこかで残る12枚のカードを当てもなく探し歩いているのだろう。でも、それは自分のいるこの街とははるか離れた異郷で―――青空だけがアズと獅子をつないでいる。きっと、それで十分なのだと。


                     *     *     *


 顔を洗ってから、冷蔵庫をまさぐる。買い物など行っていないのだから、昨日と状況が変わっているはずがなかった。仕方なく、食パンにオレンジマーマレードを塗りたくる。柑橘系のさわやかさと苦さが、ぼやけた朝の頭をたたき起こしてくれるところが、このメニューの唯一の利であると、常々ぼやけた朝の頭で考えていたが、脳が余すところなく覚醒している今朝は、ただ甘いだけの炭水化物としか感じなかった。
 洗面所に行って歯を磨く。朝食とどちらが先であるべきか―――はこの際どうでもよい。艶めく黒髪を念入りにとかして、お気に入りのリボンでポニーテールを形作る。ふと、鏡に映った自分の顔を見る。一瞬、桃色の髪に赤の瞳、デュエルフォームの彼女が鏡の中に現れた気がしたが、やはりそれは幻覚だったのだろう。そこにあるのはやはり、黒髪に黄色の肌、黒の瞳のいかにも東洋人的な顔だった。
 寝巻を解いて制服に袖を通し、女学生らしく見えるよう細部までチェックし、外形を整える。白鳩高校は、「それほど校則にうるさい学校ではない」との前評判を耳にしていたにもかかわらず、アズは時間をかけ、学生らしさの演出状態を念入りに点検した。そうしないと、元に戻れないような気がしたのだ。
 それだけチェックを重ねても、出発すべき時間までまだ30分以上ある。鞄の口をしめて、持ち上げる。もう出発するつもりだった。30分早い程度なら、学校自体は空いているはず。今この瞬間だけは、この部屋は獅子が去った場所なのだ。新生活の一日目を学校で過ごして帰宅すれば、とのアズ独りの部屋に戻っているはず。だからこそ、今は早く出てしまいたかった。
 玄関へ向かおうとして、学習机の上の両親の写真に目がとまる。アズは一瞬だけ目を伏せると、向き直り、無言で一礼して、部屋を出た。


                     *     *     *


 昨日よりも早い時間。駅までの道は誰もいなかった。あの白い竜はもちろん、それを使役していた女学生も、竜に屠られてしまった幾人もの亡骸も。昨日彼女がデュエルをした場所は、竜の炎による焦げ跡が生々しく残っているはずだが、警察のブルーシートがすべてを覆い隠していて、確認することはできない。あちらこちらに警察が張った立ち入り禁止の黄色のテープがかすかに事件をにおわすが、捜査員の姿はない。当然だった。ここにはもう証拠になるものは残されていないのだ。
 アズはなるべく前だけを見るようにして、足早に進む。大通りに出た。しばし進むと、駅が見えてきた。電車の行き来する音が、妙に遠く感じる。思わず、駆けだした。あれに乗ってしまえば―――戻れるのだと。


                     *     *     *


 列車のドアが開く―――絵に描いたように満員であった。この近辺で最大の町、白鳩市へ、つまりシティへ向かう上り列車、加えて朝のラッシュ時。考え合わせれば必然なのだが、都市に住まう経験に乏しいアズは、人間の押し寿司に圧倒されてしまう。しかし、乗り過ごすわけにもいかない。どのみち、しばらくはどの列車もこれと同じのはずだ。明日からも毎日これに揺られることになる。慣れなければならない。心の中で謝罪を述べながら、背中から強引に列車のドアに分け入り、自分も酢飯役に加えてもらう。
 けだるそうな声の出発アナウンスが流れ、列車のドアが閉まる。左手に下げた中身のない鞄が、自分の腹と閉まったドアに挟まれ、ぺしゃんこに潰れてしまった。しかし、そんなことを気にする間もなく、必要に迫られて空いている右手でドアに手をつき、背後からの圧力に耐える。ゆっくりと列車が動きだし、体にかかる力をその右手でついでに支えた。
 ふぅ、と車内で人知れず溜息を吐くアズ。目的地である白鳩までたった三駅。この乗客のほとんどは白鳩で雪崩のように降りていくはずだが、それまでに二度、ドアの開閉と乗客の乗り降りがある。自分の胆力では、どちらの駅で電車からはじき出されて取り残されるような気がした。さっそく大都市のテンポに置いてけぼりを喰らったようで、こんな調子で大丈夫だろうかと嘆息した瞬間、臀部に違和感が走って、アズは眼を見開いた。
 最初は、何が起こっているのかわからなかった。何本かの硬い肉の筋が、ミミズのようにうねりながら、下着越しにアズの尻肉の上を這い回っている。正体不明の肉筋に薄い布越しに臀部を撫で繰りまわされる、強烈な嫌悪感がアズを打ちのめし、彼女の全身が凍りついたように動かなくなってしまう。満員電車の中。すし詰めの状態では他人の手や衣服、鞄が当たることもあるだろうが、明らかに意図的な肉筋の動きは、間違いなく偶然の接触ではない。だとすれば―――臀部を這うミミズの正体は、人間の指でしかありえない。おそらく、彼女の背後、スカートの下から無理やりに腕差し込まれた腕に生えた、5本の指が、中枢神経の発した電気信号に従って、うねり狂っているのだ。
 その根源にあるのは、汚れた雄の欲望。その行為の名は間違いなく―――。

(これ……痴漢……!?)

 確信した瞬間、尻肉を手のひらで思い切り掴まれた。一瞬、アズの息が止まった。椀型に盛り上がった肉を、五指で絡めとるような動きで揉みしだく。一点、冷たく硬い感触が当たっているのは、痴漢の指にはめられた指輪だったが、当のアズにそんなことを気にする余裕はない。
 逃げようとして、どこにも逃げられないことにすぐ気付く。自分の目の前には列車のドアしかない。鞄が押しつぶされるほどの圧力を背後からかけられていて、これ以上前に進めるわけがない。かといって、臀部をまさぐる腕をつかみあげて逆襲するどころか、悲鳴を上げる勇気すらも湧いてこなかった。動揺と、恐怖と、嫌悪と、羞恥―――それらが全て混ざり合って、結局のところまともに思考ができないまま、金縛りにあったかのように全身が硬直している。
 突然、尻肉から掌が離れた。アズの脳が安堵の感情を準備した時、指先が内股に滑り込み、閉じた太腿を内側から割り広げるように上下に撫で始めた。アズが抵抗の意思を示さないのをいいことに、卑劣な行為はエスカレートしている。

「……っ!」

 アズの喉の奥が引きつり、口からかすかな空気音が漏れ出す。あろうことか、内股を摩擦していた指先が、下着と尻肉の隙間を発見し、爪先を滑り込ませたのだった。さらに指先が強引に割り入り、下着と皮膚の間に隙間ができて、空気が流れ込む冷たい感触が、アズの恐怖を煽りたてる。

(うそ……このままじゃ……)

 指が動きを止める気配はなく、なおも奥底への侵入を続けていく。アズの慎ましやかな深奥が雄の欲望にまみれた指先で蹂躙されるのは、もはや時間の問題であった。なによりも恐怖が一気に増大して、アズの全身が小刻みに震え出す。

(たすけて……ナイト……!)

 昨日、危機に陥った自分を助けてくれた獅子に、心の中ですがるアズ。しかし、密閉された車両の中に、獅子が颯爽と現れるなどと、そうそう期待できるものではない。
 痴漢の爪先が、とうとう深奥を隠す茂りに触れた―――瞬間、電車が停止し、一拍遅れてアズの眼前の扉が開く。今しかないと直感し、アズはホームへ向けて思い切り飛び出した。車両から離れる瞬間、侵入していた指に下着が引っ掛かり、生地が引き伸ばされる感触があったが、勢いそのまま不埒な指を振り切り、両足がホームの白線の上に着地する。だが勢いがありすぎて、前につんのめり、転んでコンクリートに両の膝小僧を打ちつける。両足に走る痺れと焼けつくような痛みも構わず、這うようにしてアズは白線の内側、ホームに備え付けられたベンチのところまで逃げ延びた。
 嫌悪感から解放され、荒い息のまま、ベンチを支えに立ち上がる。とっさに、後ろを振り向く。閉まるドアが両側から押し寄せる、その丁度狭間に、スーツ姿の男。人相を確認する前にドアが閉まり切り、ちょうど窓と窓の間に隠されてしまったが、閉まる直前、男の口元が、いびつにゆがみ、さも楽しそうに笑っていた様子が、アズの網膜に飛び込んだ。
 冷たい息を吐きながら立ち尽くすアズを残して、列車がホームを出ていく。自分に向けられた生々しい性欲の発露としての、かの男の笑みが、アズの脳裏に焼き付いて離れない。転んだときにすりむいた両の膝小僧から血が滴り、白のソックスにしみ込んで赤の模様を描いた。


                     *     *     *


 アズが飛び降りたのは次の駅だったので、白鳩まであと二駅の距離があった。早めに出たおかげで、たった今ホームに滑り込んで来ようとしている次の列車に乗れば、始業前に到着できる十分な時間的余裕がある。だが、アズはホームのベンチに腰かけたまま、その列車を見送ってしまった。列車の扉が開いた瞬間、目に飛び込んできたスーツ姿の群れ。もはや酢飯ではない、炊き上げられた欲望の塊から、いくつもの手が自分の性に対して伸ばされ、引きちぎろうとしている光景が脳裏に浮かんだからだ。米酢の殺菌作用はもはや意味をなさず、ただ据えた雄のにおいに作用して鼻を突き刺すだけ。自分の膝から滴る血の匂いのほうが、幾分かはましだ。
 実際、列車の扉が開いた瞬間、アズは立ち上がって乗車しようとしたのだ。しかし、どうしても膝から下は動いてくれなかった。それどころか、腿から下の体温をまるで感じられない。脚に血が通っていないかのようで、中枢神経と独立してただ小刻みに震えるのみ。それを認識すると、両手の指先もほぼ同じ状態であることに気付いた。こちらも、両手首までしか血流の感覚がない。冬でもないのに、長時間寒気に当てられてかじかんでいるかのように。しかし、指の震えを見て確信したのは、自分の中に残留し続ける恐怖。極めつけに、深奥の周辺に残る不快な指の感触と、ホームを去る際に見せたあの男のいびつにゆがんだ口元が脳裏に並列されて、思わずアズは固く瞳を閉じた。目の端から涙がにじむ。
 さらに次の電車がホームに到着し、扉が開く。内部の状況は依然同じ、それどころかスーツ姿が増えているような気さえして、アズの顔が一気に青ざめた。なんとか顔を伏せたが、もう震えは止まらない。指先、脚どころか、身体全体が発作のような激しく細かい揺れに襲われる。
 ホームから列車が出ていく。膝小僧の傷から、さらに一筋、血が流れる。そのこと自体は循環器系が健全であることを証明しているのだが、その程度の事実でアズの恐怖が消えるわけもなかった。
 結局、ラッシュ・アワーが終了して乗客がまばらになって、ようやくアズは列車に乗り込むことができた。膝から流れる血は既に止まり、血小板が硬化し赤黒く変色している。時刻は、もうすぐ10時になろうかというほど。完全な遅刻であった。


                     *     *     *


 県立白鳩高校は、白鳩駅から歩いて10分とかからない場所にある。その10分足らずの道を歩くのに、アズは1時間以上もかかったような気がした。なにしろ、身体に震えと恐怖と、昨日までは決定的に存在していなかった類の違和感が残っているのだ。通常通りの歩き方を身体が忘れてしまったようで、常に足を引きずっているような感覚さえあった。
 校門をくぐり、ひとまず職員室へ向かうと、中には女性の副校長一人(心の内で胸をなでおろすアズ)。彼女のクラス、ファースト・プラム(1年某組という類のクラス名でないのは、都会だからなのだろうか)の教室へ向かうよう指示を受けた。担任が今ちょうど授業中らしい。二限の授業中の廊下を、一人歩く。あちらこちらの教室から、講義中の教師の声が聞こえてくる。久しぶりの学校生活、日常の姿であったが、どうにもこの光景と自分との間に距離が開いてしまったような気がする。昨日は白の竜と戦い、今朝は雄の欲望に晒されて恐怖に駆られていた自分が、どうしてこのありふれた空間の中に、すんなり溶け込んでいけるというのだろうか。ケガレタジブン―――と、そこまで連想して、アズはかぶりを振ってその思考を追い払った。
 校舎2階の端、「1st Plum」と書かれたプレートが上部にせり出している部屋の前で、アズは足を止めた。深呼吸を一つ。どんな理由があろうと、教室空間から逃げるわけにはいかないのだと言い聞かせて、扉を開ける。

「あのぉ……失礼します」

 授業の進行を千切って、扉を開けて現れた少女に、教室にある三十余対の瞳が、一斉に向けられた。それら視線の中でひときわ高い位置にあるのが、授業進行中の教団の上の中年の男性教師のそれ。チョークを片手にしているとはいえ、スーツ姿が目に入り、横隔膜が引きつるような感覚に襲われる。

「あなたは……もしかして転校生の?」
「……は、はいっ」

 男性教諭の言葉が、自分に向けられたものと理解するのに一瞬の間を要したが、何とか応答することができた。

「わかった。少し話があるから、今日はここまでにして、残り時間は自習にします」

 男性教諭は、チョークを置き、教卓の上の教科書を閉じて小脇に抱えると、アズへ歩み寄り、彼女の手首をつかむ。それほど強い力で握られたわけではなく、それもブレザーの袖の上からであったが、異性の接触に、アズの全身に怖気が走り、あやうくその手を振り払ってしまいそうになる。男性教諭は後ろ手に教室の戸を閉めた。途端に、教室内からがやがやとざわめきが聞こえてくる。

「さ、あなたはちょっと来なさい。色々と、きいておかなければならないことがあるからね」
「あっ……は、はい……」

 腕を引かれるまま、男性教諭の後をついて歩くしかなかった。


                     *     *     *


 ファースト・プラムの教室内では、昨日の無断欠席に続いて、ほんの一瞬しか姿を見せなかった転校生の少女について、様々な憶測が飛び交っていた。

 曰く、初日からバックレるとはいかなる不良かと思っていたところ、意外と身なりは普通であった、と。
 曰く、不良どころか、容姿は清純派路線のしっとり系だったではないか、と。
 曰く、お前一瞬でよくそこまで判別できたな、と。
 曰く、だって女の子だったし、チェック必須でしょーと。
 曰く、さっそく品定めかよー、と。

 それ自体、今のアズが聞けば震え上がりそうな男子勢のやり取りを尻目に、特に話の輪に入ることもなく、転校生と教諭が去っていった教室のドアを、無言で見つめる眼鏡の少年と、転校生の存在自体に興味を示さず、けだるそうに窓の外を見つめている茶髪の少女。二人とアズの奇なる縁は、また日を改めて結ばれることになる。


                     *     *     *


 男性教諭の後に続いて階段を1階へ降り、校舎の端へ向かっていく。案内されたのは、ちょうどファースト・プラムの教室の真下に位置する、「数学科教務準備室」とプレートに書かれた小部屋であった。中へ入ると、天上まで届くほどの高い棚に、数学に関係すると思われるタイトルのファイルや書籍がびっしりと詰めこまれている。部屋の中央にあるソファの前で、ようやく教諭はアズの袖から手を離し、座らせた。教諭も対面に腰かけ、両手を組む。両の薬指にそれぞれ嵌められた指輪が、きらりと光った。

「小鳥遊アズサさん、だね。私はファースト・プラム担任の衛士(えじ)です。さっそくですが……」
「あ、あのっ!」

 アズは一気に説明してしまうことにした。いちいち少しずつ掘り返されるよりも、自分であらすじを述べてしまった方が、昨日から今日までの経緯の中の、要らぬことを想起して苦悩することも少なかろうという判断だった。

「申し訳ありません、昨日は朝その……しょ、しょう、傷害事件に巻き込まれまして、わたし自身は幸いにして被害にあわなかったのですが、犯人の目撃といいますか、参考人? とにかくそういう立場になってしまいまして、それで警察のほうで取り調べや調書作成に協力しておりまして、その各種手続きに思いのほか時間がかかり、すべて終わりましたところもう夜9時を回っていまして、仕方なくそのまま帰途についたという次第で、もう夜中でしたので学校の方へご一報差し上げるわけにもいかずですね、しかたなく今日の朝早めに出て、説明申し上げようと思っていたのですが……その……ね、寝坊しましたごめんなさいっ!」

 あまり思い出したくない電車内でのことは触れず、自分の過失ということにして、一気に言い切って同時に頭を深々と下げる。これで、ひとまず余計なことは問われず、自分の不手際を追及されるだけで済むだろうと予想していた。それだけに、彼女の頭上から衛士教諭が投げかけた次の一言に、アズは耳を疑うこととなった。

「いや、どうでもいいんですよ、そんなことは」

 思わず頭を上げ、目の前の教諭の顔を確認する。柔和な印象の、どこにでもいる中年男性の顔に相違なかった。

「は……えっと、え?」
「だから、どうでも構わないんです。そんなことより、私は続きをしたい」
「続きって……なんの続きです?」
「だから、朝の続きですよ」

 アズの眼が見開かれる。朝の出来事―――知っているのは、あの満員電車の中にいた酢飯の一粒、しかも彼女に近接していた人間である。第一に考えられるのは―――

「まさか……先生」

 衛士教諭の表情が途端に狂気を帯び、口元がいびつに歪んだ。そのさまが、アズの脳裏に焼き付いている、朝のホームで列車のドアが閉まる際に見た、雄の歪んだ笑みと、ぴったり重なる。

「とてもよかったですよ、あなたの触り心地は、まあ素肌限定ですけどね、下着の方はまあ、安い感触でしたよ、だからあなた、もう少し色気を持たないといけませんね、肌着には気を使わないと、お年頃ですからね、そこらへんで買った安物で済ましていては、いざというときに後悔しますよォ、ホント、まあでも肌の方はよかったァ、ほどよく汗ばんで湿っていて、これだから車内はやめられませんよねぇ、だからどうしても続きがしたくなりましてぇ、だって毛まで行ったんですよ? もうほとんど本番OKみたいなものでしょうそれェ、だからね、ここで、ここで続きをぉぉっホホォ』

 突然まくし立て始めた衛士教諭の声が、だんだんこの世のものとは思えぬくぐもった響きを混じらせていく。聞き覚えがある変調であった。それは、昨日の朝白き竜を使役していたあの女学生と、そっくりの変容である。
 ぎらりと、衛士教諭の右薬指の指輪が発光する。蛍光灯の反射ではない、指輪自体が光源となった、紫の光が、アズの瞳を打つ。

(これは、まさかデュエルピースの力!?)

 直感とともに、アズは立ち上がって逃げようとする―――が、一瞬早く中年男がアズの腕をつかんだ。

「いたぁっ……!」

 痛みにアズの顔がゆがむ。教室からの誘導の時と違い、欲望まみれの、容赦のない手が、ぎりぎりと少女の細腕を締め上げていた。振りほどこうとするが、握る力のあまりの強さに試みることもかなわず、そのまま、仰向けに床に引き倒されてしまう。背中を強打し息が詰まって、たまらず酸素を求めて開いたアズの口に、ハンカチの類と思しき布切れが強引にねじ込まれた。

「むぐぅっ!?」

 助けを呼ぶ声を封じられたのだと意識する間もなく、中年男の身体が覆いかぶさってくる。男の体格は中肉中背という程度だったが、同年代とくらべて小柄な部類に入るアズとでは、絶望的なほどの体格差があった。
 抵抗しなければ―――という思考も、先手を打たれることになる。中年男はアズの頭を乱暴に引っつかむと、床にたたきつけた。

「あ゛ぅぅっ!」

 がつん―――鈍い音とともに、アズの目の前に火花が散り、続いて痺れと激痛が中枢神経を駆け巡った。衝撃に神経系の一部が麻痺してしまったのか、思うように体が動いてくれない。続いて男の腕がもう一度少女の頭を持ち上げ、叩きつける。二度目の衝撃に、今度は抵抗の意思までもがごっそりと削り落とされてしまった。だがそんな心情にはお構いなしに、三度目の衝撃が彼女の頭部を襲う。脳に直接衝撃が伝わって、アズの全身から力が抜け、意識にもやがかかる。

「んぅ……」

 ぐったりと脱力するアズを、彼女にのしかかった中年男が満足げに見下ろす。思えば、道端であの光るカードを拾ってから、彼の生活は輝くばかりの幸運の連続であった。通勤の度に目に入る若い肉体を直接この手で味わいたいという欲求は、彼が30代半ばに差し掛かり、それなりに安定した地位と生活を確立したころから、くすぶり始めていた。もちろんその行為は、彼の地位と生活を脅かしかねないリスクが付いて回るものであり、彼自身それを認識していたからこそ、それからの数年間、欲望をきちんと抑制して生きていた。
 なぜそんな下らない我慢をしていたのか、今となってはまったく理解できない。文字通り、手の届くところに瑞々しい肉体があるのに、なぜ手を伸ばさないのか。言い換えれば、なぜベストを尽くさないのか、ということになろう。初めて花園に触れたのはひと月ほど前だったが、それからは欲望の赴くままに、毎朝指を躍らせていた。彼の手が触れた肉体はまさに物質となり、抵抗の意思の欠片も見せなくなる。それは幸運なのか、あるいはあの輝くカードの超常の力か。
 そして三日前、途中で満足して対象の臀部から手を放した。その途端、肉体から人間に戻った女は、彼の隣に立っていた気の弱そうな若いサラリーマンの腕をつかみあげて叫んだ。

――――この人、痴漢です!

 女と腕をつかまれたサラリーマンは、次の駅で降りて行った。女に腕を掴まれた時の若造の驚いた顔といったら、今思いだしても笑いがこみあげてくる。

『くっくっ……あっひゃぁははは』

 思い出し笑いに思わず声が出てしまう。同時に、彼にとって、欲望を満たすその行為に歯止めをかけずとも、リスクなど初めから存在していなかったのだと、確信がうまれた。言い知れぬ昂揚感に湧き踊る欲望を抱えた彼の前に、今朝、天使が舞い降りた。あどけなさの残る可憐な容姿は、まさに天使。その天使が今、翼をもがれ、彼の下で横たわっている。しわくちゃになった少女のスカートに目を止める。今朝、電車の中では、花園の入り口までしか到達できなかった。花園を蹴散らかす心境とは、まさにこのことか。ベストを尽くす、もとい手を伸ばそうとした瞬間―――。

―――がしゃぁぁぁぁん!

 教務準備室の窓ガラスが粉々に割れ、手のひらサイズの白獅子が飛び込んでくる!

『そこまでだ! デュエルピース!』

 涼しげかつ凛々しい青年の声で、白獅子グラナイトが吠える。そしてその声がアズの鼓膜を振るわせた瞬間、半濁していた彼女の意識を一気に覚醒させた。口腔内にまとわりつく布きれにも構わず、あらんかぎりの声を張り上げる。

「ふぁいろぉっ!」
『アズ!? 大丈夫か! 今助ける!』

 言うや否や、白獅子は小さな体を器用に捻り、棚から棚へ飛びまわる。

『ぬぅ……なんだこの妙な生き物はァ……!』

 視界を縦横無尽に飛び回る白獅子に、男は翻弄される。ぐぅぁぁ、と男が吠えた瞬間、脳天から獅子が急降下し、男の顔面に蹴りを見舞った。体重の軽い獅子の一撃ではあったが、脚爪の先端が男のほお肉を切り裂き、血しぶいた。

『ぎゃぁっ!』

 たまらず男が顔を抑えてうめく。それを好機と、アズは男の下から這い出して、当身を喰らわせる。バランスを崩して、男は床に転がった。

『アズ、こっちだ! 外へ出るんだ!』

 ナイトは割れた窓を全開にして、アズを促した。彼女は口からハンカチを引きずり出して放り捨て、すかさず窓枠に足をかけて一気に外に飛び出し、性虐から逃れるために走り出す。ナイトが浮遊術を使ってアズと同じ目線の位置で、空中を駆け、後を追った。

『おのれぇ……逃がしませんよぉ! 私の肉体ィ……!』

 狭い部屋に残された中年男は、吠え猛りながら、アズが放り捨てていったハンカチを床からつかみあげ、自分の口に放り込む。舐るように咀嚼しながら、中年男は教務準備室のドアを乱暴に開き、少女の後を追おうと昇降口へ向かった。



                     *     *     *


 人目につくのを避けるため、学校の裏門から校外へと躍り出た少女と獅子。正門に面した表通りと違い、この裏道は人通りも少なく、ナイトの存在が露見する心配はないようだった。

「ふぅ……ありがとう、ナイト。助かりました」
『礼には及ばないよ。しかし……デュエルピースの気配を追っていたら今日も君に逢うことになるとは……まあ、君の危機に駆けつけられたんだから、結果オーライというやつかな』

 気心の知れた友のように、笑いあう。笑いあえることが、更に笑顔の種になる。その循環が、アズにとっては何よりの救いだった。

『それより、君は早くもっと遠くまで逃げるんだ。奴は私が何とかする』
「なんとかするって……そういえばナイトと一緒にデュエルをする専門の人かなにかがいるんですか?」
『あ、いや……私はパートナーをもったことがなくて……私自身デュエルするのは昨日が初めてだった……ワケだが……』
「ええっ? さも詳しそうにルール解説してたからベテランさんなのかと……じゃあ、どうやって先生からデュエルピースを回収するんですか?」
『う、ううん……それは……その』

 アズは少々、あきれる思いであった。余裕のある紳士然とした態度に隠れて昨日は気づかなかったが、この獅子、あとさき顧みない猪突猛進型の性格なのかもしれない。

『と、ともかく! 君をこれ以上危険な目にあわせるわけにはいかない!』
「で、でも、わたし明日からもこの学校通わなきゃいけないので……先生を何とかしないと明日からも危険すぎる日常なんですが……」
『う、うん……そうだな……』

『それならば、先生ェがお相手しましょう。初回授業にして、特別授業という形でね、小鳥遊さん』

 アズとナイトの背後から不意に投げかけられた声は、欲望によどんだ衛士教諭のものであった。

『言わんことじゃない、追いつかれてしまった!』
「ああ……」
『聞きましたよ、小鳥遊さん。あなたもデュエリストなんですねぇ。ならば、デュエルと行きましょう。あなたたちはデュエルピースが欲しいのでしょう? 私に勝てれば差し上げますよ』
『アズ、気にせず逃げるんだ! 昨日の竜のようにデュエルピースを実体化されるともう逃げ場がなくなる! その前に早く!』

 ナイトの決死の呼びかけにも、アズは反応できない。恐怖―――車内で欲望にまみれた手を這わせられた時、そして先ほど密室で暴行を受けた時の恐怖がよみがえる。逃げるのが最も合理的で安全であることは獅子に言われるまでもなく理解していたし、実際、そうしたかった。しない、のではなく、できないのだ。脚がすくんで動けない。だからとて、仮にデュエルで立ち向かうことができるのは自分だけだと鼓舞したところで、その程度では恐怖を振り払うには到底足りなかった。

(だったら……どうしたら……)

『アズ! 逃げるんだ!』
「ナイト……一つだけ聞いてもいいですか」
『な、なんだい? こんな時に』
「あの先生は……放っておけばわたし以外の女の方にも……その……えと……ふ、不埒なコトをなさる……でしょうか」
『それは……』

 獅子が言葉に詰まる。それは肯定と同じであった。

『だが、それは君が背負う大義じゃないぞ』
「いえ……正直言うとわたし、大義でも背負わないと……怖くてここから一歩も動けそうにないんです」
『アズ……』
「だから、わたしに名分をくれませんか? 勇気やら希望やら、立派なものでなくていいんです。ただ……ひとことだけ……」
『わかったよ……アズ、私と一緒に戦ってほしい。君の力を貸してくれ』
「はいっ……」

 ナイトのために力を貸す……よどみのない理由ができたことで、全身の硬直が緩んだ。これで、動ける。

『ご相談は終わったかな? それでは、先生ェと練習試合といきましょう。もちろん、アナタのカラダをかけてね。先生ェが勝てば、あなたのカラダをいただきますよ。なぁに……教師は謙虚ですから、心までは頂きませんよ。カ・ラ・ダ・だ・けェ♡』

 右手にデュエルディスクを出現させる男。その口から発せられる、下種な欲望が詰まりに詰まった言葉。それを無視して、アズは深呼吸し、「敵」を見据えた。肩の横あたりに、ナイトが浮遊し始める。
 アズとナイト、二人の声が重なる。

『「デュエルモード、セイバーフォーム!」』

 恐怖を振り切り、透き通った声が響く。戦意の発現とともにアズの身体は光に包まれ、変化する。瞳が紅玉のごとく変色し、黒髪も桃色へ変わって全体がボリュームアップし、ポニーテールが背中まで伸びる。ブレザーは消失し、レースで飾り立てられたブラウスの裾が超常の力にあおられて逆立つ。白のオーバーニーソックスが太腿を覆い、さらにその上から黒のブーツがコントラストを描きつつ足元を引き締めた。ふわりと吹き抜ける風とともに、華麗に変化した少女の身体を方からマントが包み込む。左腕には光が収束し、プレート状の器具、デュエルディスクが形作られた。

『ほほぉ……制服のあなたも素敵ですが……これはまた……刺激的な姿ですね。一粒で二度おいしいというやつでしょうか……。決めましたよ。先生ェが勝ったら、まずはその姿のままでお楽しみといきましょうかねェ!』

 姿を変えた眼前の少女を、一瞬にして脳内で嬲り尽くし、衛士教諭の口元がさらに歪んだ。シミュレーションは完全のようだ。アズは無視して、ディスクを構え、決闘に向かうもののかすかな高揚感で、滲み出す嫌悪感を無理やり塗りつぶす。

「ホーリーライフバリア、発動!」

 アズの周囲に高密度のエネルギーで形成された不可視の障壁が展開された。デッキの上から5枚のカードが吐き出され、手札として互いの左手に収まる。準備は万端。あとは宣言するだけだ。

                       『「デュエル!」』


                  【決闘開始 衛士ジョウジvs小鳥遊アズサ】

<ターン1 衛士>

衛士
『教育上の都合がありますから、先生ェの先攻で行きますよ。教え導く者はまず手本を示す必要がありましてね。それでは第一に、《カードガンナー》を召喚!』

 小ぶりの砲塔が装備されたロボットがフィールドに飛び出す。

《カードガンナー》ATK:400・☆3

アズ
「攻撃力400なのに攻撃表示……?」
衛士
『すかさず! 第二にカードガンナーの効果を発動。先生ェのデッキの上から3枚までカードを墓地に送り、このターンの間カードガンナーの攻撃力を、送った枚数×500ポイントアップさせることができるのでぇす! 先生ェは3枚墓地に送りますよ!』

《カードガンナー》ATK:400→1900・☆3

衛士
『そして、先生ェは親切ですから、コストとして墓地に落ちたカードもきちんとあなたに確認させてあげましょう。《返り咲く薔薇の大輪》、《狂植物の氾濫》、《ダーク・ヴァージャー》の3枚です』

 言いながら、衛士は3枚をアズに見えるよう示す。カード名は確かに宣言したものに相違なかった。アズが確認し終えると、衛士はさも楽しそうに3枚をディスクに吸い込ませていく。

ナイト
『カードガンナーは機械族だが……今墓地へ行った中のモンスター2体は植物族だった……つまり【植物族】デッキに墓地肥やしのためにカードガンナーを挿したのか』
アズ
「あ、あの、またも分析中のところ悪いんですが、このゲームのルールでは、先攻は1ターン目に攻撃できないんでしたよね?」
ナイト
『そうだ。相変わらずのみこみが早い。ところで、それがどうしたんだい?』
アズ
「あのカードガンナーというモンスターですが、攻撃力を上げる効果はこのターンの間のみ有効だと言っていました。ってことは……」
衛士
『いいところに気づきました! さすが先生ェの生徒です! 先生ェはカードを1枚伏せてターンを終了! するとどうでしょう! 効果の有効期限が過ぎたことで、せっかく上げたカードガンナーの攻撃力は元に戻るのでぇす!』

《カードガンナー》ATK:1900→400・☆3

アズ
「やっぱり……わたしのターンに回ったら結局低い攻撃力をさらすことになるのに、なぜ自分のデッキを削ってまで攻撃力を上げたのでしょうか。無駄じゃないのですか?」
ナイト
『あれは……墓地肥やしというんだ』
アズ
「墓地肥やし?」
ナイト
『ああ。ルール上の用語ではないが、自分のデッキのカードを自ら墓地に送る効果を使用する行為の通称として使われている。墓地肥やしは一見自分のカードを無駄に墓地に捨てているように見えて、後で墓地のカードを利用するための布石を打っているんだ』
アズ
「じゃぁ……先生は何か狙いがあって、わざと墓地のカードを増やしているってことですか?」
ナイト
『おそらく間違いない。このゲーム、墓地は「第二の手札」と言われるほど重要なんだ。ともかく奴の墓地には注意を払ったほうがいい』
アズ
「分かりました。それでは!」

・衛士(手札4 LP:4000)
《カードガンナー》ATK:400・☆3
 伏せカード×1
・アズサ(手札5 LP:4000)


<ターン2 アズサ>

アズ
「わたしのターン! ドロー!」

 デッキからカードを引き抜く。

アズ
「わたしは、《ガガギゴ》を召喚っ!」

 フィールドに降り立つのは、正義の心に目覚めた悪魔の若者。爬虫類族に分類されるが、二本足で立ち、隆々たる筋肉が戦闘的な印象を与える。

《ガガギゴ》ATK:1850・☆4

ナイト
『アズ、もう一つ、奴のフィールドの伏せカードに注意するんだ!』
アズ
「伏せ……さっきのターンの終わりに手札からフィールドに伏せたあのカードですか?」
ナイト
『ああ。このゲームでは、魔法カードと罠カードはフィールドに裏向きでセットできる。とくに罠カードは一度セットし、その次のターン以降でなければ発動できない制約があるが、その代わりいつ発動してくるかこっちには読めない。文字通りの罠だ』
アズ
「で、でも……警戒するといっても、結局伏せカードの正体がわからないのなら……えっと、どうしたら……?」
ナイト
『……まあ、ブラフかもしれないし、とりあえず動いてみるというのも、戦術の一つではあるかな』
アズ
「……わ、わかりました」

アズ
(む、無策じゃないですかぁ……)

 白獅子のやり方に若干の不安を感じながらも、手札を確認し、今後の展開を考える。前回のデュエルで分かったことは、四つ星、つまりレベル4モンスター2体をフィールドに並べればエクシーズ召喚が可能だということだ。しかし通常召喚は1ターンに1度。2体のモンスターを揃えるには次のターンを待たなくてはならない。まずは相手ターンで自分のモンスターを守りやすくするために、相手モンスターの数を少しでも減らすこと。道筋は見えてきた。

アズ
「と、ともかく! 《ガガギゴ》で《カードガンナー》を攻撃します!」

 主の命令を受けて、悪魔の若者が跳躍し、攻撃態勢に入った。

衛士
『そうはさせませんよ! 先生ェは伏せカードを発動しまぁす! 罠カードオープン! 《攻撃の無力化》!』
アズ
「あれが罠カードですか!」
衛士
『その通りです。《攻撃の無力化》は相手が攻撃した時発動し、この攻撃を無効にしてバトルフェイズを強制終了させるカード。これであなたはメインフェイズ2へ移行した!』
アズ
「わたしの攻撃を防ぐカード……低い攻撃力をあえて晒したのは、あのカードでダメージを抑えることができるからだったのですね」
ナイト
『そうだ。よく見ておくんだ。このゲームではいくら一枚一枚のカードの力に頼っても勝てない。複数のカードのコンビネーション、モンスター、魔法、罠のバランスが何より大切なんだ』
アズ
「はいっ! ならば、わたしもカードを1枚伏せます! これでターン終了です!」

・衛士(手札4 LP:4000)
《カードガンナー》ATK:400・☆3
・アズサ(手札4 LP:4000)
《ガガギゴ》ATK:1850・☆4
 伏せカード×1


<ターン3 衛士>

衛士
『では先生ェのターン! まず《イービル・ソーン》を召喚!』

 地中から小さなイバラのモンスターが這い出し、不気味にうねる。

《イービル・ソーン》ATK:100・☆1

アズ
「今度は攻撃力100? また攻撃力の低いモンスターを……」
衛士
『攻撃力の低さにとらわれているようではまだまだですねぇ……《イービル・ソーン》の効果発動! このカードをリリースして墓地に送り、あなたに300ポイントのダメージを与えるのです!』

 イバラのモンスターが突然炸裂し、破片が群れを成してアズを襲った。

・アズサ LP:4000→3700(-300)

アズ
「っ……!」
ナイト
『アズ!』
アズ
「だ、大丈夫、です……この、ていどっ!」

 折れそうになる膝を、気力で支える。たった300ポイント、全ライフの十分の一に満たない数値でも、身体に走った衝撃と痛みは、やはり尋常なものではない。昨日のように一度に大きくライフを削られることはなくとも、数百ポイントずつでも小刻みに削られていけば、そのうち身体は決壊するかもしれない。身震いし、あわててその連想を振り払うアズ。

衛士
『さらぁに! 《イービル・ソーン》のもう一つの効果! デッキから残る2体の《イービル・ソーン》を攻撃表示で特殊召喚!』

《イービル・ソーン》ATK:100・☆1
《イービル・ソーン》ATK:100・☆1

ナイト
『同じモンスターが今度は2体か……だが《イービル・ソーン》は同名カードの効果で特殊召喚されたターン、ダメージを与える効果を使えないぞ!』
衛士
『先生ェ百も承知ですよぉ! ライオン君! さらに《カードガンナー》の効果を再び発動! デッキの上からカードを3枚墓地に送ることで、このターン攻撃力を1500ポイントアップ! 墓地に落ちたカードも確認させてあげましょう。《ロードポイズン》、《薔薇の妖精》、《フレグランス・ストーム》の3枚でぇす!』

《カードガンナー》ATK:400→1900・☆3

衛士
『続いて止めの魔法カード! 《狂植物の氾濫》でぇす! 自分の植物族モンスターの攻撃力を、墓地に存在する植物族の数×300ポイントアップする! 墓地の植物族は《返り咲く薔薇の大輪》、《ダーク・ヴァージャー》、《イービル・ソーン》、《ロードポイズン》、《薔薇の妖精》の5体! これで2体のイービル・ソーンが1500ポイントパワーアップですよぉ!』

《イービル・ソーン》ATK:100→1600・☆1
《イービル・ソーン》ATK:100→1600・☆1

アズ
「一気に1500も攻撃力が……!」
ナイト
『どうやら墓地の植物族を増やしていたのは、この《狂植物の氾濫》の効果増強をねらってのことだったのか……! しかし、3体のモンスターの攻撃を全て受けたら、君のライフはたった450しか残らないぞ!』
衛士
『そう! 先生ェ畳み掛けますですよぉ! 《カードガンナー》で《ガガギゴ》を……』

 衛士教諭が、アズのフィールドの悪魔モンスターに向けて、人差し指を突きつける。薬指に嵌められた指輪に埋め込まれた、紫色の宝珠が怪しく光る。

衛士
『攻撃でぇす!』

 主の宣言を受け、カードガンナーがデッキから吸収したカードのエネルギーを収束し、ガガギゴへ向けて発射する。だが、その瞬間、アズの瞳が鈍い光を帯びた。

アズ
「先生……今、「攻撃」とおっしゃいましたね……!」
衛士
『ぬぅっ! まさかあなたの伏せカードは……攻撃を無力化する罠ですかぁ!』
アズ
「いいえ、それ以上です! 罠カードオープン! 《聖なるバリア-ミラーフォース-》を発動です!」
ナイト
『みっ、ミラーフォース!?』
アズ
「このカードは相手の攻撃波導を跳ね返し、相手フィールドの攻撃表示モンスターを全滅させる!」

 アズのフィールド全体が、虹色のバリアに包まれる。ちょうど、アズを守るホーリーライフバリアをそのまま拡張したような形状。一瞬遅れて、カードガンナーから射出されたエネルギーの波動が虹のバリアと衝突した。衝突と同時にフィールド全体が大きく揺れ、火花が散る、が―――

アズ
「ムダです! 攻撃は聖なるバリアによって、全て先生のフィールドにお返ししますっ!」

 バリアの表面がぎらりと光り、攻撃波動が拡散し、何本もの光の帯となって方向を変え、衛士のフィールドに降り注ぐ! 跳ね返された光の奔流に飲み込まれ、攻撃を放ったロボットと、イバラのモンスター2体が次々と爆散していった。

ナイト
(前回の《死者蘇生》といい、今回のミラーフォースといい、これほどパワーのあるコモン・スペルを初期デッキから使えるとは……やはり、アズのデュエリストとしての潜在能力は並外れている……!)

衛士
『ぐぎゃぁっ! 私のモンスターが全滅とはァ!』
アズ
「やりました! これで一気にわたしが有利です!」
衛士
『おのれぇ……おのれぇっ!』

 衛士が頭を抱え、膝をつき―――そしてすぐに立ち上がると、顔を上げ、アズに向け舌を出した。優位を確信していたアズは、教師の二重の豹変に意表を突かれる。

衛士
『なぁんてね。いやぁ、先生ェ驚きましたよ。あなたがこれほど強力な罠を使ってくるとは。かわいい顔をしてやることがえげつない!』
アズ
「な、何を悠長なことを……先生のモンスターは全て破壊されたんですよ!」
衛士
『ふふ、あなたこそ、もう忘れたのですか? 先生ェがわざとカードを墓地にため込んでいたことを。あなたはミラーフォースで私のモンスターを一気に3体も墓地に送った……つまり先生ェの墓地肥やしの手伝いをしたことんいなるのですよぉ?』
アズ
「そ、そんなっ……!」
衛士
『そしてぇ! 《カードガンナー》の新たな効果発動! このカードが破壊された時、デッキからカードを1枚ドローする! くくくぅ! 先生ェ感じますよぉ、このドローが勝利をもたらす一枚だとね!』

 デッキトップのカードを掴んだ衛士の右手が、ほのかに紫色の炎に包まれる。その紫ごと、中年男は一気にカードを引き抜いた。引いたカードを確認する事すらせず、頭上に掲げる。次の瞬間カードから紫色の光が怒涛の勢いであふれだし、中年男の身体を取り巻いて紫炎のオーラを形作る。

衛士
『来た来たキタァ! さあおいでませ、デュエルピース! このカードは、自分の墓地に10枚以上のカードがある時、墓地の攻撃力1500以下のモンスターを全てORUとして特殊召喚できるぅ!』
アズ
「じゃ、じゃあ墓地にカードをためて……それだけじゃない、攻撃力の低いモンスターばかりを使っていたのも、すべてはデュエルピース召喚の条件を整えるために……!」
衛士
『その通りですよ! 気づいてくれて先生ェうれしいでぇす! ま、気づいたところでもう遅いけどねぇ! 先生ェの墓地のカードは計12枚、そのうち攻撃力1500以下のモンスターはなんと8枚、よってぇ! 8体の死せるモンスターでオーバーレイ・ネットワークを構築!』

 衛士のディスクに吸い込まれていたモンスターカードが一気に吐き出され、八つの光球となって渦を巻く。その渦の中心に、衛士が右腕を突っ込む!

ナイト
『な、なんだ!? 完成したオーバーレイ・ネットワークに自分の腕を……モンスターを召喚するんじゃないのか?』
衛士
『いいえ、現れるのはもちろんモンスターですよ! ただし少し変わり種のねぇ! その力を顕現せよ! 《DP. 02 紫水晶の革命指輪》(デュエルピース・ツー アメジスト・レヴォル・リング)!!』

 八つの光球が形成した光の渦の中心から、衛士が右腕を引き抜く。同時に渦が爆発し、紫炎のオーラに包まれる衛士の身体の周囲を、さらに八つの光球が周回して防御壁となす。力の奔流の中心は、デュエリストたる衛士ではなく、その右手薬指の指輪であった。

《DP. 02 紫水晶の革命指輪》ATK:0・☆10・ORU×8

ナイト
『そうか……そういうことだったか!』
アズ
「ど、どういうこですか?」
ナイト
『奴のデュエルピースの正体……奴がずっとつけていたあの指輪だったんだ!』
アズ
「指輪がデュエルピース……そんなことってあるんですか!?」
ナイト
『ああ……13のデュエルピースはそれぞれいろいろな形態をとって現れる……昨日の竜のような怪物の姿であることもあれば、あのような装飾品の場合も……それにカードの種類としては、あの指輪もモンスターには違いない。つまり……あれは「生ける指輪」とでもいうところか』

 アズは、今朝の列車内で臀部に感じた手の感触に、一点だけ硬質な金属のそれがあったのを思い出す。

アズ
「あの感触は指輪……デュエルピースのもの……?」
ナイト
『私は大きな勘違いをしていた……奴は今までデュエルピースを隠してなどいなかった……それどころか常時デュエルピースを装備し、力を高めていたんだ!』

衛士
『ふふふふ……ははははは! 力が高まる……みなぎるゥ!』

 紫炎のオーラに包まれた男の瞳に狂気の光が宿り、濃い紫色に変色していった。右手に嵌めた指輪が、そのまま眼球に乗り移ったような有様であった。

・衛士(手札3 LP:4000)
《DP. 02 紫水晶の革命指輪》ATK:0・☆10・ORU×8
・アズサ(手札4 LP:3700)
《ガガギゴ》ATK:1850・☆4


                        <後編へ続く>
 
 

 
後書き
試験投稿です。 
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