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乱世の確率事象改変

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覇王と黒麒麟


 突如その報は入った。
 後方に黄巾と思われる集団出現、敵将張角。諸侯軍、後背からの賊の突撃により小破。前方黄巾賊、士気上昇、討伐軍側に突撃開始。
 まずい、と思った。後方の諸侯軍は数こそ多いが突然の奇襲により指揮系統が不安定なまま徐々にこちらに圧されている。
 義勇軍、孫策軍ともに敵後陣の突撃により圧されることはないが拮抗してしまった。本来なら城壁前に空間が開き、官軍との挟撃ができるはずだった。
 しかし追加で現れた賊と目の前の賊の異常な士気に圧され、さらに私達にある程度殲滅させるためか官軍は出てこない。
「そんな……ここで協力しないと被害が増える一方なのに」
 逆に噂が仇になったのもあるだろう。それに所詮は義勇軍、とも思われているはずだ。
 こうなっては対応を早くするに限る。
「朱里ちゃん、抜くしかないよ」
「うん。このままだと後ろの諸侯軍と混ざっちゃう。それに抜ききったら官軍の人達も動くかもしれない」
 無理やり抜ききると後ろは挟まれることになる。しかし軍同士が混ざってしまう方が今の状況では酷い。
「伝令、このまま直進、最速で敵陣を抜き、壁まで到達。その後偃月陣を敷き、賊と応対してください」
 近くの兵に最前への伝令を頼むと、全速力で兵は駆けて行った。
 間に合うかな。いや、間に合わせないと。



 軍師達からの伝令が届いた。無茶を言う、しかしそれを押し通さなければ道はないようだ。
「我らが血路を開く! 各兵、追随し道を開けよ! 案ずるな、士気が上がろうと賊に過ぎんのだから!」
 そう言って目の前の敵を薙ぎ払う。鈴々は先頭で次々と賊を屠っていく。秋斗殿は私の逆側を広げる。
 敵も怒涛の突撃だが奴等は未だに戦列がまとまっていない。後ろが整う前に速く、速く。
 不意に敵の圧力が少なくなった。
 見ると中央の孫策軍が鶴翼陣を敷き敵を集めてくれていた。そんな事をすればすぐに後背の諸侯軍と混ざってしまうはずだ。
 だが他の軍に構ってなどいられない。これを機にと私たちの軍は速度を上げ、迫りくる敵軍を突き刺していった。



 どうにか間に合ったようで義勇軍の先端が敵軍を貫いていく速度が速まった。
「貸し一つ、ね」
「無茶を言うな、お前も」
 将や大将はどうか知らんが向こうの軍師達は確実に借りだと思っているはず。
 ただでさえギリギリ兵力での駆け抜けだ。あのままでは義勇軍の被害は凄まじいものだったろう。
「いいじゃない。それに孫呉の軍の精強さを確認するいい機会でしょ。祭も暴れたりないみたいだったし」
 そう言ってペロリと舌を出す雪蓮。こいつの豪胆ぶりには呆れを通り越して尊敬すら感じる。
「まあ悪くないし、利の方が多いな。それにこちらの用兵も見せたかったから丁度いい」
 戦端を開いた義勇軍側の三騎駆けが頭を過ぎる。
 あのような策を見せられたのだ。私も対抗心が燃えるというもの。
「ふふ、悪い顔。そういう冥琳の顔も好きよ」
「戦場の言葉ではないな。しかし先ほど戦場に行ったはずがすぐに祭殿に丸投げするとはどういうつもりだ?」
「だってこれからちょっとあっちに行くもの」
 飄々と、楽しそうにそう言って劉備軍を指さす。
「向こうは城壁に沿って軍を敷くだろうからそのまま目の前の殲滅のお手伝い。ある程度片付いたら右翼に向かって一緒に突撃……ってね」
「結局お前がちょっかいをかけたいだけか」
 ペロリと舌を出す雪蓮を見て頭が重くなったがどうにか片手で支え、じとっと睨みつけてやる。
 本当にこいつは……まあ、しようと思っていたことの通りだが。あちらも上手く合わせてくれるだろう。
「うん。じゃあいってくるわね」
「ああ、こちらは任せろ」
 ちょっと出店に行ってくるような雪蓮を見送ってから指示を出し始める。
 さて、私の用兵は劉備軍の軍師達の眼鏡に叶うかどうか。



 俺たちの軍は孫策軍の陣形変化のおかげでどうにか抜けきることが出来た。
 中央よりの近づいてくる兵を斬り崩しながら陣形を整えさせる。
 遅れて追随して孫策軍も切り抜けてきた。
 やはり並の兵とは練度が違う。曹操軍に近い。しかし団結力は孫策軍が上に感じる。
 観察していると先頭の集団の中から一人抜け出てくる。
「あなた、劉備軍の将ね。よろしく」
 桃色の髪、褐色の肌、スレンダーな体躯。陽気な雰囲気で話しかけてくるが、とんでもない実力者なのはわかる。
「徐晃です。あなたは?」
「へぇ、あなたが黒麒麟。私は孫策よ」
 その名前は自身の記憶にある小覇王のモノ。しかしなんでそんな人がわざわざ先頭に――
「めんどくさいから一緒に切り抜けようって交渉しに来たのよ」
 顔に出ていたのだろうか、こちらの思っている事を読み取り、先に要件を話してくれる孫策。
「ありがたい申し出です」
 すぐに伝令を呼ぼうとしたが、
「ああ、私たちはこのまま左翼、中央の敵をあらかた片付けた後に右翼側に突撃をかける。乗るなら合わせて、ってうちの軍師が」
 にんまりと意地の悪い笑みを浮かべて一方的に話してきた。
 悪戯好きの猫のような人だ。星と気が合いそうだな。
「了解しました。軍師に伝えておきます」
「ふふ、それとその堅そうな言葉やめて、なんか笑いそうになっちゃうから。素じゃないんでしょ?」
 全く、どいつもこいつも敬語が気持ち悪いと言いやがる。
「わかった。申し出ありがとう、孫策殿」
「どういたしまして。じゃあそこらへんで戦ってるから。頼りにしてるわ劉備軍」
 そう言ってさっさと戦場に戻ってしまった。もの凄くフリーダムなお姉さまだな。
 一つ考えて呆気にとられていた思考を打ち切り、戦場に意識を向けて孫策の言っていたことを伝える為に、急ぎで伝令を向かわせた。



 これが孫策軍の用兵。こちらの一番してほしいことを的確に行って、尚且つ合わせてくれる。こんなに頼もしいことはない。
 ジリ貧だった私たちの軍は被害が甚大になるはずだったのに……借りを作ってしまった。
 きっとこの用兵を行っているのは噂に聞く周瑜さんだろう。
 的確で、迅速で、力強く、連携も抜群。
 見習おう、私も負けないように。誰にだって負けたくない。戦術だけは絶対に。
「朱里ちゃん。私は負けないよ」
 ぽつりと誰に言うでもなくつぶやく。これは決意の確認。あの時に、出会った時のあの人に言われたことを反芻する。
 もう嫉妬に焦がれることはない。もう過去の弱い自分はいなくなる。ここからはいつもの通りだ。ただ、がむしゃらに頑張るだけ。
 そうすれば一人でも多くの兵を救える。
 そうすれば皆も守ることが出来る。
 私も戦うことが出来るから。
 不意に初めて軍師になった日の記憶が蘇り、地獄のような光景が頭を駆け巡った。
 どうにかふるふると頭を振って落ちて行く思考を切り替える。

 いいや、地獄はここだ。
 私が作ってるんだ。これからも作っていくんだ。

 覚悟は明確な形となって私のするべきことを指し示す。
 なんでだろう。急にあの人に会いたくなった。あの人はいつもと同じに心に刻んでいるんだろう。哀しい目で、自分のしている事を確認しているんだろう。
 私もあんな目をしてるのかな。しているのかもしれない。隣に立つことは出来ないけど、後ろから支えています。私も同じだけ祈りを連れていきます。

「伝令です!」
「あわわ!」
 一人の兵に後ろからいきなり声をかけられてついいつもの口癖がでてしまった。
「官軍が城門から出撃する模様です。徐晃様から指示が欲しいとのことですが」
 戦況が有利になったのを見てか、官軍の人達もやっと重い腰を上げてくれたようだ。
「では、私たちの軍は右翼側を引き続き攻撃、官軍の方には本隊と戦闘中の諸侯軍の援護に回ってもらうよう伝えていただけますか」
「はっ!」
 私達はこのままのほうが行ける。今下手に官軍と共闘すると連携が乱れて被害が増えかねない。
 敵大将もいるのだから名誉挽回したい彼らはそちらを優先するだろう。
 それから私はさっきの彼への思考を振り切り戦場に意識を集中した。



「まだ油断はできんが……ある程度落ち着いたか。それにしてもなんてでたらめな」
 雪蓮と祭殿と義勇軍の将達に向けての感想が漏れ、思わず苦笑してしまった。あの五人は手を組んだ途端に圧倒的な力で士気高い賊達を屠って行った。
 将とは旗だ。それぞれの受け持つ部隊を奮い立たせ、導き、力を示すための。
 しかしあれらの武将はただの将とは一線を画す存在。
 その圧倒的武力は相対するものが同等の存在か、それを抑え切れるほどの物量の兵でしか釣り合わない。
 それが五人も、この狭い戦場で即席とはいえほぼ完璧な連携で敵に襲い掛かっているのだ。練度の低い農民あがりの黄巾賊など紙のよう。
 私とあちらの軍師はそれがわかっているからこその用兵を行った。
「ふふ、戦術に組み込むのも一苦労だがな」
 一人ごちる。戦場を見回すと敵の士気低下が目に見えて分かった。
 右翼の殲滅もあとわずか。官軍は手柄に釣られてのこのこと黄巾本隊に向かっていった。
 救出という手柄は私たちが貰った……まあ、義勇軍とで二分されるが。
 後は後詰として居残るのが得策だろう。無理はしなくていい。欲を言えば賊将の首でも欲しかったがそれくらい袁術にくれてやろう。
 首魁を討ち取ることで官軍の顔も立つだろうし。
 黄巾本隊に向かった官軍の事を考えているとふと疑問が生じた。
 それにしても敵本隊の制圧に時間がかかりすぎている。そこまでこの大陸は弱り切っているという事か。
「冥琳様」
 南の袁術軍に伝令に行かせた明命が帰ってきたようで、音も無く背後に現れ、声を掛けられた。
「どうした?」
「南側、戦況不利です。首魁張角と名乗る本隊の出現につき即時救援求む、と」
 唖然。明命の報告に自身の思考が一瞬真っ白になった。バカな、では官軍は何と戦っているというのか。
「また張角だと!? 宗教集団の教祖の名をこれほどまでに偽って……奴らはなんなのだ!」
「第一出現の張角を倒した曹操軍のほうへ斥候に向かった思春様と途中、情報を交換してきました。すでに張角は死んでいる、だそうです。曹操軍は夏侯淵が討ち取ったのは波才という賊将だったとのこと」
 淡々と続けて報告を行う部下の有能さに舌を巻きつつ思考を再開していく。
 既に死んだ教祖の存在を隠し、もはや抑えきれなくなった暴徒を落ち着かせ、突撃させるための苦肉の策、もしくは教祖の思想を引き継いだつもりでいるのか。
「ごくろうだった明命。すまないが戦場の雪蓮に伝令を頼む。内容は張角の死、南のバカのために偽張角の撃破に向かう、だ」
「御意」
 一つ返事をして目の前から煙のように消える明命。
 こちらにいらぬ被害を出させるつもりかあの女狐め。やりにくいことこの上ない。
 まだ我慢だ。我らの悲願のために。すまない、孫呉の兵たち。かならず達成するからな。



「あら、ごめんね徐晃。急用が入っちゃって、義勇軍にここの殲滅任せるわ」
 急な伝令を聞き孫策が片手を顔の前に立ててウインクしながら言った。しかしその伝令が女忍者なのにはつっこまんぞ。
「ああ、本当に助かった。ありがとう」
「お互い様よ。劉備にもよろしく言っておいて。それとあなた、よかったらだけどうちにこない? 義勇軍じゃもったいないわ」
 そんなにやりと笑っての急な勧誘に面喰らう。だがこちらも苦笑して、
「美人の誘いを断るのは申し訳ないんだが、俺にはここでやることがあるんでな」
「残念、他のと違って劉備に心酔してるわけじゃないからいけると思ったんだけどなー」
 答えるとあっけらかんとしながら口を尖らせつつ流し目を送ってくる。俺が断るのをわかっていたくせに。
「さあ、なんのことやら」
 名残惜しそうに見やる彼女に星の真似で誤魔化すと、
「ま、いいわ。そのうち一緒にお酒でも飲みましょう。それじゃあね」
 サバサバと言うが早くさっさと軍を連れて行ってしまった。
「……クク、戦場でする会話じゃあないな」
 彼女のあまりの破天荒さにしばし呆然としてしまったが、苦笑と共に呟いて気持ちを切り替える。
 さあ、あと少しだ。この哀しい賊達の乱に終わりを。




 西の偽張角が何進軍に、南の偽張角が袁術の将、紀霊に討たれ、各諸侯は殲滅戦に入った。
 全ての偽張角を倒すと黄巾の賊達の士気は見る間に下がり、もはやただただ駆逐されるだけだった。
 本物の張角はすでに死亡していた、と俺たちが追撃して倒した最後まで戦っていた黄巾の将は言った。
 全軍にそれが伝わると、まだ各地にちらほらと残党はいるが、ここに一応の黄巾の乱の終結が告げられる。
 各諸侯たちはそれぞれの領地の残党の対応のため戻っていく。
 大陸全体を脅かしたこの乱は、新たな波紋を広げることになる。



 †



「終わったねー」
「皆で掴んだ勝利なのだ」
「そうだな鈴々。これだけの諸侯が一同と会す機会などもうないだろうし」
「みんな、怪我はない?」
「鈴々は大丈夫なのだ」
「私も大した怪我はありません」
「私はないです。桃香様は――」
「うん。大丈夫だよ。……皆にあんまり怪我がなくてよかった」
「桃香様……。その、往来で抱きしめられると恥ずかしいのですが」
「無事で嬉しいんだよ」
「それよりお兄ちゃんと雛里はどこにいったのだー?」
「うーん。どこにいったんだろう」
「先ほど秋斗殿は少し歩く、と行ってどこかに行かれました」
「雛里ちゃんは秋斗さんを追いかけていきましたよ」
「秋斗さん、たまによくわからないからなぁ」
「たぶん、雛里ちゃんは秋斗さんが心配で付いていったんだと思います」
「雛里がついていたら安心ですね。聡い子ですから」
「仲良しさんだしね」

 陣を敷き、軍の管理を桂花に任せて官軍の拠点に入ってから、しばらく歩くと楽しそうに話す劉備軍の面々が見えてくる。
「勝利の余韻に浸っている、といったところかしら?」
 言いながら見回すと劉備達の表情は皆、安堵と安息に染まっている。
 大きな戦を越えて結束力が高まるのは自然なことだ。ましてや義勇軍、気苦労も絶えない事はず。こうして戦の後に無事を確かめ合い、笑いあえるのも強さの内なのだろう。
「そ、曹操さん!え、えと、この度は長い間お世話になりまして……」
「堅苦しい物言いは構わないわ。それにお互い様でしょう、我が軍の兵士達の被害も抑えられたのだから」
 そう、十分に利用はさせてもらった。行動をともにするにあたりこちらの軍師である桂花が諸葛亮や鳳統に感化されていい成長を遂げてくれたし、春蘭や秋蘭に続く他の将の面々も関羽や徐晃から学ぶこともあったようなのだから。
 それに内政や軍略においての他の視点からの意見を聞けたのも大きい。
「でも、ありがとうございます。本当に助かりました」
「その礼、受け取っておく。そういえば徐晃と鳳統はどうしたの?」
 しっかりと礼を言う劉備に関心しながら、この場に足りない二人の所在を聞く。私は徐晃に話したい事と、聞いておきたい事がある。
「それが……ふらっとどこかへ行ってしまって」
「そう。まあいいわ。ではまた会いましょう劉備。大将としてこれから大きくなりなさい」
 私の前に立ちはだかるほどに、とは続けない。
「はい!」
 力強く返事をする劉備を見てから踵を返し、その場を後にする。
 彼女達から見えなくなった所で何か言いたそうな秋蘭を見ると、
「華琳様。徐晃に何か? 先ほど城壁の上に登って行くのを見ましたが」
 報告を一つ。よく見つけてくれたわ。
「ありがとう秋蘭。では会いにいきましょう。あの男と二人で話がしたい」
「あ、あの男と二人でですか!? いけません! せめて私が護衛に――」
「春蘭、あなたの焼きもちは可愛くて好きよ。ただ今回は我慢して頂戴」
 慌てて止める春蘭だったが私の言葉を聞いて不足気味に俯く。その愛らしい仕草にこの場で愛でてあげたくなったがなんとか我慢した。
 黄巾の最中も観察してきたがあの男の真意がまるでわからない。だからこそ興味がある。
 それに……上手く行けば手に入るかもしれない。

 †

 激しい運動などあまりしないので息は荒くなったが、なんとか城壁の上に辿り着くと一つの黒い影が佇んでいるのが見えた。
 赤い夕陽に照らされた大きいけれど……どこか小さな背中がすごく寂しそうだった。
「雛里か?」
 皆と一緒にいるつもりだったが拠点の城壁の上に向かう秋斗さんを見つけ、不安な気持ちが溢れてきてついて来てしまった。
 気配を察知したのか振り返らずに聞かれる。
「はい。秋斗さん、どうかしましたか?」
 何かあったのか、と聞いても答えてくれないのはわかっていたので、私はそのまま近付き隣に並んだ。
 涼しい風と血の匂い。下に目を向け辺りを見渡すと夕暮れの斜陽の光に地面を彩る血の赤が同化していた。
 自分達の作った地獄がここにある。まるで壁が生死の分かれ目のようだった。

 真ん中にいる私達はどっちなんだろう。

 思考を続けるだけでしばらくの無言。どうしてか不意に秋斗さんがこのままどこかへ消えていってしまいそうな感覚がした。
 きゅっと胸が締め付けられて堪らなくなり手を繋ぐ。仄かな暖かさが心地いい。ここにちゃんといるのを確かめる事が出来た。
「雛里」
「はい」
 突然名前を呼ばれる。なんだろうか。
「お前のおかげで落ち着いた。ありがとう」
 秋斗さんはすうっと空に消えるように言葉を放ち、遠い目をして空を見上げはじめた。
 この人は優しい。本来ならそういうものと割り切って捨ててしまうものと向き合う。
 私はどうだろうか。きっとこの人と会わなかったら捨てていた。そして見て見ぬふりをしていただろう。こうして失わせてしまった命とちゃんと向き合わなかったかもしれない。
 今回はある意味正義をもった人達だったんだ。途中で歪んでしまった。何を望んでいたのかも理解してる。
 本当はそれぞれの笑顔があったはずの人達。それぞれの幸せのために動いた人達。
「やり方は違うが、かわりに俺達が世界を変えよう」
 私の心を読んだかのように彼は決意を口にした。

 それが未来を奪ってしまった私たちにできる唯一の事。

 †

「ここにいたのね徐晃……鳳統も一緒だったの」
 城壁を上がり、目に移ったのは二つの影。夕日に照らされた二人はひどく切なく、そして美しく見えた。
「あわわ、曹操さん」
 私を見つけ、可愛らしく徐晃の後ろに隠れる鳳統。……愛らしい……けれど今は我慢しましょう。
「邪魔してしまったかしら? 徐晃と二人で話がしたいのだけれど」
 そんな言葉を聞いて徐晃は振り向く。澄み切った顔はこれまで見た事があるモノとは違っていた。憂いに浸ったその表情からは深い一つの感情に支配されているのが見て取れた。
 この男はこんな顔もするのか。やはり興味深い。
 鳳統は手を放したが徐晃の影に隠れたまま離れようとしない。
「雛里、すまないが曹操殿と二人で話す。少しあの物陰の夏候惇殿の所に行ってくれ」
 言われるとしぶしぶといった感じで離れていく。春蘭、あとでお仕置きね。
 鳳統が離れるのを確認して、すっと剣を渡してくる徐晃。
「なんのつもりかしら?」
「夏候惇殿の安心のためです」
 剣を受け取り私の後ろに置く。確かにこれなら多少はあの子も落ち着くか。
「あなたに聞きたいことがあるのよ」
 そう言うといつものような徐晃に戻った。
「私のためにわざわざ足を運んでいただき申し訳ない。何でしょうか曹操殿?」
「気にしなくていい、単刀直入に言いましょう。あなたは劉備に心からの忠誠を誓っていないわね」
 ピシリと聞こえないはずの音が響いて空気が止まる。
 確信をもっていなければこんなことを私は言わない。無いとは思うが……もし忠誠を誓っていたら真っ先に否定するか、激怒していたはず。
 そしてやはり返答は無言。答えられるわけがない。仮にも主としているのだから。
「沈黙は肯定と受け取るわ。あなたはその剣を預けているだけ。それはなんのため?」
 この男は頭がいい。きっとその時も曖昧にぼかしたのだろう。普通ならただの卑怯者にしか思えないが、この男なりの理由があるなら聞いてみましょう。
「心にもないことで偽るのは許さない。あなたはすでに劉備のことを侮辱しているのだから。本心を話しなさい」
 逃げられるとは思ってないわよね。
「……なんのためにそれを聞くのですか?」
 なるべくこちらに自分を読ませない為か無感情な声で尋ねてくる。無駄なあがきを。
「純粋な興味からよ」
 さあ、あなたの底を、全てを見せなさい。
 すると徐晃はお手上げといったように両手を肩の高さまで上げ、口を開いた。
「……あなたは厳しい人だ。降参です。確かにその通りです」
「あなたの本心なのだから飾らないで聞かせなさい」
 そう、素の徐晃じゃないと意味がない。本心を話すのならば他人行儀では無く自然体で接してこそ人となりが分かるというモノ。ここは、言うならば言葉という刃を交わす戦場なのだから。
「……わかった。俺はあいつの理想が今の世だけじゃ絶対に届かないことを理解している」
 やはり。そうじゃないと関羽や諸葛亮のように心酔しているだろう。
「曹操殿、あなたと同じく、王の成長を待っているんだ。あなたは好敵手の為に、俺は世の平穏の為に」
 さすがに私の目的も見抜いていた事には少し驚いてしまったが目を細めて先を促す。
「桃香の理想は今の世じゃ無理だ。殺し合いで奪った命の関係者は、笑った世界にいられるわけがないんだから」
 家族も友人も恋人も、大切な者を殺されたなら怨まずにいられない。
 今は乱世、その理想は治世で唱えるなら少なくともまだ望みがあっただろう。
「いくら殺した兵士の命を背負おうとも、その家族に『平和になりました、だから笑ってください』などと誰が言えるのか」
 そんなことが言えるものは大馬鹿か異常者だ。
「あいつの理想は次の世代、その次の世代とずっと繋がなければ叶わないモノ。出来たならいつか遠い未来に叶うモノ」
「そこまでは考えていたのね、あなたも」
「ああ、だからまだ判断しかねている。これから先、戦乱の世を抜けていく上でその理想を持ち続けられるのかもわからないから。それに未だ賊ではない、同等の正義をかざす兵士を殺していない」
 確実に起こる未来の出来事。私とはいつか相対するのだから。そして乱世に於いてはそれを行わなければ理想を叶える事など出来はしない。
「だから命をかけられない。その理想を貫き、怨まれながらも奪い取った平穏を先の者たちに託すことの出来る人間か分かるまでは」
 仁徳を説きながらも人の命を奪う王。先に生きていく者のための優しい世界か。
 完成形はそれ。矛盾の上に遠い先を見る王。今の時代の人間に怨まれようとも先の未来を見据える王。後世がずっと平和ならばその始まりの王。
 だが……正直言って矛盾をしている時点で破綻している。
 矛盾した王など、誰が仰ごうと言うのか。信頼も信用もなく、いつかはその矛先は自分だと怯えることにならないか。笑顔だが拳を振り上げながら行われる交渉。そんなモノは不可能だ。
 その人物が乱世を鎮めたとしても、ひどく脆い治世になるだろう。
 矛盾するくらいなら最初から仁徳など説くべきではないのだ。
 規律と理で線を引き、明確な形で示すべきだ。それがどうしたと居直れるくらいでないと平穏など続かない。
 私は負けるわけにはいかない。そのような王にだけは。だが、だからこそ好敵手になり得る。私の覇道の正しさを確実に証明できる敵対者として相応しい。
 しかし……この男は大馬鹿者だ。その矛盾の危うさに気付いていない。いや、今は見れないのか。この男は死者への想いに囚われ過ぎている。今日ここに来ていたのがいい証拠だ。
 なんてもったいない。軍師ほどではないが優秀な頭脳、春蘭に匹敵する武力、王に物怖じしない胆力、先を見据えて王の成長を待つ忍耐。これほどの才がありながら、間違っている王の所にいるなど許されることではない。
 この男の忠誠を得ることが出来たら王としてどれほど幸せなのか、それすら劉備は気付いていないというのに。死者に礼を尽くし心に刻みつけるこの男は、余程のことがない限り裏切りはない。
 今、心酔はしていないが影響されはじめている。このままでは時間の問題かもしれない。ならば――
「徐晃、あなたが剣を返してもらう時はいつ?」
「……桃香が理想を一度でも迷ったならば。俺は今まで殺したものに唾することになるだろうな」
 そう、劉備を裏切るなら、理想のために死んだ兵の想いをも裏切ることになる。無駄死にさせた、と。だが劉備の迷いはそれほどまでに許せない事。
 その時この男は耐えられるのか? ただ一人矛盾を背負って、ぬるま湯ではなく氷の川に沈んでいるこの男は。
「私の所へ来なさい。そうしなければあなたはこの先確実に壊れる。あなたも分かっているのでしょう?」
 理解していなければ私とこのような話などするはずもない。先ほどの表情の意味も、心を砕いているからこそなってしまうモノだ。
 私の元でなら正しく扱うことができる。この男の本当のあり方は、見てきた限りでは私に近いのだから。
「それはできません。世界を変えるために賭けていますから。ありがたい申し出ですが」
 途端に剽軽ないつもの徐晃に戻り、大仰に手を巻いて礼の姿勢を取る。
 何故劉備にそこまでする。何故私の元に……あの目、覚悟の宿った目……今は、仕方ないか。
「ふふ、手間をとらせたわね。話してくれてありがとう、いい話が聞けた。また、会いましょう」
「こちらこそありがとうございました。また会いましょう、乱世で」
 いつか手に入れる、必ず私に忠誠を誓わせてあげる。その時まで責任感と重圧に押しつぶされず、耐えてみせなさい。
 徐晃の言葉を聞き、背を向けて歩き出すと鳳統が横を駆けて行った。
 残念ね。あなたの慕う徐晃は必ずここから出ていくわ。それまでにあなたも淡い理想から覚めればいいのだけれど。


 †


 曹操。本当ならお前と平穏を作りたかったよ。
 俺の言葉でどこまで考えた? 桃香の矛盾くらいか?
 そんなものは分かってるんだよ。
 俺にはあの腹黒少女の任務があるんだ。
 世界を変えるためには歴史通りじゃいかんだろう。
 劉備が史実で負けたなら、曹操がこの世界で負ければいい。
 そのくらい大きな変化がいるだろう。
 課題はいくつあるかわからない。
 そのために桃香には王になってもらわなくちゃ困る。
 王の論理は己が自分で確立しなきゃならない。
 待つさ。
 俺が世界を変えるために動くかぎり皆消えないんだから。
 重荷も期待も願いも祈りも覚悟も全部飲み込んでやる。
 桃香は理想の果てを分かるはずだ。それを抱いて死することもできるはずだ。
 ひっかかるのは黄巾の最中のあの言葉だが、そのうち真意が分かるだろう。

 雛里が拗ねている。頭を撫でたら少し機嫌を直してくれたか。
 まだまだ甘えたい盛りなんだろうか。


 ここ撚りは血みどろの乱世

 夢と野望蠢く戦乱の世

 生きて想いを紡ぐから

 これから先の奪う命よ

 残された救われない人達よ

 どうか俺を怨んでくれ

 
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