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アマガミという現実を楽しもう!

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第11話:夏の残像




 夏休みも中盤に差し掛かる八月中旬。世の子ども達が部活動や遊び、そして課題に追われるこの時期。俺は、怒涛のように押し寄せた夏の出来事がウソのように感じられるくらい、いまは静かな学校のプールに一人仰向けになって漂っていた。水の中に身体が漂っている感触と、水が耳元で跳ねる音、水面に反射する光が、身体の五感で感じられることだけであった。
 静かだ、まるで俺しかいないみたいだ、と俺はゴーグル越しに空を見た。雲ひとつ無い快晴だった。それは、県大会に参加した時の空に良く似ていた。









…………

 8月初旬、雲ひとつ無い快晴のなかで、中学生を対象とする県大会が開かれた。俺はこれより前に中学で出場した大会で、予選を突破できた1フリと2フリ(200m自由形)のレギュラーとしてこの県大会に参加した。勿論、全国大会に昨年出場した響に知子もそれぞれの専門種目で出場を決定していた。
 試合は2日に渡って行われた。一日目に、俺の2フリ、知子の2バタ(200mバタフライ)、響の2コン(200m個人メドレー)があった。俺は男子2フリの予選11位で無念の予選落ち、知子は予選8位のスレスレで決勝出場を決めて7位入賞、響は2コンは予選6位で決勝出場を決めて決勝5位という結果であった。専門ではないとはいえ、俺は予選突破が適わず、チームに貢献することが出来なかった。その事は、非常に悔しかった。
 その翌日は、3人とも得意の種目であり、より気合が入っていた。俺も昨日の悔しさを晴らすべく、専門種目で汚名返上を果たすつもりであった。三人とも、この日の種目は予選を無事突破することが出来た。
 この2日目には、逢が遠路にも関わらず、両親と小さな郁夫君と一緒に応援に来てくれたな。実際に会うのは数ヶ月ぶりで背も伸びて少し大人びた様子であったけど、中身はあんまり変わらず、拓お兄ちゃん拓兄ちゃん、と引っ付いてくるので先輩達と両親の視線が気になって仕方が無かった。逢のお母さんは、あらあら、と口に手を置いて微笑んでいた。……逢のお父さん、俺は娘さんをどうこうする気はありません。ですから、お願いですから、ウチの娘は未だ嫁にやらんぞ、という顔で俺を見ないで下さい。逢、郁夫君が見ているんだからお姉さんしてないと駄目だよ、と諭すと逢は、はいっ、と元気よく挨拶をして郁夫の相手をした。…今思えば、原作の郁夫君の甘えたがりって、もしや逢のご両親に甘えている様子から由来しているんじゃないのか…?それを裏付けるように、逢のお父さんは、やれやれ、という様子で溜息を吐いた。







「じゃあ、そろそろ行ってくる」
「うん、頑張ってきてね。拓君」


決勝のレースを終え、クールダウンを済ませてスタンドに戻ってきた響から声援を受ける。俺は、自分の男子100m自由形決勝の召集に向かうべく、階段を降り男子更衣室を通り抜けプールサイドへ向かう廊下に出る。プールサイドの方へ向かおうとする時に、反対側に輝日南中のジャージを上に羽織った女子選手が壁に頭を当てているのを見かけた。


(知子、だよな。スタンドにも戻らず、こんなところで何を…。)


知子の表情はここからは、見えなかった。ただ、壁に手と額を当てたままで震えていた様子から恐らく泣いているのだろうということは分かった。


(あの決勝で表彰台にあとコンマ03秒足りなかったことが相当悔しかったんだな、さっきレースが終わったばかりなのにダウンもせず、ずっと悔しくて泣いていたのか)


なんて声を掛けたら良いのか、いや本当は声を掛けない方がいいかもしれないが、と俺は知子を見つめて考えていたのを覚えている。ただ、いま振り返ってみると、ただ声を掛けようとする勇気がなかっただけなのかもな、と己のヘタレさに呆れてしまう。しかし、知子の姿を見ていて、何か声を掛けないと、という気になり俺は声を掛けることを決心した。


「知子」


 声を掛けた時、知子の震えていた肩がピクッと上がった。俺の存在に気がついたのだろう。しかし、直ぐに上がった肩が下がり再び震えだす。
 くやしいのは表彰台に上がれなかったこともあるだろう。それにお人よしの知子のことだ、それ以上にチームに貢献できなかった自分に対してふがいなさを感じていたのかもしれない。こいつがこんなに落ち込んだのを見たのは、この時が初めてだった。
後ろから両手を知子の両肩をポンと置いた。俺はその時、何も考えていなかった。今分析すると、おそらく安心させようとしていたのだろう。肩が震えていたことと鍛え抜かれていた肩がそれでも小さかったことは今でも覚えている。


「本当に、…あと少しだったのよ?あたしが、あと指をもう少し伸ばしていたら…、きっと勝てたのに…、ごめんなさい…涙子先輩、裕子先輩…!」


 今日のレースで引退する先輩方の名前を次々と呟く。彼女らは知子と同じ1バタの選手で、予選で敗退した。知子はレース前に、先輩方の分まで頑張る、と誓って望んだのだった。きっと涙子先輩も裕子先輩も知子を責めないだろう、でも知子はまだ自分自身を許せないんだろう。
知子が俺の方を向いた時、目から大粒の涙が溢れていた。涙は赤くなっていた頬を伝い、顎に至り、雫となって胸元に落ちる。


「悔しいよ、……たっくん……!」


 ここから先、俺は自分が何故そういう行動を取ったか分からない。抱きしめてしまったのだ、それも思いっきり強く。さらに、廊下を歩く人目も気にせず。あまりに軽率な行動であったと、今でもこの人生上顔をマクラで覆いたくなる出来事である。
知子の顔は呆然と俺を見ていた。目尻に涙が残っていて、赤い頬で、渇いていない茶色がかった髪で。


「す、すまん。」
「う、ううん。別にあたしは…」


 じゃあ俺行くわ、ダウンして早くスタンドに戻れよ、と逃げるように言って俺は招集会場に急ぎ足で向かった。何か凄い罪深いことをしているような、恥ずかしいような気持ちを抱いていたことは間違いない。



「遅いぞっ拓ゥ!」

 プールサイドの召集会場に着いた時に、先に待機していた主将に叱られた。とはいうものの、声に怒気は篭っておらず、笑顔であった。召集会場付近には、予選2位の主将と予選7位の俺を含めた8人が各々ベンチに座っていた。


「すみません、遅れました!」
「何かあったのか?」
「まあ、少し」


 幼馴染を何故か抱きしめていました、なんて言える筈がないのでお茶を濁した表現を使った。主将は、何か聞きたそうな様子ではあったが「そうか」と一言呟いてそれ以上追及しなかった。正直、ありがたかった。
「1コース、輝日南中学、遠野拓くん」と召集担当の役員が俺の名前を呼び上げたので、俺は返事をした。以下、2コース、3コース……と続いていく。全員の招集が確認され、キャップとゴーグルの具合を確認している俺に対して主将が声を掛けた。


「拓、ひょっとしたらお前と一緒に泳げるのもこれが最後かもしれないな。出来るなら全中の標準記録を切って引退を先延ばしにして、お前達をシゴキ上げたいものだ」
「出来ますよ、私だって先輩に負ける気はありませんから」
「言うようになったな、コイツめ」


 主将の最後という言葉に、俺はその時少し感傷的になったな。前世で俺も中学・高校・大学と自分が最後のレースに挑んだし敬愛する先輩を何人も見送ってきた、その光景が頭を過ぎった。この精神的には俺よりも大分年下なのに敬愛した先輩も同じように去っていくことをイメージして離れなくなったのだ。


「拓、そろそろレースだ。行くぞ」
「えっ、あ、はい」


 おいおい大丈夫かよ、とカッカッカと笑って俺の背中をバンと叩く。痛い、相変わらずの遠慮の無さだなと思った。…俺にとっても、今シーズン最後のレースが始まる。


「拓、一つだけ忠告だ」
「…?何です?」
「優しさは確かに大切だ、でも優しすぎるというのも罪なことなんだぞ」


 何のことか分からなかった。だが、先輩は真面目な顔で俺にそう言ったので俺は肯定の意を伝えた。入場の音楽が鳴る、さあレースだ――…





















………

 主将は決勝を4着でゴールしたが、標準タイムを切ることが出来なかった。俺も自身の壁であった57秒を切り、6着でゴールしたものの最後まで主将に勝つことが出来なかった。レースを終えた主将を思い出し、引退された先輩方の姿を思い出し、俺は胸が痛くなり、誰もいないプールの中に身を沈めた。プールの中の青の光景が目にいっぱい広がる。叫ぶかわりに思いっきり息を吐く、苦しくなるまで吐く。吐き切り、身体が酸素を欲するようになり水面から顔を上げて大きく呼吸する。気は紛れたか、と自分に問いかけた。少なくともすっきりしたのは間違いない、という自分からの返答が身体を通じて分かった。


「…野ォー!遠野ォー!!」


校舎の方から俺の名前が呼ばれた気がして、校舎の方を人の影を探す。二人の女子生徒がおり、メガネを掛けた方が手を振りながら俺の名前を呼ぶ。夕月と飛羽、後ろにいるのは山口先輩か?取り合えず手を上げて、ベソを掻いていたのがばれない様に声の調子を整えて返答した。


「何だぁー!?」
「水泳部は今オフだろー!?ちょっくら茶道部を手伝ってくれないかって先輩が行っててさー!!」


 そんな気分じゃないんだがな。とは言っても、そんなこと口に出せば後ろの山口先輩が恐いし…。気分転換にもなるし、やりましょうか。


「分かったー!!10分したら茶道室に行くから待ってくれ!!」


 俺の夏は終わった。セミが鳴いていることと外で運動部が声を出していることが、季節としての夏が未だ続いていることを俺に伝えていた。それが俺の夏の残像を未だに見せ続けているのだった。


















(次回へ続く)
 
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