乱世の確率事象改変
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軍神、燕人、昇竜、そして……
初めての公孫賛軍との合同訓練を終えた俺は、練兵場に座り込んで一息ついていた。
新しく入った兵たちは男である俺の言うことなど聞くかといった態度だったがために酷く心が落ち込む。
「なんだかなぁ」
女性のほうが優位なこの世界では男の将は異端。
それに見慣れた将が凄すぎて、見劣りもしてしまうのだろう。彼女らの噂はそこかしこで兵達に囁かれていて耳に残っていた。
一人は軍神、実力もさることながら姿も美しい。
ひとたび戦に出れば敵でさえも魅了してしまうその武はもはや芸術の域。
一人は燕人、見た目こそ少女だがその武は軍神でさえ己より上と示すほど。
戦において先陣を切り、軽々と敵を屠る様はまさに名を表す。
最後は昇竜、軍神に勝るとも劣らない容姿をした美女。
放つ槍は立ちはだかる敵を穿ち、戦場を舞う姿はさながら蝶のよう。
それにくらべて俺。
武骨でわけのわからない長い剣を使う見た目も普通(と思いたい)な男。
戦場に出たこともなくいきなりやってきて上司だという。そいつに従えってか?
そりゃ無理だ、申し訳ないけど。
どこかの首つり男ロボットに乗った主任の嘲るような声が聞こえた気がした。
やっぱりなぁ、と落胆しそのまま頭を抱える。
「お兄ちゃん落ち込んでいるのか?」
「あぁ、鈴々。自分の求心力の無さに呆れてね」
件の燕人が俺を心配してか近寄ってきて軽く声を掛ける。
赤い短髪にスカーフを首に巻いた少女の名は張飛。真名は鈴々。
どこからそのような力を出しているのか分からないが、噂では岩をも粉砕するとのこと。
真名の交換については、
『これからは理想の実現目指して戦を共にする仲間なんだから真名を預けて心に刻んでほしい』
と桃香が言い、紹介された鈴々と共にこの世界の関羽、諸葛亮である二人の真名も預かった。
関羽の真名は愛紗、諸葛亮ちゃんの真名は朱里と言った。
ちなみに桃香は年上の俺から敬語で話されるのはむずがゆい、とのことで公式の場以外は呼び捨てにさせてもらっている。愛紗が猛烈に反発したが押し切られていたが。
そのことからか未だに彼女は俺を睨んでくる。ほらまた睨んでる。
「秋斗殿」
「な、なにかな」
つかつかと仏頂面で近づいて来て、キッとこちらを見やり、
「勝負しましょう」
全く訳の分からない事を言い出した。確かに強化されてはいるし、兵相手の試合でも敵はいなかったが、さすがに軍神と勝負とか勘弁していただきたい。
「……なんで?」
「あなたの実力を測るために。それと私情です。安心してください、試合ですから無茶はしません」
冷や汗が背中を伝い、引けた腰でビビりながら理由を尋ねたが返ってきたのはそんな答え。
私情がメインじゃないんですかねぇ。試合じゃなかったら殺す、みたいに聞こえるんだが。
「やれやれ、徐晃殿は己より弱い兵相手なら戦えるが、自身より強い女に迫られると逃げるような意気地なしらしい」
「そうなのかー。お兄ちゃん、かっこわるいのだ」
黙っていたら神経を逆なでするような声で趙雲が言い、続けて鈴々に落胆される。兵たちの前で言われたのでクスクスとそこかしこから笑い声が上がっていた。
しかし臆病風に吹かれている俺はただ沈黙するしか出来なかった。愛紗の武を目の当たりにしていたからこそ。
「やはり男など……その程度なのでしょうな」
心底下らない、と言いたげな冷やかな眼差しでこちらを一瞥してから踵を返してどこかへ歩いていく趙雲。彼女から放たれた言葉は、俺の心に苛立ちの波を立てるのに十分だった。
「いいだろう……そっちも全力でこいよ愛紗。それと倒したらお前だ鈴々。趙雲、お前はその後でも十分だ。まあどうせ、そのまま逃げるんだろうけどな」
そう言って離れて武器を構える。ここまで侮辱されて黙ってられるか。
趙雲はピタリと脚を止め、すっと目を細めてこちらを睨んだ。負けずと睨み返し、互いに向ける昏い感情と視線が交錯し合う。
しかし一つ疑問が起こった。才色兼備な彼女が誰かを簡単に貶めるだろうか。俺に非があるんじゃないだろうか。
「やる気になって頂けたようで結構。しかし――」
思考に潜り込む前に愛紗が武器を構え、そして、
「私に簡単に勝てる、心外ですね」
怒気と闘気が綯い交ぜになって溢れ出し、あまりに圧倒的なプレッシャーに逃げ出したくなる。
だがしかし、俺も引くことなど出来やしない。
覚悟を決めて神経を研ぎ澄ませてから愛紗に向けて駆けだして……己が武器を振り下ろした
†
大上段からの大振りから始まったこの戦いは、一体どれくらいの時間が経ったのだろうか。
偃月刀を振る、彼が身体を軽く捻って避ける、流れに任せて剣を薙いで来る、返す刃にて大きく弾く。
正直ここまでとは思わなかった。しかも彼にはまだまだ余裕がある。
互いの武器が大きく鳴いて、弾かれる二つの身体と開く距離。息を荒げることも無く、静かに、深く平常時と変わらない呼吸と共に秋斗殿に言葉を掛ける。
「なかなかやるではないですか」
闘う中、徐々に力も速さも上げていっていた。彼の力を測るために。私とある程度戦えることを見せれば、兵達も彼を認めると思ったからこそ。
だがこれは思わぬ収穫だった。本気になったところも見てみたい。闘ってみたい。
武人としての本能か、赤く轟々と燃えたぎる炎が心を焦がし、もっと強く、もっと速くと囃し立てる。だがまだだ、自身が本気を出してしまえばすぐに終わってしまうかもしれない。それでは彼の力量を正確に測る事など出来やしない。
そろそろもっと力を上げて……
逸る心を抑え付けてもう一段階、強さを上げようとした所で、
「おい」
突如彼は剣を下げてこちらを睨み一言。
「お前、本気だせよ。じゃなきゃ負けるぞ」
そう言ってゆっくりと彼は左手を前に出し剣を水平に構えた。途端に己が脳髄から警鐘が鳴り響く。
殺気とも呼べる圧倒的な闘気が彼から溢れ出し、私の身体を覆うように纏わりついた。
大地を蹴る音は無く、しかし視界に見える彼が大きくなった。近づいて来たのだ、と思う頃には相手の武器を弾くには遅く、瞬時に、意識せずに本能のみで身体が横を向いた。
彼が放ったのはただの突きだった。ただし間合いの外から、私の目でも捉えるのが難しいほど速く突撃して。
ギリギリで躱した私の頭の中でカチリと音がして何かが切り替わる。渦巻いていた思考が投げ捨てられ、ただ相手を倒す方法のみを導き出し始めた。
下から、彼の視界には入らないであろう場所から渾身の力を込めて偃月刀で斬り上げる。しかし鮮血が舞う事は無く、そこにはもう消えたように姿は無かった。
円軌道を描いて移動した彼の姿を見切っていた私は、後ろからの先ほどまでの戦いよりも数段速く、力強い袈裟切りを身体を捻り柄で受け止め、互いの武器が甲高く鳴いた。
その音を合図として支点をずらし、最速の石突を放つと彼の腕にあたった、だが同時に動いていたのか死角によって見えなかった脚に蹴りを喰らう。
二人ともがその場から動かずに何合も打ち合うが、ここは互いに必殺の距離のはずだった。しかし決めることが出来ない。悉くを弾きあい、避けあい、ぶつかり合っている。
相手はほぼ片腕で、重さが減っている。
私は踏ん張れない、鋭さが落ちている。
歯痒さからか自然と今放つことのできる一番強い一撃をぶつけ合って、その反動で身体が弾き飛び距離が大きく離れる。
声一つ聴こえない静寂の中、互いに無言で目線を交わす。一瞬ここが戦場ではないかとの錯覚を覚えてしまった。
私は笑った。楽しい。もっと続けよう。
彼は笑った。同じ気持ちなのかもしれない。
ならば続けようどちらかが倒れるまで――
「そこまでなのだ愛紗!」
「武器を降ろしてほしい、徐晃殿」
†
趙雲と鈴々が膠着状態に入った俺達の間に入り試合は終わった。
試合が終わると見物していた俺の隊に配属される予定の義勇兵たちは一斉に地に膝をついて頭を垂れ、最前列の一人が口を開く。
「我らはあなたと共に戦いたい。その武に我らは従いたい」
空気が張り裂けるような大声で、唸るように叫んだ身体の大きな男をただ見つめて漸く気付く。
そうか、愛紗はこれを狙って試合をしかけてきたのか。
「これで俺たちは一つの隊となった。一人でも犠牲にならないよう、共に強くなろう」
きっといい部隊にしてみせよう。一人でも多く生き残らせてみせよう。
隊の者達も解散して行き、練兵場の出口に向かい歩き出そうとした頃に趙雲がゆっくりと近づいて来て俺に声を掛けた。
「数々の無礼な発言、申し訳ない」
すっと小さく頭を下げてきて、顔を上げた時に瞳を覗き込むと先程までの昏い感情が嘘のよう。
そこで試合前の思考に至り、彼女の心を予測して答えに行き着く。
武人の拠って立つモノは自身の力と誇り。そして彼女はこれほどまでにあっさりと己の非を謝罪するような人物。
彼女のような人が他人を貶めてまで示したかったモノは何か。
それは愛紗の誇り。別々の客将という立場であるのに真名を許しあうほど互いを認め合っているからこそ、彼女には俺が、自身の借り物の武に誇りを持たない俺が許せなかったのか。
ああ、これが武人。なら、例え借り物だとしても俺はそうならなければいけない。
「謝らないでほしい。びびってる俺を焚き付けてくれたんだし完全に俺が悪いだろ。こちらこそすまない。三人の誇りを傷つけて」
これからはもっと心を強く持たなければいけないな。
趙雲は頭を下げて紡いだ俺の言葉に、ほう、と感心するように息を漏らし、続けて何かを言おうとしたが、ふいにちょいちょいと俺の上着の裾が引っ張られたのを見てか口を閉ざす。
その方を見やると鈴々がニカッと笑いかけてくる。
「鈴々もありがとな。それとごめん」
「闘ってるときのお兄ちゃんはかっこよかったのだ!」
くしゃくしゃと頭を撫でて礼を言うと気にしてないというように元気な声で応え、にししと手を口に当てて楽しそうに笑う。
しかし、それじゃ普段はかっこわるいってことになるんだが……
「徐晃殿、あなたの武と心に敬意を表し、真名を預けたい」
いきなりの趙雲の発言に思わず目を見開いて彼女を見つめるが、真っ直ぐな視線に射抜かれてすぐに我に返る。
「あなたほどの人から真名を預けて貰えるとは……喜んで、俺の真名は秋斗」
「慎んでお受け致す。私の真名は星と申します。では秋斗殿、次は私と試合でも――」
言いかけるが口を噤み、やれやれというように肩を一つ竦めて彼女は俺の後ろを指さした。
「秋斗殿」
義勇軍の新兵達の振り分けもひとところ落ち着いたのか、真剣な顔をした愛紗がその場には立っていた。
「あなたは強い。これから将として、共によろしくお願いします」
合わせた瞳には俺への期待という強い光が見とめられた。対してすっと手を差し出し、
「こちらこそよろしく頼む」
言うと愛紗がふっと微笑みその手を強く握る。
その手は、決意と信頼を込めた繋がりだった。
その後、星と鈴々と愛紗と訓練をし、次の日は打撲と筋肉痛で歩くのさえ必死だったのはお察し。
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