皇太子殿下はご機嫌ななめ
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第26話 「文民統制」
前書き
皇太子殿下の自己評価はあんがい低いんです。
第26話 「ぼくの将来の夢」
ジークフリード・キルヒアイスです。
皇太子殿下に呼ばれ、宰相府に来てみれば、皇太子殿下しかいませんでした。
あいかわらず窓を背に、重厚な黒壇の机で書類を見ておられます。改めて部屋の中を見回すと、意外と落ち着いた雰囲気が漂う部屋です。
口調に釣られ、ついつい勘違いしがちですが、皇太子殿下は案外上品なお方です。
良くも悪くも宮廷育ちなのでしょう。
「よく来た、ジーク」
皇太子殿下はひどくお疲れのご様子。
いったい何があったのか、わたしにはまったく分かりませんし、分かりたくありません。
ただ一言。
ざまー。
「言いたい事は分かるぞ。だが今日は、そんな事を聞きたい訳じゃない」
そう言って、皇太子殿下は机の上に目を落としました。
そこには、軍の幼年学校から回ってきたらしい書類が、置かれています。
「なんでしょうか?」
思えば、わたし一人が皇太子殿下に呼ばれるというのも、おかしいような気がします。
ラインハルト様は呼ばれていません。
「なあジーク。お前、幾つだ」
「十二歳です。もうすぐ十三になります」
「そっか~。もうそんなになるか、俺のとこに来て二年になるもんな」
感慨深げに皇太子殿下が仰りました。
わたしの年齢がどうかしたのでしょうか?
「成績は良いな。出席日数の少なさは……仕方ないか。ところで軍の幼年学校は、十五歳で卒業だ。その後どうする? 士官学校に行くか? それとも普通校に行くか? 帝国大学に進学して、経営学なんか学ぶのもいいかもな」
「いったい、どうしたというのですか……」
突然の事にびっくりします。
急に将来の事を聞かれてしまいました。
「そろそろお前達の将来の事も考えてやらんとな。ジークの両親は、教師になって欲しいそうだが」
「わたしの両親に聞いたのですか?」
「ああ、一本の通信で事足りるからな」
うわ~。皇太子殿下が自ら、わたしの両親に連絡を取った?
銀河帝国皇太子にして帝国宰相でもある方が、平民である両親の下に連絡を取る。
さぞ父も母も驚いた事だろう。
「ラインハルトさ――」
「ラインハルトは関係ない!」
バシッとした口調でした。
まるで官僚や軍に命じるときと同じ口調です。
わたしは躊躇いました。
ですが、皇太子殿下は、
「なあ、ジーク。お前とラインハルトは同一人物じゃない。あいつはお前じゃないし、お前はあいつじゃない。いまはまだこどもだ。だからいつも一緒でもおかしくないが、いつまでも一緒という訳にはいかんぞ」
「それは……」
「ラインハルトがどう思うとかじゃない。ジークフリード・キルヒアイスがこの先、大人になったとき何をしたいのか、だ」
「わたしは……分かりません」
宰相府に来る前は、ラインハルト様とともに、アンネローゼ様を救いたいと思っていました。
ですが、今は何をしたいのか、それすら分からないのです。
「まあ、いい。卒業まではまだ間がある。だがちゃんと考えておけよ。時間を止めるために、時間を浪費するなよ。いいな」
皇太子殿下の声は優しく、わたし達の事を、本当に考えてくれているのが分かります。
「はい」
わたしはそう言うしかできませんでした。
将来何をしたら良いのか、わたしは何をしたいのだろうか?
これまで考えた事もなかったのです。
■宰相府 マルガレータ・フォン・ヴァルテンブルグ■
「このぼけーっ!!」
怒号が部屋中に響き渡りました。
ラインハルトの叫び声です。
部屋に入ってきたかと思うと、いきなりです。
いつも以上に気合の入った女装姿。化粧もばっちりでした。
ああ、それなのに。それなのにー。
「いきなりなんだ?」
「キルヒアイスになにを言ったぁ~。すいぶん悩んでいるんだぞ」
「将来についてだ」
「キルヒアイスは、ずっと……」
ラインハルトがそこまで言ったとき、皇太子殿下が頭をぺしっと叩きました。
「ラインハルト。お前もちゃんと、自分の将来の事を考えておけ」
「俺は軍に入って」
「お前が士官学校を卒業する頃には、戦争は終わってるかもしれんぞ。軍の規模も縮小する事になるだろう」
「幼年学校を卒業したら、すぐに」
「ラインハルト。高々幼年学校を卒業したぐらいで、一人前になれると思うなよ」
「うるさい、うるさい、うるさーい」
皇太子殿下がパシッと再び、ラインハルトの頭をはたきました。
「軍人になりたいというなら、止めたりはせん。普通科に行って別の職業につくのも良いだろう。だが、幼年学校を卒業したぐらいで、実戦に投入させるほど、俺は甘くないぞ」
「がるるー」
うわー。さすが姉弟。
アンネローゼにそっくりです。
皇太子殿下はしらっとした表情で見ているのが、がっくりです。
あんなにかわいい子が、上目づかいで見ているというのに。
皇太子殿下は分かってない。
まったく分かってない。
ぽかぽかと皇太子殿下の肩を叩いているラインハルト。
ううー。なみだ目なのはかわいいです。
「ぶれないわねー。マルガレータは」
エリザベートが肩を竦めました。
なにを言うか、貴方もショタの癖に。
ジークを嘗め回すように、見てるくせにー。
「ラインハルト、かわいいわよ」
「あ、姉上……。そのすっきりした表情は?」
「ふふっ、あーはっはっは」
アンネローゼの高笑い。
恐ろしい女よ。
あれはまさしく肉食獣の笑み。
「あ」
「い、いたい」
「なにやってんだか」
おお、皇太子殿下がアンネローゼの頭を、ぽかりと叩きました。
両手で頭を押さえたアンネローゼも、正気に戻ったようです。
叩いて直るとは、アンネローゼ、恐るべし。
それはそうと問題は、ラインハルトです。
なみだ目でジトッと皇太子殿下を上目づかいで睨んでいます。
うむ。かわいい。
「あ、マルガレータの口元に涎が」
なにを失敬な、きみぃー。
失礼な事を言うものではないよ。
ラインハルトがかわいくないとでも、言いたいのかね?
「それとこれとは問題が違う」
「皇太子殿下に、しがみついているラインハルトは、かわいいではないか」
「だから、問題が違う」
■宰相府 ルードヴィヒ・フォン・ゴールデンバウム■
「で、同盟は動いたか?」
「まだのようです」
モニターの向こうで、オーベルシュタインがあいも変わらず、無表情に近い顔で言う。
「そうか、こちらの出方を見てるんだな」
「大規模な挟撃を、警戒しているようです」
「はっ、動きたくても動けない。ざまぁ~みろ」
けっけっけ。主導権はこちらが手にしておく。
下手に動けば、泥沼に落ち込む。
奴らもカリカリしてる事だろう。こっちは動くぞ、と脅しているだけだからな。
しかし動けば、八個艦隊で袋叩きに合うのは確かだ。
さて、次の問題は、と。
「トリューニヒトは来たか?」
「そちらもまだです」
「やっぱり、なー」
「やはり?」
あの野郎もこちらの様子を窺ってやがる。
来るとしたら、両軍が動いた隙だろう。
そのタイミングなら、イゼルローン攻略戦にも大規模な挟撃に対しても、無責任でいられる。移動中だったという言い訳をほざくつもりだろう。
「あの野郎はな、恥というものがない。普通の人間なら、恥ずかしいと思う事でも平然とする。その上悪びれる事もない。強かと言えば、言えるだろう。それだけにやりにくいぞ」
「罪悪感のない人間ですか?」
「まあ、そうだ。そして門閥貴族達のように愚かではない。バカじゃないんだ。頭が良くて、恥を知らず、罪悪感のない人間。どうだ厄介だろう」
「確かに、そうですな」
「したがって奴と交渉する際は、最初から妥協点を織り込み済みで、条件を提示しろ。それ以外は事務的に、だ」
「なるほど、そういう事ですか。妥協点を探りあうなという事ですな」
「そうだ。普通交渉の際は、それぞれ飲める妥協点を探りあう。しかし奴には無用だ。最初の条件が一番良い条件。それを徹底しろ。奴に手柄を立てさせるな」
「なら、複数の人間とともに話し合う。それも必要ですね」
密室で話し合うなど、自殺行為だろう。
とにかく奴とは、まともに話し合わないことだ。
後は憂国騎士団とやらがフェザーンでバカをやったら、遠慮なく取り締まれ。
「フェザーンはハイネセンではない。それが分からないのであれば、自業自得と言うものだろう」
まあどうせ、一月以内で同盟側は動くだろうがな。
選挙が近いし。軍よりも政治家の方が焦っているだろうよ。
けっけっけ。
我慢比べになると、あんがい民主主義というのは弱いからなー。
「閣下は、民主共和制というものをどう思っておられるのですか?」
「うん? 専制主義も民主主義も共和制も、そんなものはただの制度に過ぎない。どれもこれも一長一短ある。俺はブラッケのように民主共和制に夢なんぞ、持ってねえぞ」
前世では民主主義国家に生まれたが、現実なんてたいしたこたぁ~なかった。
だからといって皇帝が暴走するのを認める気もねえが、よ。
「ああ、そうそう、オーベルシュタイン。卿にも一つ、考えておいて貰いたい事がある」
「なんでしょうか?」
「今後の貴族の子弟に対する教育だ」
「教育ですか」
「そうだ。貴族に生まれるよりも平民に生まれた方が楽。そう思われるほど、徹底的に鍛え上げる。なにせ平民達にとっては、自分達の統治者になるんだからな。むっちゃ大変だな、そう思われるぐらいでちょうどいい」
「なるほど、教育問題ですか。鍛え方を考えよという事でしょうか?」
「そうだ。ただ厳しくするだけでは、やってられるかと思うか、いじけるだけだろう。その辺りの調整が難しい、と思う」
「閣下のようにですな」
「よせ、俺なんぞ、ろくでもねえよ。俺よりマシな奴にする。まあ考えておいてくれ」
「御意」
後書き
叩けば直るテレビのようなアンネローゼ。
いったいなんでしょうね?
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