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南柯の夢

作者:律逸
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第一幕
一陣の失脚
  001

 裂けた柘榴のように爛れた傷から膿と血が溢れんばかりに滴り、ぱっくりと大口をあけたような首からは空気がひゅうひゅうと漏れている。

 大分血が抜かれた所為か先程まで首を覆っていた腕がだらりと力無く投げ出されていた。
 その腕には身を竦め頭を覆った時についた裂傷が残り、時折びくりと痙攣するように肉が踊っている。


 肢体にも同様裂かれた様な傷が刻まれ、その有様は目を見張るものがあった。

 嘔吐を催す様な悪香に思わず噎せそうになり、思わず顔を包み込むようにして膝をつく。口下を押さえ、流れだしそうだったものを堰き止めるように口を噤んだ。


「貴様の様な秀吉様に不埒を働こうとする者は存在自体が万死に値する」


 男がなにをしたのかてんで理解できなかった。
 しばらくして、刀を抜いた途端。振り向いたと同時にあった死体は、おそらく懐海に向けて放たれた暫撃に巻き込まれたものであろう。


 運よく膝をついていなければあのようになったていたのか。懐海は男に恐怖を覚えた。

 そのまっすぐ揺らぐことのない瞳は憤怒を映し、あろうことか懐海を見据えている。
 気がついたときにはこの光景が目の前に飛び込んできた。

 状況も把握できないまま、懐海は今男に首を絶たれようとしている。


 次は外さないとばかりの強い眼光に体が意思と反して身が竦む。


「三成!待て、様子がおかしい」
「知ったことか!私は秀吉様に仇成す害を今ここで誅罰する!!」
「だから――三成、彼女は」


 家康の制止も余所に、三成はまた姿勢を低く構え柄を持つ手に力を込める。
 家康の顔に焦燥が浮かんだ。

 懐海は己の目前とする死に歯を食いしばった。


 男の姿が眼前から消える。

 同時に金属同士が接触したときの重低音が耳を劈くように響いた。それが切欠となったのか懐海の体は力が抜けたようにだらりと地に伏した。


「私の邪魔立てするのか家康ぅううう!貴様もその女狐に絆された玉か!」
「違う!そういう訳ではない。ただ...」


 今の天女は、あの通常なら目を背けたくなるような殺気を放つ三成から目を背けなかった。

 先程会ったばかりだが、見たところこの天女はこういうものに全く免疫がないらしく、三成の姿を目にするまでは良かったが、目が合った瞬間竦み上がり、目を逸らしていたのだ。

 それがこの半恐惶状態の三成から目をそむけないなどと。

 恐怖で体が凍りつき反らせなかった、というわけでもなさそうで、三成を見据える目はしっかり男を捉えていた。

 まるで中身が入れ替わった様な――そんな有る筈のない可能性さえ彷彿とさせる変わりようだったのだ。



 不安な面持ちで気を失った少女を見やる。


 そういえば、彼女には連れがいると聞いていたのを思い出した。
 まずは此方の連れが待っているので、合流してから彼女の連れを共に探そうと此処に連れてきたのだ。
 まさかこんなことになるとは思ってもみなかったが。

 この天女であろう女性をどうするか、とりあえずいつまでも地面に寝かせるのは悪いので抱き起こしたが、三成が牽制するように睨みを効かせる。


「家康。その女をどうするつもりだ」
「あー...とりあえず秀吉公のところに連れていこうと思うんだが」
「ふざけるな。災厄を齎すとされる女をなぜわざわざ秀吉様の許へ...」
「噂だけかも知れんぞ?彼女に連れがいるというのも気になるし、それに」


 彼女によって被害を被っているとされる甲斐と奥州はどうであれ、今まで彼女が横断してきた地方領主、上杉北条からはそれほど悪い噂は流れていない。

 なぜその二国が無事なのかはわからないが、今の彼女の様子からすると恐らく豊臣は問題ない気がする。何の根拠もないそれを話せば三成はそれこそこの女性を頑なに連れて行こうとしないだろう。

 ――彼女の髪色からして天女であることはなんとなく察しがついているが、同時に奥州の独眼竜に寵愛されていると聞く。

 今回彼女の言っていた“連れ”は果たしてだれであるのか。
 推測なら独眼竜ではあるが、それは所詮推測にすぎない。

 不安に駆られる家康の推測が当たらなければいいのだが。


 そんな懸念を抱くも、遠くで落雷したような音が轟いてきた。
 どうやら家康の杞憂には終わらなかったらしい。 
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