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トワノクウ

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トワノクウ
  第二十三夜 長閑(三)

 
前書き
 少女の思案と町人 

 
 外に出たくうは、夏の陽射しの眩しさに一瞬立ち眩んだ。帽子を被っているのに。今日はそれだけ暑いのか、はたまた先の邪気がまだ抜けきっていないのか。

 ふり返る。見送りにと一緒に出てきた菖蒲は、すっかり元通りの――貼りつけた笑顔をしている。

「菖蒲先生――あの」
「Cielo! Venga qui!」
「わっ」

 木の下で、芹が学童の輪から外れて手を振っている。平八も露草もすぐそばにいた。

「芹ですね。行かれてかまいませんよ」

 くうは、木の袂の人々と菖蒲を見比べてから、菖蒲に深くお辞儀した。

「貴重なお話をありがとうございました」

 菖蒲が深く人間そのものを憎んでいて、妻を喪ったことを悲しんでいて。それらによってくう自身が滅多打ちにされたことを含めて、くうは菖蒲に感謝を述べた。

 くうは彼の境遇を憐れみもしなければ、彼を苦しめた人間に怒りもせず、ただ彼の一端を受け止めた。
 梵天を介してとはいっても初対面の小娘。そのくうに菖蒲は己の深部をわずかなりとも晒してくれた。おまけにていねいな説明まで加えて。――内容そのものは辛辣ではあったが。
 心を許してくれた、その誠意にくうも感謝を表した。

「ではお暇させていただきますね。またお会いできる日を楽しみにしてます」

 きょとんとする菖蒲に背を向け、くうは大樹の根本に駆けた。



「お待たせしてすみませんでした」
「別にいい」
「おかげで色々話せたかんな」

 真逆の温度の声でありながら、露草も平八も内心は同じだと推し量れて、くうはほっとした。

「どんなことをお話しになったんですか?」
「俺がここで働くことになった経緯とか、普段何してるかとか。若先生と芹の話もしたし」
「楽しく過ごされたようで何よりです」

 ふふ、とくうも平八に笑い返した。
 ふいに露草が立ち上がった。くうの頭に、ほんの短い間、手を置いて、歩き出す。

「ここにいろ。菖蒲と話してくる」
「は、はひっ。行ってらっしゃいませ」

 ひらひらと手を振って菖蒲の元へと歩いて行く露草の背。言いようのない、まるで取り残された子供じみた感傷を覚えた。

「露草もああ言ってくれたことだし、ちっと休んでけ。な?」
「で、でも、よろしいんですか」
「いいに決まってんだろ。お前さん、顔色悪いからな。露草も気ィ遣ったんだろ」
「……そんなにひどい顔、してます?」

 平八はおろか、芹にまで異国語で全力同意されてしまった。
 くうはしかたなく、ドレスの裾を上げてその場に腰を降ろした。

 じっとりと熱い陽射しを、梢が程よく緩和してくれている。とても暑いのに、ほのかな風だけで気分がよかった。

「何かあったか? ガキどもにいやなことでも言われたか?」

 髪や目を慮って言ってくれたと察せた。否定するのが惜しい掛け値なしの気遣い。しかし、くうは首を振った。

「くうはつまらない子だなあって」

 面食らう平八に、くうは授業であった出来事を話して聞かせた。

「何でだ? 別に和算の一つくらい解けなくたって、くうがつまらん奴だってことにはなんねえじゃねえか」

 今度はくうが面食らった。さも不思議とばかりに言われてしまえば、どんな卑屈も裸足で逃げ出すしかない。

「――平八さんて、いい人ですよね。露草さんが平八さん放っとけないの分かります」

 すっかりほだされてしまったから、くうは素直に胸の内を語ることにした。

「さすがのくうも算数ひとつで落ち込むほど落ちぶれちゃいませんよ。ただね、さっきみたいに、自分が知ってることが一番だと疑わなかった自分に、ちょっと、空しくなったんです。言い訳ですけど、他人を見下してるんじゃないんです。くうはあまりに世界の広さを知らないんだと思います。あとになって世界にはくうなんかよりずっと優れた人達がいると知って、自分の中身のなさに失望するんです」

 今日もまたそれで一人傷つけた。

 今度こそ〝できる〟と思った。朽葉と関わり、露草と平八を巻き込んだ騒動を知り、たくさんのことを感じたから、今度こそ。

(菖蒲先生に何か言ってあげられると思ったのに――)

                                           Continue… 
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