銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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才能と覚悟
テイスティアは泣きそうになった。
いや、実際にアレスの冷淡な言葉に瞳がうるみ、アレスを睨むことで何とか誤魔化した。
アレスの出した唐突な言葉には、ローバイクとコーネリアが驚いた表情をしている。ただ、ワイドボーンだけが自分の鼻を押さえて、見上げていた。
こちらを見るアレスの視線は、決して嘘や冗談のようではなかった。
苦笑いにも似た笑みを浮かべる姿は、テイスティアにとっては初めてのものだ。
今までも辞めろという言葉はクラスメイトから何度も聞いた。
あまりの出来の悪さに教官からも言われることはあった。
嘲笑や失笑――そのどれとも違う笑みを持って、アレスは口を開いた。
「君は凄いな」
「凄く何か、ありません」
むっとしたテイスティアに対して、アレスは違うと首を振った。
「嘘じゃない。戦略や戦術何て教科書通りで平均点くらいはできる。技術や技能も一緒だ。もちろん人より飛びぬけようと思えば、才能も必要だけれどね。そういう意味では、君の才能も天性のものだ。人を見ると言う点において」
「そんなこと、ありません」
自分に才能があるという。そう言われても、この状況では質の悪い冗談を聞いているようだ。否定の言葉に、アレスが言葉を重ねた。
「君はそういうだろう。でも、今回の戦いでもそれをワイドボーンが理解していれば、結果は変わったかもしれない」
「言わなかったから悪かったんですか。でも、それは結果論で……!」
「間違えることが怖くて、ワイドボーンには何となくといったのかい。確かに、間違いで負けたら怖いな。でも、そう思うのなら、なおさらやめた方がいいと思う。テイスティア」
「それで負けたら、あなたが責任を取ってくれるんですか?」
「とるわけがないな、テイスティア。君は自分の責任から逃げるのか。言って負けでもしたら自分の責任になる。だから、言わないでおこうと……たとえごっこ遊びだとしても、君はいま参謀なんだぞ」
アレスの言葉に、誰も口を出そうとしない。
そして、テイスティア自身も否定の言葉を見つけられなかった。
逃げるという言葉に、違うと口に出そうとした。
逃げるのなら軍人になっていない。
怖いけど、僕はここにいると――そう呟いた言葉は、アレスの真っ直ぐな視線によってかき消された。
震える唇を小さく開き、アレスは首を振る。
「今は負けて怒るのは、そこに転がっているワイドボーン先輩だけだ。でも、卒業したら君の肩には、多くの命の責任を背負う事になる。君が卒業して、一生昇進しないとしても、少尉といえば、小隊クラスの人数がね。負けたとすれば、怒られるのはその人数だけじゃない、その家族を含めた数百人の命がね」
「そんな……」
「それを怖いと、君はずっと逃げるのか。なら、何故士官学校に入った?」
「僕は憎き帝国を……」
「憎いという理由で、君だけならともかく周りまで巻き込むなよ」
吐き捨てるような言葉に、テイスティアは小さく言葉を震わせた。
それまでどれほど怒られたとしても、嘲笑されたとしても、泣くまいと誓った思いがあっさり崩れ去った。自らの意志に反して流れる涙は、いくら拭おうと止まる気配はない。鼻の奥が痛んだが、やがてテイスティアは涙を拭うことを諦めて、アレスを睨んだ。
自分が選んだ道を否定されたままにいるのが嫌だったからだ。
睨むテイスティアを、アレスは真っ直ぐに見ていた。
先ほどまでの笑みすらも消して、テイスティア自身に向きあうように。
「変なことをきいた……別に理由なんてどうでもいいんだ。君が帝国を憎もうが、同盟を愛そうが――あるいは、その逆だろうが。そんな主義主張はどうでもいい」
「僕の、僕の父は……帝国に殺されました。それがどうでもいいことなのですかっ?」
「それで巻き込まれる方はたまったものじゃないな」
「それはっ!」
「上司が高潔だろうが、馬鹿だろうが、等しく彼らは部下に対して責任がある。それでも必ず人は死ぬだろう。味方を死に追いやる覚悟、敵に恨まれる覚悟が君にあるのかい。たかがワイドボーンごときを恐れる君に」
「……」
もはや再びテイスティアの口からは、言葉は出なかった。
否定の言葉も何も思いつかず、アレスを見る事も出来ずに項垂れた。
地面に落ちる涙をぬぐおうともせず、嗚咽する。
そんな酷くみっともないテイスティアの肩を、アレスは叩いた。
随分と軽く、優しい。
今までの攻める口調から一転して、優しげな口調が頭上から振る。
「別に君が嫌いなわけじゃない。ただ復讐という言葉だけで、実際に戦う事が怖いのであれば、やめて平和に暮らした方がいい」
「死ぬのが」
「ん?」
「死ぬのが怖くないんですか。自分の間違えが、味方を殺すかもしれないんですよ? それでもあなたは!」
「人並みには怖いさ。けど、それで自分が何もしないままで終わるのはもっと嫌だな。それなら、俺だって軍人にならずに平和に暮らすさ」
何とか反論しようと視線を周囲に回せば、コーネリアもローバイクも助けてはくれそうにない。アレスの言葉に若干の呆れこそあれど、彼に賛同する様子だ。
それでもテイスティアは視線を回して、ワイドボーンを見る。
最上級生は、赤い鼻を鳴らして見せた。
「何だ、貴様は。言いたい言葉があるのならば、他人に頼らず自分の言葉でいえ。だから、貴様は無能で、俺は貴様が嫌いなんだ」
取り付く島もなかった。
瞳をこすって、奥歯を噛む。
誰も味方もいない状況で、テイスティアが出来る事は――逃げることだけだった。
走りだした彼を誰も追ってこない。
それはそうだろう。自分など追う価値もない。
きっと彼らは笑っているだろう。
笑われる事にはなれていた。
でも、その笑いはそれまで無能と彼のことを笑っていた同僚の笑いとは違う。
自分の才能や技術に対しての笑いではない、それまで自分が唯一自信を持っていた根幹たる覚悟を笑われているのだ。
父の敵を取ると、心の中で誓った覚悟を。
それに対して、それまでのように同調するように笑って誤魔化すことはできない。
けれど――それなら、何故自分は……逃げている。
もっと反論すれば良かった。
馬鹿にするなと、上級生が相手でも言えば良かったのだ。
でも、出来なかった。
その理由をテイスティアは知っている。
反論をしなかったわけではない、反論が出来なかったのだ。
心の中では父の敵を取ると思い、周囲に笑われることも出来ない事も、それを免罪符にして逃げてきただけだった。
それを真正面から、テイスティアは見せつけられることになった。
そして、現に自分は逃げた。
走りながら、情けなくなり――自嘲めいた笑いが口から洩れる。
結局、自分は逃げるだけしかないじゃないかと。
まるで氷のように心を抉ったアレスの言葉が、今は酷く甘い蜜のように感じられた。
――君は辞めた方がいい。
+ + +
「随分と優しいことだ」
鼻を押さえながら、ワイドボーンが立ち上がり、言葉にコーネリアとローバイクは顔を見合わせた。
アレスの言葉のどこに優しさがあったというのだろうか。
確かにテイスティアの覚悟の足りなさには、彼らも思うところがある。
まだ子供とはいえ、士官学校は遊びで入れる場所ではない。
戦いを学び、働く場所なのだ。
それでも辞めろとは、面と向かってなかなか言えることではない。
「何も言わなくても奴は無能で進学できないと、何度も言っているだろう。何もしなくても辞めさせられる人間に、なぜわざわざ情けをかけてやる」
「自分の何が足りないかを考えることは大事だと、ワイドボーン先輩も良く知っているでしょう」
「ふん。俺はあんな無様に人前では泣いたりしなかった」
「左様で……。ま、それに気づいてもらえれば今の時期でしたら成績くらい取り返しがつきますし、逆に耐えきれないと辞めるなら辞めるのが早まっただけです。同じ辞めるのでも、早い方がいいでしょう」
「お優しいことだ。俺にはできんな」
「先輩も少しは優しくなってますよ、迎えにいく程度には」
「お前がいけといったんだろ。俺は言われるまで来てない事に気づきもしなかった」
「そうでしたか?」
小さく呟いて、アレスは肩をすくめた。
見下ろすワイドボーンに、苦笑を浮かべる。
「でも、やっぱり優しくはないと思いますよ。そのまま平和に生きられるなら生きた方がいい……死ななくても良い人間を、役に立つという理由だけで死地に連れ戻そうとしているのですから」
「ふん。戦場だろうが社会だろうが、逃げる奴は結局逃げるさ。戦場だけが死地であるわけでもないだろう」
「確かに……年の甲という奴ですか」
「お前に言われると馬鹿にされているような気がするな。ところで、アレス後輩」
「何です、ワイドボーン先輩」
「……ワイドボーンごときの『ごとき』の部分について、ちょっと教えてくれ」
「ワイドボーン先輩っていったんですよ、先輩」
ワイドボーンは誤魔化されなかった。
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