真鉄のその艦、日の本に
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第四話 激突
第四話 激突
「レーザー通信、津村機より。艦長!中共艦隊です。国境ギリギリの所に展開してきています。」
「何?」
通信手の中野によって、津村機からの報告は建御雷のCICにも伝わる。建御雷のCICは敵機動甲冑部隊の壊滅を受けてやや安堵した所もあっただけに、唐突な、そして意外な報告に、また緊張が走る。
「対抗電子機器、強度落とせ。長距離電探作動。」
田中の指示で、統一戦線からのミサイル攻撃に備えて最大威力で作動させていたレーダージャミングによる電子戦の強度を落とし、建御雷自身の長距離レーダーを有効にして、中共艦隊の動きを探る。
「巡洋艦5、中型の空母1。杭州級、そして江蘇級です。10ノットの速度で、こちらに進路をとっています。距離は26キロ。」
レーダー手の山本が伝える。CICの大型モニターには、二神島海域の地図に、偵察の雷電改部隊、そして中共艦隊を示す光点がゆっくりと動いている図が映し出される。
「これはまた、面倒臭い時に…」
思わず本木から言葉が漏れる。
元々単艦での攻略戦というのも、艦隊を動員して中共を刺激しない為、隠密に処理する為だが、思いのほか中共艦隊が建御雷の作戦行動に早く感づいた。よりにもよって…の思いは募る。中共艦隊の出現により、CICにも不穏な空気が垂れ込める。
「狼狽えるな!」
艦長席の田中は帽子を被り直しながら、浮き足立ち始めたCICの艦幹部を一喝する。
「こちらに侵攻している訳ではない、あくまで中共側の領海に展開しているだけだ。我々は自国の領海で作戦を行っているだけだ。落ち着いて目の前の任務に集中しろ!」
艦長の隣に立つ長岡は、そうだそうだと頷く。ここは中共との国境とはいえ、ギリギリ日本側。いくら中共が艦隊を展開して威圧してこようと、こちらが国境沿いで軍事行動を行っている、ただそれだけで安易に戦闘を開始する事はできはしない。それが許されるような国際社会ではないはずだ。
そうだ、落ち着け。あの艦隊の噴進弾がこちらに飛んでくるなんてこと、あるわけないだろ。
長岡は自分に言い聞かせる。どうにもざわつく胸を抑えようと、息をふう、と吐き出した。
―――――――――――――――――
どん、と音を立て、二神島地下五階最深部の発令所の扉を開けた山犬が突入する。それぞれが違う方向に銃口を向け、上下左右に敵を警戒する。しかし、発令所には既に頭を撃ち抜かれた死体が転がっている。自決したのだろう、死体の手には銃が握られている。
「!」
しかし、その発令所の1番奥の席、社長イスである、それに腰かけた男にはまだ息があった。目に光が宿っていた。その目が、山犬兵士を見ていた。
銃声が響き渡る。銃声が連続する。鮮血が薄暗い発令所に飛び散った。
―――――――――――――――
統一戦線基地の五階は、生産設備となっていた。何らかの工作機械、製造ラインが、広々とした空間に乱立している。恐らく、統一戦線の機動甲冑もここで生産さ れていたのであろう。どこから資源を確保したのか、そもそもどのようにしてこのような要塞を秘密裏のうちに建造する事ができたのか、それら全て謎である が、殲滅命令という事は、上層部はその真相を既に分かっていて、だから自分達山犬を送り込んだのだろうなと印出は思った。情報機関である東機関の一員であ る印出だが、印出本人は国家の裏側というものに興味はない。わざわざ知ろうと思わない。ただ、命令を受けて敵を殺す、それだけで充分だった。命令によって 示されるのが自分達山犬の敵、正義も悪もない。敵は敵。殺す。
「よーし、じゃ、最初の約束通りバクダンし掛けてトンズラすっか。ちょっと時間かかっちまったなァ。建御雷の連中に心配かけちまったかもしんねぇ、連絡用員にすぐ帰るって建御雷に通信入れさせろ」
「ハッ」
地下五階にもなると、直接通信は通じない。侵攻していくのと同時に、各所に無線ルーターを配置し、リレー通信で入り口に待機させていた
通信兵へと連絡をとる。
が…
「隊長、無線が飛んでいません。どうやら、ルーターが稼働していないようです、故障か、あるいは破壊…」
「アァ?」
鼻白む印出に焦ったのか、一人の隊員が「自分が伝令に…」と言って、生産設備の部屋を飛び出して行ったが、部屋から出てすぐ、銃声が響き、その隊員が血を噴き出しながら飛び跳ね、動かなくなった。
印出のニヤケ面が、どんどん歪んでいく。
その視線の先に、一人の男が姿を現した。
彫りが深く、無精髭が目立つ顔立ち。髪はギスギスした質の悪さ、背は高い。悠然と歩いてくるその姿に、一瞬、山犬部隊全員の視線が釘付けになる。
しかし、それは一瞬であった。
連続し、重なり合うマシンガンの銃声。誰も何も言わずとも、山犬全員が、目の前の和気に向かい発砲していた。無数の銃弾にその身を打たれ、和気の体は激しく踊った後に、仰向けに倒れる。
最初に口を開いたのは印出だった。ニヤケた顔は、多少怒りに歪んでいるようにも見える。
「何だ、まだクズが残ってやがったのか。おい、お前ら、もう一度このフロアを虱潰しに当たって、クズが残ってりゃ始末し」
「変わらないな、お前達は。相変わらずだ。」
印出の指示に答えたのは、山犬兵士の誰でもない声だった。これには、山犬兵士達も動揺する。
「挨拶は撃ってから。それが山犬、いや、東機関だからな。うん、相変わらずだ。」
撃たれ、倒れ伏した和気の向こうから、また、彫りが深く、無精髭が目立つ顔立ち。髪はギスギスした質の悪さ、背が高い男が悠然と歩いてくる。山犬兵士の表情には、幾分の恐怖が芽生え始めている。その男は、先ほど自分達が撃ち倒した男そのものである。
「希釈Hソイルの定期投与による強化人間部隊、か。そりゃ、凡庸な人間なら、マトモに戦って勝てはしないだろう。1000人以上を皆殺し、1000人殺してま だ余るほどの弾薬を背負いながらの大立ち回り、さすがに東機関は人でなしを作るのが得意だ。殺人マシーンばかりを次から次へとこれでもかと」
印出以外の山犬部隊全員の顔が引きつる。何故、それをこの男が知っているのか。強化人間部隊については、強力な歩兵を欲してやまない陸軍にすら知らされていない、東機関の最高機密であるのに。
印出は、むしろ表情が緩んだように見える。ふふん、と鼻で笑った。
「何だ、お前。何かどっかで見た事あるかと思えば、お前、いつぞやのポンコツじゃねぇか。用無しになったゴミだ。バカ高い維持費がかかる機械人形さんじゃねぇかよ。」
印出の言葉を聞いて、和気は笑い声をあげた。
「そうだ、よく知っているなあ、貴様。うん、たかが身体能力の強化程度で済まされている三下の割にはよく知っている。」
和気が嘲ると、印出の目つきが変わる。
口元だけが笑っているが、目は見開かれ、和気に殺意の篭った視線を送っている。
「ごちゃごちゃうっせぇぞ、クズなりの身の振り方もできねぇクズが。」
「貴様らみたいな三下のせいで、俺は立場を追われた訳では無いという事、教えてやろう若造」
先ほど撃ち倒されたはずの和気が、不意にすっくと立ち上がる。そして、2人の和気の背後から、また一人、また一人……
「和気」が増えていく。次々と。次から次へと。
「こいつら、サイボーグだ。中々死なねぇぞ。死ぬまで殺してやれ。」
印出の声で、山犬部隊全員が銃を向け、身構えた。
――――――――――――――――――
遠沢は息を切らして、二神島の森の中を走っていた。叢原火に追いつかれて連れ戻されるかもしれない、とも思っていたが、上手い事撒けたようである。茂みを突っ切り、小川を飛び越えて、二神島の西側に向かって走る。そうして走り続けているうち、洞窟の入り口を見つける。
入 り口の脇には小屋。恐らく歩哨の為の小屋だろう。人が倒れていた。二人は、そのラフな服装からして統一戦線の兵士だろう。頸動脈をすっぱり切られ、大きな 血だまりを作って沈黙していた。その二人は放っておいて、遠沢は、特殊部隊の戦闘服を着て倒れている山犬兵士に駆け寄った。入り口に待機していた通信兵らしい。こちらは体から血を流している。が、駄目だった。もう既に息はない。その兵士は、大きな通信機器のバックパックを背負ったまま事きれていた。
遠沢は、一瞬目を閉じて手を合わせる。そして、その山犬兵士の体から、自動小銃とその弾薬、サバイバルナイフなどを抜き取って、自分に身につけ、洞窟の中へと再び駆け出した。
―――――――――――――――――――――
怒号と悲鳴、銃声が二神島地下五階のフロアに交錯する。「人でなし」達が、広々とした地下工場のフロアで激突していた。
「う"ぉ"お"お"お"お"お"」
山犬兵士が、「和気」の一人に対して懐に入り込み、マシンガンを至近距離で連射した。数十人もの「和気」の中の一人は、その衝撃にひるむが、しかし、血を噴いて倒れたりはしない。すぐに姿勢を立て直して拳銃で撃ち返してくる。
「「「そろそろ、銃で撃っても無駄だと気づかないか?親愛なる山犬の諸君」」」
数十人の「和気」が、それぞれがそれぞれの山犬兵士の相手をしながら、同じ調子で同じ言葉を話す。山犬部隊の方は、既に半数以下にまで数を減らしていた。
「ぉおおらぁああ!」
一人の山犬兵士が、目の前の和気の心臓にナイフを突き立てた。ナイフは確かに、その体に刺さる。しかし、すぐに硬い感触にその刃を阻まれ、心臓にまでは届かない。
「「「死ね」」」
ナイフを突き立てられた和気が、間髪いれずに、目の前の山犬兵士の腹部に拳銃を突き立て、撃った。山犬兵士は血を吐き、目を見開く。
「…ち…くしょ…」
兵士は、手持ちの手榴弾のピンを外す。そして目の前の和気に覆いかぶさり、自分もろとも一人の和気を吹き飛ばした。
山 犬兵士は自爆戦法でしか、和気を倒す事ができない。動きの速さ、反応速度は山犬部隊の方が和気達よりも上だが、和気の防御力の前に、致命傷を全く与えられ ない。つい先ほどまで、統一戦線基地を蹂躙し、レジスタンス達を嬲り殺してきた獰猛な山犬達が、今度は狩られている。同じ「人でなし」に狩られている。
「くそったれがぁああ」
結局、瞬く間に印出以外の全員がその命を散らしていった。印出一人に、複数の和気が群がる。
しかし、印出はやはり、普通の山犬とは格が少し違った。手榴弾なら効くと見るや、自分の手榴弾を和気の一人に対して投げつけた。
「?」
手榴弾を投げつける、それだけなら、和気ほどの防御力なら、少し手榴弾から飛び退いて距離をとり、至近距離の爆発さえ避ければ致命傷にはならない。しかし、印出は、自分の投げた手榴弾が和気に当たる、0距離のその瞬間にその手榴弾を銃で撃ち抜いた。
爆発。一人の和気が血を噴いて動かなくなる。
「よっしゃぁ!」
その他の「和気」の銃撃を右への横っ飛びでかわしながら、右手からのアンダーハンドスローで二つ目の手榴弾を投げる。左手で間髪入れずに撃つ。命中。爆発。
「まだまだァ!」
今度は背後に迫っていた和気に、ノールックでのバックトスで手榴弾を食らわせた。そして振り向きざまに狙撃。命中。
人間離れした美技を見せ続ける印出。しかし、それも長くは続かない。すぐに手持ちの手榴弾が切れる。
「がっ…」
不意に背後から両足を撃ち抜かれ、印出の動きが止まる。そこに、包囲している数人の和気からも銃撃が加えられる。
胴体を中心に血の華が咲く。印出の口から、血がどっと吐き出される。
「ゲボッ」
気管に入った血にむせ返り倒れ伏そうとする印出に、和気達は畳み掛けてくる。一斉に駆け寄り、様々な方向から印出を蹴飛ばした。そしてもんどりうつ印出のその心臓に、とどめとばかりに一人がナイフを深々と突き刺した。
「ぁ"がぁっ…」
健闘虚しくボロボロになった印出の頭を、和気の一人が掴む。
「「「分かったか?俺は決して貴様ら如きの連中に取って代わられたが為に東機関を放逐された訳ではない。もっと複雑な事情によるものだ。能力が評価に結びつかなかっただけだ。そこはしっかりと間違い無いよう覚えて死んでいけ。」」」
印出の頭を掴んでいる和気だけでなく、周囲を取り囲んだ和気全員の口から同じ言葉が発される。体に力を無くし、髪を掴まれて辛うじて顔を上げている状態の印出の顔が、ふと笑った。
「…へぇ…その複雑な事情とやらで…逃げ出して……こんな国賊共と組んじまったってか…」
十人以上の和気の全員の口元がピク、と動く。目が細められ、印出に対する視線が鋭くなる。
「…要するにお前……国に愛されなかったから……だから逆恨みしてんだろ?」
鋭い音が響く。印出の頭を掴んでいる和気が、その横っ面を張った。印出の口の中にたまっていた血が飛び散る。印出は話すのをやめない。
「自己評価と同じくらい…評価されねぇとすまねぇ……愛した分だけ……愛されないとすまねぇ……そして拗ねてこれか……おめぇ、モテねぇタイプだろうなっ!」
印出は、自分の心臓に刺さり、ピクッピクッと拍動に合わせて震えていたナイフを自分で抜き放ち、目の前の和気に振りかざす。その瞬間に、印出の心臓から血が一気に抜け落ち、印出の体は力を失って一瞬のうちに気を失い、ナイフを握ったままで絶命した。
「「「フン」」」
和気はその亡骸を、モノを見るような目で見ながら手放し地面に叩きつけ、そのクシャクシャの頭を思い切り踏みつけた。
「「「!」」」
刹那、銃声が響き渡り、印出の頭を踏みつけた和気が、その首筋から血をプッと吹き出して倒れた。銃撃程度何ともないはずの防御力を持った和気が、一発で倒された。その他の和気達が、地下工場の入り口を振り返る。
そこには、自動小銃を構えた、短い髪、尖った顎、鋭い目つき、シャープな顔立ちの、小柄な女。
「…30名の、皮下防弾装甲処理、機械的身体強化処理を施された複製人間部隊。それら全ての個体を指揮、統括する一つの人格…!」
遠沢に、自分の事、自分達の事を言われて、和気の顔がにやりと歪む。
「「「これはこれは……俺にとっては因縁のあるお嬢ちゃんが現れたもんだな」」」
「「「Hソイルの適合者第一号者の小娘か」」」
――――――――――――――――
サイボーグ技術、アンドロイド技術。
人体を改造すること、そして目的に合った能力の人間を「作る」こと。
その研究は、日本軍の組織の奥深く、誰の目にもつかない所で、しかし莫大な予算を投じられて行われていた。
小国日本の軍事力を、戦艦、戦車、戦闘機、それら兵器の性能の向上によって引き上げようとする動きは、それは世間一般にも知られたものである。技術投資が行 われ、技術革新が起こり、蒙古型戦車は、雷電改は、そして建御雷はその流れの中で作られた。圧倒的物量を誇るアメリカの軍事力、その軍事力の波に呑まれま いとする日本の、物量に質での対抗を試みようとするその努力は、一定の成果を見た。世界一の大国の軍にも、一目置かれ、攻撃した場合のリスクを想定させる程度にはその戦力は向上を見せたのである。
兵器の使用にも高度な知識、技術が要求されるようになった現代戦に於いては、単純な人的兵力の多寡は以前に比べその意味を失いつつある。
そして、日本軍技術本部に流布する「質」の神話は、未だに「数」の持つ意味が大きい歩兵戦力の分野に対しても挑戦を始めた。
兵の「質」の向上を試みるようになったのである。その試みの人道的是非はここでは問わない。そして10年前、ある二つの要素の出現により、機械的肉体改造と人造人間の作成が主だったその分野に、大きな変化がもたらされた。
今は亡き旧ナチス・ドイツによる、失われたはずの研究の産物「幸せ草」、そして「幸せ草」から抽出した「Hソイル」による強化が成功した初めての個体
「遠沢」によって。
――――――――――――――――――――――
3年前だった。印出は暗い部屋に居た。部屋の隅には排泄用の穴、やたらと硬いベッド。明かりが少なくとも、この部屋が薄汚れている事だけははっきりと分かった。印出はここがどこかも知らない。何日の間、日の光を見ていないか分からないくらいである。
「死刑」
その言葉を法廷で聞いてから、この地下の牢に放り込まれ、それ以来、外の世界には出ておらず、この狭い汚い部屋だけが印出に与えられた全ての世界であった。そうして退屈そうな顔をして、ベッドに寝転んでいるだけの印出に、久しぶりに会いにくる人間が居た。
カツカツと鳴る靴音、そして話し声が廊下の向こう側から聞こえてくる。いつも黙って臭い食事を運んでくる看守以外に誰もいない地下牢においては、久方ぶりの刺激である。印出は耳をすませた。
「どういう事ですか?あいつは明日にでも死刑になる凶悪犯ですぞ、今更何の用事が」
「用事があるからわざわざ来ているのです。いちいち我々の意図を末端のあなた方にまで説明して居られますか。彼の処遇は我々に委ねられたのです、黙って従って頂きたい」
はきはきと通る女の声が確かに聞こえ、印出は質の悪いベッドから一瞬で身を起こした。
鉄格子の向こうに、異質な訪問者が立つ。
制服を着こんだ屈強な刑務官が三人、渋い面をした刑務所長、そして
黒のパンツスーツを着込んだ、すらっとしなやかで、背が高く、厚い唇が艶やかな細面の女。
「ほう、噂で聞いた通りの汚らしい男ね」
不敵な笑みを見せながら、東機関・上戸局長は印出を見下ろす。
「何だ嬢ちゃん、婚約でも申し込みに来たのか?」
印出も、ニヤついた顔で上戸を見返した。
―――――――――――――――――――
印出は久しぶりに日の光を見た。眩しすぎて、顔をしかめずには目を開けていられない。
上戸に手錠付きで連れ出された印出は、上戸の車に乗せられ、またどこだか分からない山奥の別荘風の建物の一室に通された。
「風呂にでも入ってきなさい。臭い。」
割と豪華な、しかし窓の無い部屋の中で上戸は印出の手錠を外した。そして体を洗うよう言われる。印出は従った。部屋に備え付けられている風呂も、豪勢な風呂である。印出はここ数ヶ月分の垢を落とす勢いで自分の体を洗った。これでもかと時間をかけて湯に浸かった。ここまで風呂が快適に思えた事はなかった。
風呂から上がった脱衣場には、囚人服ではなく綺麗に洗濯された服が用意され、印出はそれを着込んだ。部屋に戻ると、上戸がテーブルの席についていた。
「ここに座りなさい。」
印 出はその言葉にも従い、上戸と対面するように座った。上戸が立ち上がってテーブルの上にあるティーポットを手にとり、印出の席に置いてあるティーカップに 赤茶色の液体をなみなみと注いだ。上戸が自分のカップにも紅茶を注いでる間に、印出は何も言わず、カップを手にとって上戸の入れた紅茶を飲んだ。上戸が呆れた顔をするのも、印出は意に介さない。
「うめぇ茶入れるじゃん、りえちゃん」
「馴れ馴れしいわよ。…気持ち悪い」
馴れ馴れしく下の名前を呼ばれ、毒づいて印出を睨んだ上戸の様子に、印出は更に嬉しげにニヤつく。
「なんだい、じゃあ局長様とか呼んで欲しいかい?東機関のうら若き局長様。泣く子も黙る東機関を統べる、日本の裏の女王様だ。それがこんな死刑囚に何の用だ?俺に惚れちまったとしか考えられねーなー」
「それはないから安心しなさい」
ムキになるのはこの男に対しては無駄だと分かった上戸は、すぐに澄ました顔に戻って、自分の紅茶を啜る。
「あなた、人間的には認めたくないけど、それなりに優秀な傭兵だから。ウチも人手不足だから拾ってあげようかと思っただけの話。」
「へぇえ、一度戦った相手でも利用しようというその節操の無さァ。やりあった時からその感じは分かっちゃいたけどな。」
印出は傭兵だった。紛争地帯を巡り巡って戦う傭兵だった。ある時は米軍の外人部隊、ある時は中東反米ゲリラの一員、ある時は反中共の民族戦線、ある時は…etc
金と働く場を求めてどこにでも行き誰とでも戦った。自分は敵を殺す兵器の一部でさえあればいい。自分の武力の使用権を売り、自分の力がどう使われようと知った事ではない。
そうしてつい最近雇われたのが、日本内の共産ゲリラだった。印出にとっては働く場所が生まれ育った国であろうと、国籍上の祖国が敵であろうと関係がない。自分がどういう目的に使われるかには興味がない。
ただしかし、印出はこの仕事を受けた事を後悔はした。
こちらから打って出る前に、日本政府側に攻め込まれた。東機関だ。
印出も、常に自陣営を勝ちに導いてきた訳ではない。一人の歩兵が出来る事など限りがある。自陣営が負ける事も数えきれないくらいあった。しかしその度、上手い事逃げおおせていた。今回はそれすらもままならなかった。
圧倒的な差があった。完敗だった。
「あなた、何と戦うか、何の為に戦うかは興味がないと言ったわね。だったら、ウチに雇われても問題は無いでしょう。我々はあなたの衣食住と仕事を保証する、あ なたはあなたの力を提供する。国家反逆罪で死刑のはずだったのに、国の為に能力を活かしながら生きていける。多くの人々の役に立ちながら生きていける。悪 くない話じゃないかしら?」
「衣食住の保証だけで命のやり取りする値段に足る訳ねえだろふざけんな」
上戸の提案を印出は鼻で笑う。椅子に踏ん反り返って、伸び放題の髪をいじりながら上戸を斜めから見た。
「何の為に戦うか興味はねぇ。だから国の為に戦う事が、反政府ゲリラで戦う事より道徳的に立派だろうと、そんな価値はどうでもいい。そんな糞みたいな条件で働けるかバーカ。経済の市場化に逆行するにも程があらァ。何だ衣食住の保証って。共産主義かよ」
印出に強烈に突っぱねられた上戸の、厚い唇がピク、と痙攣したように震える。心なしか、眉間に皺が寄る。
「…貴様、どうして我々が日本赤軍の10分の1以下の人数にも関わらず、ああも圧倒的に状況を制圧できたか、分かるか?」
「個人の練度が違いすぎた。さすがに正規の特殊部隊とゲリラじゃ、比較にもならねえ」
「貴様は、二階まで壁を駆け上がったり、銃身の傾きで射線を読んだり、そんな事が訓練だけでできるようになると思ってるのか?」
上戸の表情は変わらない。しかし、先ほどまでと明らかに雰囲気が違う。高く通る声が低くなった。女言葉が無くなった。わずかに顔の筋肉が強張っている。
いや、違う。表面上の何かではない。
全身から発される威圧感を感じて、印出の顔からニヤニヤが消えていく。
上戸は、ズボンのポケットから、一つの小瓶を取り出した。中には液体。毒々しい明るい桃色の液体が入っている。
「世の中には不思議なものがまだまだあってな、『幸せ草』…その中の、特定の成分……それを抽出した液体はHソイルと呼ばれるが……それを摂取すると、人の能力は飛躍的に向上し……場合によっては、人を超えた何かとなる」
上戸はその小瓶を天井の灯りにかざした。屈折した光が虹色に輝いて、なんとも美しく
そして不気味だ。
「画期的な発見だ。人をより高次の存在に進化させかねん、ある意味神の力を持った薬品といえる。」
「お前ら、薬物強化した歩兵を使ってやがったのか…」
印 出の顔が引きつっている。さすがの印出でも、戦う為だけに薬物を使って兵を強化するという発想には笑ってはいられないようだ。ステロイドなど、スポーツで 禁止されている身体強化のホルモン剤なども、戦争においてはルールが無いのだから、別に使ってもいい事になる。しかし、それをしている国は、印出には心当 たりがない。兵を薬漬けにして強化し戦わせる、その人道的問題はあえて言うまでもない。
そもそも、戦闘自体が非人道的行為ではあるのだが。
「しかし、こういったモノには大抵問題が付き物だ。人が変節する時、それは何かを失う時だ。抽出した原液のままのHソイルを射たれて生き残った者はこれまで僅か10人。被験者は数万人だがな。」
印出は息を呑む。数万人を、このエキスの実験の犠牲にした日本に。それを平気で語る目の前の女に。
「希釈に希釈を重ねて効き目を薄めた結果、ようやく人が死ななくなった。効果は身体能力の増強に留まってしまったが、仕方あるまい。それだけでも十分な成果 だ。しかし、今度は新たに依存性の問題が表出してきた。原液に適合した人間は成分を体内で再生産できるらしいが、希釈Hソイルによって増強された兵士は、摂取を止めて10日で、例外なく禁断症状を起こして死ぬ。」
ふと、上戸は印出に笑いかけた。ふふ、と鼻を鳴らす。
「貴様、元気そうだな、やたらと。何故だと思う?あんな地下牢に閉じ込められて、ロクな食事も与えられていないのに、どうして力が漲っているんだろうな?ククク」
「なっ、まさかっ…」
いつもは毅然としている上戸が、一気に、無邪気な、愉快そうな顔を見せた。
「一週間前から地下牢での貴様の食事には希釈Hソイルを混ぜていた。もう貴様は立派な中毒患者だ。貴様はもう我々の手の中でしか生きる事はできない!でないと一人で勝手に悶え死ぬ!」
「この野郎ぉ!」
印出は椅子から立ち上がり、テーブルを一気に乗り越え飛びかかった。その動きの軽さ、速さ、それは彼が捕まる前に戦った東機関の兵士のそれと変わりがなかっ た。しかし、上戸はそれよりも更に速い動き、まさに電光石火で、飛びかかる印出を投げ飛ばし馬乗りで押さえつけ、床に這わせて腕を捻じり上げる。
「最 初から貴様に駄々をこねる権利などない!貴様の命は既に日本というこの国家のものだ。国家反逆罪を犯した時点で、貴様の命は貴様のものではなくなった。死 刑か、日本にその命を使われるか、そのどちらかしかない!貴様はクズだ。人の命を奪って金に替えてきたクズだ。守る為でなく欲の為に戦うクズだ。自分でク ズに堕ちておいて、善良で罪なき国民と同じだと思うな。しかし、善良で罪なき国民を守り国を守る為には、そういったクズの方が都合が良い時もある。光あれ ば影あるのは世の常だ。貴様はクズの生き方しかもうできん。捨てられるか、クズなりの役割を果たすか、さあ、どちらか選べ!」
上戸がまくし立て、床に押し付けた印出の頭に、射殺さんばかりの鋭い視線を投げかける。横目で鬼のような、それでいて美しい上戸の形相を見て、印出の顔にはまた、ニヤニヤが戻りつつあった。
はは、ご機嫌だぜ。
―――――――――――――――――――
印出は、血だまりの中に顔を埋めていた。その様子も、遠沢の目にははっきりと見える。最後の最後、ボロボロになってもなお抵抗の意思を失わなかった、猛々しく哀れな戦闘狂の亡骸だ。
「「「ふん、首筋にいくつかある皮下装甲の脆い部分…丁度弾丸一つ分の直径の弱点を正確に撃ち抜いてくるとは、普通の人間の基準で言えば、大したものだな」」」
和気は、遠沢一人が現れたくらいで動じない。
むしろ、それを喜んでいるような様子すら見せている。
「「「しかし、あまり賢くはないなお前。入り口で倒れていた通信兵の通信機を放っておいた。普通報告くらいするだろう。この穴ぐらに入ってくる前に状況くらい確認しておいても良かったはずだ。それをせずにここまでノコノコと。」」」
十数人の和気が、同じ笑みを浮かべて自分を見るその光景に、遠沢は僅かに眉をひそめる。
「「「山犬達もそうだ。たださっさと基地内に爆弾を仕掛けてこの穴ぐらを吹き飛ばして帰れば良かった所を、わざわざ基地の奥底までやってきて、一人残らず確実に殺 す事にこだわった結果がこれだ。俺などわざわざ相手にする必要はなかった。殲滅。東機関の好きな言葉だ。その馬鹿馬鹿しい命令のおかげで、建御雷も、地獄 に落ちる。山犬が、その能力を以てすれば手早くできた事をしなかったおかげで、この近海に中共艦隊が展開する時間ができた。」」」
「中共艦隊?」
表情少なな遠沢の目が、その切れ長の目が、少し見開かれる。
「「「そうだ。この島のすぐそばに、臨戦体制で待機している。何か間違いが起これば、すぐにでも戦闘状態に入るだろうな。」」」
その時、地下の部屋に、バシュゥーーー…
という音が響いた。まるで、何かを打ち上げたかのような音。遠沢も聞いた事がある。それは、まさしく、ミサイルの、発射音。
「「「慌てる建御雷の姿をこの地下では見れないのが残念だ」」」
遠沢の体が総毛立った。
―――――――――――――――――――
「なっ!!!」
CICで、レーダー手長の山本が思わず声を上げた。建御雷のレーダーの画面に、唐突に一つの光点が出現した。その光点は、二神島の西側岸壁付近から突然現れ、そして、中共との国境線に向かって、高速移動を始める。
「二神島西側より、噴進弾一基出現!!針路2-9-0、中共艦隊に向け飛翔中!」
「何だと!?」
田中が、山本の言葉に、艦長席から身を乗り出した。
「統一戦線が、中共艦隊に向けて攻撃を?」
脇本は、この事態の意味をよく分かっておらず、田中の形相にきょとんとしている。
長岡は、一瞬置いて、何事かを理解した。
冷たい手で心臓を鷲掴みにされたような感覚。背筋が震え、縮み上がる。
建御雷が着陸している二神島から、臨戦体制を整え緊張状態にある中共艦隊へ、一発のミサイル。中共側から見れば、その一発のミサイルが実際の所、統一戦線側 から放たれたとは分からない。そもそも、建御雷が現在、国内のゲリラとの戦闘を行っているという事を理解しているかも定かではなく、この島に「陣営」が二 つ存在するという事を知らない可能性もある。
中共艦隊は。
この一発のミサイルを。
建御雷からの攻撃だと。
解釈するだろう。
第五話に続く。
ページ上へ戻る