ラ=トスカ
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第一幕その六
第一幕その六
「後でね、あの別邸に行ってから」
「別邸?僕の家に来ればいいのに」
「私はあの別邸が好きなの。銀の星々が散りばめられた紫の空の下で赤や黄の花々、青い泉、そして緑の草達が芳しい香りで私達を誘っているのよ。愛の女神の泉みたいに。私には自分でも抑えられない激しい気が狂いそうになる程の血が流れているの。貴方の為に。その血があの邸を欲しているのよ」
「解ったよ。じゃあ今日の仕事が終わったら夕食を食べる時に待ち合わせよう」
「御免なさい、それは出来ないわ」
「何で?今日は休みなんじゃ」
「急にファルネーゼ宮で歌う事になったの。短いカンタータだけれど」
「成程」
何故彼女が急に歌う事になったかカヴァラドゥッシはすぐに理解した。だが顔には出さなかった。
「朝になったらヴェネツィアへ発つ準備をしましょう。あの街には何回かお仕事で行った事があるけれどとても素敵な街よ。今から楽しみだわ」
「そうだね、じゃあ僕も早く仕事を終わらせるか」
「そうしましょう」
こう言って絵に花束を捧げた。ふと絵を見上げた。
「この絵ね。貴方が今描いているのは。・・・マグダラのマリア?」
「そうだよ。気に入ってもらえたかい?」
「いいえ」
「どうしてだい?僕はよく出来ていると思うんだけど」
「金髪に青い瞳なんですもの。茶の髪と黒い瞳じゃなければ嫌よ」
「おいおいフローリア、それって君のことじゃないか」
思わず苦笑する。
「悪い!?」
「いいや、君らしいなと思って」
「けれど確かによく出来ているわね。誰かに似てるけど」
「ああ、マルケサをモデルにしたんだ」
「マルケサ?アッタヴァンティ侯爵夫人の事!?」
「そうだよ。彼女とは幼馴染だしよく知っているしね」
「マリオ、貴方ひょっとして・・・・・・」
疑惑の目を恋人に向ける。
「ちょっと待ってくれよ、何でそうなるんだよ。彼女は単なる幼馴染だよ」
「どうかしら。美人だしその上情友がいらっしゃる方ですし」
「あのねえ、フローリア」
ふとカヴァラドゥッシの顎鬚が目に入った。
「まあいいわ。今日は信じてあげる」
「良かった」
「このお髭に免じてね」
両手でカヴァラドゥッシの顎をさすった。
「私が貴方を好きなった理由を思いだしたの。このお髭が私の目に入ったから。沢山の人が似合わないって言うし司教様なんか早く剃られなさいって仰るわ。けれど私は嫌。貴方のこのお髭がなくなったら生きていられないわ」
「フローリア・・・・・・」
再びトスカを抱き寄せようとする。トスカはそれをまた宥めた。
「マリア様の御前だから駄目って言ってるじゃない。それは後で」
「解かったよ」
多少渋がりながらもそれに従う。
「じゃあそろそろ宮殿へ行って来るわ。パイジェッロ先生と打ち合わせをしなくちゃいけないから」
「それが終わったら別邸においで。夕食とワインを用意して待ってるよ」
「楽しみにしてるわ」
立ち去ろうとする。扉を開けた時に振り返った。
「マリア様の瞳は黒にしてね」
「うん、じゃあそうしとくよ」
「絶対よ」
扉を閉め教会を後にした。中にはカヴァラドゥッシだけが残された。
「そうか敗れたか。ならば急いだ方がいいな」
そう呟き礼拝堂の方を見た。アンジェロッティが出て来ていた。
「さっきの話の続きだけれどこれからどうするつもりだい?」
「ローマを脱出するつもりなんだ。僕を逃がしてくれた城の典獄の手引きでね。女に化けて」
「服は?」
「弟と妹が礼拝堂の中に隠しておいてくれた」
礼拝堂の中を指差した。
「そうか、そしてその典獄は何時ここへ来るんだい?」
「明日の朝だ」
「じゃあその服は着ておいた方がいいよ」
「どうしてだい?」
「夜になるとこの教会は冷え込むからね。用心にこした事はない」
「そうか。じゃあ早速着るとしよう」
礼拝堂へ入り衣装を取り出してきた。白っぽいドレスとヴェール、そして扇である。
アンジェロッティは服を着込み始めた。ヴェールを被ろうとしたその時遠くの方から砲声が聞こえて来た。二人は愕然となり顔を見合わせた。
「城の方からだ」
アンジェロッティの顔が蒼白になった。
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