アンドレア=シェニエ
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第四幕その三
第四幕その三
「私の最後の詩だ」
「・・・・・・確かに受け取った」
彼は言った。小さいが確かな声で。
「有り難う」
二人は固い握手をした。鉄格子を挟んで。そこに先程の兵士が戻って来た。
「ムッ」
ルーシェは素早く髭を着けた。そして兵士に顔を向けた。
「時間です」
「そうか」
そして頷いた。
「ではこれで」
「うん。永遠にさようなら」
「そう、永遠に」
これが最後であった。二人は最後に互いを見た。
ルーシェは背を向けた。そして終わりであった。
「今日で終わりだ」
シェニエはルーシェの姿が見えなくなったのを確認して言った。
「けれどその最後に友と会うことができた。神よ、このご配慮に感謝致します」
そして片膝を折った。
「これで思い残すことはない。あとは暫く休もう。最後のその時まで」
椅子に座った。そして目を閉じる。眠るつもりであった。
だがそれは出来なかった。また誰かがやって来た。
「ん!?」
シェニエはその気配に気付いた。顔を上げた。
新たに二人来ていた。二人共彼が非常によく知る者であった。
「ジェラール」
まさか来るとは思わなかった。そしてもう一人。
「貴女がここに来るなんて」
マッダレーナはシェニエに対しにこりと微笑んだ。
「シェニエ」
ジェラールが語りかけてきた。
「この方と話をしてくれないか」
「喜んで」
ジェラールはその言葉に黙って頷いた。そして鉄格子に向かった。
「む!?」
鍵に手をかけた。そして鍵をあけたのだ。
「ジェラール」
「最後だ。いいだろう」
彼はそう言って微笑んだ。
「いいのかい?君にも迷惑がかかるよ」
「おかしなことを言う」
ジェラールは笑って言った。
「私が今更そんなことを気にすると思っているのか」
「いや」
ジェラールもまた覚悟を決めているのだ。そして彼はマッダレーナを導いた。
「どうぞ」
「はい」
マッダレーナはそれに従い中に入った。二人は鉄格子の中で向かいあった。
「お久し振りです」
マッダレーナは静かに言った。
「確かにね。ほんの数日しか経っていない筈だけれど」
シェニエは言った。
「まるで何十年も経ったかのようだ。時の経ち方は本当に不思議だ」
「はい」
「最後に会えて嬉しいよ。けれどこれが本当に最後だ」
「いいえ、違います」
彼女はそこで首を横に振った。
「私も一緒です」
「そんな冗談は言うものじゃないよ」
シェニエは強い口調で言った。
「貴女はまだこれから長く輝かしい人生が待っている。それを送らずしてどうするのか」
「いえ」
彼女は再び首を横に振った。
「私の命は貴方に捧げられています。だから」
「共に死ぬというのか。しかし」
「今日の死刑囚の中に一人の若い婦人の方がおられますね」
「それは聞いているよ」
シェニエは答えた。
「名前は確か・・・・・・。レグレイといったね」
「はい」
「あの人が何か」
「あの方の替わりに私が行きます。断頭台に」
「馬鹿な、そんなことが」
シェニエはマッダレーナだけでなくジェラールも見た。鉄格子の向こうにいる彼は黙って頷いた。
「そうか、名前を書き換えたのか、君が」
「そうだ」
ジェラールは答えた。
「彼女もまた無実で死ぬ身だった。マッダレーナは彼女と替わった。それにより一人の罪なき女性の命が救われる」
「そうか」
シェニエは全てを理解した。そしてそれを受け入れた。
「わかった」
彼は言った。
「私は行こう、貴女と共に」
「はい」
マッダレーナも頷いた。
「それこそが私の願いです」
「そうか、ならば共に行きましょう。最後の戦いに」
ジェラールはそれを黙って見守っていた。だがやがてそこから立ち去った。
「俺にも最後の仕事がある」
彼もまた命を捨てていた。
「この二人を救わなければ。何としても」
彼は向かった。死を司る男の下へ。
「同志ロベスピエール」
彼の同志でもある主人でもある男。ジャコバン派の絶対者だ。
「何としても彼から手に入れなければ。二人の命を」
決意した。そして一直線に向かった。
だがシェニエもマッダレーナもそれに気付いてはいなかった。ただ硬く握手をしていた。
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