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シンクロニシティ10

作者:ミジンコ
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第十二章

 石田は人一倍感性が強い。妹が死んだと思われる時刻にも、両親が死亡事故を起こした時刻にも、胸騒ぎを覚え、息が乱れた。何がそうさせるのか分からないが、人並みはずれた感性を持っているのは確かだ。
 そしてもうひとつ、石田の石田たる所以がある。それは人の死が終着点でないこと、死が無を意味していないことを経験から知っていることだ。それは石田が中学一年の夏休み、祖父が亡くなり、その納骨式の日に体験した。
 納骨式が行われる日、再び親戚一同が集まった。女達の賑やかなおしゃべりが延々と続き、納骨式までの時間をつぶす一時だった。父と、その兄である叔父もお茶をすすっては、騒がしい女姉妹に苦笑いするばかりだった。
 その時、3歳になったばかりの石田の従兄弟が、昼寝から覚めると突然火の付いたように泣き出した。そして泣きじゃくりながら訴えたのだ。
「じっちゃんが、穴がない、穴がないって泣いてるよ。可哀相だよ。」
一同驚いて、悪い夢でも見たのだろうと、子供をあやそうとするのだが、抱こうとする母親の手を払いのけ、何度も何度も同じことを大人達に泣きながら訴えたのだ。
「じっちゃんが、可哀相だよ。穴がないって、泣いているんだ。可哀相だよ。」
大人達はその意味をはかりかねた。年端のいかぬ子供のざれごとと誰もが解釈し、笑ってその場をやりすごした。
 納骨式は順調に執り行われた。しかし、読経がすみ、墓石を動かす段になって、皆はてと首を傾げた。あるはずの墓穴が見つからないのだ。本来あるべき所になく、もしかしたらと思い、下の石も動かしてみたがやはり穴はない。
 その時、その場にい合わせた全員が、子供の訴えていた意味を理解するとともに、背筋が寒くなるような感覚を味わった。じいさんが子供の口を通じて自分の意思を伝えていたのだ。そこで石田が感じたことは、死、すなわち無ではないということだ。
 家に帰って数後日、そのことを思い出し、父に聞いた。
「やっぱり、死んだ人には墓が必要ってことなの。」
「さあ、どうかな。お父さんだってそれは分からない。でも、おじいちゃんって人は、冗談が好きで、ちょっと皮肉屋さんだった。それに家族ではいつも自分が中心でなければ気がすまない人だった。」
「だから?」
「だから…、」
笑みを浮かべ、遠くを見るような眼差しでこう続けたのだ。
「僕達を驚かそうと思ったんじゃないかな。誰一人、おじいちゃんのことを話題にもしていなかったから。」
「でも、なんで穴がなかったの。」
「おじいちゃんはお墓を二つ買っていたんだ。自分が先に死ぬと思っていたから、ひとつは墓穴を用意していた。もうひとつは息子夫婦用だからまだいいだろうと思っていた。だけど、叔母さんがおじいちゃんより先に死んじゃっただろ。」
「明叔父さんは、穴のある大きな墓を叔母さんに使っちゃたんだ。」
「そうだ。だけど、おじいちゃうんは何も言えなかった。叔母ちゃんの葬式の時、明叔父ちゃんがわんわん泣いていたの覚えているだろう。だから、おじいちゃんは心の中で、自分のために用意した墓を叔母ちゃんに譲ったんだよ。」
 父親は祖父のいたずらだと言ってのけた。単なる偶然とは言わなかった。中学生だった石田にとってそれは世の真実のひとつとして素直に受け入れることができたのだ。
 大学に入って唯物論や機械論的宇宙論に接したが、全く馬鹿馬鹿しい空論としか感じなかった。真理に触れたことのない人間が作り出す理論は、理屈っぽくてぎすぎすとしている。目を閉じ素直に感じることの方が大切なのだ。
 経験はその人間の世界観や価値観を決める大事なエレメントなのだが、既にそれを確立した人間は、その貴重な経験さえ記憶の片隅に追いやってしまう。実を言うと、半年後、父親はその逸話のことを全く覚えていなかった。直後の素直な感想は、常識という壁を越えられず、理性によって記憶は消し去られていたのである。
 石田は、和代も両親もあの世で幸せに暮らしていると信じている。にもかかわず、憎しみを克服出来ない理由があった。それはこの世で受けた苦しみは、この世で返さなければならないという強い復讐心があるからだ。

 そこは中野の小さな飲み屋である。店の親父が無口なのが気に入った。カウンター越しに目も合わさず肴を置く。刺身が新鮮で安い。小さな店にありがちの馴染み客同士の仲間意識も希薄で、一人ぽつねんと酒を飲むにはもってこいである。

 石田は杯の最後の一滴を飲み干し、席をたった。相当に酔っていて、足元がふらついている。ガラス戸を後ろ手に閉めて、細い路地を歩き出した。このあたりは中野駅南口から歩いて5分だが、細い路地に囲まれた住宅が広がっている。
 しばらく歩いて、大通りのサブナードに通じる太い道に出た。ここも何軒か商店や飲み屋はあるが、まだ住宅街が続く。ふと見ると、道の端にワゴン車が止まっている。その横を、石田が酔った足取りで擦りぬけようとした時だ。
 ワゴン車の後方から一人の男が、するりと石田の背中に回った。と、前からもう一人の男が現れた。後ろの男はいきなり石田を羽交い締めにして、前から現れた男が距離を一挙に詰め、石田の腹に拳を叩き込んだ。と思ったが、その男は後ろにのけぞって倒れた。石田の前蹴りが前の男の鳩尾を突いたのだ。
 石田は、羽交い締めする男の首筋に肘打ちを繰り出すが、男の力は思いのほか強い。それでも何度か繰り返すと、男が、「うっ」とうめき声を発して、よろめいた。石田は振り向きざま男の股間を蹴り上げ、前のめりになった男の腹に膝を叩き込んだ。男は一瞬にして気を失った。
 
いきなりワゴン車が急発進し、軋みをあげて路地を曲がっていった。二人の男が路上に放り出されている。石田は携帯で110番をした後、二人の男を見張った。一人が起き上がろうとするのを、石田は顔を殴り付けまたしても気絶させた。
 しかし、パトカーを待つ間に石田の気が変わった。相当に酔っていたし、全てが面倒になっていたのだ。眠気の方が勝った。一刻も早くシャワーを浴び寝床に飛び込みたかった。だから二人を置き去りにして、その場を去ろうとした。
 ふと見ると、一人の男の手に黒光りするものが握られており、それが上着の端から覗いていた。石田は屈み込むとその男の手から黒光りするものをもぎ取った。拳銃である。石田は昔からガンファンである。モデルガンを幾つも持っている。石田はその拳銃をベルトに差し込むと、千鳥足でその場を立ち去った。

 家に帰ると、冷たいシャワーを浴びた。アルコールが飛ばされ冷静になるに従い、どうもここが安全ではないように思えてきた。奴等は強盗ではない。何日か前にも、黒のワゴン車をマンションの近くで見かけたことを思い出したのである。
 石田は浴室を出ると部屋の電気を全て消した。十分後、必要な着替えや小物を入れたリックを背負い、外に出るとドアの鍵をかけた。拳銃はベルトに刺している。そしてビルの非常階段の下に潜んだ。何故かわくわくしている。
 それからおよそ20分後、エレベータの音が聞こえ、石田の住む5階で止まった。またしても二人の男が石田の部屋の前に立った。さっきの男達だ。一人がキーを錠前に差し込んだ。石田は「やはり」と呟いた。
 男達が部屋に入ると、石田は非常階段を駆け下りた。間違いなくあの黒のワゴン車が下に控えているはずだ。二人が、部屋に石田がいないことに気付き降りてくる前に、そのワゴン車を何とかしなければならない。
 案の定、黒いワゴン車がそこにあった。その時、向かいのマンションの前にタクシーが止まった。若い女がタクシーから降り立つところだ。石田はワゴン車の運転手に気付かれぬよう迂回してタクシーの後部座席に滑り込んだ。
「あの黒のワゴン車の後をつけてもらいたい。謝礼ははずむ。」
若い運転手はにこりとして頷いた。見るとマンションから二人の男が出てくるところだ。二人を収容すると黒のバンは発車した。
タクシーはすぐに発車せず時間差をもってゆっくりと滑り出した。

 翌日の午後10時過ぎ、晴美は、自宅50m程手前に止っていたセドリックの後部座席にいきなり押し込められた。叫び声もあげる間もないほど、それは手際良くなされた。そうとうに手馴れた男達のようだ。
 二人の男に両側から押さえつけられ、晴海は身動きもとれない。
「あんたたち、誰なの。私をどうしようというの。」
叫ぶように言うが、返事はない。二人の男は顔を隠そうともしていない。冷酷そうな目をした若い男と、分厚い筋肉の塊のような40がらみの男だ。
 晴美は恐怖に体ががたがたと震え出した。車は首都高に上がってゆく。若い男がポケットから黒い袋を取り出すと、晴美の顔にすっぽりと被せた。

 どこをどう走ったのか全く分からない。1時間ほど走って、車は停車した。ガラガラというシャッターの閉まる音が止んで、晴海は車の外に連れ出された。そこはガレージの中なのだろう。明かりが厚い布地をとおして感じられる。
 ギーという音とともに床が振動している。しばらくして振動が止ると、二人の男に導かれ晴美は歩を進めた。そして足先が宙を泳いのだ。恐怖にキャっと声をあげるが、階段だとすぐに気付いた。二人の男が下がって行くのを感じたからだ。地下室になっているようだ。
「ここはどこなの。いったい私に何をしようというの。」
晴美の声は恐怖に打ち震えている。右側の太った男が答えた。
「何もしない。静かにしていればいいんだ。」
階段を降りきると、被らされていた黒い袋が取られた。晴海は部屋の内部を見回した。そこは20畳ほどの広さがあり、薄汚れた大きな工作台が一つ、それに見たこともない機械類が散在し、隅にはダンボール箱が山済みにされている。
 そして晴美を驚かせたのはまるで牢屋としか思えない部屋が三つも並んでいることだった。小窓が開いているがそこには鉄格子がはめ込まれている。若い男が真中の部屋の開けると、太った男が晴美を中へ突き飛ばした。そして扉が閉められ、鍵の閉まるカチッとい音がした。
 部屋に明かりはない。地下室の明かりが小窓から洩れてくるだけだ。まるで診療台のようなベッドに毛布が畳まれて置いてある。その脇に小さな穴が開いており、そこから異臭が漂う。それは便器のようだ。
晴美はベッドに倒れ込みしくしくと泣いた。

 石田に晴美失踪が伝えられたのは翌日である。新宿のビジネスホテルの一室で、石田は榊原の緊迫した声を聞いて、思わず息を飲んだ。一昨日の襲撃に続いて、今度は、晴美が失踪したという。この二つの事件に関連があるのだろうか。
「幸子さんが言っていたんだが、晴美さんは、昔は何度も無断外泊をしたが、最近は全くなかったそうだ。それに、昨日、晴美さんと一緒だった友人が、今日、会う約束をしていたんだが、すっぽかされたらしい。携帯もつながらなくなっている。」
「榊原、例の昔のボーイフレンドがいただろう。しつこく付きまとっていたらしいが、そいつはどうなんだ。」
「ああ、さっそく当たってみたが、野郎、少年院送りになっていやがった。洋介君に続いて晴美さんまでいなくなった。いったいどうなっているんだ。」
「実はな、榊原、俺も二日前、中野の路上で二人の男に襲われた。そいつらは、俺のマンションの鍵を持っていた。薄気味悪いので鍵を交換中だ。」
石田は、二日前に襲われた経緯を語った。しかし、拳銃を手に入れたことは黙っておくことにした。聞き終えると、榊原は困惑顔で言った。
「おいおい、晴美さんに続きお前も襲われていたって、それって本当かよ。」
「嘘を言ってどうする。俺を襲った男達の目的は、やはりお前から預かったあのDVDかもしれない。いや、一連の事件が関係あるとすれば、例のMDのことも気になる。」
「いや、MDの方は、この前も話した通り、製薬会社から盗まれたもので、そのうち、どこから盗まれたか分かると思う。だから洋介君失踪の原因になったとは思えない。お前が襲われたのは、これは、どう考えてもDVDが原因だろう。」
「そうかもしれない。奴等は俺のマンションの鍵を持っていた。しかし家捜ししたって見つかるはずはない、DVDは会社のロッカーの中だ。奴等はお前の仲間じゃないのか。」
「いや、いくらなんでも内の連中はそこまでやるとは思えない。そこまで落ちてはいない。」
「どうせ誰かを雇ってやらせたんだろう。それに奴等は拳銃を持っていた。ヤクザじゃないかな?ところで、俺はその連中の後をつけて住んでいるところを確かめた。」
「本当か。」
急に声を潜め、
「良くやった。よし、その場所を教えろ。いや、これから会おう。詳しく状況を聞きたい。どこにする。」
「そうだな、新宿がいい。学生時代、よく行った例の店ではどうだ。店の名前は言えないがな。ハハハハ…」
榊原は笑いながら言った。
「その言い方は、まるで、盗聴を気にしているみたいだな。」
「お前の話だと、警視庁の仲間さえ信じられないみたいじゃないか。」
「この電話は大丈夫だ。朝必ずチェックしている。それでは1時間後に。」
榊原が電話お置くと、斜め前にいる佐伯の目が点になっているのが分かった。まったく分かりやすい男である。聞き耳を立てなくとも、榊原は興奮して大きな声を張り上げていたのだから、すべて聞こえたはずだ。榊原はちらりと佐伯係長を一瞥し声を掛けた。
「ちょっと出てきます。」
と言って、にこりと笑いかけたが、すぐに険しい顔に戻って席をたった。

 佐伯係長の顔は青ざめていた。先日、駒田捜査四課長が主催した秘密ミーティングのおり、幸子、晴美親子の名前も、秘密のDVDの存在も聞いていたからだ。その晴美が失踪し、その晴美の関係者と思われる男が誰かに襲われたたらしい。まして榊原は相手に「内の連中はそこまでやるとは思えない。」と言っている。
 佐伯は榊原の意見に賛成だった。そして呟いた。「俺達だって、そこまで、落ちてはいない。」
佐伯はしかたなく受話器を取り上げた。

「何だと、そんな馬鹿な。おい、坂本と石川を呼べ。」
駒田課長は、佐伯が報告すると血相を変えて怒鳴った。駆け付けて来たのは石川警部だけで、坂本警部は出かけているらしい。
 応接に腰を掛けている佐伯係長に、駒田は顎で出て行くように指示した。秘密を知る人間はできる限り少ない方がよい。部屋を出ようとする佐伯に、駒田が声を掛けた。
「さっきの話しは聞かなかったことにしろ、いいな。」
「分かっております。」
佐伯は一礼してほっとしたような顔で部屋を去った。
「石川警部、あの情報屋には何を頼んだんだ。」
と言って、佐伯が漏れ聞いた話を語った。見る見るうちに石川の顔が青ざめてくる。聞き終わると、両掌で顔を覆い、そして額の汗を拭った。そして言った。
「私は少女を誘拐しろなんて一言も言っておりません。」
「当たり前だ。そんなことをしてみろ、こっちが犯罪者になってしまう。この前の情報屋の話では、榊原からDVDを預かった男がいて、そいつの部屋を家捜ししたが見つからなかったということだった。その後のことはどうなっている?」
「ええ、情報屋はその男に直接接触してみると言っていました。金が必要なら、こちらが用意する旨、申し伝えておきましたが…。」
「では、本当に、その少女の誘拐とは関係ないんだな。」
「ええ、ただ…」
「ただ何なのだ。」
「実は、情報屋が言うには、榊原の愛人の娘は相当のあばずれとかで、男友達の家に泊まって帰ってこないことも多いのだそうです。その娘を何とかしましょうかと言うので、つまり、旅行にでも連れ出して、その間、榊原に脅しをかけるみたいなことを言いましたので、それは止めておけと釘を刺しておきましたが。」
「おい、本当か、本当にそんなことを言っていたのか。おい、ぐずぐずするな、すぐその情報屋に会って、問い詰めろ、何もしてないってことを確かめるんだ。ぐずぐずするな。」
駒田の怒鳴り声が部屋を揺るがした。石川は追いたてられ、あたふたと部屋を出ていった。ドアの前で最敬礼するいつもの動作さえ忘れている。駒田課長の眉間に寄せられた深い皺に沿って脂汗が一滴流れた。 
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