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シンクロニシティ10

作者:ミジンコ
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第十一章

 榊原から電話を受けたのは、昼休みの転寝の最中だった。つい最近、省エネ対策で昼休みは消灯となり、その時間は食後の昼寝に当てることになった。夢うつつのまま受話器を耳に当てると、野太い声が響いた。
「おい、石田、ちょと頼みたいことがあるだが、今日会えないか、例の店で。7時でどうだ。」
一呼吸おいて石田が答える。
「ちょっと仕事が押してるんで、遅れるかもしれない。電話するから、携帯をオンにしておいてくれ。お前の携帯、めったに繋がったことがない。」
「分かった、そうするよ。それじゃ、7時に。」
電話を切って、石田は、ふと、晴海の言った言葉を思い出した。「二人は出来ているんじゃないかしら。」
 何日か前、晴海から電話があった。田舎に帰った洋介君と3日ほど連絡がとれなくなり心配していると言う。洋介の実家に電話するのは控えているらしい。十分ほど話したが、晴海が笑いながら言ったその言葉が頭にこびりついていた。
 嫉妬しているわけではない。幸子への思いは、苦い思いでとともに遠い過去の記憶として封印してしまった。まして、もし晴海の言うことが事実だとしても、石田に口を挟むことなど出来ない。しかし、どうしても引っかかるのは、それが不倫だということだ。
 幸子は不幸な結婚を二度も経験した。そして再び同じような不幸を繰り返そうとしている。そのことが不憫だった。相手が榊原であろうとなかろうと、相手が妻帯者だということは、幸子にも榊原の妻子にも相応の不幸が訪れるということだ。
 
 そんな石田の思いをよそに、榊原はいつもと変わらぬ微笑をむけて出迎えた。マスターはちょうこんと頭を下げてにこやかに言った。
「どうします、生ビールもありますが。」
 榊原を見ると中ジョッキをあおっている。衣替えもしていない季節に生ビールでもない。とはいえ、喉が乾いていることも事実だ。石田はビールの小瓶を頼んだ。榊原がジョッキを置くと口を開いた。
「どうだった、北九州の方は。親戚が見つかったって言っていたが。」
「ああ、会ってきたよ。あの親父は何か隠している。だから、もし会ったら、こう言って欲しいとたのんだ。全てを許す。何も心配することはないってね。」
「そしたら何と言った。」
「ああ、分かりましたと言っていたよ。」
石田は榊原の横顔をちらりと盗み見た。幸子とのことを詰問してやろうかと心が騒いだが、ぐっと堪えた。榊原が向き直った。
「お前に頼みというのは、こいつを預かって欲しいんだ。」
こう言うと背中に手を回し、紙袋をベルトから引き抜いて差し出した。石田が受け取り、袋を開けようとすると、手で押さえて、あたりを見回すようにしながら言った。
「DVDだ。家で見ても構わんが、今はそのバッグにしまってくれ。大事なものだ。兎に角、信用のおける人間に預かってもらう必要があったんだ。」
「おいおい、ってことは警視庁内部にも敵がいて、同僚も信用出来ないってことか。」
榊原は、苦虫を噛み潰したような顔をして頷いた。石田は旧友の顔をしみじみと見入った。「分かった預かろう。」
二つ返事で答えて、それ以上のことは聞かなかった。
 
 それから小一時間ほど話して二人は分かれた。石田は家に帰ると早速包みを開いてDVDをデッキに差し込んだ。

 二人の男が映し出され、なにやら話している。二人とも紳士然とした身なりだが、どこかヤクザじみた印象がある。
 鼻の曲がった男が鷹揚に頷き、白髪混じりのごま塩頭が、揉み手をしながら頭を下げて、「餞別をかき集めたが、100万ほど足りない」と言う。鼻曲がりが、細い目を見開いてこう言ったものだ。
「おいおい、磯田さん、あんたが言う一本とは100万か。ってことは、つまり、平山署長の餞別が○千万円(注1)ということになる。こいつは驚いた。だって平山さん、池袋署の署長、2年しかやってねえだろう。その餞別が…それはヒデエな。」
「そうなんだ、うちは元々ノンキャリアが署長を勤めていたんだが、今回警察庁のごり押しで、キャリアがなっちまった。キャリアだとそれが相場だそうだ。俺としても出来るだけのことしたい。裏金からありとあらゆる関係業界から集めたが、どうしても100万足りない。」
「それで、思い余って俺の所に来たって訳だ。」
「ああ、ヤクザの親分さんではなく、実業家のあんたになら頼んでもいいかと思ってよ。」
へへへと笑ったごま塩頭の顔に卑屈な表情が浮かんでいる。鼻曲がりが、おもむろに立ちあがると、「一包みほど持ってこい」と電話で指示した。
 しばらすると、若い男が紙袋を携えて入って来て、鼻曲がりに渡そうとする。すると鼻曲がりは顎を前に突き出した。顔を伏せるようにしていたごま塩は、しかたなく若い男に視線をむけた。若い男はにやりと笑い、袋をテーブルの上に置いて、一礼して去った。鼻曲がりが口を開いた。
「俺達の商売は原価は低いが、全く無いってわけでもねえ。時には命をはることもある。その点、キャリアってのは俺達の向こうを張ってやがる。税金も納めないってわけだ。」
「ああ、二年ごとに、新しい任地で同じようにしてもらうって訳さ。」

 石田は、大体の察しはついた。榊原からキャリアの餞別の話を聞いたことがあったのだ。その餞別は、三箇所回るとまさに家が建つ金額になると言う。まさか、ごま塩はDVDに撮られていようとは想像もしなかったようだ。何度も頭をさげながら部屋を出ていった。
 石田は知るよしもないが、このごま塩男はこの後自殺した池袋署の磯田副署長である。副署長の表情には必死さがあった。脂汗を浮かべた顔はてかてかと光っていた。卑屈に捻じ曲げられた頬が震えて漸く笑みを作る。石田の心にその顔が深く印象に残った。

 数日後、榊原は晴海の悲痛な声を聞いていた。
「おっちゃん、どうしたらいいの。洋介が行方不明なの。思い余って洋介の実家に電話をかけたの。そしたら、家には帰っていないって。帰るという電話があって実家では待っていたそうよ。だけど帰ると言った日に帰らず、もう1週間も連絡がとれないって。捜索願を出すそうよ。」
「晴海ちゃん、そう興奮しなさんな。例の件は親分さんに話を通したから絶対に大丈夫だ。ワシが保証する。それに男っていうのは時々ふらりとどっかへ行きたくなることもあるんだ。」
「違うわ、私、胸騒ぎがするの。私って人より敏感なところがあるの。」
「ああ、分かった。兎に角、明日にでもその親分さんに会って話してみよう。」
「でも、誘拐しましたなんて、正直に言うわけないでしょう。」
「いや、話してみて、その表情や態度を見るんだ。ワシはそっちの方の目は確かだからな。晴美ちゃん、兎に角落ち付いて。」
晴海の興奮はなかなかおさまらなかったが、榊原が忍耐強く話を聞いてやると、次第に落ち付きを取り戻した。明日電話を入れることを約束して話を終えた。

 翌日、榊原は上村組長にその日の午後にアポをとった。レディースクレジットの飯島も同席させるよう言付けた。そして、ため息を洩らした。どうやら、しばらく惚けていたが、高嶋方面本部長の部屋に行かなければならなくなったようだ。

 1週間も前、高嶋からMDの解読が出来たと連絡を受けていた。電話で内容を聞こうとする榊枝に、「暇な時に部屋に来て、目を通したらいい。」と言うのだ。しかし、暇はあるのだが、部屋には行く気がしなかった。
 というのは、高嶋には高崎の件で、成果はなかったと嘘の報告をしていたからだ。実は、高嶋も地方の警察署長を歴任しており、間違いなく餞別を受け取っている。DVDの内容がキャリアに対する餞別であったなどと言えば、高嶋自身も二の足を踏むに違いない。
 部屋に行けば高崎の件の詳細を聞かれる可能性がある。榊原は嘘が顔に出る性質だ。部屋には行きたくなかったのだが、レディスクレジットの専務、飯島に会うともなれば、MDの内容を知っておかなければならない。

 高嶋はにこやかに榊原を出迎え、嫌味を一言。
「お忙しい榊原さんに、ようやく暇が出来たようですね。」
「いやまったくもって申し訳ございません。こちらが無理にお願いしたことなのに。」
高崎の件に触れられたら、嘘をつきとおすつもりでいた。
「いえ、どうということはないですよ。うちの暗号解読チームは優秀ですから、あっという間に解読したようですよ。で、やはり情報ブローカーっていうのは間違いありませんね。」
「と、言うと?」
高嶋は満足そうに微笑んでいる。高崎の件はどうやら忘れているらしい。高嶋は書棚から分厚い資料を取り出し机の上に広げた。榊原が覗き込むと、そこには複雑な化学記号が並んでいる。高嶋がページをめくってゆく。
「この後半の部分は動物実験の膨大な薬品投与経過とその結果が書かれています。恐らくこれは盗まれたものでしょう。そうとしか思えない。」
榊原は、たいして興味はなかったが、資料に覆い被さるように見入った。
「やはり元ヤクザの情報ブローカーは存在したってことですか。」
「ええ、そうです。今、この新薬の特徴を要約して、製薬会社に問い合わせています。もし、盗まれたものであれば、その情報ブローカーを引っ張ろうと思ってます。」
「それはちょうどよい。今日、その情報ブローカーと繋がりがある男に会います。」
高嶋がちらりと榊原を一瞥して、嘆息しながら言った。
「そろそろ、ことの詳細を教えてくださいませんかねえ。」
 榊原は洋介がMDを奪うことになった詳細について、つまり晴美の義理の父親を探っていたこと、その後、上村と会ったことも報告はしていない。高嶋とは、あくまでもDVDの件で協力しているに過ぎないからだ。高嶋はそのことに不満を抱いている。
「まあ、いずれ必要とあれば話しますが、MDの件は、ただの若者の好奇心から発したことです。」
「とりあえず、そいうことにしておきましょう。兎に角、何とか、その男からそのブローカーの情報を仕入れて下さい。今のところ、製薬会社から何の反応はありません。大手にばかりに絞ったのですが、今後は中小にも広げる必要があるのかもしれません。」
 高嶋は新たな犯罪の芽を見出し、それに夢中になっているようだ。高崎の件は眼中にないようである。榊原はそうそうに部屋を後にしようとうした。その時、高嶋がふと思い出したような素振りで榊原に声を掛けてきた。
「そういえば、高崎の安岡邸を出るとき、DVDくらいの大きさのものを小脇に抱えていたそうじゃないですか。榊原さん、そろそろその内容を教えてもらえませんかね。」
榊原はぎくっとして振り返ると、高嶋がにやにやしながら続けた。
「私のスパイは優秀でね、駒田のそれとは比較になりませんよ。」
榊原は溜息をつきながら言った。
「つけられていたとは、思ってもみませんでした。まいりましたね、これは。」
「どんなことでも確かめるのが性分でしてね。どうぞ遠慮なく仰っしゃって下さい。成果がなかったと言ったのは、私を騙そうとしているんじゃなく、私に遠慮してのことだと解釈しています。」
 榊原は観念し「気を悪くしないで下さい」と前置きし、DVDの内容をつぶさに語った。高嶋は黙って聞いていたが、最後にふーと長い息を吐いて両手で顔を覆った。長い沈黙の時が流れた。そして高嶋が静かに口を開いた。
「ところで、榊原さん、そのDVDをどうするつもりです。」
「まだ決めたわけじゃありません。どうするか、ゆっくり考えます。」
「それを破棄するわけにはいきませんか。」
「それは出来ない相談です。事件では二人の犠牲者が出ています。そしてそのDVDによって捜査が撹乱され立件出来なかった。」
「それは分かります。しかし、そのDVDがあったとしても上村組長の弟の事件を立件できるわけじゃない。死んだ磯田副所長の顔に泥を塗るだけです。前にも言いましたが、私は磯田副所長には大変お世話になった。ですから、それを表に出したくないのです。」
 榊原はじっと高嶋の目を覗き込んだ。その目には忸怩たる思いが秘められている。やはり餞別を受け取っていたのだ。見抜かれたと思った瞬間、高嶋は諦めたような表情をすると、おもむろに口を開いた。
「ええ、榊原さんの推察通り、確かに私も選別は受け取っています。最初に受け取った時には悩みました。しかし、一度受け取ると、二度目は悲しいかな抵抗ありませんでした。餞別をかき集め骨を折ってくれた副所長に恩を返せばそれで終わりですからね、ギブ&テイクです。」
 高嶋はここで言葉を切り、溜息をつくと続けた。
「情けない話ですが、最初に受け取った時、私には金で縁を切りたいと切望していた人がいたのです。それは育ての親でした。」
「ほう、それは不幸なことだ。」
「ええ、本当に不幸な巡り合わせです。この前お話したように、私は母をなくして、近くの父親の親戚を盥回しにされ、最終的には母方の叔母の家に落ち着きました。当時、叔母の家は裕福で大学卒業まで面倒を見てくれました。しかし、」
「叔母が零落して、金をせびるようになった?」
「その通りです。叔父が死んでみれば借金だらけだった。貧すれば鈍すとはよく言ったものです。」
「高嶋さんも顔に似合わぬ苦労をしてきたわけだ。」
「ええ、兎に角自由になりたかった。」
「そんな時、大金が転がり込んできた。」
自嘲気味に笑い、高嶋が答えた。
「ええ、それ以後は毒食らわば皿までの心境です。でも、現場の警察官に対する罪悪感は心の底で澱んでいました。そして、たった今、DVDの中身がそれだと知って、榊原さん。私が何を考えたと思います?」
「いや、さっぱり分かりません。」
「やっぱり、神様はいるんじゃないかってことです。お笑いになるかもしれませんが、本当にそう思ったのです。私が一番気にしていることを、ずばり目の前に突きつて見せた。まさに驚くばかりです。」
「そのようなことは間々あります。厭だ厭だと避けようと念じていれば、自ずと厭なことに直面する。不思議な偶然です。」
「ですから、もう餞別は受け取りません。磯田副所長の切羽詰った思いを考えれば、そんなことは二度と出来ないでしょう。でも、榊原さん、これだけは勘違いしないで下さい。けっしてそのことに蓋をしようとして言っているのではないのです。これだけは信じて下さい。あくまでも、磯田さんの霊とご遺族のために言っているんです。」
「確かにあのDVDを法廷に出したところで、平山署長や坂本警部が捜査に手心加えたなんて証言するわけはないのは分かっています。しかし、やり方によっては…」
「榊原さんの言う、そのやり方とは何です?まさかマスコミに流すと言うんじゃないでしょうね。」
 心の片隅に巣食っていたやけっぱちを言い当てられ、榊原はうっと息を詰まらせた。激情に駆られてそのことを何度も考えた。しかし、冷静になればそれは大変な問題を引き起こすことは想像できるが、その波紋がどこまで広がるのかは想像も出来ない。
「榊原さん、それを榊原さんが保管していることは何も言いません。駒田の暴走を抑えることが出来ますからね。でも、マスコミに流すことだけは思い留まってください。もし、世間に公表されれば警察の威信は地に落ちます。その影響は計り知れません。」
 榊原はまじまじと高嶋の顔を見詰めた。切々と訴える高嶋の金縁眼鏡は汗で曇っている。高嶋は自分でも気が付いて、眼鏡をはずすと、ハンカチを取り出してレンズを拭った。マスコミという言葉が高嶋の心に恐慌をもたらせたようだ。
 やはり、キャリアだ、と榊原は思った。自分たちの権威を守ろうと必死になっている。榊原はそんな思いなど露ほども見せず、高嶋の言葉を遮った。
「高嶋さん、最初からそんなことなど考えていませんから、安心してください。」
 思いのほか大きな声に榊原自身驚いた。高嶋は一瞬言葉を失い、視線を漂わせた。榊原は慌てて言い添えた。
「高嶋さんの言いたいことは良く分かりました。私も警察の一員です。決してマスコミに流すようなことは致しません。約束します。」
 榊原が約束という言葉を使ったことで、高嶋もようやく安心したようだ。いずれにせよ、キャリアの力は絶大で、今後もその力を借りなければならないことは確かなのだ。

 部屋を退出し、榊原が会議室にさしかかると、そのドアが開き石川警部と鉢合わせになった。目があうと、石川の視線が激しく揺れた。それでも動揺を悟られまいと咳をひとつ。そして榊原の存在など無視するように、顔を背けて歩き出した。
 その少し前、その会議室では、駒田四課長、石川警部、坂本警部の三人で密談が行われていた。榊原が本物のDVDを入手したという確かな情報が寄せられ、どう対処するか話し合われたのである。   
 この情報をもたらしたのは、石川警部が親しくしている情報屋である。この情報屋は高崎の歯科医宅で、密かに植え込みの中に隠れ、榊原の大喝を聞いている。石川警部がその一部始終を話し終えると、駒田課長はこう切り出したものだ。
「ということは、先般、榊原がDVDを入手したというのは芝居だったということになる。」
坂本警部がそれに答えた。
「その偽情報を上村に流したのがいけなかったのかもしれない。上村がすぐに反応して尻尾を捕まれた。」
「厭な奴に先を越された。」
三人は悔しそうに顔を見合わせ、押し黙った。しばらくして駒田課長が重い口を開いた。
「DVDを預けた先が、はたしてその歯医者だけならいいのだが。あの用心深い上村のことだ、何人かに預けている可能性もある。」
それまで黙っていた石川警部が宙を睨みながら口を開いた。
「もしかしたら、その預け先の情報を榊原が掴んでいる可能性はないですかね?」
はっとして、駒田課長が石川を見て言った。
「石川警部、そこだ。その可能性もある。何とか、榊原から情報を引き出せないものか。」
横から坂本警部が口を挟んだ。
「奴を、俺と同じように、警部にしてやったらいいじゃないですか。やっこさん性懲りもなく昇進試験を受けているらしいし。」
薄笑いを浮かべる坂本をちらりと見て、駒田課長は声を押し殺して言ったものだ。
「そんなこと、絶対に許さん。あいつには絶対に日の目を見させるものか。高嶋方面本部長がいなくなったら、まずは本庁から放りだしてやる。それからゆっくり料理だ。」
坂本がやり返した。
「上村を叩き潰すためにはDVDの確保は絶対条件です。DVDがなければ、奴等の言いなりになんかならなくて済む。榊原だって話せば分かります。私に任せてもらえませんか。」
「あいつは、小川総務部長を脅したんだぞ。いいか、あいつはDVDを利用して自分の保身を図るつもりなんだ。いや、それをもって我々を脅しにかかるかもしれん。そんなことは私が許さん、絶対にだ。とにかく、榊原を懐柔するなどもってのほかだ。」
うんざりしたような顔で坂本が答えた。
「俺は、責任を取って自殺した磯田副所長の無念を晴らしたいだけだ。あんた達、警察庁キャリアの意地と自己保身に付き合うつもりはない。あんたは元池袋署長だった二課長の平山に泣き付かれただけだろう。平山は、あんたの可愛い後輩だ。DVDを回収してくれって頼まれたんだろう。」
「何を言っている。磯田は自殺じゃない。何度言えばわかるんだ。」
「あんた達が事実を隠蔽したのは分かっているんだ。」
「馬鹿も休み休みいえ。私はその当時静岡にいたんだ。隠蔽も糞もあるか。」
「そんなこと言っているんじゃない。あんた等キャリアのことを言っているんだ。平山にとって、直属の部下が自殺したなんて汚点を残したくなかった。だから脳溢血と診断書を改竄したにちがいない。もし、平山が磯田さんに詰め腹を切らせたとしたら、平山も許るさん。」
駒田四課長の薄い唇がぶるぶると震えている。坂本は駒田を睨みつけていたが、ちらりと石川を一瞥し、鼻でせせら笑った。そして無言で席を立った。
 石川警部は憎憎しげにドアから出てゆくその後姿を見送った。駒田は「あんな奴は頼りにならん」と言い放つと、石川警部をじっと見詰めて言った。
「君に何とかしてもらいたい。」
石川警部はごくりと生唾を飲み込み、頷いた。
「また例の情報屋を使ってみましょうか。」
「そうだな。高崎まで尾行して、あの榊原に気付かれなかったのだから相当なやり手に違いない。何者なんだ。」
「私の隠し玉で、本業は何でも請負業みたいなもんです。何かと面倒を見ていますので、協力は惜しみません。実は、奴さん、面白い情報を手に入れてきました。これを見てください。」
胸のポケットから数枚の写真を取り出し、駒田に渡した。
「その情報屋が撮った写真ですが、面白いものが写っています。なかなか優秀な奴です。今度、課長にも紹介しますよ。」
写真に見入っていた駒田が咄嗟に答えた。
「おいおい、私が会う必要はないだろう。そういうことは君達レベルで処理してくれ。」
「はっ、申し訳ございません。そうさせていただきます。」
実は、石川は、その情報屋に駒田と引き合わせてくれるよう頼まれていたのだ。困惑顔の石川をおもねるように駒田が優しく声をかけた。
「しかし、あの榊原に女がいたとは、まったく驚きだ。とにかくよくやった。君の働きには評価に値する。さて、これが使えるかどうかだ。」
評価という言葉に、石川の鼻がぴくぴくと蠢いた。
「榊原はその女に夢中らしいのです。何か仕掛ければ面白いことになるかもしれません。」
「何か仕掛ける?その情報屋を使って?」
「ええ、中身は今思案中です。」
にやりとして駒田が答えた。
「よし、君に任せる、頼んだぞ。良い部下と出会えたことを神に感謝したいくらいだ。」
駒田が、ぎゅっと石川の両手を握って離さない。漸くそれから開放され、石川は「それでは」と言って席を立ったのだから、ドアを開けた途端、榊原本人と出くわして驚かないわけがない。後ろから来る足音に全神経を集中させながら、それが廊下を折れて遠ざかるとほっと胸を撫でおろした。
 
 応接室には既に組長と飯島が待ち構えていた。秘書の女性に案内され、榊原が部屋に入ってゆくと、組長は立ち上がり、少し腰を落とし気味にして頭を下げた。飯島はしかたなさそうにそれに倣った。ソファに座る早々、榊原は切り出した。咄嗟の反応を見るためだ。
「あのMDを盗んだ青年が消えちまったよ。金沢の両親が捜索願いを出したそうだ。心当たりはないかね。」
二人は一瞬、顔を見合わせ驚きの表情を浮かべ、まず組長が答えた。
「榊原さん、それは我々の預かり知らぬことだ。あの件は、あれで決着したはずだ。互いに納得して、恨みっこなしって奴ですぜ。」
動揺したのか、組長の口調が可笑しい。嘘はついていない、と見た。
「そちらのお兄さんも納得したのかな。」
無表情を装っていた飯島もさすがに感情を剥き出しにした。
「おいおい、俺があの餓鬼を誘拐したとでも言いたいのか、とんでもねえ。そんなヤバイことする訳ねえだろう。だって何の得にもならねえじゃねえか。」
 確かに何の得にもならないのである。MDの中身を知るわけでもない洋介の口を塞ぐ必要はないし、まして盗まれた恨みを晴らすほどのこともないのだ。榊原も首を傾げざるを得ない。榊原が飯島を睨み付けた。
「飯島さん。あのMDの中身は何だい?」
一瞬、言葉に詰まった飯島に、組長が言った。
「おい、何でも喋ってしまえ。あんな奴の肩を持つこともないだろう。昔の親分かなんかは知らないが、おかしな疑いを掛けられるよりはましだ。」
意を決したのか、飯島が重い口を開いた。
「実は、ある小さな製薬会社の研究員が、或る人を通して、笹岡さんに、つまり、私の前の親分なんですが、これに売り込んで来たんだそうです。笹岡さんは相当の金額を払ったようです。」
そう言って、ひと息ついて続けた。
「私がお話出来るのは、ここまでです。これ以上のことは知りません。もっと知りたいのであれば、あとは笹岡さんを探すことですね。」
榊原が笹岡の連絡先を聞くと、飯島は笹岡の携帯の番号は知っているが、住所は知らないという。笹岡のフルネームと電話番号を聞き出し、事務所を後にした。

 歩き出すと携帯を取りだし、番号を押した。しかし案の定、予想した反応が返ってきた。「・・現在この番号は使われておりません・・」
ちくしょう、と舌打ちをして、榊原は歩き出した。手間を掛ければ何とか笹岡に辿り着けるだろう。その面倒な仕事は高嶋方面本部長に頼むことにした。出世の糸口を見つけ有頂天になっている高嶋であれば喜んで引き受けてくれるはずである。 
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