銀河英雄伝説~美しい夢~
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第三十二話 不安
帝国暦487年 7月 14日 オーディン 新無憂宮 エーリッヒ・フォン・ブラウンシュバイク
「では反乱軍は撤退したのか」
「はい、イゼルローン方面軍司令部よりそのように連絡が有りました」
「うむ、それは重畳」
俺の答えにリヒテンラーデ侯が満足そうに頷いた。爺さん御機嫌だな。頭の天辺からルンルンとか聞こえそうだ。
「反乱軍を撃退した、イゼルローン方面軍司令部は有効だと証明されたわけだな」
「要塞司令部も駐留艦隊司令部も今後は不満を言えまい」
エーレンベルク、シュタインホフの両元帥も満足そうだ。まあ問題が無いわけじゃないがな。国務尚書の執務室は和やかな空気が漂っている。
今回のイゼルローン要塞の攻防戦、方面軍司令部は要塞司令部と駐留艦隊司令部を抑えて十分に役目を果たした。統一した指揮系統の確立は有効であるという事が証明されたのだ。実際にはフェザーンからの通知で反乱軍が大軍で有る事は分かっていたから駐留艦隊も出る気は無かったようだが……。評価としてはイゼルローン方面軍司令部は有効だという事になる。
「それにしてもまさか本当に要塞内部に兵を送り込んでくるとは……。公の予想が当たったな」
「反乱軍も色々と要塞攻略に工夫をしてきています。そろそろ外からの攻略では無く内からの攻略を考えるのではないかと思ったのです」
リヒテンラーデ侯が妙な目で俺を見ている。うん、ちょっと苦しいかな。しかし他に言い様がない。
「危ないところでしたな、リューネブルク中将を配備しておいたから良かったもののそうでなければどうなっていたか……」
「反乱軍にしてやられたかもしれぬ」
そうそう、予想以上に同盟の動きは早かった、危ないところだった。大事なのはそっちだよ、爺さん。エーレンベルク、シュタインホフの言う通りだ。要塞が落ちないのが一番だ。
要塞を落させて相手を引き摺り込むっていうやり方も有るけどな。しかし向こうが攻め込んでくるかどうか分からんし、司令長官もロボスじゃない。じっくり構えられると厄介だ、改革を行うにも支障が有るだろう。やはりここは安全第一でゆっくりと改革だ。国の改革も車の運転も同じだな、焦らずゆっくり安全にだ。
リヒテンラーデ侯が用意してくれた紅茶を飲みながらゆったりしていると侯が視線を向けてきた。
「今回の一件、大体的に広めるつもりだ。ブラウンシュバイク公の立場を強める事になるからの」
「それは……」
無用だと言いかけたが止めた。
リヒテンラーデ侯の狙いが分からないわけではない。これから改革を進めるのだ、推進者の俺の名声、立場を出来るだけ強めておこうと言うのだろう。反乱軍の作戦を未然に防いだとなれば十分にインパクトは有る。貴族達も正面からは改革に反対し辛いはずだ。
「では武勲として評価せねばなりませんな。勲章の授与、それでよろしいですかな」
「うむ。双頭鷲武勲章の授与、そういう事になろう」
「となると実際に功を挙げたリューネブルク中将は大将に昇進……」
「当然であろう」
リヒテンラーデ侯とエーレンベルクが話している。
勲章か……、これで二度目だな、有難く頂こう。しかしそれよりもリューネブルクが大将に昇進というのは嬉しい。亡命者が功を挙げて昇進を重ねる、実力さえあれば誰であろうと昇進できるという事だ。彼も苦労してきたからな、喜んでくれるだろう。奴一人昇進では居辛いだろうな。ちょうどいい、こっちに呼び戻す口実に使える。後任者をオフレッサーに依頼するか……。
「改革を進めるには追い風と言って良いの。公の立場がより強まったのじゃから」
リヒテンラーデ侯の言葉にエーレンベルク、シュタインホフが頷いた。二人とも改革の件については既に承知している。改革の内容が穏健な物だった事も有り二人とも反対はしなかった。と言うより積極的に賛成したと言って良い。兵達の殆どが平民だ。彼らの不満を取り除かねば士気が上がらない事を二人は良く分かっている。
「ミューゼル大将がイゼルローン要塞に着いた時点で改革の宣言、実施、それで良いの……」
異議無し、三人の軍人が頷いた。
宇宙暦796年 7月 14日 ハイネセン 統合作戦本部 シドニー・シトレ
執務室のデスクの上にあるTV電話が受信音を発した。ディスプレイに番号が表示されている。アエネアースからだ、どうやら攻略作戦が終了したらしい。キャゼルヌが緊張した面持ちでこちらを見ている。キャゼルヌも結果が気になるのだろう、今日は受信音が鳴る度に緊張している。
受信するとクブルスリー司令長官の顔が映った。表情が暗い、どうやら失敗したか……。溜息が出そうになったが堪えた。
『本部長閣下、残念ですがイゼルローン要塞攻略戦は失敗しました』
「そうか……」
キャゼルヌが天を仰ぐのが見えた。それだけ期待が有ったのだろう。
「それで、失敗の原因は?」
『それが、……帝国軍はこちらの作戦を見破っていたのです』
「見破っていた? それはどういう事かね」
こちらの情報が漏れた? フェザーン経由で帝国に伝わったのか?
『イゼルローン要塞にはヘルマン・フォン・リューネブルク中将が居ました』
「リューネブルク……」
リューネブルク……、まさか、あのリューネブルクか……。愕然とする私にクブルスリー司令長官が苦い表情で言葉を続けた。
『元はローゼンリッターの第十一代連隊長を務めた人物です』
キャゼルヌの呻き声が聞こえた。
「馬鹿な、何故……」
『リューネブルクが言いました、そろそろ追い詰められた同盟軍がイゼルローン要塞を外からではなく内から攻略する事を考えるだろうとブラウンシュバイク公が予測したと……。その時潜入してくるのは帝国語に堪能なローゼンリッターだろうと。それで彼が極秘にイゼルローン要塞に配備されたそうです』
またキャゼルヌの呻き声が聞こえた。
「信じられん……」
信じられんとしか言いようがない。こちらの作戦をブラウンシュバイク公が見破ったと言うのか……。有り得ない、信じられない話だ。しかし現実にクブルスリーは私の目の前で悔しそうに顔を歪ませている。情報漏洩か、見破られたか、厄介な事になった……。
「艦隊に損害は……」
『有りません。損害は要塞内に送り込んだローゼンリッターだけです。我々は現在、ハイネセンに向かって帰投しております』
「そうか……。御苦労だった、司令長官。要塞攻略が失敗したのは残念だが艦隊に損害が無いのは何よりだ。気を落さず次の機会を待とう」
『はっ』
次の機会か……。そんなものが有るのだろうか……。何も映さなくなったTV電話を見ながら思った。期待が大きかっただけに失望も大きい。それにしてもどちらだろう……。通常なら情報漏洩を疑うところだ。しかしブラウンシュバイク公か……。これまでの事を考えれば彼がこちらの策を見破った可能性も否定できない。
「厄介な相手だな」
「……」
私の言葉にキャゼルヌが無言で頷いた。
「ヤン准将の言った通りかもしれない。我々はほんの僅かだが遅かった、ほんの僅かだが……」
もしブラウンシュバイク公が見破ったのなら、方面軍司令部が出来る前なら成功の可能性は有ったかもしれない。ほんの僅かだが遅かった。だが、そのほんの僅かが重いのだ。その重みはブラウンシュバイク公の重みでもある。溜息の出る重みだ……。
溜息を吐いてばかりもいられない。気を取り直してトリューニヒト国防委員長に通信を入れた。嫌な役目だ、最近では負け戦の報告しかしていない。
『やあ、シトレ本部長、一体何の用かな』
「残念な報告をしなければなりません」
トリューニヒト国防委員長の顔から笑みが消えた。何が起きたか分かったのだろう。
『イゼルローン要塞攻略戦は失敗したのだね』
「その通りです」
トリューニヒト国防委員長が何かに耐えるかのように目を閉じた。芝居がかった事をと思ったが半分くらいは本心からかとも思った。成功率は決して低くない、皆がそう思っていたはずだ。
『成功率は高いと思ったのだが……』
ノロノロとした生気の感じられない口調だ。
「イゼルローン要塞にリューネブルク中将が居たそうです」
『リューネブルク中将……。そうか、不運だな……』
力なく首を振った、トリューニヒト国防委員長はリューネブルクが要塞に居た事を偶然だと思っている。
「偶然ではありません」
『偶然ではない?』
「リューネブルク中将はこちらが要塞内に兵を入れる事を知っていたようです」
トリューニヒト国防委員長の視線が厳しくなった。そして小さな声で問いかけてきた。
『情報漏洩が有ったという事かな、本部長。事実としたら厄介な事だが』
「分かりません。向こうはブラウンシュバイク公がこちらの策を見破ったと言っているそうです」
『ブラウンシュバイク公……、しかし幾らなんでも……』
国防委員長が顔を顰めている。そう、本来なら有り得ない。しかし本当にそう言えるのか……。
「訝しい話ではあります。遠征軍が戻り次第、検証する必要が有るでしょう」
トリューニヒト国防委員長が頷いた。
「今回の作戦で艦隊に損害は有りませんでした。しかし暫くは軍事行動は控えざるを得ません」
軍内部にモグラが居るのなら放置はできない。国防委員長がまた頷いた。
『そうだな、今回の敗因を突きとめるまでは難しいだろう。帝国軍にはそれまで大人しくして欲しいものだ』
全く同感だ、現状で軍事行動を起こすのはリスクが大きすぎる。厄介な状況になった……。
帝国暦487年 7月 14日 オーディン ブラウンシュバイク公爵邸 エリザベート・フォン・ブラウンシュバイク
「そうですか、彼らが来ましたか」
「うむ、皆がお前を褒めていたな。神算鬼謀、稀代の名将と」
お父様が嬉しそうに言うとエーリッヒ様はちょっと困ったように笑みを浮かべた。照れてるのかしら。
今日、イゼルローン要塞に押し寄せた反乱軍が撤退すると大勢の貴族達が屋敷に押し掛けてきた。ヒルデスハイム伯、ランズベルク伯、ヴォルフスブルク子爵、シェッツラー子爵、ヘルダー子爵、カルナップ男爵、ホージンガー男爵、ハルツ男爵、ラートブルフ男爵……。
彼らは皆口々にエーリッヒ様を褒め称えた。“神算鬼謀”、“稀代の名将”、“叛徒共も公の前には手も足も出ない”……。正直嬉しかった、エーリッヒ様は本当に凄い。ブラウンシュバイク公爵家の当主に相応しい人だし皆から頼りにされるのも当然だと思う。
「それにしても一体何時の間に知ったのでしょう。私達が知る前に彼らは此処に来たのですけど」
お母様が問いかけるとエーリッヒ様がまた笑みを浮かべた。今度は苦笑いかしら。
「宮中だと思います、リヒテンラーデ侯が大々的に広めると言っていました。軍から侯に報告したのですが、そのすぐ後に侯が皆に広めたのでしょう」
今日はエーリッヒ様の御帰りが早かったから皆で夕食を摂りながらお話し出来る。最初は慣れなくて緊張したけど最近ではエーリッヒ様が居ない夕食はちょっと寂しい。お父様もお母様も“一人増えるだけで随分と違う”と言っている。うん、ナスとトマトのチーズ焼きが美味しい。ベーコンがカリカリしてる。
「どうした、あまり嬉しくはなさそうだが」
「分かりますか?」
「まあそれが分かる程度にはお前を理解出来るようになった」
お父様が笑うとエーリッヒ様は困った様な表情をした。皆に褒められても嬉しくないのかしら。エーリッヒ様が水を一口飲んだ。
「義父上、私はリューネブルク中将にイゼルローン要塞には二年ほど居て貰う事になると頼んだのです」
「二年か……、となると予想よりも随分と早いな」
お父様がシュニッツェルを口に運んだ。エーリッヒ様もシュニッツェルを口に運ぶ。“美味いな”、“いけますね”と二人が話している。
「前回のイゼルローン回廊での戦いから半年です。敗戦後の混乱、体制の立て直し、作戦の準備期間、それを考えると義父上の仰る通り反乱軍の行動はかなり早い。準備はしていましたから慌てはしませんでしたがちょっと驚きました」
「うむ」
「危ない所だったと思います。間に有ったから良かったですがそうでなければ……」
「イゼルローン要塞は陥落していたか……」
「はい」
「うーむ、確かにそれでは喜んでばかりもいられんな」
お父様が唸っている。唸りながらシュニッツェルを食べた。
「この後、帝国内で混乱が起きるかもしれません」
「……」
混乱? 何の事だろう、お父様とお母様を見たけれど二人とも何も言わない。難しい顔をして黙っている。普通ならそんなことは有り得ないと言うはずだけど、二人とも思い当たるフシが有るのかしら……。
「混乱するとお前は思うのだな」
お父様が顔を顰めている。
「不満を持つ人間は少なからずいるはずです。それを煽る人間も居る」
「煽る……、なるほど、フェザーンか……。有り得る話だな、そうであれば帝国は混乱するやもしれん」
お父様がお母様に視線を向けるとお母様が同意するかのように頷いた。私も質問して良いのかしら? お母様を見たけどお母様は厳しい表情で首を振った。子供は口を挟むな、そういう事かしら。不満は有ったけど黙ってトマトを口に運んだ。美味しいけど、なんか美味しくない感じがする。
「反乱軍が黙ってそれを見ていると思いますか?」
エーリッヒ様とお父様が顔を見合わせている。
「……お前の懸念は分かる。しかし方面軍司令部は有効なのだろう。今回の戦いではかなり役に立ったと聞いているが……」
お父様の言葉にエーリッヒ様が首を横に振った。違うの? 役に立ってはいないのかしら……。
「戦闘に入るまでは問題ありません。ですが戦闘に入った時どうなるか……。要塞司令部と駐留艦隊司令部が指示に従って有機的に連動するか、今回は戦闘が起きなかったため確認はとれていません。不安要素が無いとは言えないのです……」
「うーむ」
お父様がまた唸った。
「念のためミューゼル提督に四個艦隊を預けてイゼルローン要塞に待機させますが……」
溜息を吐いたエーリッヒ様を見てお父様が微かに笑った。
「お前は心配性だな」
今度はエーリッヒ様が笑った。
「そうでなければ戦場では生き残れませんよ」
「戦場か、これからはオーディンも戦場になるかな……」
「おそらく、……油断は出来ません」
エーリッヒ様がお父様、お母様、そして私を見た。いつもの優しい眼じゃない、厳しい眼だった……。
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