銀河英雄伝説~美しい夢~
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第三十一話 第七次イゼルローン要塞攻防戦
宇宙暦796年 7月 14日 自由惑星同盟軍総旗艦 アエネアース ヤン・ウェンリー
軽巡航艦がイゼルローン要塞に入った。同盟軍は要塞主砲トール・ハンマーの射程外で待つ。帝国軍からは軽巡航艦を撃沈し損ね未練がましく漂っているように見えるだろう。ここまでは予定通りと言って良い、総旗艦アエネアースの艦橋には期待に満ちた空気が溢れている。クブルスリー司令長官の表情も明るい。
帝国軍は艦隊を出さなかった。要塞内部には一万五千隻余りの駐留艦隊が存在する。場合によっては敵艦隊が出撃してくることも有るだろう。それを排除した上で要塞を攻略する。要塞主砲トール・ハンマーさえ押さえる事が出来れば決して不可能ではない。シェーンコップ大佐達、ローゼンリッターが何処までやってくれるか、要塞攻略はそれ次第だ。
「イゼルローン要塞から通信です!」
オペレータが弾んだ声を上げた。その声に艦橋が色めき立つ、彼方此方で席を立つ姿と弾んだ声が上がった。どうやら上手く行ったらしい。思わず手を握りしめていた。
「スクリーンに映してくれ」
グリーンヒル参謀長の指示にスクリーンに映像が映った、一人の帝国軍人が映ると彼方此方で驚きの声が起きる、この男は……。
『一年半ぶりですな、グリーンヒル参謀長』
「き、貴官は……」
絶句するグリーンヒル参謀長に男が笑いかけた。
「グリーンヒル参謀長、彼は」
皆が絶句する中、クブルスリー司令長官が不審そうな表情を浮かべた。
『クブルスリー司令長官ですな、小官は帝国軍装甲擲弾兵第二十一師団長ヘルマン・フォン・リューネブルク中将です』
「リューネブルク……」
司令長官が呟くとリューネブルク中将がニヤッと不敵に笑った。
『元は自由惑星同盟軍を称する反乱軍でローゼンリッター第十一代連隊長を務めさせていただきました』
「貴官、逆亡命者か……」
愕然とする司令長官にリューネブルク中将がふてぶてしい笑みを浮かべて頷く。
『残念ですがシェーンコップ達ローゼンリッターは正体を見破られてあえなくこちらの捕虜になりました。作戦は失敗ですな』
「……」
彼方此方で呻き声、溜息が聞こえた。この男がイゼルローン要塞にいたのでは失敗は止むを得ない。しかし何故ここに……。
『シェーンコップ達は貴方達を裏切ってはいませんぞ。そちらの作戦は既に見破られていたのです』
「どういう事だね、それは」
グリーンヒル参謀長が厳しい声で問いかけるとリューネブルク中将が大きな声で笑った。
『そろそろ追い詰められた反乱軍がイゼルローン要塞を外からではなく内から攻略する事を考えるだろうとブラウンシュバイク公が予測したのですよ。その時潜入してくるのは帝国語に堪能なローゼンリッターだろうと。それで公は小官に出迎えを命じたわけです。精一杯もてなしてやれとね』
「馬鹿な……」
彼方此方で呻き声が聞こえた、驚愕、失望。こちらの作戦は読まれていた……。遅かった、やはり遅かった。イゼルローン方面軍司令部の設立とリューネブルク中将の配備はセットで行われた。ブラウンシュバイク公はこちらがイゼルローン要塞攻略を実施する事も要塞内部に人を送るであろう事も予測していた……。
『嘘ではありませんぞ、イゼルローン方面軍司令部の人事発令に小官の名は無かったはずです。理由はもうお分かりでしょう、小官の名が有れば当然ですが作戦は実施されないでしょうからな。誘き寄せるために敢えて伏せたわけです』
「……」
『軽巡航艦が現れた時は余りに予測通りなので可笑しくなりましたよ。もう少しで噴き出すところでしたな』
リューネブルク中将が声を上げて笑う。また艦橋の彼方此方で呻き声が聞こえた。今度は屈辱、憤怒……。
「……愚弄するのか、我々を!」
押し殺した声に怒りが籠っていた。クブルスリー司令長官が屈辱に震えている。司令長官になって最初の軍事行動なのだ。作戦にも自信は有った、イゼルローン要塞を落せるのではないかと期待も有ったはずだ。それが失敗し嘲笑されている……。
『いや、感謝しているのです。楽しませてもらったと。ここは娯楽が少ないのですよ。御礼に一つ忠告しましょう。帝国軍の増援部隊、四個艦隊がイゼルローン要塞に向かっています。彼らが到着する前に撤退するのですな。伝えましたぞ、では失礼』
スクリーンの映像が切れた……。
皆が顔を見合わせている、艦橋には重苦しい空気が漂った。増援部隊四個艦隊がイゼルローン要塞に近付いている。おそらくは最低でも五万隻を超える大軍だろう。駐留艦隊と合流すれば六万隻を超える大軍になるはずだ、こちらは三個艦隊、司令長官の直率部隊を入れても五万隻……。
「はったりだ! 本当に増援部隊が近付いているのならむしろ伏せるはずだ。司令長官閣下、イゼルローン要塞を攻略しましょう」
フォーク中佐だ、頬が引き攣っている。フォーク中佐は同意を求めるかのように周囲を見たが誰も視線を合わせようとしない。
彼の言う通り、増援部隊が来るのがはったりなら良い。しかしもし増援が事実なら同盟軍は窮地に陥る事になる。
「敢えてこちらを留まらせるために言った可能性もあるだろう、増援部隊が近くまで来ている可能性は否定できない……」
苦渋に満ちた声で中佐を抑えたのはグリーンヒル参謀長だった。そうなのだ、確かにその可能性は有る、相手はこちらの動きを想定していた事を忘れてはならない。
「しかし、このままでは……」
「それに攻略と言っても単純な力攻めで落せるようなものではない。その事は皆が分かっているはずだ」
グリーンヒル参謀長がなおも要塞攻略を迫るフォーク中佐を窘めた。悔しそうに中佐が唇をかむ。クブルスリー司令長官は顔を強張らせている。本来なら撤退を宣言しても良い、それが出来ないのはやはり感情的に納得出来ないものが有るのだろう。参謀長が私に視線を向けた、やれやれだ、嫌な役目をしなくてはならない。
「撤退を進言します」
皆の視線が私を見た。睨むような厳しい視線の者、ホッとした様な視線の者、様々だ。
「イゼルローン要塞は外からの攻撃に対しては非常に堅牢です。攻略が成功する可能性は極めて小さいと言わざるを得ません。だからこそ、今回は内部から攻めようとした……。それが失敗した以上、残念ですが撤退するのが最善かと思います」
「……」
「今撤退すれば損害は殆どありません。しかし攻撃を実施すれば多大な損害を受ける事は必定です。要塞攻略が成功する見込みが立たない以上、損害は出来るだけ小さくすべきです」
嫌な役目だ、シェーンコップ大佐達を見殺しにしろと言っている。しかし戦闘を行えばその何千倍、何万倍の死傷者が出るだろう……。冷酷、非道と言われようと進言しなければならない。
「閣下、小官もヤン准将の意見に同意します。撤退するべきです」
グリーンヒル参謀長が私の意見に同意すると皆がクブルスリー司令長官を見た。司令長官が顔を強張らせた。集中する視線に圧迫感を感じているのだろう、艦橋の空気が嫌と言うほど緊迫した……。
「……撤退する」
絞り出す様な口調だった。不本意だったに違いない、だがクブルスリー司令長官は正しい選択をした。皆がそう思ったはずだ。艦橋の緊張はジワリと緩み彼方此方で息を吐く音が聞こえた。
帝国暦487年 7月 14日 ミューゼル艦隊旗艦 ブリュンヒルト ラインハルト・フォン・ミューゼル
オーディンから通信が入った。オーディンを発って未だ四日目だがイゼルローン要塞で何か有ったのか。反乱軍が要塞付近に居るようだという通信が先日有ったばかりだが大規模な攻撃でもかけてきたか……。スクリーンにブラウンシュバイク公の姿が映った。互いに敬礼を交わすと公が話しかけてきた。
『反乱軍がイゼルローン要塞に攻め寄せてきましたが撤退したそうです。先程イゼルローン方面軍司令部より連絡が有りました』
「撤退?」
攻め寄せて来て撤退? どういう事だ? 訳が分からずケスラー、キルヒアイスに視線を向けたが彼らも訝しげな表情をしている。連中、一体何を考えている?
『今回、彼らはイゼルローン要塞を内部から攻略しようと考えたようです』
「内部から?」
『ええ、帝国軍人に偽装した人間を軽巡航艦で要塞に送りこんだのですがリューネブルク中将に正体を見破られました。彼らはローゼンリッターだったのですよ』
なるほど、そういう事か。リューネブルク中将は元々は反乱軍でローゼンリッターの指揮官だったと聞いている。その当時の部下が偽装した人間の中に居たという事か、それで正体がばれて捕まった……。
「では内部からの攻略が失敗したので反乱軍は撤退した、そういう事でしょうか?」
ブラウンシュバイク公が頷いた。
『おそらくそういう事でしょう、そのまま攻めかかってくれれば向こうを消耗させる事が出来たのですが大人しく引き下がったようです。……クブルスリー司令長官は中々手強い、油断は出来ません』
公が苦笑を浮かべている。確かに手強い、利が無いと見るやサッと退いた。簡単なようで簡単ではない。
しかし、そうなると我々はどうするのだろう、反乱軍が引き揚げた以上我々もオーディンへ引き返すのだろうか。残念だ、せっかく四個艦隊を指揮できる立場になったのに……。
『ミューゼル提督はそのまま四個艦隊を率いてイゼルローン要塞に赴いてください』
「はあ? 宜しいのですか?」
思わず間の抜けた声が出た。それを聞いて公がクスクス笑い出す。いかん、顔が赤らむのが自分でも分かった。
『失礼、理由は三つ有ります。先ず第一に軍首脳部はイゼルローン方面軍司令部を全面的に支えると約束しました。それを証明しなければなりません』
なるほど、今回は援軍が着く前に撃退した。しかし本来なら俺達が増援となって撃退するはずだった、それの証明か……。
『第二に今回の防衛戦でイゼルローン方面軍司令部に何か問題が無かったか、改善点が無かったか、私の代理としてそれを確認してください』
「承知しました。それで三つ目の理由とは?」
俺が問いかけるとブラウンシュバイク公が僅かだが表情を厳しくした。ハテ、急ぎ過ぎたか、気を悪くしたか……。
『来月の中旬頃になりますが帝国で政治改革が始まります』
「!」
さりげない口調だったが周囲を緊張させるのには十分な内容だった。政治改革……、何時かは始めるだろうと思っていたが……。
『場合によっては帝国内部で混乱が生じる可能性が無いとは言えません。そして反乱軍がその混乱に乗じようとする可能性も無いとは言えない……』
「……」
なるほど、三つ目の理由は我々の艦隊がそれを防ぐという事か。
『暫くの間、ミューゼル提督達にはイゼルローン要塞で待機していただくことになります』
「了解しました、どの程度の期間になるでしょう、ある程度の目安を知りたいのですが……」
『大体一ヶ月から二ヶ月と見ています』
「一ヶ月から二ヶ月……、了解しました。イゼルローン要塞で待機します」
ブラウンシュバイク公が頷いた。
「改革を行うのですか……、まさかこんな日が本当に来るとは……」
ケスラー参謀長が溜息交じりに呟いたのは通信が終わってしばらくしてからだった。同感だ、公が帝国を変えようとしているのは知っていたがまさか本当に始まるとは……。キルヒアイスも二度、三度と頷いている。
「改革の規模は大きくはなさそうですな」
「私もそう思います」
ケスラー、キルヒアイスの言葉に俺も同感だ。俺達がイゼルローンに居るのは一ヶ月から二ヶ月。混乱が起きるとしてもその程度で済むと公は考えている。少しずつ変えていく、そういう事だろう。
「こうなると反乱軍が大人しく退いたのが不気味ですな。公の危惧する通り、再度来襲する可能性は有ります」
「うむ」
ケスラーの言う通りだ、反乱軍が無理攻めを行い消耗してくれれば良かったのだが……。ここで叩いておけば改革によって混乱が生じても反乱軍は直ぐには動けないはずだった……。どうも上手く行かない、中途半端な形で終わってしまった。公の言う通り油断は出来ない。
「リューネブルク中将の事ですが、偶然でしょうか」
キルヒアイスが眉を寄せながら訪ねてきた。さて、如何だろう。答えられずにいるとさらに言葉を続けた。
「たまたまと言うにはいささか不自然な気がするのですが」
ケスラーも考え込んでいる。
「予測していた、キルヒアイスはそう思うのだな」
「はい」
ケスラーに視線を向けた。彼が太い息を吐く。
「おそらくその通りでしょう。確かイゼルローン方面軍司令部の人事発令にはリューネブルク中将の名前は無かったはずです。反乱軍を油断させ誘き寄せるためでしょう」
「公の狙いは反乱軍の攻略案を失敗させ、その上で無理攻めをさせて損害を大きくさせる。それによって改革の混乱に付け込ませない、そういう事か……」
俺の言葉にキルヒアイスとケスラーが頷いた。
「オーディンでブラウンシュバイク公に呼ばれた時、反乱軍が攻めてくる可能性が有るにも拘らず公は上機嫌だった。不思議だったがそういう事か……」
怖い男達だ。反乱軍の狙いを読み取りそれを逆手に取ろうとしたブラウンシュバイク公。それに乗ることなく大人しく退き上げ、機を窺う反乱軍。帝国が優勢に戦局を支配しているとはいえ決して油断は出来ない。一つミスを起こせばひっくり返してきそうな怖さがある、溜息が出た……。
「先ずは予定通り、イゼルローン要塞へ急ごう」
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