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東方調酒録

作者:コチョウ
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第十話 稗田阿求はプレゼントする

 とあるバーに二人の男がいた。一人はカウンターの中でしわのないワイシャツを一番上までボタンをしっかりと締め、黒い蝶ネクタイをつけ、ワイシャツの上に黒いベストを着ていて、髪はしっかりとオールバックに固められ、髭を綺麗に剃っている男であった。カウンターの席の椅子に腰をおろしているのは、室内だというのにブラウンのトレンチコートを着ている男である。
「ギムレットを一つ」
いつものように映画のスターがカメラが向けられている時のように計算された完璧な注文だった。そして、その後に続く言葉も分かっていた。「本当のギムレットはジンとローズのライムジュースを半分ずつ、ほかには何もいれないんだぜ……」と言うのまで聞き、「マルティニなんかとてもかなわない」と被せた。小説『長いお別れ』の一節だ。こいつはこの小説の主人公に憧れている。今、着ているブラウンのトレンチコートもその影響だ。
「ローズのライムジュースなんかない。 普通のでいいか?」
もちろん聞くまでもない。「ああ、 かまわない」と煙草に火を付けながら、いつも通りの答えが返ってくる。そして飲んだあとはきっと「相変わらず、まずいな」という感想が返ってくるだろう。だが、今日の寒さがこいつを頭を凍らせたのだろう。「旨いな……」という言葉を頂いた。
「何のつもりだ? 一口で酔ったか?」思わず警戒してしまう。「今日は酔いたいが酔えない日だ…… 前にこれが欲しいって言ってたな。 やるよ……」そう言ってそいつはトレンチコートを脱いで俺に手渡した。「ちょっと待て、 これ、お気に入りだったろう? それにこんな高い物貰えないぜ」そうは言ったものの、今の雰囲気は返す雰囲気ではないのは無意識で理解しているのか、俺の手はトレンチコートを持ったまま動かなかった。
「いいんだ…… もう時間だ。 会計頼む」
「今日の分はツケにする……。 絶対払いに来いよ」
「サンキュー! ……必ず来るよ」
そいつは一回も振り返ることなく、ドアを開け、出て行った。俺はそのスーツの背中を眺めることしかできなかった。この時、店を閉めて後を追いかけるという選択をしなければ、きっと結果は……といつもの間にか第三者に視点になっていることに気が付き、これは夢であることが分かった。そして、外部から「悠さん!」という呼びかけに応じるべく、その夢の地を後にした。
 
 目を覚ました無精ひげを蓄えたバッカスの主人である月見里悠がまず目に入ったのは、右手に持っていたアイスピックと左手に持った解け始めている氷であった。「大丈夫ですか?」と聞かれ、悠が声の方に目を向けると烏天狗の射命丸文が困ったような顔で見ていた。
「いらっしゃい、文さん。 すいません。 ウトウトしてました。」
「疲れているようですけど…… 大丈夫ですか?」
「大丈夫ですよ。 カミカゼでいいですか?」
「はい、 本当に大丈夫ですか?」
うん……と答えながら、ウォッカとコアントローを混ぜ、最後に絞ったライムジュースを少しの間、何かを思いながら見つめた後、シェーカーに入れた。氷を入れ、ストレーナー、トップを被せ、振り始めた。シェーカーの音が止まるのを見計らって、カウンターのいつもの端の席に座っていた阿求が席を立ち、「ドアの明かり消してくる」と言ってドアを開けて外へ出て、ドアの両端の明かりを消し戻ってきた。
「これでもう人が来ないわ。 私達が帰ったらもう寝なさい」
阿求が席に戻って言った。悠は阿求にギムレットを出したあと、そのまま眠ってしまったのだ。阿求はその間ずっと黙って起きるのを待っていたのである。
「ありがとう。 最近ずっと修行続きでしたから……」
悠は口を押さえて、欠伸を一つした。
「紅魔館の門番とだよね? 以前は嫌々行ってたけど、最近はえらい色気を見せてるわね…… いいえ、 もしかしたら色気に魅せられたのかしら?」
阿求が嫌味を含んだ特有な発音で言った。文は居心地が悪そうにグラスを弄った。
「違いますよ…… もしかしたらと思って貸本屋の鈴奈庵を探したら『九陽真経』(きゅうようしんきょう)を見つけたんですよ。 それでやる気が出ただけです。 って鈴奈庵を紹介してくれたのは阿求さんじゃないですか」
「そうでしたか?」と阿求はとぼけたが、「あなたが忘れるわけないでしょう」と文が呆れて言った。
「その『九陽真経』ってのはなんですか?」
文が悠に聞いた。初めて聞いた単語なのでネタになるかもしれないと考えたのだろう。
「武術の秘伝書です。 習得すれば、美鈴さんぐらいとは言えないけど、結構の気功が扱えるんです。 美鈴さんの習得方法で修業したら、僕では何十年かかるか分からないですからね……」
「へぇ~、 そんな便利なものがあるんですね! 今度見せてください」
「いいですよ」

 その後も三人で雑談していたら、阿求が思い出したように「ねぇ? ちょこれーとってどういう味?」と悠に聞いた?
「チョコレートですか? それなら……」
悠は後ろの棚からチョコレート・リキュールの『モーツァルト』を取り出して、少しだけグラスに注いて、「どうぞ」と言って阿求と文に渡した。
「甘い……」「甘ッ」というのが感想であった。
「外の世界ではこれを仲の良い人に渡すのね?」
「ん!? 阿求さん、何のことですか?」
「この前見た外の絵巻に描いてあったのよ。 でも液体ではなかったわよ」
「なるほど……、 確かにそんなイベントがあるね。 それは固形のチョコレートだよ。 これはそれとお酒を混ぜたモノと思って貰えればいいな」
「作り方は知ってる?」
「うん、 一応……」
「ふ~ん、 で何でそんなことするの?」
「え~と、それは……」悠は自分の知っているチョコレートの作り方とバレンタインデーのことを話した。
「そのカカオってのはどこで手に入りますか?」
文がいつの間にか手帳を取り出していた。
「幽香さんに頼めば手に入ると思いますよ」
「なるほど…… カキカキメモメモ……」
「作るんですか?」
「いいえ、 流行らせたら面白いかなっと思いまして」
「流行りますかね?」
「だから、流行らせるんです。 流行を作るのは情報屋の得意分野ですよ~。 これが流行れば誰が誰のことが好きか分かって面白いですよ」
文が目を輝かせている。すぐに流行る光景が目に見えていた。
「妖怪にも恋という感情はあるんですか?」
「どうでしょうね…… 河童は結婚とかするから恋はあると思うよ。 私達、天狗も卵生ではあるが、好きなものと番いになることもあるな。滅多にないことだが…… 妖精みたいな自然から生まれるモノ、唐傘みたいな物が変化したモノは分からないな……。 でも好きな人間や他の種族に付きまとう奴もいるから、そう言う感情もあるんじゃないのか? しかし、それは人間の言う恋というより、好意の方だと私は思うけどね」
「そうですか……」
「じゃあ、 そろそろ帰るわ。 これ……」と言って、阿求は使っていた筆と墨などを悠に渡した。
「ごちそうさま。 早めに休んでくださいね」
そう言って、文と阿求は店を後にした。悠は店内の明かりを消して、優しい明かりを放っていたミノムシの籠を持ち上げた。びっくりしただろう、ミノムシの明かりが一瞬だけ明るくなった。悠はそれを持ったまま寝室に戻った。
 
 ――数週間が過ぎ、チョコレートが売られるようになった。経過を要約すると、パチェリーによって生産方法が確立され、河童により量産され、魔理沙が独占販売を始めたのである。

 「どうしたのよそれ?」
悠の惨状を見て、阿求が眉を寄せて聞いた。露出している肌はほとんど包帯に巻かれ、顔は明らかに血の気が足りなかった。
「幽香さんに弾幕勝負を頼んだんですけど……」
悠が思い出したくないように頭を振った。
「すごい暴挙ね!死にたくなったの?」
「いや、そういうわけでは……幽香さんってすごい妖怪だったんだな……」
悠は『九陽真経』を覚え、スペルカードを手に入れたのである。それで何を思ったか、悠の中では優しい妖怪である幽香に練習を頼んだのである。美鈴では強すぎるから、幽香の方がいいと考えたのだろう。結果は手加減に手加減した幽香の攻撃でゲームオーバーになったのである。
「間抜けね……。 これあげるわ。 たまたま買ってきたやつ」
阿求が差し出したのは魔理沙の売っているチョコレートであった。紙の箱にしっかりとラッピングされ、かわいいピンクのリボンも付いていた。
「え!? いいのか? これって……そういう意味?」
「ちがうわよ!」と阿求がはっきりと言った。「好きなものにあげるのは手作りでしょう? それは買ったものよ」
「うれしいよ! 丁度いま血が足りないんだよ。チョコレートには造血の効果があるからね…… って! うわ!!」
悠が箱を開けると中に入っていたのは今にも脈打ちそうなリアルな心臓の形をしているチョコレートであった。確かに造血しそうである。
「どうしたのよ?」
「いや…… 何ですか? この形?」
「だってあなた『ハート……ほらこう……心臓の形ですよ』って言ってたじゃないの。 だから新聞にもそう書いてあったわ」
「確かに言ったが……。 この形で売られてるんですか?」
「ええ、 人間よりもむしろ妖怪に大人気よ。 みんな送り合ってるわ」
この形のチョコレートを贈り合うのはどんな儀式だ……。しかし、魔女が売り、妖怪が食べるならこの形で間違っていないのかもしれない。と内心そんなことを考えながら悠はチョコレートを見つめた。阿求は悠の様子をチラッチラッと盗み見ている。(さて、 どんな罠が隠されているのかな……。 カカオ100%か? それとも唐辛子か? まぁ、食べてみれば分かるか)そう思い、悠は口を大きく開けチョコレートに噛みついた。
 
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