| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

東方調酒録

作者:コチョウ
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第九夜 八意永琳は実験する

 太陽が真上に来るという刻。幻想郷にある一軒のバー、バッカスでは主人である無精ひげを生やした月見里悠が寝室で寝ていた。竹で作った簡単なベッドの上で悠は静かな寝息をたてていた。寝室は質素なものであった。ベッドの横には水と本や四つ葉のクローバーの栞が置いてある台が一つ。ドアの隣の大きな棚には本とボトルが数本そして、ミノムシの入った瓶が置いてある。服は壁に掛けてあり、それ以外に何も部屋であった。その部屋の棚の隣で藤原妹紅が片膝を立てて床に座り背中を壁に押し当てて目を閉じていた。床には空の酒瓶が散乱している。
 
 悠が「う~ん」と言いながら三回目の寝返りをした時、妹紅の方が先に目を覚ました。「しまった……」と呟いて、ベッドで眠っている悠の体を揺らした。
「おーい。 悠。 起きろ~……」
そっぽを向いただけで悠は目を覚まさなかった。「起きろってぇ!」そう言って妹紅は悠の上を向いてる横っ腹をこぶしで殴った。「ぐへぇ」と言って悠が飛び起きた。眠そうな顔で腹を押さえながら、悠は「妹紅さん……」とだけ呟いた。
「もうお昼よ。 永遠亭の診療所に行くんでしょ?」

 昨晩、悠はルーミアにかじられた。ちょうどその日に妹紅も店に訪れたのである。悠は未だに竹林の歩き方は分からないので、妹紅に案内してもらおうとお願いしたのであった。妹紅は二つ返事で了承してくれて、今夜は悠の部屋で少し飲んで、慧音の家に泊まると言ったのだが、思いのほか盛り上がりいつの間にか二人とも寝てしまったのであった。
「ベッドに入った記憶がねぇ……。 頭も肩も横っ腹も痛い……」
頭と腹を押さえながら言った。肩を押さえる手が足りないようである。満身創痍であった。悠が出かける準備をしていると妹紅が呟いた。
「せっかく、 慧音の家に泊まれる口実ができたのに……」
「口実と言わず、 いつでも行けばいいじゃないですか?」
「それは、 ほら…… ねぇ~」
(なんで、 そこで赤くなる)と悠が内心思いながら、ミノムシに藁をあたえていた。明かりが強くなった。嬉しいようであった。
「ミノン。 いっぱい食べな」と言いながら嬉しそうに瓶を指で軽く突っついた。妹紅はその様子をあきれ顔で眺めていた。
「お~い、もういくぞ~」
「ちょっと、 待ってくれ」そう言って悠は棚から円形の木のケースを取り出し、ポケットに入れた。「それは?」と妹紅が興味を示して聞いた。悠は「永琳先生へのお土産です」と答えただけだった。

 永遠亭に続く竹林は何回来ても迷うと悠は内心で思っていた。同じような竹がそれこそ永遠のように続き、獣道や先人の歩いた道はその落ち葉によってかき消されているのである。妹紅の案内で悠は竹林を抜け、永遠亭の前まで辿り着いた。
「輝代に会いたくないから、 私はここで待ってるわ」
そう言って妹紅は竹に背中を預けて座った。
「行ってきますね」
悠は永遠亭の整理された庭を通り抜け、扉の前に立ってノックをした。「はい、はーい」という声がして、桃色のワンピースを着たふわふわなウサミミが生えている黒髪の少女が顔を出した。
「てゐさん、 こんにちは。 永琳さんいますか?」
「悠! よく来たな。 人参くれ」
因幡てゐが赤い目をキラキラさせながら、両手を差し出してきた。
「ごめんね~、 今日は持ってないんだ」
「じゃあ、 帰れ!」
てゐが勢いよくドアを閉めた。ドアを閉めた衝撃風が悠の顔に触れた。しばらく茫然としていた悠は再び扉を叩いた。
「開けてくれよ~、 今日は受診に来たんだ」
扉が今度は勢いよく開いた。
「どうした? 病気か?」
てゐが心配そうに悠を中に入れた。
「妖怪に少しかじられて…… 大した傷じゃないけど一応念のためにね」
「災難だったねぇ、 しあわせ少しあげるね」
「ありがとう。 今度また人参あげるよ」
「分ってるじゃん」
てゐがうりうりーと悠にすり寄った。
「あ、悠はここで待ってて、 私はお師匠様呼んで来るから」
悠はてゐの勧めた椅子に座った。しばらくするとてゐが団子とお茶を持って横に座った。
「少ししたら来るって…… これでも食べて待っててよ」
悠はてゐの差し出した団子とお茶を受け取った。美味しそうな団子である。悠は長男を一口で食べた。想像していたのとは逆方向の味がした。悠は慌ててお茶を手に取り勢いよく喉に流し込んだ。鼻を吹き抜ける爽やかさであった。風が強すぎて痛いぐらいであった。
「わさび……」
悠が鼻を押さえている。団子にはからし、お茶にはわさびが入っていたのである。たっぷりと……。
「てーーゐーー」
てゐがピョンっと跳ね、笑いながら逃げて行った。残された悠は口をスハー、スハーするほかなかった。
 
 悠の口の痛みがたいぶ引いた頃に永琳が歩いてきた。長い銀髪を一つに三つ編みにしている幻想郷には珍しい大人の色気を持つ女性である。「おまたせ」と言って悠を診療室に入れた。
「てゐが嬉しそうにしてたけど、 何か悪戯されたの?」
「からしの入った団子を食べさせられました」
悠が二男と三男が残っている団子を見せた。永琳がふふっと笑った。
「あの子気に入った人には遠慮ないから」
「ということは僕は嫌われていないんですね」
「あら~? 怒ってないの」
「悪意のない悪戯ですから……」
悠はことなさげに言った。
「あなたマゾ?」
「いえ、 ノーマルですよ」
「重症ね……」
永琳が呆れた。自覚症状がないほど重症である病気もある。
――傷は思ったとおり大したことはなかった。永琳は薬棚から薬を一つ取り出した。
「この薬を使えば傷が一瞬で治るわ」
「副作用……は?」
「楽しみね」
永琳が美しく笑った。
「また未知の薬ですか? 前飲んだ薬だって小町さんっていう友人が増えただけでしたよ」
「彼岸まで行ったのね…… 危なかったわねぇ~」
責任は感じていないようだ。
「でも今回は塗り薬よ」
「たぶん、 そういう問題じゃないと思います」
「私以外のモノが作った薬は使ってみないと効果がいまいち分からないのよ」
そう言いながら永琳は薬を棚に戻した。
「だからって僕を実験体に使わないでください」
「残念ね、 それじゃあ、消毒と普通の塗り薬でいいわね」
「最初からそうしてください……」
消毒は激痛だったが、塗り薬を塗った瞬間に痛みは感じなくなった。
「これ、お土産です。 前に言ってたやつですよ。 EVE(イヴ)です」
悠は木のケースを開けて中から薬瓶のようなものを出した。
「それが不死の薬と言われるお酒?」
「エリクシル・ヴェジタルという酒で頭文字を取ってEVEです。 リキュールの女王と言われているシャルトリューズの最初の製法で作られています。 意味は『植物の霊薬』ですが、 もちろん本当に不老不死になれるわけではないです」
「へぇ~……」
永琳が興味深そうにEVEを受け取った。
「飲み方は角砂糖に染み込ませて、かじってください」
「そのまま飲むのではないのね?」
「飲めますけど…… 71度ありますし、ハーブ香もキツイので、 そのままでは飲みにくいと思います」
「でも、 なんで不老不死の薬と呼ばれているのかしら?」
「このお酒が不老不死の霊薬として処方されたからですよ。 シャルトリューズ修道院で製造されました。 アルプスを越え、命からがら修道院に辿り着いた旅人にとっては、まさに命の水だったと思います」
「そうね……本当の不死の薬よりも、その時の命を繋いでくれる薬の方が有難いのかもしれないわね」
永琳はしみじみと言った。
「ありがとう。 今夜にでも飲んでみるわ」
「では、 僕はこれで失礼します」
悠が席を立った。
「お大事にね。 帰りはてゐに送らせるわ」
「大丈夫ですよ、 妹紅さんが待っててくれてますので」
「そう、 姫さまは鈴仙と出かけてるから妹紅も中で待てばよかったわね」
悠は頭を下げ、診療室の扉を開けて外に出た。外で待っていたてゐと挨拶をして永遠亭を後にした。そして、外に出て目に入ったのは焼けた竹と戦っている輝代と妹紅、その横でオロオロしている鈴仙の姿である。悠は永遠亭に戻りてゐに竹林の道案内を頼むのだった。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧