売られた花嫁
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第三幕その三
第三幕その三
「わかったよ。僕幸せになる」
「そう、そうなっておくれ」
ハータはそれを聞いてようやくほっとしたようであった。
「そうでなければ困るから」
「善人は幸せにならなければなりません」
ここでケツァルはこう言った。
「ヴァシェク君、だから君は幸せになるんだよ」
「なれますか」
「神様がそうしてくれるさ」
「間違いないですね」
彼は急に元気になってそう問うてきた。ケツァルはそれに少し面食らいながらも言葉を返した。
「勿論だよ」
「そうか、なら大丈夫ですね」
「少なくとも君にはね」
「はい。じゃあ僕は結婚します」
「うん」
「この村の娘と。そして幸せになります」
ここで彼は村の娘とだけ言った。ケツァルもミーハもハータもそれはマジェンカのこととばかり思っていた。だがそれは果たしてどうなのか。彼等はよく考えてはいなかった。
「なあマジェンカ」
マジェンカの家の前でクルシナとルドミラがマジェンカに話をしていた。わりかし立派な家である大きく、しかも新しかった。煉瓦の家であり小屋に水車もあった。
「信じてくれないか」
「どうして信じられるのよ」
マジェンカはむくれた顔で両親にそう言葉を返した。
「お父さんもお母さんも嘘を言っているのよ」
「嘘だと思うのかい?」
ルドミラが娘にそう尋ねた。
「親が娘を騙すとでも思うのかい?」
「わし等が御前に一度でも嘘をついたことがあるか?」
「うう」
その通りであった。二人は村でも正直者として通っている。マジェンカに対してもそうであった。彼女は両親が嘘をついたことを見たことも聞いたこともなかった。
「確かにそうだけれど」
「ならわかるな」
「いえ」
しかし首を横に振った。
「それでも信じられないわ」
「どうしてなんだい」
「わしはこの目と耳で確かめているのだぞ」
「それはわかるけれど」
マジェンカは戸惑いながら言った。
「それでもどうしても信じられないの」
「わし等の言うことでもか」
「だって」
マジェンカはまた言った。
「イェニークが私を売ったなんて。それもお金で」
「しかし本当のことなんだよ」
「彼はお金にはあまり執着していないわよ」
「しかしだな」
「いつも頭を少し使えば手に入れられるって言ってるし」
「頭を使えば、だな」
「ええ」
マジェンカは父の言葉に頷いた。
「いつも言っているわよ。それが何かあるの?」
「それだ」
クルシナはその言葉を指摘してきた。
「頭を使えば、と言ったな」
「ええ、確かに」
「それなんだ。あいつは悪知恵を使ったんだ」
「悪知恵を?」
「そうさ。それで御前を売ったんだ。金を手に入れる為にな」
「まさか」
「しかし本当だとしたら?」
「そんな筈ないわ」
狼狽しながらもそう答える。
「だって彼は」
「わしの目と耳が証人だ」
「お父さんの言葉を疑うのかい?」
「そんなことはないけれど」
マジェンカの顔が次第に困ったものになってきた。暗い雲が覆いはじめていた。
「けれど」
「否定しきれるか?」
「・・・・・・・・・」
マジェンカは遂に答えられなくなってしまった。父が嘘をついているとは思えないからだ。
「な、わかったろ」
クルシナはここで娘に対して言った。
「御前は売られたんだ、あいつに。裏切られたんだ」
「もうあんな男のことは忘れておしまい。それが御前の為なんだよ」
「そうなの」
「そうさ。いいね、マジェンカ」
ルドミラの声がさらに不安に覆われていく。
「大人しくミーハさんの息子さんと結婚しなさい。少なくとも御前を騙したりはしないから」
「私を騙すなんて」
「もう一度言うぞ」
クルシナの声が険しくなった。
「私が御前に嘘をついたことがあるか!?」
「・・・・・・いえ」
頷いた。遂にそれを認めたのであった。
「お父さんが私に嘘をつくなんて。考えられないわ」
「そういうことだ」
「マジェンカ、わかったね?」
「・・・・・・ええ」
母の言葉にも頷いた。
「よく考えてみる。それで結論を出すわ」
「そうだ、それがいい」
「本当によくお考えよ。人間ってのは心が一番大事なんだから」
「心」
マジェンカは呟いた。二人は彼女を一人にした。よく考えさせる為であった。
一人になった。そして考えようとしたができなかった。かわりに涙だけが零れてきた。
「こんな・・・・・・」
その青い目から大粒の銀の涙が零れる。
「こんなことって・・・・・・」
信じられなかった。だが嘘ではない。それがわかっているからこそ辛かったのであった。
泣いていた。悲しかった。これ程悲しかったことはこれまでなかったことであった。
涙が止まらない。それでも何とか考えられるようになった。しかしそれでも信じられなかったのである。
「嘘よ、イェニークが」
彼が自分を売る筈がないとまだ思っていたのであった。
「彼から直接話を聞かないと。何もわからないわ」
だが何処にいるのか。それすらもわからなかった。
何とかしたい、だができない。そのジレンマが彼女を苦しめていた。
「彼がいなくなるだけでも耐えられないのに。そんなことが信じられる筈もないのに」
言葉を続ける。
「二人なら何処にいても平気なのに。私は夢を見ているの?恋の薔薇が散ってしまったの?一体何が起こったというの?私を不幸が覆っているの?これはどういうことなの?」
混乱してきた。それでも涙は零れ続ける。それでもう服が濡れそぼってしまっていた。
彼女は何処かへ去った。真実を知る為に。その真実が残酷なものであるかどうかはもう考えることができなくなっていたのだが。
そしてイェニークを見つけた。彼は教会の側の酒屋で一人黒ビールとソーセージを楽しんでいたのであった。彼がどういった時にそれを口にするのか彼女も知っていた。
「やあマジェンカ」
彼は今の彼女が何を思っているのか知らないのか軽やかに声をかけてきた。
「どうしたの、そんなに焦って」
「焦ってなんかいないわ」
マジェンカは憔悴した顔で彼にそう答えた。
「イェニーク、話は聞いたわ」
「話!?」
「とぼけないで。三〇〇グルデンのことよ」
「ああ、あれか」
「!!」
それを聞いて真実だとわかった。彼女の顔が割れんばかりに壊れた。
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