戦国御伽草子
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参ノ巻
文櫃
1
朝目を覚ましたら由良がいた。
あたしの枕元でしっかり正座し、思わずあたしがびくりと体を揺らしたのにも反応せず膝の上で握りしめた拳を見詰め唇をきつく噛みしめている。
「・・・えと?」
「高彬兄上さまから、全てお伺いしました」
由良ははっきりとした声で言った。
あたしは寝起きで頭も回らず、すぐにはその言葉を飲み込めないまま目をぱちくりさせた。
ぱちくり。
ついでにもひとつぱちくり。
・・・なんですと?
高彬が、由良に、全て言った?
高彬が!?由良に!全て言ったぁ!?
「ゆ・・・由良」
ようやく状況を理解して由良の名前を呼んでもその続きの言葉が出てこない。
『全て』って・・・『全て』!?
「え・・・っと、なにをどこまで・・・いや違うのよ、きっと何かええと・・・」
「瑠螺蔚さま」
由良の強い声が、あたしの吃る声を押しやった。
「私、これから三浦様のところへ参ろうと思います」
「えっ!?」
「真実をあの方の口から聞きたいのです」
そう言った由良の目は、一晩中泣いていたのか真っ赤だった。
「瑠螺蔚さまも、兄上様も、私のことをとても大事にして下さっていますから、嘘や冗談でも、私が傷つくようなことはおっしゃらないでしょう。それを疑っている訳では決してないのです。ですが、私も三浦様と生涯を添い遂げると、一度は心に決めた身で御座います。人伝えで話を聞いて、はいそうですかと納得できるような簡単な気持ちでもございません。瑠螺蔚さま」
「は、はい?」
「昨夜、瑠螺蔚さまのこと少しでも疑ってしまった私を・・・許していただけますか」
由良の固張っていた表情が一瞬にして崩れ、その唇が戦慄いた。
「許すも許さないもないわよ!」
その涙がこぼれ落ちるより前に、あたしはがばりと衾を撥ねのけると、由良を抱きしめた。
「由良、あんまりあんたの『瑠螺蔚さま』を見くびるんじゃないわよ」
あたしは由良を抱きしめたまま言った。由良は小さくはいと言う。
「この先、あんたがあたしのことを疑ったり、嫌ったりするようになっても、それはいいのよ」
「瑠螺蔚さま!?そんなこと・・・」
矢庭に藻掻く由良を押さえてあたしは続ける。
「いいから、聞いて。もしも、そうなったとしても、あんたは別にあたしに悪いとか思わなくて良いわ。無理に心を偽る必要もない。あり得ないことじゃないでしょう。仲が良いとはいえ、この乱世。違う家に生まれた以上、前田家と、佐々家が敵同士になることだって、あんたの夫の首をあたしがとることだって、あるかもしれない。そしたら、あんたは迷わず佐々家や、自分の夫の味方するのよ。絶対に。あたしのことは考えなくていい。思う存分『前田瑠螺蔚』を恨んで、憎みなさい」
「瑠螺蔚さま・・・」
「ただ・・・ひとつだけ、忘れないで欲しいのは、あたしは由良のことが大好きってこと、それだけ。だからどんな事が起こっても、あたしが由良を嫌いになることは決してないし、いつでもあんたの『瑠螺蔚さま』は、あんたの味方よ。・・・酷いこと言って、泣かせちゃってごめんね」
「いいえ・・・いいえ・・・瑠螺蔚さま・・・」
由良は泣いた。押さえることなく、子供のように由良は泣いた。
うん。泣きなさい由良。素直に、泣きたいように泣けない時が、きっとくる。それはこの戦の世に産まれた女だったら避けられないこと。その涙を拭う袖も、こうして抱きしめてくれる腕もなく、荒れ狂う心を抱えたったひとりで前を睨み付けるしかない時がきっと。だから、せめて、今は・・・。
由良の背中を撫でながら考えた。
由良は、強い。
あたしは由良を背に庇うことしか考えていなかった。ちっちゃな由良。でもいつの間にか由良はあたしの後ろに隠れているだけじゃなくて、きちんと自分でものを見、考え、そして恋をし強くなった・・・。
恋、か・・・。
「瑠螺蔚さま、ありがとうございます。私、決心が鈍らないうちに行きますね」
「うん」
三浦のもとへいくという由良。きっと優しい由良は少なからず傷つくだろうけど、あたしは止めなかった。由良が向き合うと決めたものに、あたしが水を差しちゃいけない。それは由良を侮辱することだ。あたしができることは、由良が帰ってきた時に、おかえりと笑顔で迎えてあげること、それだけなのだ。真綿でくるんで大切にすることが、必ずしも由良のためになるとは限らない・・・。
「一人で行くの?」
「道々物騒ですので伴の者と共に」
「賢明ね。佐々の姫らしくなってきたじゃないの」
「ありがとうございます。瑠螺蔚さま」
「いってらっしゃい、由良」
由良は腫れぼったい目でそれでも恥ずかしそうに笑いながら部屋を出て行った。
あたしは優しく頷いて見送り、由良が視界から消えたと見るや否や隣の襖をぶち開ける勢いで開いた。
「速穂児!」
「前田の姫がそんな格好で入ってくるな!」
「あたしの格好なんてどーでも良いのよ!あんた由良を追って!ほら今すぐよはやく急いで!」
「おまえ・・・」
「こっそりついていって、もし三浦が由良になにかしようとしたら守って。お願い」
あたしは速穂児ににじり寄った。
「あたし散々脅したし、髷落としたし、あいつ、逆恨みしてもしかしたら由良になにかするかもしれない」
「なにやってるんだ・・・そういうことは俺がするから言え」
「そういう問題じゃないわよ。見たのも偶然なら斬ったのも勢いで・・・ってそう言う話じゃないってば」
「おまえは由良姫をひとりで行かせたんじゃないのか」
速穂児は言った。
やっぱり、盗み聞きしてたわね。隣だから仕方ないけど。
「それとこれとは話が別なの。ひとりで行かせたのは由良の気持ちを尊重しただけ。伴人だけじゃ心許ないでしょ。そいつがどれぐらい腕が立つか知れないし・・・由良は三浦と話す時伴人を遠ざけるかもしれない。その点隠密なら大丈夫!速穂児腕立つでしょ?三浦なんかには負けないでしょ。ねぇあんたも由良が心配じゃないの?そもそも倒れてるあんたを見つけたの由良よ?由良がいなかったらあんたはここにはいないのよ。恩人よ!恩人を助けるのは当然でしょ。あんたも男の端くれなら女は守って然るべきものでしょう?ね?わかったらお願い!由良のこと守ってあげて」
あたしは畳み掛けるように速穂児に詰め寄りながら捲し立てた。速穂児は嫌そうな顰めっ面で顔を背ける。
「・・・わかった。だから近寄るな」
「なっ!?」
なんですってぇ~!?
「じゃあはやくいきなさいよ!バカ!バカ速穂」
花の乙女に向かって近寄るなはないでしょ近寄るなは!
あたしはどこどこと余所を向いている速穂児をどついてから、鼻息も荒くどしどしと足踏みをしながら自分の室に戻ろうとした。その後ろから速穂児の声が飛ぶ。
「瑠螺蔚!いつまでもそんな格好をしているな」
「あんたはあたしの父上かっ!」
振り向くともう速穂児はいなかった。
なんなのもう!別にいーわよ寝起き姿見られたって!いーだ。
「瑠螺蔚さん、入るよ」
間髪入れず声がして、返事も待たずに入ってきたのは高彬だった。
「あ、ご、ごめん」
そしてあたしを見てひとりで狼狽えて出て行こうとする。
「何が。あたしに用があるんじゃないの」
あたしは怒りが収まらずむくれてそっぽを向きながら言った。
「いやでもええともう少ししたらまた来るよ」
「なんでよ。今言いなさいよ。というか、あんた・・・!」
あたしはずかずかと高彬に歩み寄った。
「うわっ!」
さがろうとする高彬の袖を素早く捕らえて詰め寄る。
「るっるっるっ瑠螺蔚さん!」
「あんた、なんで・・・」
由良に言うなっていったのに言ったのよ!
との言葉をあたしは寸前で呑み込んだ。
高彬はきっと、あたしのために由良に言ってくれたんだろう。なんだか約束を破られたような感じは拭えないけれど、あたしのためにしてくれたことをあたしが怒るのは、なんか申し訳ない気がしなくもない。
「ばか!」
「ええっ?いたっ!」
でもやっぱりなんだかむかつく!
あたしはいきなり高彬の鼻先すれすれに平手を繰り出した。
外したはずだけど、運悪く驚き避けた高彬の頬をあたしの爪が引っ掻く。
それはまるで、猫に引っかかれたような見事な二本線ができた。
「なにするんだ瑠螺蔚さんいきなり!」
「自分の胸に聞いてみれば!」
あたしはぷりぷりしながら一応高彬の頬の傷に自分の袖をあててやる。すると明らかに高彬があわあわと挙動不審になり始めた。
「るるるるるる・・・」
「は?なにいってんのあんた。大丈夫?」
「るっるるるる瑠螺蔚さん!」
「だから、なに」
「む、むね、むなもと!見えてるから!」
「え?きゃあっ!」
高彬に指摘されて初めて気がついたのだけれど、朝から色々なことがあったせいか胸元のあわせが盛大にずれていたのだ。あたしは恥ずかしさも相俟って、反射的に腕が伸びた。
速穂児、もしかして気づいてたの!?言い方が遠回しすぎて気づかないわ!てっきり寝起き姿だから・・・と思ってただけなのに!どうりで明後日ばっか見てる訳だわ!
そして結果として、高彬の頬の傷は三本に増えたのだった。
ご、ごめん・・・。
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