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アラベラ

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第二幕その五


第二幕その五

「私はこれからは一人の方とだけ踊ることになりますので」
「それはもしかして」
 彼はそれが自分への告白ではないのはわかった。彼女の言葉の様子でわかった。
「ええ。今度御会いする時は若い時、娘時代のお知り合いということになるでしょう」
「フロイライン」
 彼はそれを受け入れたくはなかった。アラベラに何か言おうとする。だがアラベラはそれより先に言った。
「貴方の御厚意はわかっておりますわ。けれど私は」
「そうですか」
 彼は目を伏せて頭を下げた。
「では仕方ありませんね」
「はい」
 彼はそれでバルコニーを去った。そして次の者が来た。
「御呼びですか、フロイライン」
 今度はエレメールがやって来た。
「伯爵」
 アラベラは彼に声をかける。そして前に出た。
「握手をして頂けませんか」
 そして手を差し出す。
「ええ、喜んで」
 彼にはその握手の意味が大体わかっていた。拒みたかった。だが拒むことはできなかった。
 握手をした。そして二人は手を離した。
「握手して頂き感謝していますわ」
「はい」
「ではさようなら。今度御会いする時は今とは違いますが」
「ええ、わかっておりますよ」
 彼は微笑んでそれに応えた。
「御幸せに」
「有り難うございます」
 エレメールは頭を垂れた。そして彼もその場を去った。
 アラベラは窓に目を向けた。だがすぐにまた誰かがバルコニーにやって来た。窓越しにそれが見えた。
「ラモーラル伯爵」
 彼女はそれを確認して彼に身体を向けた。
「御待ちしておりましたわ」
「そうですか。呼んで頂き感謝しております」
「はい」
「貴女の仰ることはわかっております。先程御二人とすれ違いましたから」
「そうですか」
「彼等は何も言いませんでした。そして私も何も言いません。ただ」
「ただ?」
「最後にその手に接吻をすることをお許し下さい」
「わかりました」
 彼女は微笑んでそれを受け入れた。そして手をすっと差し出す。
 ラモーラルはその前に跪いた。そしてその手に自らの手を添え口を近付ける。そして接吻をした。
 それを終えると立ち上がる。そして言った。
「さようなら」
「はい」
 ラモーラルも去った。こうして彼女の別れは終わった。
「終わったわね」
 今娘時代への別れが終わったことを感じていた。
「あとはあの人に水を捧げるだけね」
 不意にここで夜空に浮かぶ水瓶座のことが頭に浮かんだ。
 今窓からはそれは見えない。だが心にそれを見ていた。
 天空の神ゼウスが自らの側に置く為に鷲となってさらった少年である。だが彼女は今そこにその少年とは別のものを見ていたのだ。
「結婚を祝福する清らかな水」
 それが今の彼女の心の中にあった。
「私の手の中にそれが入る。そして私はあの人にそれを捧げる。それで私の娘時代は完全に終わる。そして私は」
 彼女は夜空の中にある白く一際大きな星を見た。
「あの星を二人で見ることになるのね」
 そして微笑んだ。目を伏せるとその場を後にした。バルコニーにはただ星とキャンドルの光だけがあった。
 その頃マッテオはズデンカと共にいた。
「姉さんはいたのかい?」
「え、ええ」
 彼女はその問いに戸惑いながらも答えた。
「そうか、それならいいけれど」
 彼はそれを聞いてとりあえずは胸を撫で下ろした。
「そして何と言ってるんだい」
「うん」
 彼女はここで一瞬目を伏せた。だが顔を上げてマッテオに対して言った。
「手紙を預かってきたよ」
「手紙か。まさかそれは」
「そうさ、君の手紙への返事だよ」
 彼はそこで懐から一通の手紙を取り出した。
「これさ」
 そして彼にそれを差し出した。
「気持ちは有り難いけれど」
 だが彼はそれを手にしようとはしなかった。
「どうして?」
 ズデンカはそんな彼に問わずにはいられなかった。
「怖いんだ、受け取るのが」
 彼は沈みきった顔で答えた。
「もし絶縁の手紙だったら」
「そんな筈ないよ」
「いや、やっぱりいいんだ」
 彼は臆病になっていた。
「やっぱり転属を願い出ることにするからそれでいいだろう」
「諦めるには早いよ」
「もう充分だよ。結局彼女は僕には高嶺の花なんだよ」
「マッテオ」
 だがズデンカはその手紙を無理矢理彼に手渡した。
「開けてみて」
「ここでかい?」
「そうさ。そうしたらわかるよ」
 ズデンカはそう言った後で顔を逸らした。そして心の中で呟いた。
(私の気持ちは届かなくてもいいわ)
「わかったよ」
 彼はようやく頷いた。そして意を決して手紙を開けた。そこから鍵が姿を現わした。
「これは」
「何処の鍵か知りたい?」
「うん。何処の鍵だい?」
 彼はズデンカに問うた。
「しかも手紙はないし。これはどういうことなんだい?」
「部屋の鍵だよ」
「部屋の」
 マッテオには何が何だかまるでわからなかった。
「こっちに来て」
 ズデンカはここでマッテオを隅に導いた。
「うん」
 彼はそれを受けてそこにきてた。ズデンカはそれで話をはじめた。
「姉さんの部屋の鍵だよ」
「まさか」
「本当だよ。僕は嘘は言わない」
 ここでマンドリーカが通り掛かった。
「おや、あれは」
 見ればズデンカがいる。彼は目を止めた。
「ここで何を話しているのだ」
 本来なら立ち聞きなぞしない彼だがこの時ばかりは何故か違った。ふと足を止めてしまったのだ。
 
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