道化師
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第一幕その二
第一幕その二
「カニオさん」
「どうも」
彼は村人達の声に応えた。
「御久し振りです、皆様」
それから一礼してこう述べる。
「またこちらに御邪魔させて頂きました」
「御邪魔じゃないよ」
「そうさ、楽しみに待ってたんだから」
「それは有り難い御言葉」
まずは彼等に礼を述べる。
「それで今日は何をしてくれるんだい?」
「はじまるのは何時だい?」
「早く教えてくれよ」
「まあお待ち下さい」
カニオはそう言ってまずは村人達に静かになってもらった。それから馬車から降りて答えはじめた。
「まずはじまる時間ですが」
「ああ」
「何時だい?」
それが問題だった。
「午後七時です」
「夜か」
「丁度いい時間だ」
「そして演目は」
「演目は」
それが村人達の最大の関心事であった。視線をカニオに集中させた。
「道化師の復讐です」
「道化師の復讐!?」
「左様です」
彼は恭しく答えた。なお道化師はイタリア語ではパリアッチョと呼ぶ。
「女房に声をかける間男、それを見た道化師は二人にどんな復讐を仕掛けるか、どんなこんがらがった陰謀があるのか、是非お楽しみ下さい」
「面白そうだね、何か」
「面白くないものなんて上演しません」
カニオは胸を張ってそう返した。
「ですから是非おいでになって下さい」
「わかったよ」
「それじゃあ七時だね」
「はい」
彼は答えた。まずは宣伝は成功であった。
「それでは早速用意に取り掛かりますので」
「その前に一杯どうだい?」
「いえ、それは」
彼の後ろでは一座の者達が降りて道具を下ろしていた。そして早速準備に取り掛かっていた。
「準備がありますので」
「そうですか」
「御好意申し訳ありませんが」
「いやいや、真面目だね、あんたは」
「全くだ。その真面目さがいいよ」
「真面目なのが取り得でね」
カニオは笑って返す。
「道化師ではありますが」
「それは仮面だと?」
「いえ、その時はなりきります」
「おお」
「だからあんなに演技が立派なんだな」
「そういうことです」
彼の演技には定評があった。コミカルなものからシリアスなものまで。一通り何でも出来る、立派な役者であった。古い時代にはこうした役者が時としてこうした田舎でドサ周りをしていたのである。
その後ろでは手綱を持っていた女が降りようとする。そこへ一座の者が一人向かおうとする。鋭い目をした男であった。
「ん!?」
カニオは彼に気付いた。そして怒鳴る。
「こら、トニオ!」
「へ、へい」
「余計なことはするな!」
それまでの様子が一変して粗野なものとなる。そのトニオを怒鳴って下がらせる。
「さっさと用事をしろ、いいな」
「わかりやした」
小さくなって答える。だが顔は不平に満ちたものであった。
「全く」
「どうしたんです、急に」
「何でもありませんよ」
彼はそう言いながら女の方へ行く。
「ほら、ネッダ」
そして彼女の名を呼んで手を貸す。
「降りな」
「はいよ」
女は名前を呼ばれてそれに応じる。そしてカニオの手を借りて馬車から降りた。
「相変わらず奇麗な奥さんだね」
「こりゃどうも」
カニオはそれに応えてにこりと笑う。そして村人達の方に戻ってきた。
「結婚してもう何年かな」
「あいつが子供の頃に拾ったのが十年以上前で結婚して五年ですか」
「もうそんなになるのか」
「ええ。結構経ちましたね」
「それでも相変わらずお熱みたいですな」
「まあそれは」
そう言われて照れ臭そうに笑う。
「小さい頃からずっと可愛がってきましたしね」
「愛情を込めてね」
「本当にね。今でも結婚出来たのが夢みたいですよ」
語る彼の顔は温かいものであった。本当にネッダを愛していることがわかる。
「ずっと流しの一座にいて」
「うん」
「このまま終わるのかなって思っていたらこの歳で女房を持ててね。有り難いことです」
「あんたも苦労してきているからね」
「ええ」
カニオは昔を思い目を細めたり、悲しい顔になったりした。
「ずっとね。苦労してきましたよ」
「それでもここまでこれたんだ」
「真面目にやってきたおかげで。神様に感謝しなくちゃね」
「座長」
先程のトニオとは別の一座の者が彼に声をかけてきた。若くてひょろ長い黄色の髪の男である。
「何だ、ペッペ」
「もう荷物はあらかた降ろしましたよ」
「そうかい、御苦労さん」
彼に優しい言葉を送る。
「じゃあいい頃合だね」
「どうだい、あっちで一杯」
「悪くないですね」
村人達の誘いに目を細める。
「ペッペ、どうだい?」
「じゃあ御一緒に」
ペッペはカニオの言葉に頷いた。その横ではトニオがムスッとして道具をいじっている。
「トニオ、御前も来るか」
「俺はいいです」
だが彼はカニオの誘いを断った。
「驢馬の手入れでもします」
「そうか」
「座長さん、気をつけなよ」
ここで村人の一人がカニオに悪戯っぽく笑って囁いてきた。
「あいつ、あんたのかみさん狙ってるよ」
「へえ」
彼はそれを聞いてにっと笑ったが目は真剣であった。よく見れば笑っているのは作りであり不快さを感じているのがわかった。
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