| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ホフマン物語

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第三幕その四


第三幕その四

「あの医者、何処かで見たことはないか」
「あの医者がか?」
「ああ」
 ニクラウスはここで頷いた。
「覚えているだろう、ローマでのことを」
「しかしあれは」
「別人には違いないがな。だがそっくりだ」
「何が言いたいんだ。あの男はローマから離れられない筈だぞ」
「世の中には全く同じ顔の者が三人いるというぞ」
 俗な言葉だ。だが今ホフマンはその言葉を信じたかった。
「じゃあ彼は」
「用心しておいた方がいい。何事もな」
「わかった。それじゃあ」
 ホフマンもまた頷いた。アントニアの手を握り検診を行なうミラクルから目を離さなかった。アントニアは椅子に座り検診を受けていた。
「ふむ、これはいかん」
「何かあったのですか?」
 眉を顰めさせたミラクルを見て不安になった。
「不整脈だ。しかも動悸が激しい。これはいけない」
「そんな。ではどうすれば」
「何、方法はある。とっておきの治療方法がね」
「それは」
「唄うことだよ」
 ミラクルはニヤリと笑ってこう言った。
「唄う!?」
「そう」
 そしてまたニヤリと笑った。
「やはりおかしいな」
「ああ」
 ニクラウスとホフマンはそれを聞いて囁き合う。
「どういうことなんだ」
「さあ、唄うんだ」
「けれどそれは」
「御父様から頼まれて診察しているのだよ。さあ」
「待て」
 ここでクレスペルの声がした。
「わしはそんなことを頼んだ覚えはないぞ」
「おや、気付かれましたか」
「わしに何をした。唄うことだけはならんと言った筈だ」
 そうきつく言う。
「ですが唄われるとお嬢様の御心が晴れます。病は気からですぞ」
「そんなものは詭弁だ。妻の時もそうだったのだからな」
「御母様も」
「そうだ。だから御前はもう唄ってはいけない。わかったな」
「はい」
 仕方なくそれに頷く。だがミラクルはそれでは引き下がらなかった。ここで白衣のポケットから小瓶を幾つも取り出してきた。それをカスタネットの様に鳴らしてきた。
「これを御飲みになれば宜しいですし」
「馬鹿を言え」
 だがクレスペルはそれを信じようとしなかった。
「貴様の薬なぞ。怖くて誰が」
「医者の言うことを信じずして何を信じろと」
「少なくとも貴様は信用できん」 
 彼は父親として言い返した。
「毎晩飲めば宜しいですよ」
「嘘をつけ」
 彼は頭から信用しようとはしなかった。
「アントニアを奪うことは許さん。貴様にはな」
「またその様なことを」
「黙れ、もう貴様の戯れ言は聞き飽きた」
 遂に切れた。彼を掴んで部屋から押し出す。
「出て行け。二度とわしの前に姿を現わすな!」
 そう言って部屋から追い出した。クレスペルは部屋の鍵を閉めるとここでようやく安堵の息を漏らした。
「これでよし。もうこれであいつとも」
「だといいですけれどね」
 しかしニクラウスがそれに疑問の言葉を呈した。
「何かあるのかね」
「はい。嫌な予感がします」
「大丈夫だ。もう奴は部屋に入ることは」
 その時だった。壁からミラクルがニュッと出て来たのであった。そして薬の小瓶をカタカタと鳴らしながら無気味な笑みを浮かべていた。
「この薬を毎日飲まれれば」
「馬鹿な、こんなことが」
 クレスペルだけではなかった。ホフマンも同時に叫んだ。
「これは一体」
「少なくともこれは現実のことだ」
 ニクラウスはミラクルを見据えながら言った。
「これがか」
「そうだ。よく見ておくんだ。いいな」
「ああ」
 ホフマンは頷いた。クレスペルはたまりかねてミラクルを一階に連れて行く。無気味で不可思議な騒動はまだ続いていたのであった。
「仕方がないよ」
 ホフマンはアントニアに対してこう言った。
「唄えないことが」
「ああ。唄うと君の命に関わるのなら。仕方がない」
「有り難う、ホフマン。けれど私は」
「本当は違うのかい?」
「ええ」
 彼女は力なく頷いた。
「唄いたいわ、本当は」
「けれど若し唄ったら」
「わかっているわ」
「残念だけれどそれはけは止めてくれよ」
 ホフマンも本心は違っていた。だがここはそれを押し殺すしかなかったのだ。
「僕は君の為を思って言っているんだからね」
「ええ」
「君がいなかったら僕は。どうしていいかわからないよ、本当に」
「わかったわ」
 彼女は力なく頷いた。
「ホフマン」
 その横にいたニクラウスが声をかけてきた。
「今日はもう」
「ああ、そうだったね」
 ホフマンは彼に言われてようやく気付いた。
「かなり長くいたね。それじゃあこれでお暇しないと」
「帰るの?」
「また明日来るよ」
 彼は答えた。
「だから。安心してね」
「ええ」
 こうしてニクラウスに連れられるようにしてホフマンはアントニアの前から去った。そして彼女は遂に一人に戻ったのであった。
「仕方のないこと」
 彼女はやはり力なく頷いた。
「そうなのよね。だから諦めるしか」
「いや、それには及びませんぞ」
 突如として何処からか声が聞こえてきた。
「誰!?」
「私です」
 声は後ろから聞こえてきていた。ミラクルがアントニアの影から出て来たのだ。まるで海から姿を現わす魔人の様にだ。すうっと出て来た。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧