愛の妙薬
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第一幕その六
第一幕その六
「あの」
そして彼に問うた。
「イゾルデ姫の愛の妙薬はありますか?」
「はい!?」
ドゥルカマーラはそれを聞いて一瞬口を大きく開けた。一体何のことかと思った。
「いえ、あの」
ネモリーノはそれを見て言い方を変えた。
「つまりですね、その・・・・・・好きな人に惚れられる薬はありますか」
「ああ、そういうことですか」
ドゥルカマーラはそう言われてそうやく納得した。
「それなら山程ありますぞ」
「本当ですか!?」
ネモリーノはそれを聞いて表情を明るくさせた。
「私は正直者で知られておりまして」
見れば如何にも、という感じが身体全体から漂っている。だがそんなことを気にしていては話にもならない。それにネモリーノはそれにすら気付いてはいない。
「そうなのですか、それはよかった」
彼の怪しげな言葉を疑いもなく信じきっていた。
「それでどんな薬なのですか」
「はい、こちらに」
そこで青い陶器の瓶をネモリーノに差し出した。
「これが愛の妙薬です。値段は一ツェッキーノ。ありますかな」
「はい」
運のいいことに丁度持ち合わせがあった。ネモリーノは財布からそれを取り出してドゥルカマーラに差し出した。
「毎度あり」
彼はにこやかにそれを受け取った。
「有り難うございます」
ネモリーノはそれを受け取るとすぐにドゥルカマーラに対して礼を言った。
「何と言っていいやら。これで僕の夢が叶うんです。それを思うと幸福で胸が張り裂けそうです」
「いやいや」
ドゥルカマーラはそれに対して手を振って鷹揚に応えた。
「私は人として当然のことをしたまでですよ」
実はそう言いながら心の中では舌を出していた。
(ううむ、色々と歩き回ってかなり間の抜けたのを見てきたつもりだがここまで凄いのは見たことがないのう。まさかこれ程のがいるとはな、世の中は広いものじゃ)
いささか呆れている程であった。
「さてお若いの」
だがそうした考えは胸の奥に隠してネモリーノに言った。
「よく振ってからお飲みなされよ。そして中の蒸気が逃げないようにそと栓を開けて飲むのじゃ」
「はい」
ネモリーノはその説明を疑うことなく聞いている。
「飲むとすぐに効き目が出て来ますぞ。ただしそれは一日だけですが」
「一日だけですか」
「はい。けれど貴方へのお気持ちは一生続きます」
「一生・・・・・・。それでもう充分です」
ネモリーノはそれに納得して言った。
(逃げるには充分な時間じゃ)
実はドゥルカマーラは本当はこう考えていたがやはり口には出さない。
「味もいいですぞ」
「そんなにですか」
「はい。薬だというのにその味はまるで甘美な葡萄酒の様です」
「何と・・・・・・それは素晴らしい」
(中身は本当は単なる安物の葡萄酒じゃからな。味は嘘は言っておらぬぞ)
やはり心の中では全くべつのことを考えていた。
「細かいところまで有り難うございます、それではこれで」
「うむ・・・・・・おっと」
ドゥルカマーラは一つ言い忘れていたことを思い出した。そしてウキウキとした足取りで立ち去ろうとするネモリーノを慌てて呼び止めた。
「お若いの、お待ちなされ。一つ言い忘れていたことがあった」
「何ですか!?」
ネモリーノはそれを聞いて立ち止まって振り向いた。
「他の者には黙っておりなされよ。もてる男は妬まれますからな」
「はい、わかりました」
(下手をしたら警察に睨まれるからのう。それだけは避けなければ)
やはりかなり胡散臭いことをしている負い目であろう。警察だけは怖かった。
「よろしいな」
そして念を押した。
(どうもこやつは危ない。ここまでの間抜けだとかえって不安になるわい)
心の中で一言呟くとまたネモリーノに顔を向けた。
「では今日一日は女の群れに注意してな。群がる幸福にお気を着けて」
「あの先生」
ネモリーノはその言葉に対して言った。
「僕は女の人にもてたいとは思わないのです」
「おや、では何故その薬を」
「はい、この薬は」
ネモリーノは両手に持つその薬をいとおしそうに見てから言った。
「一人の人の為に飲むんです。僕が想うたった一人の人の為に」
「そうだったのですか(案外いいところがあるのう:)」
彼は心の中で少し感心した。だが騙すのに罪悪感はなかった。
(明日の朝早くドロンじゃからまいいよいか。この間抜けとはそれでお別れじゃ)
「さて、お若いの」
何食わぬ顔でネモリーノに声をかける。
「よろしくやりなされよ、その愛しい人と」
「はい!」
ネモリーノは元気よく答えた。やはり全く疑ってはいなかった。
「ではな。わしは一杯やらせてもらうとしよう」
「では」
「うむ」
そしてドゥルカマーラは近くにある酒場に向かって行った。そしてその中に入った。
ネモリーノは一人になった。早速その栓を開けようとする。
「おっとと」
だがそこでドゥルカマーラに言われたことを思い出した。
「まずはよく振って、と」
彼が言ったようにまず瓶を振った。
「そしてゆっくりと栓を開ける」
その中身が何であるか本当に疑わしいと思っていない。そして一口口をつけた。
「おや」
味わってみて目の色を変えた。
「これは美味い。先生の仰った通りだ」
そしてゴクゴクと飲みだした。
「美味しいなあ。何か飲んでいると気分がよくなってきたよ」
酒であるからそれも当然であった。だが彼はやはりそれには気付かない。
「ううん、何だか身体が熱くなってきた。もう効きはじめているな」
無邪気に薬が効いていると思っている。
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