八条学園騒動記
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第百十五話 温かい氷その三
「絶対にね」
「けれど彰子ちゃんは」
「それなのよ」
先生は今も彰子を気遣う目で見ていた。
「重い筈なのに。どうして」
「我慢しているんですね」
七海はこう思った。
「彰子ちゃん」
「そうよ。それもかなりね」
ここでも先生は七海と同じだった。二人共彼女がかなり無理をしているのがわかる。何しろ自分の半分程もある大きさの箱を一人で引いているのだ。無理をしていない筈がない。
「その筈だけれど」
「それでも。平気だって」
「妹さんの為なのね」
先生はわかっていた。
「だから」
「それでもそれだったら」
「それだったら?」
「買えばいいじゃないですか」
クッキーを買って明香にあげる。確かに話はそれで終わりだ。しかし彰子はあえてそれをしないのだ。七海にはそれがどうしてもわからなかったのだ。
「それだけなのに。どうして」
「それだけね」
先生は首を傾げる七海に対して言ってきた。
「大切に思ってるのよ、彰子ちゃんは」
「明香ちゃんのことをですか?」
「ええ、そうなのよ」
こう説明するのである。
「だから。それで」
「お家までクッキーを」
「こんな娘はじめてよ」
先生は言う。
「チョコレートクッキーは普通にお店に売ってるわよね」
「はい」
そもそもそうである。
「それなのに自分で持って行くって。ないわよ」
「どうしてなんでしょうか」
「妹さんにそのクッキーを食べてもらいたいからなのよ」
「自分が食べて美味しかったそのクッキーを」
「そういうことよ」
また七海に教えるのだった。
「だからなのよ」
「そうなんですか」
「彰子ちゃんね」
先生は彰子の後姿を見ながら語る。
「三人兄弟の真ん中よね」
「お兄さんがいるんでしたよね」
「そうよ。けれど妹さんが一つ下にいて」
それが他ならぬ明香である。
「とても大切にしてるのよ。まるで自分自身みたいに」
「自分自身みたいに」
「妹さんもそうなの」
先生は明香のこともよく知っていた。
「妹さんもね。彰子ちゃんのことを」
「とても大事にですか」
「生まれた時からの絆ね」
「絆!?」
七海は今の先生の言葉には疑問符を付けてしまった。まだ幼稚園児の彼女にはよくわからない言葉だったのだ。これは仕方のないことだった。
「絆って?何ですか?」
「大きくなったらわかるわ」
先生は今は答えなかった。こう言うだけであった。
「大きくなったらね」
「私が大きくですか」
「ええ、そうよ」
そしてこう言うのである。
「七海ちゃんが大きくなったらね」
「そうなんですか」
この時はどうしてもわからなかった。だが心にはずっと残ったのだった。幼いその心に。そしてそれは今もなのであった。またこのことを皆に話していた。
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