戦国御伽草子
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壱ノ巻
青の炎
1
「クソッツツ!!」
俺は拳で柱を思い切り叩いた。
柱が撓み、拳には痺れが走った。
握り締めた拳に、爪が食い込んで鈍い痛みが残っても、俺の苛立ちを掻き消すには遠く及ばない。
一体、俺はどうしたんだ!?
俺の名は、村雨発六郎速穂という。尤も、本名ではないが。真名は知らない。知りたいとも思わない。
俺の親は両方とも何年か前の戦に巻き込まれて死んだ。俺の今の親は全くの他人。両親の血で塗れ、なお生きていた俺を拾ったと言っていた。
今の親と言っても、養父は既に死んでいる。養母はとても若い。子を産んでいるのに、まだ三十路前だろう。
養父は村雨家の主だった。故に子も何人もいたし、妻も養母以外にもいた。
けれど俺が接触があったのは、養母の唯一の子、千集だ。正室の養母が産んだ千集は今は亡き養父の後を継いで、村雨家の若頭になっている。
俺は、若と兄弟同然に育てられた。それと同時に、養父に忍びとしての業を叩き込まれた。若が大きくなったときに、護衛として、影として俺が動けるように。
事の起こりは今から約一月ほど前。
その日、普段はわりと温厚な若が、いきり立って俺のところへ来たのだった。思い切り寄っている眉根が、あまり見慣れないだけに俺に何か一大事が起こったのかと焦りを与えた。
「若。何か・・・」
「母が前田の奴に手懐けられた」
若はきっぱりとそういった。
養父が死んでから、表向き村雨家の権威は全て若に移った。けれど、まだ20にもなっていない若に全てを託すのは酷だとして、実権は養母が握っている。その未亡人となった養母に、他家からの縁談は山ほど来た。村雨と手を組みたい奴等から。
若や、皆でその縁談のひとつに決め、これで村雨家も更に大きくなると話していた、その矢先だった。
「母は、断る気でいる。既に決まったことだと言うに。俺が、嫌ならいい、心はいらんと言って来た」
「若、それは・・・」
それを聞いたとき、俺も青ざめたことだろう。もし養母が縁談を断りでもすれば、相手の家が一度決めた縁談を断るのは何か含むところがあるとして、戦を仕掛けてくるかもしれないのだ。村雨家の足を掬われるのは勘弁して欲しい。
「母は、前田の側室になりたいと言っている」
「では、殺しましょう」
あの時、俺は躊躇いも無くそういっていた筈だ。つまりは前田がいなければいいと。邪魔になるのなら消せと。そう教わってきた。
「母を、か?」
「まさか。前田を、です」
若はにいっと笑った。
「おまえならそう言ってくれると思っていた。どうする、殺すか、全員。それとも・・・」
「全員ですね。ただの戯れにしては度が過ぎています。私が殺りましょう」
「おまえが?一人で全員だぞ?」
「お任せください」
「…どのくらいで出来る?」
「一月もかからないでしょう」
「相手は前田の本家の奴らだ。村雨が関わっているとわかれば終わりだ。最悪母が諦めればいいからな、当主だけでもいい。無理だと思ったらすぐ戻って来い」
そう言われて、俺は前田の本家に取り入った。
けれど、ここは、何なのだ!
若に、養母を誑かしたのは前田のものか、間違いないかと聞いたとき、確かに頷いて間違いないといったのを俺は確認している。だが、前田家にいざ来てみると、村雨家とは何もかもが違うのだ。違いすぎるのだ!
少しでも顔色が悪いと声をかけ、傷があるといってはすぐに手当をしてくれる。上下身分の関係無くだ。前田家の当主自ら手当てされそうになったときは、流石の俺でも夢ではないかと疑ったものだ。
村雨ではそんなことは天地がひっくり返っても絶対に起こらない。いや、村雨に限らず何処の家でも普通はそうだろう。
それとわかるほどに顔色が悪くても、誰も何も言わずに真横を通り過ぎる。傷があっても、自分で手当てするだろうとほおって置く。俺も例外ではなかった。一瞥しただけで通り過ぎるのだ、皆が。一人の例外も無く!
それでも、まだ大丈夫だった。まだ、憎めた。こいつらは、猫を被っているのだと、例えそうでなくても村雨の邪魔になるのなら消すべきだと、そう自分に言い聞かせれば、まだ、大丈夫だったのだ。
だが、あの女だ!あの女が、俺を狂わせるのだ!
俺は再び、強く拳を柱に叩きつけた。
鈍い音が鳴って、それが耳の奥で木霊する。
クソッ!
前田に取り込もうなんて思わなければよかった。すぐに殺してしまえばよかった。
殺す相手と接触して、情が移るのは忍として最も避けなければならないことだ。
けれど、今までに俺はそんなことは無かった。なかったのに・・・・・!
今日、どうして俺はあいつを殺そうと思ったんだ。
どうして、あいつは泣いていたんだ!
俺は高ぶった感情を抑えるように息をついた。
きっとこれから、人を殺すから、それで感情が乱れているだけだ。それだけだ。
俺は強く前を見据えた。
今日。今度こそ、殺す。
必ず。ーーーーーーー必ず。
後書き
速穂の章。
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