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リリカルってなんですか?

作者:SSA
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無印編
  第二十二話




「………っ。ここは?」

 僕が目を覚まして最初に発した言葉は、僕が現在寝転がっている場所についてだった。だが、当然、その問いに返ってくる答えはなかった。だから、仕方なく僕の五感で感じられる要素から予想するしかないのだが、それも不可能のようだった。

 僕が寝転がっている床は、まるで廊下のリノリウムのように冷たく、堅い。何時間、寝ていたか分からないが、それなりの時間を寝ていたのだろう、身体中が痛い。今は仰向けで寝ているわけだが、見える天井は高く、薄暗くて、天井が確認できなかった。いや、天井に光はないのだろう。周りが薄暗い緑色に発光している。

 さて、本当にここは何所なのだろうか?

 どうしてこうなったのか? 僕の記憶は意外にもはっきりしていた。端的に言ってしまえば誘拐されてしまったのだが、そのことへの心配はあまりなかった。これは、ここ一ヶ月の魔法やらなんやらの出会いで鍛えられたのだろうか。こんな状況に陥っておきながらも、自分でも大丈夫だろうか? というぐらいに落ち着いていた。むしろ、自分の心配よりも、ここに攫われる前のアリシアちゃんやアルフさんの状態のほうが心配なぐらいだ。

 さて、どうしよう? と僕は、仰向けに寝転んだまま考える。

 魔法は………使えないようだ。幸いなことに僕は、デバイスなしでも多少の魔法は使える。使えるといっても、プロテクションなどの初歩的な魔法なので、この場で役立つとは思えないが。魔法のプログラムはかけるのだが、魔力を通すシークエンスで失敗してしまう。魔力が拡散するとでも言うのだろうか。原因は……おそらく、首にある首輪のようなものか、後ろ手で拘束されている手首に巻かれた手錠のようなもののどちらかだろう。デバイスがあれば、なんとか、とは思ったが、就寝前を狙われたため、クロノさんから預かったデバイスを持っているはずもなかった。

 物理的に逃げ出す―――知らない場所で無闇に歩き回るのは危険だ。なにより、僕の両手は不自由極まりない。こうやって、仰向けになっている場合には、手が痛いぐらいで済んでいるが、逃げ出そうとしてこの建物の中を歩き回るにはやや不自由だろう。

 さて、本当にどうしたものか、といい加減仰向けになって寝ているのも手首が痛くなったので、腹筋と少しの反動をつけて起き上がった後、胡坐で座り込んだまま考える。

 座り込んだ状態で、首を回して周りを見渡してみると、最初の予想は当たっていたようで、天井部分にはまったく光がない。あるのは、周りの人が入れるほどのポットの中の水がエメラルドグリーンに光っているぐらいだ。それが部屋の一部を照らしており、やや不気味に思えた。

 どうしたものか? と考えても答えが出ないという結論を出した僕は、諦めて誰かが来るのを待っていようと、決めたところでそのタイミングを見計らっていたようにこつこつと足音を立てて誰かが奥からこちらに向かってきているのが分かった。

 足音がする方向に視線を向けていると、やがて影の中から姿を現したのは、僕も見覚えがある姿だった。

 全体を黒を基調としたドレスのような服に包まれた紫の髪の毛を肩先まで伸ばした女性。忘れられるはずもない。僕を攫った本人なのだから。そんな彼女は、影から姿を現したかと思うと、起きている僕を一瞥して、意外そうな口調で口を開いた。

「あら、もう起きていたのね」

 その言葉に僕はどんな返事をすればいいのか思いつかなかった。そもそも、彼女は、僕にとって見れば誘拐犯なのだ。そんな彼女から声をかけられて軽々しく返事ができるわけがないし、そこまで神経が図太いわけがない。しかしながら、アリシアちゃんにあんなことを言った彼女に怯えた顔を見せるのも癪だったので、僕にできた反抗は、彼女を睨みつけるぐらいだった。

 もっとも、彼女からしてみれば、子どもの戯言に近いことだったのだろう。僕が睨みつけたところで、彼女は特に反応した様子もなく、少し興味深げに僕を見た後、周りにあるシリンダーのようなものを一つ一つ点検するように見ていた。

 彼女の後姿を見ながら僕は考える。彼女の目的は何だろうか? 目的は僕のようだが、魔法を使うことを考えると、管理世界側の関係者なのだろう。ならば、管理外世界の住民である僕の重要度など低いはずだ。だから、僕には彼女の目的が分からなかった。いや、そもそも、彼女は誰なのだろうか。アルフさんの知り合いであろうことは伺える。そして、アルフさんが口にした糞婆という罵るような口調。

 ああ、そうか、と僕はアルフさんが、そんな口調で罵る唯一の相手を思い出した。

 ―――プレシア・テスタロッサ。

 アリシアちゃんの本当の母さんだ。

 アルフさんがあんなふうに嫌悪丸出しで叫ぶのは、プレシアさんぐらいしか思いつかない。アリシアちゃんと始めてであった日に事情を話してくれたアルフさんから考えてもおそらく間違いないと思う。あの時、アルフさんはアリシアちゃんに何か悲しいことがあって、絶望していたというが、僕が攫われる直前のようなことを慕っていた母親から言われれば、ショックも受けようというもの。

 しかし、そうなると、よくわからないのが、プレシアさんが口にした言葉だ。

 アリシアになれなかった、人形でもない、ゴミ。それらの言葉はすべてアリシアちゃんを保護した日の夜に最初に彼女が否定していた言葉だ。ならば、それらがプレシアさんから投げつけられたのは間違いないだろう。しかし、分からないのは、その原因だ。

 アリシアになれなかったとはどういう意味なのだろうか? 人形すらなれなかったとは?

 プレシアさんの言葉の意味を考えてみるが、僕が考えても意味がないことは容易に想像できた。なぜなら、その問いに答えるべき要素がまったく足りないからだ。だから、僕の妹があんなに取り乱した原因が知りたくて、気がつけば、僕はそのことを口にしていた。

「どうして、アリシアちゃんにあんな言葉を言ったんですか?」

 返ってきた返事は、ヒュンという高速で空気を切る音とパシンッという皮を叩いたような音と熱と痛みを持った頬だった。返事が返ってくることは期待していなかったが、まさか、鞭が飛んでくるとは思ってもみなかった。いつの間に手にしたのか、プレシアさんの手には黒い鞭が握られており、先ほどまでは無表情だった顔には、憤怒の表情が浮かんでいた。

「……坊や、あれをアリシアと呼ぶなと言った筈よ」

 その声は静かに、だが、確かに怒りを内包していた。だが、プレシアさんが僕に怒っているように僕だってプレシアさんには怒りを抱いているのだ。あんな風にアリシアちゃんを叫ばせた相手に好意をもてるか? といわれれば、答えは否だろう。

 だから、僕は頬の痛みもあまり気にせず、睨みつけるようにして言い返した。

「お断りします。僕にとって、彼女はアリシアちゃんだ」

「違うわっ! あれは、アリシアじゃないっ! あれは、だたのゴミよっ!」

 あんなに可愛い妹をゴミ呼ばわりされて怒らない兄がいるだろうか。僕は、おそらくこの世界で生まれて初めてというほどに彼女に怒りを抱いた。彼女も憤怒の表情で叫んでいるが、僕も負けじと叫んでいた。

「彼女がゴミなわけがないっ! 彼女はアリシアちゃんだっ!」

「違うっ!」

「アリシアちゃんだっ!」

 まるで、子どもの喧嘩のように叫ぶ僕たち。構図だけを見れば、ガルルルルとお互いに吼える犬のようなのだが、内心はマグマのように煮えたぎっている怒りで翻弄されている。だが、あれだけ怒っていたプレシアさんが、不意に力を抜いて、にぃ、と不気味に笑った。

「そうね、あなたは本当のアリシアを知らないから、そう言えるのよね」

 本当のアリシアちゃん?

 そんな疑問を僕は抱いたが、それを飲み込んで考えるだけの時間を彼女を与えてはくれなかった。

 彼女は、それだけを言うと、僕に背中を見せて、通路の奥に向かって歩き出した。僕について来いといっているのだろうか? と思ったが、そんな甘いものではなかった。

「うわっ!」

 背中を見せたプレシアさんを尻目に、彼女の言葉の意味を考えようとしたのだが、急に首が引っ張られ、プレシアさんが歩いていった方向に倒れこむ。よくよく見てみれば、僕につけられた首輪からプレシアさんに向かって伸びる紐が確認できる。まるで、犬のリードのように僕は引きずられているわけだ。一体、彼女の細腕にどんな力があるのだろうか? と問いたくなるほどに僕は仰向けのまま、床を引きずられていく。そこに僕の意思が介在する余地はまったくなかった。

 どのくらい引きずられたのだろうか。いい加減、首が痛くなってきた頃、ようやく彼女の足が止まった。僕は、引きずられていたせいで首に食い込んだ首輪の圧迫から解放され、二、三度咳き込んだ後、うつ伏せの状態から、背筋を利用して頭を上げた。

 僕が顔を上げて目にしたのは、通路の奥、まるで通路の終わりを示すようにひときわ大きなシリンダー。そのシリンダーを極上の宝石を愛でるように撫でるプレシアさんの姿。そして、そのシリンダーの中身は、エメラルドグリーンの液体をゆりかごにして眠る一人の少女の姿。その少女は、僕がよく知っている妹と同じ髪をしており、同じ顔をしていた。

「アリシア……ちゃん?」

 彼女の姿を目に入れた瞬間、僕はその姿が信じられず、脳で処理しきれる限界を超えて、考えていることが、そのまま口に出ていた。ただし、その声は自分で聞いておきながら、力がまったく感じられず、弱々しいものだったことは言うまでもない。それほどまでに僕は目の前の状況が信じられなかったのだから。

 だが、プレシアさんにとっては、僕の呟きは別の意味で捉えられたらしい。

「そうよっ! この子がアリシアよっ!」

 まるで自慢のおもちゃを自慢する子どものように目を輝かせながら、それでも、そのシリンダーの中身のアリシアちゃんを見つめる瞳は、優しい母親のように慈愛に満ちていた。

「アリシアは、あれよりももっと優しく笑ってくれたわ。我侭も言ったけど、それでも私の言うことを聞いてくれた。それに……アリシアは、私にもっと優しかったもの」

 恍惚とした表情で、愛でるようにシリンダーを撫でるプレシアさん。

 だが、僕の脳は、彼女の言ったことを理解できなかった。いや、理解したくなかったのかもしれない。

 アリシアちゃんと瓜二つな少女。姉妹という意味で似ている訳ではない。鏡のようにそっくりな二人。そんな可能性として考えられるのは、彼女たちが一卵性双生児である場合、つまり、双子である場合だ。しかしながら、その場合、彼女の言動に一貫性がない。アリシアちゃんが、目の前の少女の贋物という表現が合わないからだ。だから、双子ということはないだろう。

 ならば、他の可能性は? と僕の知識を探った結果、可能性として一つだけ考えられた。

「まさか―――」

 僕はその可能性が信じられなくて、思わず声を上げていた。

 ―――クローン技術。

 地球では禁忌とされる技術。いや、牛や羊ではすでに適応されているという話は聞いたことがあるが、人間に適応された例は聞いていない。倫理的にも色々考えなければならないからだ。僕も、この考えは馬鹿げていると思う。もしも、アリシアちゃんと目の前の少女が一緒に現れたとしたら、一番最初に考えた双子説が有力だと考えるだろう。

 だが、目の前の少女の状態が、後者の説を押していた。

 大きなシリンダーの中で眠るように漂う少女。不自然な点はいくつもあった。彼女は、なんの器具もつけずに水中を漂っている。人が水中で生活することができない以上、水中で漂うのならば、酸素を送り込む器具が必要だ。だが、彼女にはそれがない。仮に魔法の力で、あの液体に酸素が含まれており、呼吸をすることが可能だとしよう。だが、それでも、不自然なのだ。なぜなら、目の前の少女は呼吸をしていないのだから。

 通常、人間が呼吸をしている以上、胸が上下する。もっとも、体操座りのような体勢で、自らを包み込むように漂う少女の胸を見ることは不可能だが、それでも胸が動いていれば、水中である以上、少しぐらいは身動きしてもいいはずである。だが、彼女にはそれがない。

 簡単に言うと、おそらく彼女は生きてはいない。目の前にあるのは生命活動を終えた魂の抜け殻だった。

「……あなたは、一体何を望んでいるんだ?」

 思わず、僕は目の前の魔女に問いかけていた。

 いや、薄々ながら分かっているのかもしれない。なんとなくという予想はある。目の前の息をしていない少女。プレシアさんの言動から推測したアリシアちゃんの生まれた理由を考えると、判るような気がした。だが、それが信じられなくて、思わず僕は問いかけていたのだ。

 僕の問いを聞いた魔女は、嬉しそうに口の端を吊り上げて笑うと、大事を発表するように両手を広げて、宣誓するように声を上げる。

「何を望む? 決まっているじゃない。取り戻すのよっ! 失ってしまったこの子との時間をっ!」

「……バカな。そんなことできるわけがない」

 この子との時間を取り戻す? それが可能であるとすれば、この子を生き返らせるか、あるいは、時間を戻すことぐらいだろう。だが、いくら魔法とはいえ、そこまでのことができるのだろうか?

 そんな僕の疑問に答えるようにプレシアさんは、揚々と答えてくれた。その目は、まるで狂人のように狂気に支配されており、彼女の思考は唯一つのことしか考えられないようになっていることを、僕に教えてくれた。

「できるのよっ! そのために私はずっと研究を重ねてきたのだからっ! そして、もうすぐ、その願いは叶う。ジュエルシードとアルハザードによって」

 それを口にした後、プレシアさんは、目の前で眠るように漂うアリシアちゃんとの日々を思い浮かべたのか、堪えきれないように、くくくく、くはあっはっはっはっ! と笑い始めた。

 僕は突然、笑い出した彼女に呆然としながらも、彼女の言葉から彼女の目的を考える。ジュエルシードを求めていたのは知っていた。あれは願いをかなえるようなものだ。つまり、ジュエルシードに目の前のアリシアちゃんの蘇生を願うのか? いや、ユーノくんの言葉によると人の願いは確かに大きな力を与えるけど、どうしても歪曲した願いになってしまうと聞いている。それに、プレシアさんが口にしたのは、それだけではない。

 ―――アルハザード。

 その名前が示すものを僕は知らない。如何せん、魔法側の知識が低すぎるのが問題だ。しかし、彼女に直接問いかけても答えが返ってくるとは思えなかった。とりあえず、僕としては分かる分からないはともかく、知りたいことは知れた。

 そう、少なくとも、僕は僕自身の安全を確保しなければならなかった。今の会話でプレシアさんの目的は、ジュエルシードと分かった。これで、もしも、僕の身体なんかであれば、実験とかに使われて身の危険を感じなければならなかったが、目的がジュエルシードならば、少なくともアースラと交渉するまでは、僕の安全は確保されているだろう。人質は無傷でなければその価値を下げるのだから。

「プレシア」

 さて、僕にできることは、このまま大人しくしておくことか、と床に転がったままじっとしたのだが、しばらくした後、コツコツという床を叩く音の後、抑揚のない声がプレシアさんを呼んでいた。僕が引きずられた通路の奥から登場したのは、プレシアさんと一緒に現れていた猫耳の女性だった。

「準備が整いました」

「そう。分かったわ」

 先ほどまでの高笑いはどこへやら。真面目な顔になったプレシアさんは猫耳の女性と入れ違いになるように、僕の横を通って、通路の奥へと消えていった。

「大丈夫ですか?」

 そういいながら、僕を起こしてくれる猫耳の女性。僕は、彼女の突然の行動に驚いてしまい、思わずありがとうございます、と口にしていた。

 起こされて座ったままの僕と傍に立ったままの猫耳の女性。僕も彼女も話さないものだから、ひときわ大きなシリンダーの中で眠るアリシアちゃんの気泡が浮かび上がるボコボコという音だけが周囲を支配していた。誘拐犯と誘拐された身。とても気まずい雰囲気だった。しかし、それを感じているのは僕だけなのだろうか。佇む猫耳の彼女は、涼しい顔をして、僕の隣に立っていた。

 なんだか、緊張している僕のほうがバカらしくなって、力を抜き、不意に気になっていたことを尋ねてみようと思った。

「あなたが、アルフさんに魔法を教えたというのは本当ですか?」

「ええ、本当です。本来であれば、私はフェイトの教育係だったのですが、途中で使い魔になったあの子にも教えました」

「フェイト?」

 聞きなれない名前に僕が思わず問い返すと、彼女はやはり顔色一つ変えずに衝撃の事実を告げた。

「ええ、あなたがアリシアと呼ぶプレシアの娘であるアリシアを素体としたF.A.T.Eプロジェクトの成功体です」

「F.A.T.Eプロジェクト?」

「クローン技術と記憶転写を基にした生命プロジェクトの一つです。しかしながら、クローンとしての複製には成功しましたが、記憶の転写は上手くいかず、失敗に終わり、プレシアは彼女をフェイトと名づけました」

 あまりに驚くべきことの連続に思わず言葉を失って、絶句してしまう僕。

 僕の予想は、どうやら当たっていたようだが、嬉しくない。だが、これで、すべてが一つに繋がった。アリシアちゃんがうわ言のように言っていた贋物、失敗作という言葉の意味が。つまり、それらは、母親であるプレシアさんから投げかけられた言葉なのだろう。F.A.T.Eプロジェクトとしての失敗作、彼女の本当の娘であるアリシアちゃんの贋物という意味。先ほどの狂気に取り付かれたように娘を愛していたのだろう。蘇らせたいというほどに。彼女の願いをかけたプロジェクトが失敗したときの失望感はいかほどか、子どもをもったことがない僕には分からない。

 しかし、その絶望感は分からないが、自分で生み出したアリシアちゃんに責任を持たないのとは意味が違うだろう。いくら、彼女が望んだ結果とは異なるとはいえ、捨てていいものではない。ましてや、あんな状態になるまで言葉を叩きつけていいはずがない。クローンとはいえ、彼女は一人の人間なのだから。

 それを考えると、僕は一刻も早く、アリシアちゃんの隣に行ってあげたくなった。もっとも、この状況を打開しない限り不可能なのだが。

 しかし、僕単独では不可能だろう。誰かの助けがなければ、不可能だ。だが、果たして時空管理局の人たちは助けてくれるだろうか。僕を人質にジュエルシードを得るつもりだろうが、時空管理局の人にとって、僕にどれだけの価値があるのだろうか。

 少なくとも僕は彼らの言うところの管理外世界の住人だ。ならば、彼らが護る義務などなく、はっきり言ってしまえば、僕などは切り捨てられてもおかしくない存在だった。そう考えると、もしかして、このまま見捨てられるのではないか? という恐怖がこみ上げてくるが、リンディさんやクロノさんの人柄を思い出して、なんとかその恐怖心を追い出す。

 本当、僕はどうなるんだろう?

 そんなことを考えていたからだろうか。急に隣に佇んでいた彼女の猫耳がぴくぴくと動いた。何か、起きるのだろうか? と思ったのもつかの間、急に彼女が元の道を戻るように歩き出したかと思うと、それに釣られるように僕も首を引っ張られた。それは、まるでここに連れて来られるときに似ている。

 あの時も立たせることなく連れて行かれたが、今回も同じだ。歩けるのだから、せめて立ち上がらせて欲しいと思うのだが、首輪が引っ張られている以上、何も言うことはできず、僕は物のように引きずられながら、どこかへと連れて行かれるのだった。

 引きずられること数分、たどり着いたのは、ちょっと大きな部屋だった。視界の端に映ったのは木製の机だった。

『ショウくんっ!!』

 そして、引っ張られて連れて来られた部屋に響いたのは、ここで聞くはずのないなのはちゃんの声だった。その声に釣られて、前と同じように背筋を利用して顔だけ上げてみると、床から少し上の方に窓のように広がる大きなウインドウ。そのウインドウの向こうには、僕の姿を見たからか、安心していそうな表情をしているリンディさんやクロノさん、そして、心配そうななのはちゃんが映っていた。

「さあ、これで分かったでしょう。この子は無事よ。ジュエルシードを渡しなさい」

『待ちなさい。貴方はジュエルシードなんてロストロギアを何に使おうというの?』

 どうやら、先ほど姿を消したのは彼女がリンディさん、ひいては時空管理局の人と交渉するためだったのだろう。だが、交渉とは言っても警察のような時空管理局の人がそう簡単にジュエルシードという危険物を渡せるはずもない。だから、リンディさんが用途を聞いたりしているのは交渉。お互いの妥協点を見つけているのだろう。だが、そんな交渉がまどろっこしいのか、プレシアさんの顔には明らかな苛立ちが見え隠れしていた。

「……ごちゃごちゃ五月蝿いわね。大人しくジュエルシードを渡せばいいのよ」

 そういうとプレシアさんは、ちらっ、と猫耳の彼女のほうを一瞥していた。それに頷いたかと思うと彼女は、僕の方につかつかと近づいてくるのと同時に、後ろ手に回っていた両手の手首が一瞬だけ自由になり、そのまま天井から鎖のようなものでつるされた。まるで磔にされるように空中に浮かぶ形だ。

 突然の状況に、頭の処理が追いつかない。だが、状況は呆けることを許してくれず、僕よりも一歩間を空けて、目の前に立った猫耳の彼女は、まるでそれが自然な動作であるように右手を振り上げ、躊躇なく、それを僕の顔面に叩き込んできた。

 拳が命中すると同時に鋭い痛みが走る。

 殴られた衝撃にショックを受けながらも、僕の耳は窓枠の向こう側から悲鳴のような声と僕の名前を呼ぶいくつかの声が確認できた。どうして、殴られたか分からない僕は、え? え? と混乱するだけだったが、さらに状況は加速する。

 右頬の痛みが退く前に今度は、左の頬に痛みと熱。今度は左が殴られた? と疑問に思う暇もなく、次は腹部。右のわき腹、左のわき腹、また右頬、今度は鼻と次々に鋭い痛みが走り、キーンと耳鳴りのように鳴る耳は、やはり向こう側の悲鳴のような声を捕らえていた。

 しかも、目の前の猫耳の女性は、楽しそうでもなく、辛そうでもなく、作業のように無表情で、淡々と殴ってくるのだから、僕がどうして殴られるのか分からない。ましてや、僕はマゾといわれる人種でもないので、痛みに快楽を覚えるわけでもなく、自分が悪いわけでもないのに、ごめんなさい、と謝りたくなってきた。

 まるでサンドバッグのように殴られる僕だったが、不意にぴたりと痛みがやんだ。どうなったんだ? と思うが、目の上が腫れているのだろう。はっきりと目の前の状況を見ることができなかった。しかし、これで殴られなくなった、という安堵のためだろう、一気に気が緩んでしまった。

 どさっ、という音と共に倒れる僕。床に転がされるような形になるが、リノリウムのような床のひんやりと冷たい感覚が、殴られて熱を持っている僕の肌には優しく感じられた。

 どれだけそうしていただろうか、またしても首が引っ張られる。

 顔を上げると、僕を無表情に僕を見てくる猫耳の女性。また、殴られるのか? と恐怖を覚えていたが、彼女が口にした言葉はそうではなかった。

「行きますよ」

 どこに? という問いも許されず、ずるずると引っ張られる。もはや身体中の痛みから反抗する気力もなく、ずるずると引きずられる。成すがまま成されるがまま、引っ張られた僕が連れて来られたのは大きなホールのような場所。そこの中心に彼女が立つと僕たちの周りは、黄色い光に包まれた。

 魔法? と思ったが、次の瞬間には周りの風景が一変していた。こういう魔法に僕は心当たりがある。転送魔法だ。つまり、僕はどこかに連れて来られたのだろうか? だとすると、どこに? と疑問に思う間もなく、聞き覚えのある声が僕の耳を打った。

「ショウくんっ!!」

 間違いではなければ、その声はなのはちゃんのものである。ならば、ここはアースラなのだろうか? そう思い、痛む顔を上げて少しだけ頭を上げてみると、リンディさんがジュラルミンケースのようなものを猫耳の女性に渡していた。その顔は、苦虫を潰したように渋いものだった。

 だが、その表情に気づいているのか、気づいていないのか、猫耳の女性は、淡々とそれを受け取り、丁寧にもペコリと頭を下げるとまたしても、先ほどと同じように黄色い魔方陣に包まれていた。今度は、僕を連れて行くことなく、一人で姿を消した。

「ショウくんっ! 大丈夫っ!?」

 彼女が姿を消すと同時に駆け寄ってきたのは、なのはちゃんだ。しかも、制服姿のまま。いや、もしかしたら、それはバリアジャケットなのかもしれないけど。僕の視界からは、涙をボロボロと流しながら、オロオロと心配そうに僕を見つめるなのはちゃんが見えた。

 心配かけちゃったなぁ、と思いながら、少しでも彼女の心配が収まるように痛む顔で、無理矢理笑みを作る。

「あははは……、ちょっと身体中が痛いかな」

 笑っているが、冗談抜きで本当に痛い。おそらく、猫耳の女性は一切手抜きをしなかったのだろう。本当に容赦なく殴ってくれたものだ。それを少しサッカーで遊んでいるぐらいの小学生が受けたのだ。痛くないわけがない。むしろ、骨が折れていないか気になる。

「えっと、えっと……そ、そうだっ! 病院っ! 病院に行かないとっ!!」

「いや、それよりも、僕のほうが早いよ」

 なのは、ちょっとずれて、となのはちゃんを少しだけ横にやって入ってきたのは、ハニーブロンドの髪を持つ男の子であるユーノくんだった。彼が僕に手をかざすと緑の魔力光が僕を包み、少しずつ痛みが引いてきた。

「回復魔法だよ。専門の人に比べると回復力は低いけど大丈夫だと思う。今、クロノが、医務室の人を呼んでるから、少しの間、僕の魔法で我慢して」

「いや、十分だよ。ありがとう……さっきよりも、かなり痛みが引いてきた」

 少しだけ余裕ができた僕は、周りを見渡す。確かにここはアースラの内部で、先ほどジュエルシードと思えるジュラルミンケースを渡していたリンディさんは小さな窓枠を見て何か指示を飛ばしていた。おそらく、プレシアさんを追うために指示しているのだろう。まさか、そのままジュエルシードを渡すわけがないのだから。

 ユーノくんの魔法のおかげだろう。かなり痛みが引いてきて、僕以外のことにも注意が向けられる余裕ができたとき、アリシアちゃんはどうなったんだろう? と思い出した。彼女は、プレシアさんが現れたとき、あんな状態になっていたのだ。どうなったのか、と気になるのは当たり前のことだろう。

「ねえ、そういえばアリ―――」

 彼女の行方を傍で治療してくれているユーノくんかなのはちゃんに聞こうと思ったのだが、その途中で、突如、ガタガタガタとアースラ船内が揺れる。

「エイミィっ! 状況報告っ!!」

『艦長っ! 小規模の次元震ですっ! 震源は、時の庭園内部っ!!』

「―――まさかっ! ジュエルシードを使って? でも……なら、彼女の目的は?」

 突然、地震のように揺れた艦内は慌しくなり、近くで指示を飛ばしていたリンディさんが慌てたような表情でエイミィさんに状況を確認していた。その内容を細々と聞いていた僕は、リンディさんの独り言も聞いていたのだ。そして、あの場所で聞いた彼女の目的を口にしていた。

「アルハザード……彼女はそういっていました」

 僕が伝えた言葉にリンディさんは、驚いたような表情をする。

「本当なのっ!? 翔太くんっ!!」

 鬼気迫るというような感じでリンディさんは近づいてきて、僕に問いただしてきた。

「え、ええ。そこで、アリシアちゃんとの時間を取り戻す、と」

 僕には意味のわからない単語の羅列だったが、リンディさんたちのような魔法の知識を持っている人からしてみれば、意味の通じる単語だったのだろう。僕の言葉を聞いたリンディさんは慌てたようにエイミィさんに再び指示を飛ばし、次に別のウィンドウを広げてクロノさんに指示を飛ばしていた。

 その形相からして、かなり緊急事態だということが分かった。

 こんな事態で、僕に力があれば、手伝えるのだが、と思うが、生憎ながら僕程度の力では足手まといになることは明白だった。そもそも、痛みが引いてきたとはいえ、僕はけが人なのだし。

「翔太っ! 大丈夫か?」

 今度はクロノさん。ようやく痛みなしで動かせるようになった首を動かしてみると、後ろに二人ほどの局員さんとストレッチャーのようなものを引き連れてクロノさんの登場だった。

「すまない。僕たちが油断したせいで、君に痛い思いをさせてしまった」

「いえ、僕なんて予想できなかったでしょう」

 そう、今でも僕は分からない。時空管理局にとって僕など管理外世界の住人であるのだから、一番価値が低いはずである。限られた人員しかない彼らが僕にまで気を配るのは不可能だろう。まさか、と突かれた形になってしまった訳だ。

「すまない。謝罪は改めてだ。後のことは任せてくれ。君は、医務室で十分に傷を癒してくれ。そこに君のご両親とアリシアがいる」

「ああ、そうですか」

 よかった、と安堵した。どうやら、アリシアちゃんはここに運ばれていたようだ。もっとも、普通の病院に運ぶには少々、問題がある子だったが。

 そんなことを考えている間にも、僕は局員の人によってストレッチャーのようなものに寝かされていた。このときには既にユーノくんの治療は終えており、僕自身も痛みはかなり引いていた。僕の隣に寄り添うように近づいてきたのはなのはちゃんだ。彼女の表情は相変わらず心配そうにしており、晴れていない。

「なのはちゃん、僕はもう大丈夫だよ」

「本当?」

 それが本当だということを証明するように僕は、今度は痛みに耐えることなく、うん、と笑顔で応えた。それを見て少しは安心したのか、なのはちゃんは、泣きはらしたであろう赤い目を持った顔を心配そうな表情から少し笑顔に変えてくれた。

 やっぱり、女の子の顔は、泣いている顔よりも笑っているほうが思うのは、僕が男の子だからだろうか。

 何はともあれ、これで一安心と思ってしまったのが拙かったのだろうか。安心してしまった僕に強烈な眠気が襲ってきた。おそらく、寝る前だったこと、向こうで緊張していたこと、色々な要員が重なったためだろう。

 だが、急に眠気に襲われた頭を何とか鞭打って、なのはちゃんに何とか最後の言葉を言う。

「ねえ、なのはちゃん、ちょっと眠くなったから、少し寝るね」

「うん、分かった。ショウくんは、ゆっくり休んでて。大丈夫だよ。私がちゃんとやっておくから」

 半分寝ぼけていた僕はなのはちゃんの言葉の意味を理解することができなかった。もはや、意識は半分ほど夢の中なのだから。だから、僕は、なのはちゃんの言葉に曖昧に頷くことしかできなかった。

 そして、なのはちゃんの笑みを納めた次の瞬間には、僕の残り半分の意識すら夢の世界へと誘われるのだった。



  ◇  ◇  ◇



「んっ……」

 次に目を覚ましたときに最初に目に入ったのは、親父の顔だった。目覚めとしては最悪だ、と思ってしまうのは、男の子ならば、仕方ないことだろう。まだ半分寝ぼけたままの頭で、どうにか上半身を起こすと周りを見渡して、ここがアースラの内部であることが分かった。おそらく、クロノさんが言っていた医務室だろうということは簡単に予想できた。

「おっ、目を覚ましたか」

 ショウが、目を覚ましたぞっ! と誰かを呼ぶ親父。その正体はすぐに分かった。パタパタと駆けるように寄ってきたのは、ふわふわの髪を持つ母さんだったからだ。

「ショウちゃんっ! 無事で、よかったわっ!」

 僕の両親はあのリンチのような場面を見ていないのだろうか。実は、リンチで怪我だらけでした、なんていうと母さんは泣きそうだから、僕は黙っておくことにした。

「アリシアちゃんも、全然目を覚まさないし、ショウちゃんまで目を覚まさなかったら、と思っていたのよ」

 だが、どうやら僕の気遣いは無駄だったらしい。すでに母さんは泣いていた。母さんの涙を見ると、申し訳なさがこみ上げてきて仕方ない。

「ごめんなさい」

「いいのよ。あなたが無事なら」

 そういって、抱きしめてくれる母さん。母さんの胸の中で安心してしまうのは、僕の体がまだ子どもだからだろう。この甘い匂いに安心してしまううちはまだ子どもなのだろう。だが、まあ、今はそれでもいいか、と思うことにする。

 傍からみれば、感動の再会なのだろうが、いつまでもこの甘さに浸っているわけにはいかない。僕よりも母さんには寄り添ってもらわなければならない子どもがいるからだ。

「ねえ、母さん、アリシアちゃんは?」

「え? そこで寝てるわよ」

 母さんの視線の先には、いつもツインテールにしている髪を下ろしたまま横になっているアリシアちゃんの姿があった。僕は、ちょっと、と言って母さんの腕を解くと、患者用のベットから降り、彼女のベットの隣に立つ。そこから見る彼女の顔に生気はなかった。虚空を見つめる瞳に生きる気力がまったくと言っていいほどなかった。

 無理もないかもしれない。人は、自分がどこに立っているか分からずに生きていけるほど強くない。だから、家族を、他人を求める。今の彼女は、唯一の家族であったプレシアさんからすべてを否定された形で、存在意義を見失っているのだろう。だが、それは間違いだ。彼女は既に手に入れているのだから。

「ねえ、アリシアちゃん。僕は、君の事を知ったよ」

 僕の言葉に反応したのか、ピクンと肩が動く。反応してくれただけ、まだ救いがある、と思い僕はさらに続けた。

「でも、そんなことは関係ないよ。君は、アリシアで、僕の妹なんだから」

「妹?」

「そうだよ。アリシアちゃんが、あの人から、贋物といわれても、失敗作といわれても、アリシアちゃんじゃないと叫んでも、僕は、君をアリシアちゃんだと叫ぶし、君が僕の妹であることも絶対に否定しない」

 今までピクリとも動かなかったアリシアちゃんの首がゆっくりと僕のほうへと向いた。その瞳には少しだけ光が戻っているような気がする。

「でも、私は……ゴミって言われたんだよ」

「それでも、君は僕の妹だ。アリシアちゃんだ。母さんにも僕にも甘えて、アキの面倒を見てくれるお姉さんで、蔵元家の長女だ。それは絶対に誰にも否定させない」

 僕の手は自然とアリシアちゃんの頭へと伸びていた。そして、ゆっくりと優しく彼女の頭を撫でながら子どもに言い聞かせるようにできるだけ優しい声で言う。

「ねえ、だから、何も不安がることないんだよ。誰がどんなに否定しても、僕は否定しない。君がアリシアちゃんであることも、僕の妹であることも。君は、安心して、ここにいていいんだ」

 そう、彼女は、自分のすべてが否定されて、立ち位置が分からなくて不安で、不安で、その不安に押しつぶされてしまっていた。ならば、彼女を安心させる術は、一つしかない。彼女を肯定してあげればいい。確かな立ち位置を示してあげればいい。それだけで、彼女はきっと安心できるだろうから。

 やがて、撫でられるままだった彼女は、まだ不安が残る瞳でまっすぐに僕を見つめながら問う。

「本当に? 本当に私は、ここにいていいの?」

「もちろん、アリシアちゃんは僕の妹だからね」

 そうやって、断言してあげることでようやく彼女は安心したのだろう。彼女の瞳の中から不安の色はようやく消えて、僕の家で浮かべていた向日葵のような笑みを浮かべてくれた。

「うんっ!」

 その表情を見て、ああ、よかった、と安堵する。僕の中では既に彼女は妹のような存在だったらしい。一週間も一緒の家に住んで、一緒に寝たりすれば、当然なのかもしれないが。だからこそ、失うことは考えられなかった。もしかしたら、僕は彼女にお礼を言うべきなのかもしれない。僕の妹という立ち位置を受け入れてくれて、ありがとう、と。いや、それは正確ではないのかもしれない。なぜなら―――

「そうよ、アリシアちゃんは、私の娘なんだから」

「俺の娘でもあるがな」

 いつの間に僕の背後にいたのやら、母さんと親父が似たようなことを言う。

 そう、正確に言うと、僕の妹という立場ではない。蔵元家の家族とでもいうべきだろう。

「アリシアちゃん」

「ん?」

「ありがとう」

 だから、僕は、その感謝の意を精一杯こめて、彼女にありがとうと告げた。僕の言葉を聞いて、最初はきょとん、としていたアリシアちゃんだったが、やがて、笑顔のまま、うん、と精一杯頷いてくれた。もしかしたら、分かっていないのかもしれない。だが、それでもいいと思った。無理に理解する必要なんてないのだろうから。彼女が僕の妹である限り、これからも何度だってこの言葉を口にする機会はあるだろうから。

 そして、それは、さて、と、と一息ついた瞬間を狙ったように起きた。突然の揺れ。また、次元震か? と思うのと同時にしがみついてくるアリシアちゃんの身体を護るように抱き寄せる。

 その揺れは、僅か数秒のこと。落ち着いたところで、一体どうなってるんだ? と思ったが、医務室に情報が降りてくるはずもない。ただ、周りには所狭しとモニターがあることにはあるのだが。どれか一つでも映らないだろうか、と思っていると僕たちの傍にある一台のモニターが僕の願いを受け取ったように急に電源が入って、何かを映し出していた。

「なんだ? これは」

 そこに浮かんでいたのは、まるで島のようなもの。それが、どこかの空間に浮かんでいた。

「あ……」

 まるで、何かを思い出したように呟くアリシアちゃん。これは、何? と尋ねようとしたが、事態は、そう簡単にそんな時間を与えてくれなかった。僕がアリシアちゃんに問う前にモニターに変化が起きたからだ。まるで、島全体を下から上に槍で貫いたように走る一条の光。それを起因として、島全体がボロボロと壊れていく。その光景を食い入るように見つめるアリシアちゃん。

 そして、彼女は、ポツリと一言だけうわ言のように漏らした。

「さようなら、母さん」

 それは、アリシアちゃんのプレシアさんとの決別なのだろうか。ただ、アリシアちゃんが呟きながら僅かに流した涙が、すべてを物語っているような気がした。だから、僕は何も言わず、彼女を抱き寄せた。君は一人ではない、と伝えるために。君の居場所は、ここにもある、ということを伝えたくて。

 僕の伝えたいことが伝わったのか分からないけど、アリシアちゃんは、僕に抱き寄せられて少し驚いたような表情をしていたが、すぐに今まで見せてくれた笑顔の中で一番輝いている笑みを見せてくれるのだった。



  ◇  ◇  ◇



 その日、海鳴の海岸には数多くの人間が集まっていた。誰も彼もが、鉄板で焼かれた肉や野菜を手にとって談笑している。中には地球産のビールは、ミッドチルダと違う、と言いながら何本も飲んでいる兵が居た。

 今日は、ジュエルシードの事件が終わった後の打ち上げだ。事件が終わって一日しか経っておらず、後処理が色々残っているが、昨日の事件は、それなりにアースラの乗務員の面々に疲労を与えたらしく、これからの英気を養うためとして、打ち上げを行っているのだ。

 それで、大丈夫なのか? と思ったが、昨日の次元震の影響でしばらくは彼らも帰られないから時間は十二分にあるとクロノさんが教えてくれた。

 そんな打ち上げは、海岸でのバーベキュー大会だ。人数が人数なだけに相当数の鉄板や食材が必要だったが、そこは、月村家が後援してくれている。参加者にはなのはちゃんの家族や僕の家族も参加している。月村家からは、すずかちゃんも来るかと思ったけど、今日は忍さんだけらしい。

「ねえ、ショウくん、このお肉焼けてるよ」

 そういいながら、お皿に大量の肉を持ってきたのは、なのはちゃんだった。後から聞いたことなのだが、なのはちゃんは、僕を看た後、なんと、あの時の庭園という場所に手伝いとして時空管理局の面々と突入したらしい。もっとも、彼女の魔力の関係もあり、お手伝いというよりも、むしろ、主戦力として働いたらしいが。

 危険なことを……、とも思ったが、なのはちゃんの助力がなければ、次元震に巻き込まれて地球はなかった、といわれれば、文句もいえなかった。結果よければ、すべてよし、というが、その感覚に近いのだろう。

「お兄ちゃんっ! 私も持ってきたよ」

 そういいながら、お皿からこぼれそうなほどに野菜や肉を持ってきたのはアリシアちゃんだった。

 アリシアちゃんが体調が回復したのは喜ばしいことだ。フェイト、という名前で恐慌状態に陥るかどうかは、まだ試していないが、わざわざ、恐慌状態に陥るかどうか、と試す必要はないだろう。ちょっとした失敗程度では、アリシアちゃんが取り乱すこともなくなった。僕たちの言葉で彼女の立ち位置がしっかりしたものになって安定したというのであれば、喜ばしいことだ。

 さて、アリシアちゃんとなのはちゃん。年も近いこの二人。せっかくの機会だから、二人とも仲良くしてくれれば、と思うのだが―――。

「……私がショウくんに持ってきてるんだから、あなたが持ってきたのは要らないよ」

「ふんっ! お肉ばっかりじゃ、ダメだもんっ!」

 ガルルルル、と威嚇するような声が聞こえそうなほどににらみ合う二人。

 僕の考えは、脆くも崩れ去ってしまっていた。二人が顔を合わせたときから何かを張り合うように、仲たがいするようにお互いを挑発し、威嚇しあう。今日であったばかりなのにどうして、こうやって仲たがいできるのだろうか? と考えるが、この騒がしい状況の中、考えがまとめられるはずもなかった。

「ショウくんっ! はい、食べてっ!」

「お兄ちゃんっ! こっちのほうがおいしいよっ!」

 同時に差し出されるお箸。

 どちらかを選べというのだろうか?

 僕は助け舟を求めるために母さんや親父、リンディさん、クロノさん、エイミィさんという大人の面々に懇願するように顔を合わせてみるが、彼らは微笑ましいものをみるような目でこちらを見ており、助け舟を出してくれる気配はなかった。

 はぁ、この事態どうやって収拾つけようか、と僕は悩む。

 現状、切り抜けるにはかなり労力が必要とする状況ではあるが、何はともあれ、一ヶ月にも及ぶこのジュエルシード事件は、こうして幕を閉じたのだった。



 無印 おわり

 A'sへつづく











 
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