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無印編
第二十話 裏 後 (クロノ、レイジングハート、リンディ、なのは)
クロノは、目の前の人物に戦慄していた。
こうして、相対しているだけで、彼女の魔力の圧力に屈しそうになる。心が折れてしまいそうになる。全身の毛穴はあわ立ち、まるで極寒の寒さの中に裸で立たされているような怖気を感じる。クロノが、彼女と相対していられるのは、単にこの艦の執務官というプライドと前日の勝利の記憶があったからだ。それらがなければ、クロノはすぐにでも頭を垂れて、許しを請うていただろう。
しかし、彼女―――高町なのはは、クロノ内心をまったく知らないようにそこに佇むだけでクロノに圧倒的な威圧感を与える。
その闇のように黒いスカートと洋服も血のように赤い文様も、すべてがクロノの執務官としての本能に警告しか与えない。そもそも、少女だったはずのなのはが大人になっていることがおかしいのだ。確かに変身の魔法で大人になることは可能だ。だが、それが原因で魔力が上がるなんてことはありえない。ありえるとすれば、もともと大人で子どもの姿に変身しており、リミッターを切るなど、もともとの力を隠していた場合だろうが、彼女は現地住民であり、魔法とは縁がなかったはずだ。だから、この可能性はありえない。
――― 一体、どうなっているんだっ!?
きっと、管制塔の誰もが問いたいこと。だが、それを一番、声を大にして問いたいのは、きっとこうして相対しているクロノに違いなかった。
本当ならこの場を撤退したいところだ。
魔力がすべてではない。それが信条のクロノであっても、目の前の存在に勝てるとは到底思えない。思えるはずがない。
くそっ、と心の中で悪態つきながら、一体、この状況をどうやって収めるかを考える。
逃げる。不可能だ。そもそも、彼女は自分との模擬戦を言い出したという。ならば、逃げ出そうとしたところで、彼女からは逃げられないだろう。
制止の声をかける。それは、先ほどから彼の母親であるリンディ・ハラオウンが続けている。だが、彼女はそれに耳を傾けようともしない。
どうする? どうする? と不安だけが募る中、不意に目の前で佇んでいるだけだった彼女が飛んだ。空に向かってまっすぐと。まるで、吊り上げられたようにまっすぐ、上空に持ち上げられるように。ある程度、高さに到達した彼女は、眼下に位置するクロノを見下していた。その目は、暗く、一切の光がなく、絶対零度の冷たさを宿していた。まるで、親の敵でも見るような瞳だった。
その瞳に見据えられて、クロノは蛇に睨まれた蛙のように身動きできず、背筋にソクッと悪寒が走った。
かろうじて杖を構えられたのは、執務官になる前に受けた地獄のような特訓の日々と執務官として過ごした日々の賜物だろうか。
だが、杖を構えられただけでは、話にならない。次の彼女の行動に対応しなければならないのだから。ここまでくれば、クロノは腹をくくるしかなかった。絶えず襲い掛かってくるSSSランクの魔力の重圧を腹の底に力を入れることで跳ね飛ばし、彼女の姿を目に入れるだけでくつくつとこみ上げてくる恐怖心に無理矢理蓋をして、クロノは彼女と対峙する。
魔力の大きさから言えば、クロノと大人になったなのはの関係は蟻と象といっていい。つまり、気づかないうちに踏みつけられてしまうほどの力の差がある。だから、クロノが勝つために取れる戦法は一つだけだった。つまり、最初の一撃を避けながらの電撃戦。欲を言えば、最初の段階で奇襲をかければよかったのだが、この段階ではもはや奇襲にはならない。
だから、クロノは杖を構えて、最初の魔法を待つ。ほどなく、大人に変身したなのはは杖を掲げる。
昨日の模擬戦から考えれば、彼女の適正は砲撃魔法だということは予想できた。ならば、彼女の攻撃も射撃系の魔法だろうと予想する。その予想は、見事的中する。なのはの周囲にまず桃色の魔力光で構成されたスフィアが八つ浮かぶ。
―――よし、あれなら、なんとか。
おそらく、一発でもまともに喰らえば、クロノのバリアジャケット程度なら貫いてダメージを与えるだろう。だが、八発程度であれば、避ける自身はあった。だが、クロノの予想が当たった、と喜んだのもつかの間、さらに数は増える。今は、倍になって十六のスフィアが浮かんでいた。
―――ま、まだ何とかなる。
さきほどよりも自身のほどは落ちてしまうが、十六程度であれば、なんとか避けられると思った。だが、クロノの不安を裏切るようにさらに桃色のスフィアは、さらに増える。十六発が三十二発に。
―――おいおい、どこまで増えるんだ。
嫌な汗がクロノの米神に流れる。嫌な予感は段々と上昇していく。そして、その予想もまた悪い方向ではあるが、的中した。
最初は八発しかなかったはずのスフィアは、今では、数え切れないほどまでに増えていた。クロノが見上げた空には、桃色のスフィアと訓練室の天井の割合が七対三だった。
―――これを避けろ、と?
無理だ、とかろうじて残っているクロノの中に残っている冷静な部分が告げる。だが、避けなければ、クロノに生き残る道はない。残る一つの手としては、最初から、スフィアの一つに当たって、この模擬戦を終わらせるという手がないわけではない。それは、自分から負けに行くという方法だ。
だが、この方法をクロノが取れるわけもなかった。彼は執務官だ。執務官は、時空管理局の中でも一握りしか与えられない役職。難関の試験と実技を乗り越えた先に手に入れた役職。そして、彼は執務官という役職の中で修羅場を越えてきた自負もある。だから、魔法とであって僅か一ヶ月の少女に最初から負けを認めるなんて手が取れるはずもなかった。
―――避ける。避けてみせるっ!!
意気込んだクロノの決意がなのはに届いたのか、彼女はまるでクロノの姿をあざ笑うように口の端を吊り上げて笑う。その余裕めいた笑みが、さらにクロノの決意を強くする。
そして、賽は投げられた。
なのはが掲げたレイジングハートが指揮者のタクトのように振り下ろされる。なのはという指揮者に従い、桃色のスフィア―――アクセルシューターはクロノを倒すための音楽を奏でるように急降下していく。
クロノは、そのアクセルシュータを一つ一つを見て、それぞれの軌道を確認する。どこか、抜けられそうな場所、密度が薄い場所を探して。それを判断する時間は一瞬。だが、確実にクロノは、アクセルシュータの密度が薄い場所を見つけた。その場所は三箇所。空の殆どを覆うほどのアクセルシュータにしては多いような気がしたが、細かいことを考える時間をなのはは与えてくれない。
どちらにしても、このまま考えていても、あの恐ろしい数のアクセルシュータの餌食になるだけだ。それならば、罠と分かっていようとも、そこに突っ込むしかなかった。
覚悟を決めると、クロノは地面を蹴りだして、アクセルシュータの密度の薄い場所へと突入した。いくら、密度が薄いとは言えども、アクセルシュータがまったくないわけではない。周りに比べて少ないというだけだ。クロノはその場所を真正面に三層構造でプロテクションを張りながら突撃する。
一層目は、真正面からまっすぐ飛んできたアクセルシュータの餌食になった。二層目は、二発のアクセルシュータに耐え切ったが、それが限界だった。三層目は、アクセルシュータ群を抜ける直前に一発の餌食になり、砕け散った。三層のプロテクションは確かにクロノの魔力を大きく削った。だが、その甲斐あって、何とかアクセルシュータ群を抜け切ることができた。同時に、クロノに命中しなかったアクセルシュータ群が、訓練室の地面に命中。アクセルシュータの同時多発の影響により、訓練室の低い位置は桃色の爆煙に包まれ、クロノもそれに包まれてしまった。
いや、これは逆に好機だと思った。煙に巻かれている間は、少なくともなのはは自分の位置が分からないだろうから。もっとも、サーチ類が飛ばされているなら話は別だが、戦闘経験が少ない彼女ならその可能性は低い。ならば、これで奇襲に近い効果が得られるはずだ、と思い、クロノは、慎重にかつ大胆に煙の中から飛び出した。その位置は、なのはへの最短距離。
一撃、一撃だけでも決められればっ――――
そう思いながら、まっすぐなのはに向かって空を翔る。クロノに対してなのは無反応。あのアクセルシュータ群で倒せたと思っていたのか、あるいは、あれだけの量のアクセルシュータを放出したのだ。もしかしたら、術後の硬直なのかもしれない。どちらにしても、クロノにしてみれば、好機以外のなにものもでもなかった。
それは、彼にしてみれば、珍しく勝利を焦ったのかもしれない。未だになのはから発せられる魔力に恐れ、一刻も早くこの模擬戦に幕を下ろしたいと焦った結果なのかもしれない。いつもの彼なら、気づいたかもしれない。だが、今の彼は、それらの理由から普通ではなかった。普通であろうとしていたが、心のどこかで焦っていた。だからこそ、気づかなかった。
空中のクロノが取るであろう進路すべてに仕掛けられたバインドの数々に。
ビシッという音と共にクロノの両手、両足が動かなくなる。そのまま、まるで磔にされたキリストのように無防備に体を晒す。
―――バインドっ!? 何時の間にっ!?
そう、時間はなかったはずだ。アクセルシュータからクロノが突撃するまでは。もし、可能であったとすれば、アクセルシュータを放ちながら同時並行でクロノの進路にバインドをばら撒いたとしか考えられない。
―――そんな、ばかな……。
クロノは、なのはの魔法のセンスに戦慄した。いくら、魔力が大きかろうとも彼女は魔法とであって一ヶ月の素人であるはずだ。それが、あれだけの量のアクセルシュータを操り、また同時にバインドすら仕掛けるという執務官の彼をして戦慄させるほどの魔法技術。それらを成した少女だった女性が笑みを浮かべてバインドで磔にされたクロノに近づいてくる。
クロノはその笑みに嫌な予感を覚えた。
彼の執務官としての本能が、魔導師としての本能が、いや、もっと原始的な人間の獣の本能が、彼女に対して最大限の警告を送ってくる。
―――拙い、拙い、拙い、拙い。
焦りばかりがこみ上げてきて、がちゃがちゃ、と魔力をこめた両手でもがいてみるが、SSSの魔力という文字通り桁違いの魔力で作られたバインドはクロノの魔力程度ではびくともしなかった。そんな彼をあざ笑うようになのはは、まっすぐクロノに向けて彼女の杖を構える。
「いくよ、レイジングハート」
―――All right.My Master.
彼女の杖が応えた瞬間、彼女の魔力が急激に高まる。今まで、彼が相対した魔導師の誰よりも高い魔力だ。
「ディバィィィィン」
もはや冷や汗が流れるなんて悠長な段階はとうに通り過ぎていた。その魔力の高まりは、ある種の死刑宣告だ。それを前にして生きた心地がしない。しかも、両手両足がバインドで拘束されていれば、尚のことだ。無駄と悟りながらも未だにバインドの拘束から逃れようともがくクロノの脳裏に何故か、今までの半生が走馬灯のように流れていた。
「バスタァァァァァァァッッッ!!」
それは、桃色の光の濁流というべきだろう。視界を埋め尽くす圧倒的な力が込められた桃色の光。それは死刑を執行する死神の鎌のように段々と迫り来る。
「くっ!」
無駄だ。無駄だと分かっていながらも、迫り来る死の恐怖からクロノは三層のプロテクションを展開する。だが、それはまるで、そこに何もなかったようにあっさりと貫かれてしまった。クロノの魔力を絞りきった全力のプロテクションだったのだが、SSS魔力を前にしては、ないも同然の防壁だったようだ。
そして、クロノは視界一杯に染まる桃色の光とSSSの魔力によって生じる痛みによって一瞬で意識を失うのだった。
◇ ◇ ◇
レイジングハートは木の葉のように落ちていくクロノを見て満足していた。昨日の決断は間違いではなかったと。そのように判断しながら、彼女は昨夜のことを回想する。
まるで、祈りを捧げる聖女のように十字架の代わりにジュエルシードを握って祈りを捧げるレイジングハートのマスターである高町なのは。
だが、残念なことになのはがいくら祈りを捧げようとも、願いが叶うことはないことをレイジングハートは知っている。
「……どうしてっ!? どうしてっ!? どうしてなのっ!?」
半狂乱になったようになのはは、ジュエルシードに語りかける。だが、それにジュエルシードは応えない。いや、正確には応えられない。なぜなら、ジュエルシードを封印したのは、Sランクの魔力を持つなのはだ。その封印の深度は、次元航行艦が持つ魔力サーチすら捕らえられないほどである。故に、彼女の願いはジュエルシードに届かない。
「お願いだから、私の願いを叶えてよ」
縋るように、願うようになのははジュエルシードに望みをかけていた。
その姿を見て、レイジングハートは悔やむ。なのはがこんなにも強く願っているのは、模擬戦の敗戦であることは容易に想像できたからだ。なのはは全力だった。あの戦いの中でも成長しながらもクロノには届かなかった。いや、なのはが魔法とであってから一ヶ月ということを考えれば、善戦しただろう。
だが、善戦しただけでは意味がないのだ。善戦しようが、あっさりと敗北しようが、結論は変わらない。高町なのははクロノ・ハラオウンに敗北したという事実は変わらないのだから。
そして、勝利に導けなかったのはレイジングハートにも責任の一端があると思っていた。シミュレーションで数をこなすことに終始してしまい、戦いの中の揺らぎにまったく反応できなかったからだ。シミュレーションと実戦の違いと言ってしまえば、それだけだが、もしも、レイジングハートがそれを既に学んでおり、なのはに指導していたなら、もしかしたら勝敗は逆だったかもしれない。
そもそも、望まれた勝利を与えることこそがデバイスの本懐だ。そして、あのときほど、なのはが勝利を望んだ瞬間はなかった。だが、その瞬間にレイジングハートはマスターに勝利を与えることができなかった。だからこそ、悔やむ。勝利を与えるはずのデバイスではなく、ジュエルシードに頼るなのはを見て。
だからこそ、レイジングハートは決意した。
―――Master, please give me the JS.
「……レイジングハート?」
レイジングハートの要求になのはは怪訝な顔をした。当たり前だ。レイジングハートの中には九つのジュエルシードがあるからだ。だが、それでも尚、望む。確かにレイジングハートの中の一つを使っても望みは叶えられるかもしれない。だが、あえて、なのはが持つジュエルシードを欲しがるのは、そのジュエルシードにはなのはの願いが乗っているからだ。
だから、レイジングハートは、もう一度繰り返した。
―――Master, please give me the JS.
もう一度同じ言葉を繰り返したレイジングハートになのはも何かを感じ取ったのだろう。首からかけているレイジングハートを首から外して、机の上に置き、なのははレイジングハートを覗き込むように顔を近づけた。
「レイジングハート、ジュエルシードをどうするの?」
問うなのは。だが、レイジングハートは説明できない。いや、説明するのは可能だが、非常に長い時間が必要となるだろう。しかし、そんな悠長な時間はないはずなのだ。だからこそ、レイジングハートは一言告げた。
―――Trust me, my master.
信じて。その一言だけだ。それは、僅か一ヶ月だけかもしれないが、マスターとデバイスの間で築かれた関係なのだろう。なのはは、やがてふっ、と肩の力を抜くと、ジュエルシードをレイジングハートに近づけた。
「分かった。私は、レイジングハートを信じるよ」
―――Thank you.
信頼を貰った以上、応えなければならない。
レイジングハートはすぅ、となのはが近づけたジュエルシードを飲み込むと、そのジュエルシードを使って己の改造を始めた。
ジュエルシードを安置する場所を確保。ジュエルシードの膨大ともいえる魔力を支えられる魔力線を配線し、レイジングハートの回路と直結。さらに、先の戦いの中で確認された回路の最適化を開始。
それは、ジュエルシードを使ったレイジングハートの強化だった。
ジュエルシードは、人の願いをかなえる魔力の塊と言っても過言ではない。その構造は、願いによって魔力回路を生成し、ジュエルシードに内包された莫大な魔力を使って魔法を使っているのだ。つまり、用途によって形を変える魔法回路と思っていい。そのジュエルシードが願いどおりに動かず、暴走するのは、願いを抱いたもののノイズと漠然さによるものが大きい。
つまり、強くなりたいと思っても、どこを? どうやって? どうやって? という具体性がないのだ。強さの定義は千差万別。つまり、あまりに漠然とした願いであるが故にジュエルシードは正確に発動せず、おおよそで魔法回路が発動してしまう。暴走するのももっともだ。
ノイズというのは、思考の多様性だ。願いをこめている間、そのことだけを考えているとは限らない。その願いとは別の思考がノイズとなり、別の方向性に発動する原因となるのだ。故に猫などの獣の本能に近い単純な思考をした動物であれば、正確にジュエルシードが発動する可能性は高い。
よって、レイジングハートは己の中にジュエルシードを内包する。内包されたジュエルシードはレイジングハートの中で動力部のような働きをする。次元震すら起こせるほどの魔力を使えるようになるのだ。なぜなら、いくらインテリジェンスデバイスであり、AIが組み込まれ人間のように受け答えしようとも、突き詰めてしまえば、機械なのだ。
よって、人間のようにノイズや漠然とした思考はない。物事は正確にかつ単一にジュエルシードに願いという形で組み込まれ、ジェルシードはその命令によって魔力を供給する。この場合、なのはのリンカーコアに供給するのだが。
さて、レイジングハートはジュエルシードを己の中に組み込みながら、組み込んだ後をシミュレーションした結果、困ったことが起きた。レイジングハート自身に困った原因があるわけではない。原因はなのはだ。
現状、なのはの力量はほぼ限界と言ってもいい。いや、鍛えればまだまだ伸び白はあるだろうが、現状の体格、および体力等を鑑みると今の状況がベストなのだ。つまり、ジュエルシードから供給することができる魔力は無駄、いや、それどころか、なのはの身体に無理な負担をかけるだけにならない。
しかし、それでは、宝の持ち腐れになってしまう。せっかくレイジングハートが使える魔力がまったくの無意味になってしまう。それではダメなのだ。だから、レイジングハートは解決策を検索し、見つけた。
つまり、耐え切れないなら、堪えられるようにすればいいだけの話だ。
魔力は有り余るほどの存在している。ならば、有り余った魔力の一部をなのはを強化するために使う。その方法はユーノが使う変身魔法を応用して、成長させたように見せかけ、ジュエルシードからの魔力に耐え切れるようにする。そのためには、今の年齢のままでは不都合が生じるので、最盛期である二十歳前後が最適であろうとレイジングハートは予想した。
そうと決まれば、レイジングハートは早速行動する。なのはの現在のデータから最盛期であろう二十歳前後の身長等を予測。それを変身魔法のデータとして入力する。ついでに、それらは、ジュエルシードを使ったモードを発動したときに自動的に発動するように設定する。そうすれば、無理することなく、このジュエルシードが組み込まれたレイジングハートを十全に使えるはずだ。
そして、その結果は、いうまでもなく木の葉のように落下していくクロノの姿が証明している。
過去の敗北を乗り越え、レイジングハートは、マスターに勝利を捧げられたことに満足していた。
◇ ◇ ◇
リンディ・ハラオウンは、あまりの事態に頭を抱えて悩んでいた。
今、この場に集まっているのは、リンディ、クロノ、エイミィの三人だ。管制塔の中でもトップレベルの人間が集まっているといっても言い。会議に近い形でテーブルを囲んでいる理由は、言うまでもなくSSSランクの魔力を発動させたなのはについてだ。
その被害者といってもいいクロノは先ほど、目を覚まし、こうしてなのはの処遇を決める会議に出席していた。
「それで、クロノ。調子はどう?」
あれほどの砲撃を喰らったのだ。非殺傷設定であるといっても、多少の弊害は残っているはずだ。その程度によってもなのはの処遇は変わる。なぜなら、クロノはこのアースラの切り札なのだ。クロノの不参加はアースラの戦力に影を落とすことは必死だった。
リンディの問いにクロノは案の定、暗い顔をして答えた。
「すいません、艦長。どうやらリンカーコアの方にダメージがいったようで、二、三日は魔法が使えないようです」
「そう」
それは軽いといえば、軽いのかもしれない。SSSランクの魔力を持つ魔導師の魔力砲だ。リンカーコアが潰れてもおかしくはないはずだ。それを考えると、もしかするとなのはは、手加減したのかもしれないとリンディは思った。
「それで、彼女の魔力が上昇した原因は分かったの? エイミィ」
クロノの調子を確認した後は、エイミィに聞く。彼女の魔力は異常だ。一日であれほど魔力が上がるはずがない。隠していた、という可能性もあるが、終わった後の勝利に浮かれる様子から考えて、もしも使えるのなら、昨日の段階で使っていたはずだ。それが今日になって初めてお披露目したとあれば、何か別の原因を考えるのが普通だ。もっとも、この場合、非常に限られているが。
案の定、その予想が当たっていたのか、クロノに続いて少し暗い顔をしてエイミィが口を開く。
「はい、先ほど技術部から。やはり、原因はジュエルシード。それが彼女のデバイス、レイジングハートに組み込まれていました」
予測していたとはリンディは驚いた。ジュエルシードが使われているというところまでは予測していた。だが、それはあくまでもなのはの身体に作用するような形だと思っていたのだ。それが、デバイスに組み込むとは。しかも、デバイスに組み込むとなれば、デバイスに関する知識も必要なはずだ。管理外世界の住人である彼女がどうやって?
その疑問に答えたのもエイミィだった。
「どうやら、レイジングハートが自らジュエルシードを取り込んだようです。ちなみに、ジュエルシードは、レイジングハートと一体化しており、無理に外そうとするとレイジングハート内部のジュエルシードと反応して大規模次元震の可能性があるそうです」
「……単体で次元震が起こせるなんて、ずいぶん危険なデバイスもあったものね」
「はい。しかも、もともとの持ち主であるユーノくんの権限は削除されており、現状、権限が存在するのはマスターのなのはちゃんとユーザーの翔太くんだけのようで……さらに厄介なことに自動帰還機能も内蔵されているようです」
なんとも危険なデバイスになったものだ、とリンディは思った。
ジュエルシードを内包するデバイスでありながら、取り上げることもできない。取り上げたとしても、きっとレイジングハートは自動的になのはの元へ帰還するだろうから。ならば、マスター権限を持つ人間を増やそうかと思えば、権限の制御権すら奪っている様子。
ここまで来ると、もはや、レイジングハートはデバイスではなく、一つのロストロギアといっても過言ではないような気がした。
さて、この現状を踏まえてどうするか? リンディは腕を組んで考える。
この事態になる前までは、とにかくジュエルシードの回収を最優先し、終わった後になのはに魔法学校の講習を勧めてみるつもりだった。魔法が扱える以上、最低限の扱い方と注意事項ぐらいは知っておくべきだと思ったからだ。二週間ほどの短期講習で、この世界の夏季休暇であればお釣りがくるほどの期間だから大丈夫だろうと踏んでいた。しかも、そこで、魔法について興味を抱いてもらえれば御の字だった。
高町なのはが今の状況になる前のSランクという魔力は時空管理局にとって、とても魅力的だった。10歳という年齢でSランクなのだ。これが成長すれば、SSランクも夢ではない。そんな強大な戦力を手放せるほど時空管理局は人材に恵まれているわけではない。
もっとも、現状では、彼女は子どもだ。ミッドチルダでは異なるかもしれないが、少なくともこの世界ではまだまだ子どもだ。だから、将来的にはともかく、今の年齢で、リンディは、時空管理局に勧誘をするつもりはなかった。
しかし、現状が変わってしまった。
SSSランクの魔力を自在に操る魔導師。喉から手が出るではなく、必ず手を出すに変わってしまった。それは、時空管理局だけではないだろうが。
そもそも、時空管理局の法律の中にはAAAランク以上の魔導師が管理外世界で見つかった場合、管理世界で保護するとある。これは、時空管理局が人材を確保したいという側面も確かにあるが、それ以上に犯罪組織から保護するという側面も確かにあった。目が届きにくい管理外世界だ。だが、稀に魔力を持つ人間が出てくる。持つ魔力が少なければ何も問題はないが、それが強大であった場合、犯罪組織によって誘拐され、使われるという場合が、少なくないのだ。だからこその保護。
もともと、なのはの魔力であれば引っかかっていたが、この世界の状況とリンディが定期的に接触を持ち、後見人になるということで誤魔化そうと思っていた。だが、今はもはやその手は使えないだろう。
史上最高と言っていいSSSランクの魔力を使える魔導師。この事件を報告すれば、なのはの存在は、間違いなく時空管理局にその存在は知れ渡り、もしかしたら、無理矢理にでもその力を手に入れようとする輩が出てくるかもしれない。時空管理局は大きな組織だ。たくさんの人間が集まれば、様々な考え方が存在し、考えの近い人間が集まり、派閥ができる。その中には確かに強行派も存在するのだ。彼らが、彼女の存在を知れば、犯罪者扱いして己が正義のために無理矢理働かせる可能性も考えられた。
だが、いくら力が使えようとも、高町なのはは10歳の子どもなのだ。住み慣れている故郷を無理矢理離れさせるなんてことはしたくないし、犯罪者扱いされて心に傷を負わせたくもない。
―――さて、どうしたものかしらね?
なのはの処遇について決めなければならない。それが提督としての役割だから。
時空管理局において、遠く離れた地域において一刻も早い判断が求められることがある。そのため、現地での指揮系統は逆ピラミッドになっている。つまり、リンディの判断が、時空管理局の判断となるのだ。さすがに犯罪者の裁判などは無理だが。
ふと、エイミィとクロノに顔を向けてみれば、心配そうな顔をしていた。彼らもなのはのことが心配なのだ。彼女の力は確かに強大で、怖い。だが、同時に彼女は護られるべき子どもなのだ。そもそも、もっと早く動いて、彼女が魔法に出会っていなければ、こんなことに巻き込まれなかったのだから。
こんなはずじゃなかった世界とは息子が言った言葉だっただろうか。
そう、自分たちのように悲しい思いをする人間を一人でも救えるように。助けられるように。そのために時空管理局に所属しているのだ。そして、その理念はハラオウン派と呼ばれる派閥の人間の考えに近い。
―――悲しむ者に救いの手を。
だが、今回の件は、あまりにも―――。
そう思っているリンディの元に一本の通信が入る。どうやら、なのはが目を覚ましたようだ。
なのはの部屋は監視している。今回の部屋に泊めるという処置も好意というよりも、なのはの危険性を考えた確保に近かった。体外的には治療ということにしているが。
話題の中心であるなのはが目を覚ましたらしい。そして、今、あの部屋には翔太もいたはずだ。さて、目が覚めた彼女は、彼とどんな会話をするのだろうか。もしかしたら、この事態を判断できる何かが聞けるかもしれない、とリンディは部屋の様子を映してもらった。
そこから始まる会話の一部始終。
なのはがジュエルシードに手を出した理由がそこにあった。ああ、やはり彼女は子どもなのだ、とリンディもクロノもエイミィも納得した。あまりに純粋すぎる理由。打算の中で生きてきた大人には理解できないかもしれない感情。それが正しいとはいえない。だが、まだ彼女の心が純粋であるとするなら、まだ矯正が可能だろう。
だから、リンディは決断した。
「今回のことは事故とします。ただし、なのはさんにはクロノが動けなくなった責任となのはさんの性格を判断するためにジュエルシード事件を手伝ってもらい、その経過をもって、ジュエルシード事件終了後にもう一度、判断します」
これは様式美だ。ジュエルシード事件を手伝ってもらい、彼女が力を持っていても問題ないことの証明とする。さらにジュエルシードを集めていた理由を彼女の正義感から来るものへと上申し、リンディが後見人となることで手打ちにするのだ。魔法世界と関わるかどうかは将来、彼女が決めればいい。
リンディの判断にクロノとエイミィが嬉しそうにはいっ! と応えるのだった。
◇ ◇ ◇
高町なのはが目が覚めて最初に目にしたのは、たった一人の友達である翔太の姿であった。
「え……あれ? ショウ……くん?」
まだ半分寝ぼけた頭を必死に動かしながら、ありえない夢のような情景を呟いてしまう。そう、ありえない。目が覚めたとすれば、ここは自分の家であり、翔太が自分の部屋にいるなんて状況は考えられないからだ。考えられないはずだった。
「おはよう、なのはちゃん。そうだよ、翔太だ」
「えっ!!」
だが、目の前の翔太はなのはの願望に近い呟きにきちんと応え、しかも笑ってくれた。あまりの驚きようになのはは、思わず上半身を飛び上がるように起こして、まじまじと翔太を見つめる。それはなのはの願望が見せている幻想ではなく、本物の翔太だった。目が覚めて、一番最初に見られたのが翔太で嬉しい気持ちがこみ上げてくるが、同時にどうして、翔太がどうしてここにいるのか? という疑問が浮かび、なのはは寝る直前までを思い出し始めた。
「えっと……私、アースラに来て……そうだ、あの人と模擬戦をして……」
なのはは昨日の汚名を濯ぐためにクロノとの模擬戦を申し出たのだ。それが認められて、そして、昨夜手に入れた力を使って―――。
一つ一つを丁寧に思い出していきながら、なのははついに一番大切なことを思い出した。昨夜は、それだけを願い、願った果てに強大すぎる力を手に入れ、なのはは彼女自身の願いを叶えた。それが嬉しくて、汚名を濯げたことが嬉しくて、それを翔太に褒めてほしくて、主人に褒めてもらう飼い犬のようになのはは笑顔で翔太に報告する。
「あ、そうだっ! ショウくんっ! 私ね、あの人に魔法で勝ったよっ!! 見ててくれた?」
「あ、うん」
笑顔で報告するなのはは、当然、翔太が褒めてくれるものだと思っていた。いつものように「さすがだね、なのはちゃん」と。だが、なのはが想像したのと違い、なぜか翔太は顔を曇らせていた。まるで、なのはの勝利が嬉しくないように。
「ショウくん?」
怪訝に思ったなのはは翔太に問い返す。だが、翔太はそれでも応えない。初めてのことだった。翔太はいつだって、なのはの言葉には笑顔で応えてくれた。応えてくれないなんて初めてで、だから、なのはは何か失敗してしまったんじゃないか、と不安になってしまう。
「ねえ、なのはちゃん」
「なに? ショウくん」
不安が段々と募っていく中、ようやく翔太がまるで覚悟を決めたような表情をしてなのはに応えてくれた。ようやく応えてくれた翔太になのはは、自分の中の不安が勘違いだったと思い込ませ、蓋をして、笑顔で応じる。だが、その蓋をしたはずの不安はすぐに飛び出すことになる。
「あの模擬戦でなのはちゃんが成長したのは何だったの?」
翔太の問いになのははどきっ! とした。
そう、なのはも分かっている。ジュエルシードを使うのは危険なことだったと。だが、それ以上になのははクロノに勝ちたかったのだ。悪魔と契約するようなことになっても。危険性を認知していたからこそ、翔太に問われたなのはは、初めて視線を逸らして翔太に答えた。
「魔法……だよ」
「嘘だね」
だが、なのはの嘘はすぐに翔太に見破られる。いや、そもそも、翔太に嘘をつこうとしたことが間違いだったのだ。彼になのはごときの嘘が見破られないはずがない。すぐになのはは翔太に嘘をついたことを後悔した。
だが、翔太の顔をうかがいながらも考える。果たして、本当のことを言っていいものだろうか? ジュエルシードに手を出したなんていったら嫌われないだろうか。嫌われないためにジュエルシードを使ったのに、それで嫌われたら本末転倒だった。
だからこそ、なのはは翔太の問いに答えたくても答えられない。
「僕に本当のことを教えてよ」
優しい声でなのはに囁くように翔太は言う。なのはは、意識しなければ、自分で自分を戒めなければ、その声に応えて本当のことを口にしそうになってしまった。だが、簡単に口には出せないのだ。翔太がどういう反応をするのか分からないから。翔太に嫌われるなんて、絶対に嫌だから。
だが、そんななのはの心を見透かしたように翔太は、言葉を紡ぐ。
「ね、怒らないから」
翔太に嫌われたくないなのはは、その言葉に縋りたくなった。口にしないで嫌われるよりも、正直に口にしてしまったほうがいいのかもしれない、と思ってしまった。翔太の浮かべる笑みは確かにいつもよりも優しい笑みだ。その笑みを信じたかった。だから、なのはは最後に確認するように小さな声で翔太に問う。
「……本当なの? 嫌ったりしない?」
「本当だよ。約束する」
間髪入れない翔太の答えになのはは安心した。少なくとも翔太が嘘をつくなんて考えられない。だからこそ、なのはは正直に答えようと思った。だが、それでも万が一を考えると覚悟が必要だった。大きく息を吸って、覚悟を決める。翔太が口にした約束を信じて。
「ジュエルシードを使ったの」
言った。言ってしまった。真実を口にした後、なのはは翔太の様子をおずおずと確かめた。約束が確かなら、翔太は怒っていないはずだから。だが、真実を口にした後、翔太の表情を確認したなのはは、ひっ、と息を呑んだ。
なのはが見たのは翔太が怒っている感情だった。いや、正確には翔太はそれを隠そうとしていたが、いい子であろうと人の顔色を伺って生きてきたなのはだ。いくら隠そうとも、しかも、たった一人の友達である翔太の感情だ。なのはが読み取れないわけがなかった。
――――どうしよう? どうしよう? どうしよう、どうしよう。
やはり正直に口にするんじゃなかった、となのはは後悔した。きっと、なのはが口にした真実は、翔太の許容範囲を超えていたのだ。その考えに至ったなのはは、翔太に嫌われてしまうんじゃないか、と恐怖した。先ほどの翔太との約束に縋りたかった。怒ってないよね? と口にしたかったが、それがさらに翔太の怒りを逆なでするのではないか、と考えると口には出せなかった。
どうすれば、翔太に嫌われずにすむか? と考えていたところで、翔太が気持ちを落ち着けるように大きく深呼吸して、少し落ち着いたような表情になって、翔太は再び問う。
「どうして、そんなことをしたの?」
―――どうしよう? 正直に答えたほうがいいのかな?
もう、なのはにはどうしていいのか分からなかった。嘘をついても翔太に嫌われそうだったし、正直に言っても翔太に嫌われそうだった。どうするべきか? と考えるなのはだったが、すぐに答えなければならないような気がして、すぐに辻褄のあう答えも見つけられなくて、なのは正直に答えることにした。先ほどの翔太の正直に答えれば怒らない、嫌わないという約束に縋って。
「だって……魔法で負けたら、ショウくんとは一緒にいられないから」
そう、それが理由だ。魔法以外に翔太に必要とされる理由がないなのはは負けられない。負けてはいけない。なぜなら、それは翔太にとってなのはが必要でなくなるということだから。だから、クロノに負けないために、勝つためにジュエルシードを使ったのだ。
「え?」
その答えがよほど予想外だったのか、翔太は意外そうな声をあげた。
え? どうしたの? と、翔太の予想外な反応になのはも何もいえなくなった。翔太の様子を観察するに怒っている様子もないようだ。ただ、驚いているという感情がありありと伺えた。もしかして、言葉が足りなくて、何か別の意味に取ってしまったのだろうか、と不安になってなのはは、さらに続けた。
「私は、ショウくんみたいに頭よくないし、ショウくんよりも身体が動かせるわけじゃないし、ショウくん見たいにみんなから頼りにされているわけじゃない。私には、魔法しかショウくんに頼られることないの。だから……だから……負けられないの。魔法だけは」
そう、だから、なのはは今まで友達ができなかった。翔太以外は。
翔太のように頭がよければ、友達ができたかもしれない。
翔太のように身体が動かせれば友達ができたかもしれない。
翔太のように誰からも頼りにされれば、友達ができたかもしれない。
それは、憧憬だった。翔太を一年生の頃からずっと見てきたなのはの。いい子である翔太がたくさんの友達に囲まれている情景を憧れで見てきたなのはの。
だから、翔太と友達になれたたった一つの秀でた部分。つまり、魔法だけは負けられなかった。
自分に友達ができなかったのは、頭が悪かったから。
自分に友達ができなかったのは、運動神経が鈍いから。
自分に友達ができなかったのは、誰からも頼りにされないから。
だからこそ、初めて友達ができた理由である魔法だけは、それだけはなのはの中では死守しなければならない絶対防衛線だった。
「はぁ、なのはちゃん、僕がなのはちゃんと友達になったのは、魔法が使えるからじゃないよ」
「え?」
だが、そんななのはの独白を否定したのは、意外にも翔太だった。しかも、なのはにとって信じられない一言も加えて。
信じられない、信じられない、と翔太の言葉を初めて信じられないと思ったなのはは、翔太が口にした言葉を初めて否定した。
なのはと翔太が友達になったのは、あの夜だ。ジュエルシードの暴走体に襲われた夜。初めてなのはが魔法を使った夜。そこからなのはと翔太の友達づきあいは始まった。それは、翔太が魔法を使えず、なのはが魔法を使えるこそ始まった関係。だからこそ、なのはは、翔太との関係は魔法で繋がっていると考えていたのだ。
そんな風に驚くなのはに翔太はさらに言葉を続ける。
「魔法の力はもしかしたら切っ掛けかもしれない。だけど、それにこだわったつもりはないよ。僕よりも頭がよくなくてもいいよ。身体が動かせなくてもいいよ。僕がなのはちゃんと友達になったのは、なのはちゃんだからだよ。だから、魔法で負けても気にしなくてよかったんだ」
―――嘘だ、嘘だ、嘘だ、うそだ、うそだうそだうそだ。
なのはは、翔太の言葉を否定する。なぜなら、翔太の言葉を肯定することは、今までのなのはの考えを否定するものだからだ。それで友達ができるなら、なのはが一人も友達がいないのはおかしいからだ。
だが、その一方で、翔太の言葉を信じたい自分がいた。
だから、なのはは掠れたような声で翔太に確認する。
「ほんとう、なの?」
否定して欲しかった。今までの自分のままでいられるから。
肯定して欲しかった。翔太を信じたかったから。
相反する感情がなのはの中に浮かぶ。両者を望みながら答えを待つなのはに翔太は笑って答えた。
「うん。だから、クロノさんに負けても何も心配なんていらなかったんだ。それでも、僕となのはちゃんは友達なんだから」
―――何も心配いらない? 魔法に負けてもよかった? 何もなくてもよかった?
「それじゃ、ショウくんとずっと一緒にいられるの?」
そう、そういうことだ。魔法がなくなれば、なのはが翔太に勝るものは何もない。それでも友達でいてくれるということは、なのはとずっと一緒に友達でいてくれるということだ。そして、その問いに翔太は、やはり笑顔で答えてくれた。
「うん」
笑顔で応えてくれる翔太に甘えるように次々と欲望が浮かんできた。ずっと友達であるなら、可能であろうことだ。それらを確認するように一つ一つなのはゆっくりと口にした。
「一緒にお弁当食べてくれる?」
―――あの翔太と親友を称する二人のように。
「うん」
「一緒に手を繋いでくれる?」
―――いつか見た友達同士のように。
「うん」
「一緒にお風呂に入ってくれる?」
―――あの敵だった少女のように。
「いや、それは」
今まで笑顔で答えてくれた翔太だったが、急に顔が曇った。
その表情を見て思う。やはり、そんな都合のいいことなんてなかったのだ。今まで応えてくれたのは、翔太なりの慰めだったのだろう。だが、それでもなのは満足だった。慰めであろうとも、翔太が自分を心配してくれたのだから。
だが、それでも、やはり悲しいものは悲しいが。
「ああ、うん、うん、いいよ」
だが、すぐに翔太は肯定してくれた。なのはが望んだことを、友達として望んでいたことを肯定してくれた。ここまで応えてくれてようやくなのはは、何もないなのはと友達になるという翔太の言葉を信じられるようになった。
嗚呼、嗚呼、となのはの心が歓喜で打ち震える。
翔太が、翔太だけが何もない自分と友達になってくれる。そのことがただただ嬉しかった。
今まで自分の周りにいた人は、何も持っていないなのはとは友達になれなかった。だが、翔太だけが別だった。そのことがただただ、嬉しかった。今までずっと望んでいた友達。その答えはすぐ目の前にあった。
―――ショウくんが、ショウくんだけが、何もない私を見てくれる。ショウくんだけが、私の友達になってくれる。もう、ショウくん以外のなにもいらない。必要ない。ショウくんだけが私の友達なんだ。
もう、他の人などどうでもよかった。必要なかった。なのはが求めた友達は目の前にいるのだから。
本当の意味でのたった一人だけの友達ができた。それだけで、いい子であろうと自分を演じていた時間が、寂しいと枕を濡らした時間が、すべてを諦めた時間が、すべてが報われたような気がした。
「なのはちゃん、泣いてるの?」
「あ、あれ?」
翔太の言葉で初めて自分が泣いていることに気づいた。嬉しかったのだ。今まで生きてきたたった九年間の中で一番。なのはの倍以上生きている大人から見れば、些細なことなのかもしれない。だが、それでもなのはは涙を流すほどに嬉しいのだ。
翔太という名の友達ができたことが、嬉しくて、嬉しくて、涙を止めようと思っても、涙を流す原因である歓喜がなのはの心を振るわせ続け、底なしに湧いてくる。だから、涙を止めることはなのはにもできなかった。
そんななのはが突然、ふわっ、と温かいものに包まれた。それは、人肌の温かさ。そして、ここにはなのは以外にはもう一人しかいない。翔太だ。翔太がなのはを抱き寄せたのだ。なのはの耳にドクン、ドクンという翔太の心音が聞こえる。なのはを落ち着けるようにぽんぽんと優しく背中を叩いてくれる。
そんな抱き寄せてくれる翔太の優しさが嬉しくて、なのはにここまでしてくれる翔太が愛おしくて、それを自覚するとまた歓喜が溢れてきて、なのはは声をあげてしばらく泣いた。
どのくらいの時間泣いただろうか。それはなのはには分からなかった。ただ、目が腫れたように痛いのは分かっていた。
泣きやんで、翔太の顔を見ると照れくさくなって、思わず、えへへ、と笑ってしまった。
それを見て、「もう大丈夫?」と声をかけてくれる翔太。その優しさが胸に染みてまた泣きそうになったが、なんとか我慢して、コクリと頷いた。
「ふぅ、よかった」
本当に安心したような笑みを翔太が見せたので、なのはは心配をかけてしまったと申し訳ないような気分になり、翔太がそこまで自分を心配してくれることが嬉しかった。
一連のやり取りを終えたなのはは、まるで夢見心地になったようにふわふわとした感覚に襲われる。一般的に言えば、眠気なのだが、幸せ一杯で頭にお花畑ができていると言っても過言ではないほど幸せななのははそれに気づかなかった。
「なのはちゃん、眠いなら寝たほうがいいよ」
そう翔太に言われて初めて気づいたぐらいだ。確かに眠い。だが、今はまだ眠りたくなかった。この幸せをかみ締めていたいから。この気持ちをまだまだ感じていたかったから。今日はまだ翔太と離れたくなかったから。だが、それでも生理現象である眠気に勝てる気配はなかった。だから、なのはは、眠い頭で考えてようやく一つの考えに至った。
「あのね……一緒に寝よう?」
「えっと、それは……」
そういえば、これも友達になったらやりたかったのだ。あの敵の少女と同じように翔太と一緒の布団で眠りたかった。翔太にお願いするようにじっと見つめる。やがて、翔太はその視線に負けたようにはぁ、と諦めたようにため息をはくと自棄になったような笑みを浮かべながら口を開く。
「分かったよ」
翔太が受け入れてくれたことが嬉しくて、眠い頭でありながら、すぐに行動に移して翔太が眠る場所を空ける。そこに翔太が渋々といった様子だったが、身体を滑り込ませてきた。
「それじゃ、なのはちゃん、おやすみ」
「うん、ショウくん、おやすみ」
横を見れば、翔太の横顔。眠りに着く瞬間まで、翔太の横顔を見つめられる。そのことが何よりも嬉しかった。
先ほどのことを思い返しながら、なのははふわふわとして幸せな気分に包まれながら、翔太の横顔を見つめる。
―――私のたった一人の友達……。もう、ショウくんだけでいい。ショウくんだけがいい……。
ギリギリまで離れる翔太に近づくために、翔太の洋服の裾を握り、翔太の温もりと匂いを少しでも感じるようにして、なのははそれらに包まれながら、幸せ一杯の空でも飛んでいるかのような浮かれた気持ちのまま、目を瞑り、人生の中で一番幸せを感じられた一日を終えるのだった。
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