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無印編
第二十話 裏 前 (なのは、アルフ)
その日、高町なのははいつものように校舎裏で一人、お弁当を広げて食べようとしていた。つい、数日前に行ったサーチによる翔太の姿を見ながらお弁当を食べ、一緒に食べている気分を味わおうという計画は今日は実行していない。翔太が彼女たちと一緒に食べている姿を見てしまうと、また箸を折ってしまいそうだからだ。また、彼女たちが楽しそうにお弁当を食べている姿を見ていると、校舎裏の暗いジメジメした場所で一人、お弁当を広げている自分が如何に惨めかを見せ付けられるような気がするというのも大きな理由の一つだろう。
だから、今日もなのはは暗い校舎裏で一人お弁当箱を開ける。開いたお弁当箱の中身は、パティシエールであるなのはの母親が作っただけあって相変わらず彩り鮮やかなお弁当だった。だが、そんなことはなのはには関係なかった。その彩がいくら色鮮やかであろうとも、その彩を共有できる友人がいるわけでもない。見ているのは自分一人だけだ。ならば、お腹の中に入ってしまえば、彩りも何も関係ないのだから。もしも、お弁当中身が日の丸弁当のものであったとしてもなのはは気にしないだろう。
お弁当に箸をつけること数口、今日もこのままお弁当を食べてしまって、昼休みが終わる寸前までここでぼ~っとしながら過ごすんだろうな、と信じて疑わなかった。だが、変化は唐突に訪れるものだった。
―――なのはちゃん? 聞こえる? ―――
なのはの頭の中に響いたのは念話という魔法で告げられた言葉。その言葉に聞き覚えは当然あった。なぜなら、その声は、なのはが毎日耳にしたくてたまらない人の声なのだから。
―――ふぇっ!? え? どうしたの? ショウくん―――
学校の時間の最中に翔太が魔法を使ってくるのは初めてだ。もしかして、何か問題が起きたのではないだろうか。例えば、ジュエルシードが発動してしまうような。それは、それで嬉しい。昨日、時空管理局とやらと接触したとはいえ、まだ、翔太はジュエルシードに重きを置いているはずだ。ならば、このまま二人で学校を抜けるというようなことも―――
だが、それはなのはの勘違いだった。
―――お昼ご飯を一緒に食べようと思って探してたんだけど、見つからないから。今、どこにいるの? ―――
その言葉を聞いて、一瞬、自分は校舎裏でお弁当を食べながら夢の世界にでも突入したのかと思った。まさか、翔太がそんなことを言い出すとは夢にも思わなかったからだ。なぜなら、なのはと翔太と知り合ってから一ヶ月、こんなことは一度もなかったから。翔太がお昼に誘ってくるなんてことは、なのはにとって想定の範囲外で、呆けてしまうのも無理もないことだった。
だが、翔太が誘ってくれるのにいつまでも呆けているわけにはいかない。念話に答えようとして、やめた。
このまま素直に校舎裏と言っていいものだろうか? という疑問がわいてきたからだ。せっかく翔太が誘ってくれたのに、こんな暗いところで一緒にお昼を食べる。それは、せっかくの楽しみが半減しているような気がした。だから、なのは無難にお昼を食べる場所として名高い場所を自然と選んでいた。
―――え? えっとね……い、今は中庭だよ―――
中庭ならいつも誰かがお昼を食べている。それに、中庭で誰かと一緒にお弁当を食べるというのはなのはの夢見ていた光景の一つでもあるのだ。その夢を翔太と一緒にできるなんて、なのはにとっては天にも昇る思いだった。
その後、少し翔太と話した後、なのは急いでお弁当箱を再び包んで、中庭へと駆け出した。もしも、なのはよりも翔太が早く着いてしまっては、嘘がばれてしまうからだ。それは、嫌だった。きっと、今まで何所で食べていたのか聞かれるだろうから。あんな暗い場所で一人で食べていたなんて、なのはは翔太に知られたくなかった。
小走りで中庭についたなのはは愕然とする。なんとか、翔太よりも早く着くことはできたのだが、生憎ベンチが一杯だった。ゴールデンウィーク前の春の陽気な気候だ。しかも、天気は晴れ。外で食べる人が多いのも納得だった。一瞬、場所を変えようかと思ったが、すでに翔太には、中庭だと告げている。他の場所に変更するわけにはいかなかった。
どこか、座る場所はないだろうか、と見渡してみれば、花壇のために積み上げられたコンクリートが目に入った。そこは、木陰で誰も座っていない。ベンチのように制服がまったく汚れないということはないだろうが、座れないことはない。だから、妥協案としてなのはは、そこに座った。
座って、今か、今かと翔太を待つなのは。その期待は、裏切れることなく、なのはがコンクリートの上に座ってすぐに校舎の方向から姿を現す翔太の姿を見つけた。
「なのはちゃん、お待たせ」
「ううん、待ってないよ」
そういいながら、なのはは翔太が座る場所を確保するために少しだけずれた。翔太は、なのはの気遣いに気づいたようで、なのはに向かって微笑むと、なのはの隣に腰を下ろした。彼の膝の上にはなのはと同じく自前のお弁当をと思えるものがあった。
「それじゃ、食べようか」
「うん」
翔太の声で二人ともお弁当箱を開けて、箸を握る。このときばかりは、なのはは、母親の彩り鮮やかなお弁当に感謝した。少なくとも翔太と一緒に食べても見劣りしないからだ。一緒に食べるのに質素な感じなお弁当であれば、もしかしたら、彼に悪い印象をもたれるかもしれないからだ。
翔太が隣にいながら嬉しいはずなのに、一年生の頃であれば、いい子の仮面を被って誰かと一緒に食べたことがあるというのに、このときだけは、何を話していいのか分からなかった。だから、無言で食べていたのだが、翔太がなのはのお弁当を覗き込んでいると思うと突然口を開いてきた。
「なのはちゃんのお弁当おいしそうだね。桃子さんが作ってるの?」
「え? う、うん」
今は友達付き合いのないなのはでも、この振りのようなものは分かっている。一年生のときの経験で分かっているというべきだろうか。おそらく、翔太のことだから、何も話せないなのはに話の切っ掛けを作るための言葉なのだろう。
そう思うと、気を使ってくれる翔太の心遣いが嬉しくて、こんな自分を気に掛けてくれる翔太に申し訳ない気持ちが浮かんでくるが、せっかくの切っ掛けなのだ。これに乗らないという選択肢はなかった。
「………少し食べる?」
間違ってないだろうか? と思いながらもなのはは、お弁当を翔太の方に差し出す。なのはの行動を見て、翔太がなぜか少し驚いたような表情をしていたが、「それじゃ、一つだけ」と数々のおかずの中から卵焼きに箸をつけて、口を運ぶ。
租借する翔太の顔を伺いながら、作ったわけでもないなのはが何故か緊張していた。
―――もしも、口に合わなかったらどうしよう?
そんなことを考えるなのはだが、それは取り越し苦労だ。なのはの母親はお菓子専門とはいえ、料理人なのだ。そんな彼女の料理の味が拙いわけがない。それを証明するように卵焼きを食べた翔太は笑顔になり、「おいしいね」と言ったのだから。
その後、なのはも翔太のお弁当の中から一つのおかずを貰った。それは、ミートボールであり、どこにでもあるはずの味なのだが、翔太のお弁当から貰ったからだろうか、いつもよりもおいしく感じた。
それを皮切りにして、二人の会話は弾んだ。話の内容は取りとめもない話ばかりだ。例えば、昨日のテレビの内容だったり、読んだ本の内容だったり、放課後、ジュエルシードを探しながらする会話となんら変わりない内容だった。
だが、それでもなのはは降って湧いた時間に幸せを感じていた。本来なら放課後限定の翔太との時間。それが学校の昼休みの短い時間とは言え、味わえるのだから文句の言いようもなかった。今日は、時空管理局との話し合いと昨日のこともあり、少しだけ緊張していたが、今だけはいつものように緊張していなかった。
しかし、そんな幸せの時間も長く続かなかった。不意に、笑っていた翔太の顔が真剣なものになり、口を開く。
「ねえ、なのはちゃん。今日の放課後のことだけど………やっぱりジュエルシードのことは時空管理局の人に任せたほうがいいと僕は思うんだ」
その翔太の言葉はなのはにとって衝撃的だった。
なぜなら、それが意味するのは、翔太にとってなのはの価値がなくなってしまったことを意味するからだ。それはなのはにとって受け入れられない結論だった。
やはり昨日負けたのが拙かったのだ。負けたから、翔太はなのはではなく、時空管理局を選んだ。だが、だがしかしである。なのはの手の中には昨日なかったものがある。これがあれば、昨日負けたあの黒い人にも負けない自信がある。それだけの力を手に入れた自負がある。
だが、それを翔太に言って納得してもらえるだろうか。ただ負けないだけの力を手に入れたといっても、証拠を示さなければ、それはただの戯言に過ぎない。それで翔太が納得するとは到底思えない。だが、それを考えるならば、翔太に力を見せる機会は一回しかない。
いや、何を恐れる必要がある? 今度は負けない。負けれらない。負けないだけの力はすでにこの手に。
なのはが、いかに翔太に自分に魔法の力を示すことを考えている最中に、翔太はなのはが考えているなにかを勘違いしたのか、不意に優しい笑みを浮かべると、切り出してきた。
「ねえ、なのはちゃん」
「な、なに?」
どうやって、力を示そうと考えている最中に声をかけられれば、さすがに驚く。だが、その次の言葉がよりなのはに驚きを与えた。
「ジュエルシードの件から手を引いたら僕に魔法を教えてくれないかな?」
「魔法を?」
翔太の提案を不思議に思う。なぜなら、魔法の先生という立場ならユーノという存在が既に翔太にはいるからだ。それになのはの先生とも言うべき存在はレイジングハートのみであり、なのはが先生といわれる立場になるにはまだまだ実力不足のように思えたからだ。
「うん。ユーノくんが先生をやってくれたおかげで、プロテクションとチェーンバインドは使えるようになったんだけど、まだまだ使える魔法もあると思うんだ。この世界では、生きていく上では必要ないかもしれないけど、こういうのが使えるのは夢なんだよね」
そこで翔太はいつも大人びたような落ち着いた笑みではなく、悪戯を考えるような子どものような笑みを浮かべた。その表情は、翔太が浮かべるにしてはかなり珍しいもので、なのはからしてみれば、不意に滅多に見られない翔太の表情が見られて嬉しい限りだった。
「でも、ユーノくんも時空管理局の人も帰っちゃうから、なのはちゃんしかいないんだ。だから、僕に魔法を教えてくれないかな?」
嗚呼、嗚呼、となのはの心は翔太の言葉を聞いて歓喜に震えていた。
翔太は期待してくれる。昨日、あんなに無様に負けてしまったにも関わらず、翔太は魔法に関してまだ、なのはに期待してくれているのだ。それを喜ばずしてどうするというのだろうか。ゆえに、なのはの胸の内は、翔太に未だ、魔法に関しては期待されている事実に歓喜で一杯になっていた。
時空管理局が来てしまったら、魔法に関して用済みになったら、もう、必要とされないと思っていたなのはからしてみれば、それは朗報以外の何ものでもなかった。
だから、なのはは、その提案を喜んで快諾する。
「うん。うん、もちろんだよっ!」
久しぶりに自分でも笑顔になれた瞬間だと思った。
同時に胸に宿る決意。それは、次は絶対に負けられない、というなのは自身への誓いだ。こんななのはに期待してくれる彼のために無様な真似は見せられない。昨日、禁忌ともいうべきものに手を出してでも手に入れた力もある。だからこそ、なのはは絶対にもう負けることは許されていなかった。
◇ ◇ ◇
アルフが案内された部屋は、隣の部屋のように純日本風になった部屋ではなく、普通の机と椅子がおいてある部屋だった。執務官のクロノが先に座り、アルフは、クロノに促されるままにクロノの対面の席に座った。
アルフは、時空管理局の執務官を前にして緊張していた。当たり前だ。相手は、あの時空管理局の執務官で、アルフが命を投げ出す覚悟で、戦いを挑んだとしても万が一にでも勝てる可能性はないだろう。
「そんなに堅くならなくてもいいさ。今日は本当に話を聞くためのものなんだから」
まあ、話の前にこれでもどうぞ、とクロノは、緊張しているであろうアルフのために隣の部屋で翔太たちが飲んでいるとお茶と甘い茶菓子を一緒に出した。
本当に手を出してもいいものだろうか、と悩んだアルフだったが、クロノを見ても、手元の書類を確認しているだけで何も話そうとする素振りは見せない。つまり、本当にアルフが少し落ち着くまで何かを話すつもりはないのだろう。
ならば、遠慮することもないか、とアルフはお茶菓子の一つを手にとって口に運ぶ。それは、どちらかという苦味のあるお茶を紛らわすための甘いお菓子だったが、それがアルフの舌にあったのか、非常においしく感じた。つい最初の一口がおいしくてパクパクパクと一気に口にしてしまう。
思わず目の前の執務官を忘れて口にしていたが、お皿の上にあるお菓子が全部なくなり、お茶で一息ついた時、ようやく執務官のクロノの顔が入ってきた。彼はまるで信じられないものを目にしたように驚いたような表情をしていた。
それに気づいて、アルフは顔を赤くしてしまう。敵地と言ってもいい場所で、暢気にお菓子を口にしていれば、それは驚きもする。しかも、先ほどまではクロノにびびっていたという事実があれば、殊更だ。
しかし、それを緊張を解すという観点から考えれば、いいことだったのかもしれない。事実、クロノも苦笑を隠そうとはしなかったが、アルフが座るだけでは開こうとしなかった口を右手にペンを持ちながら開いたのだから。
「さて、それじゃ、君が知っていることについて話してくれないか?」
「その前に、フェイトの保障はしてくれるんだろうね?」
そう、アルフが望むのはただその一点のみだ。この場にいるのはフェイトが笑って過ごせる未来を手に入れるためだ。そうでなければ、アルフは時空管理局なんてものに目をつけられる前にフェイトと一緒に逃げていただろう。今、この場にいて、プレシアのことを話そうとしているのは単にフェイトが笑っている今を未来まで続けるために過ぎない。
それはクロノも分かっているのだろう。アルフの確認に大きく頷いた。
「ああ、約束しよう」
アルフは、クロノを信じられるか? と思ったが、信じなければ、話は続かない。なにより、翔太に確認した限りでは、誠実そうな人だから大丈夫という太鼓判を貰っている。ならば、その翔太の人を見る目を信じてみようと思った。
「分かったよ。あんたを信用するよ。それじゃ、話そうか」
―――プレシア・テスタロッサについて。
アルフは、ご主人様であるフェイトの母親のプレシアを時空管理局に売るように情報を渡したことについて、良心呵責も何も感じなかった。そもそも、アルフは、フェイトをいじめるプレシアが嫌いだったのだ。プレシアのことを話すことが、フェイトの幸せに繋がるのなら、そこに躊躇も何もなかった。
それから二十分ばかり、アルフは、間にクロノの質問を受けながらプレシアについて話した。
「―――というわけで、あたしたちは、翔太の家に厄介になってるのさ」
「なるほど、な」
クロノは、アルフのほうを見ずに手元の書類に目を落としながら、アルフの話に納得したような言葉を零した。
アルフの予想が正しければ、クロノが持っているのは時空管理局が調べたプレシアに対しての情報であるはずだ。アルフが獅子身中の虫ではないか、と疑うことに不快感を覚えない。なぜなら、それが正常な感覚だろうから。無条件に相手を信頼することは尊いとは思うが、愚かであることには違いないのだから。
さて、それはともかく、クロノが納得したような言葉を零したということは少なくとも、アルフが今、話した内容は信じてもらえたようだ。これからクロノは一体どういった反応に出るのだろうか、とアルフがクロノの様子を伺っていると、不意にクロノは、書類から目を離し、アルフをまっすぐと見つめてきた。その黒い瞳に浮かんでいるのは、迷いだろうか。
「どうしたんだい?」
圧倒的強者は、クロノだ。そんな彼が、何かに迷うということが信じられなくて、アルフは、先に口を開いてしまった。
アルフに心配をかけてしまったことを悔やんだのか、クロノは、一つ大きなため息を吐いて、はっきりアルフを見ながら口を開いた。
「君に話すべきか迷っている事項が一つだけある」
「フェイトに関わることかい?」
アルフの問いにクロノは、間髪いれず頷いた。
もしも、処遇に関することならアルフに告げるべきだろうし、機密なら告げるべきではない。ならば、微妙なことなのだろう。つまり、今のアルフの話の中でアルフが知ることがないフェイトの秘密とか。
アルフは、自分が知らない事実が何かあることを知っていた。なぜなら、現状に対してピースが足りないからだ。確かにあんなに慕っていた母親に捨てられたことはショックだろう。だが、それだけであんな症状になるだろうか。それに、分からないことが色々ある。
フェイトが名乗っている『アリシア』とは誰なのか。フェイトが言う『贋物』とは? 『ゴミ』とは? 分からないことだらけだ。
だから、アルフは、アルフが知らない事実こそが、これらの言葉を解明するための鍵だと思っていた。そして、それを目の前の青年は知っているのではないか。持ち前の獣の本能と女の勘で、その辺りを嗅ぎ取っていた。
「教えてくれよ。フェイトに関することなら知っておきたい」
「………本当にいいのかい? もしかしたら、開かないほうがいい箱なのかもしれないよ」
「それでも、だ。あたしは、フェイトの使い魔なんだから」
そう、アルフはフェイトの使い魔だ。たとえ、今、彼女がアリシアと名乗っていようとも、その事実は変わらない。あの結んだ契約が未だに有効である以上、アルフはフェイトの使い魔なのだ。使い魔は、主の分身。だからこそ、アルフはフェイトのことを知って起きたかった。
アルフの真剣な表情が伝わったのか、クロノは何かを考えるように一度目を瞑った後、再び口を開いた。
「分かった。心して聞いてくれ」
まるで、覚悟を促すような言葉にアルフはゴクリと緊張しながらつばを飲み込むと続きを待った。
「単刀直入に言おう。プレシア・テスタロッサにフェイトという名前の子どもはいない」
「は? ちょ、ちょっと待ってくれよっ! どういうことだい!? フェイトは、確かにいるよっ!」
「君がいることからも、ユーノの話からも彼女の存在は確認している。顔写真でも確認を取った。だが、それは記録上、ありえないんだよ」
クロノの言葉に得体の知れない恐怖を感じる。それ以上、踏み込んではいけないと、使い魔になりながらも若干残った獣の本能がその先を聞くな、と警告する。だが、だが、フェイトを護る以上、避けては通れない道だ、とアルフは危険と知りながらもさらに一歩踏み込んだ。
「ど、どういうことなんだい?」
「プレシア・テスタロッサに確認された子どもはただ一人だけだ。そして、その子どもの名前は―――アリシア・テスタロッサ」
これが写真だ、と差し出された書類には、確かに今のフェイトよりも少し幼い感じの少女が写っていた。
その名前を聞いたとき、アルフの全身から力が抜けた。なぜなら、その名前は、フェイトが現在使っている名前だからだ。ならば、フェイトは最初から偽名だった? アリシアが本当の名前だった? だが、それではやはり腑に落ちない。なぜ、フェイトという名前を使う必要がある? 普通に娘なら最初からアリシアでいいはずだ。だが、プレシアも、教育係のリニスもフェイトという名前を使っていた。
不可解だ。ならば、その先にさらなる事実があるはずだ。
アルフが落ち着くのを待ってくれていたのか、クロノはアルフが先を促すように目を合わせたのを皮切りにしてさらに言葉を続ける。
「その娘、アリシア・テスタロッサは、26年前、次元航行エネルギー駆動炉ヒュウドラの暴走事故により死亡が確認されている」
「は?」
クロノの言葉に理解が追いつかず、アルフは疑問の声を上げてしまった。アリシアが死亡しているというのなら、今のフェイトは一体、何者だというのだろうか。だが、今度はアルフが落ち着くのを待ってくれない。まるで、その先にアルフが求める答えがあるといわんばかりに。
「アリシア・テスタロッサが死亡した後、プレシア・テスタロッサは、いくつかの研究で成果を上げている。そして、最後に携わった研究は、使い魔以外の人造生命体の創生。そのプロジェクトの名前は―――F.A.T.E、だ」
クロノの口から次々と出てくる信じられない事実にアルフは呆然としてしまった。心の整理がつかない。人造生命体? F.A.T.E? なんだ、それは? なんなんだ、それはっ!?
アルフの胸のうちはプレシアに対する憤りで一杯だった。
「……話は以上だ。ご協力に感謝します」
そのアルフの胸の内が理解できたのか、クロノは話が終えたことを告げると、立ち上がり、部屋から出て行こうとする。部屋から出て行く直前、クロノから告げられた事実によって呆然としていたアルフに背後から声をかける。
「君も色々と考えることがあるだろう。ここは自由に使ってくれて構わない。何か飲みたいなら食堂へ行くといい。僕の名前を出してくれれば、飲食はできるはずだ。地図の端末はゲスト権限で使えるようにしておく」
それだけを告げると、クロノは部屋から出て行った。おそらく、アルフを一人にしておくのが彼なりの優しさなのだろう。事実、それは一人で考え事をしたいアルフにとっては有り難かった。何も雑音が入らず、今はただ、一人だけで考えたかった。
暗い部屋に取り残されたアルフは、一人考える。
クロノの話が事実なら、フェイトは、アリシアではないはずだ。それにフェイトが錯乱したときに言う『贋物』の意味も分かる。筋書きとしては、プレシアが、アリシアを求めてフェイトを作ったということだろう。だが、フェイトはアリシアではなかった。フェイトはフェイトだった。
だが、それをプレシアは受け入れることができなかった。だから、プレシアは、あんなに慕うフェイトを虐げた。そして、最後にはジュエルシードを集めることができなかったフェイトをゴミのように捨てた。
それが、アルフが想像した筋書きだ。
「巫山戯るな。巫山戯るなっ!!」
アルフは怒っていた。自分勝手にフェイトを生み出し、自分の思い通りにならなかったからといって、虐げ。最後まで奴隷のように扱い、ゴミのように捨てたプレシアに。
「あの子が……あの子が何をしたって言うんだいっ!!」
フェイトは、ただ生み出されただけだ。ただ、それだけ。フェイトがプレシアを母と慕うことに嘘はなかったし、彼女がプレシアの笑顔を見るために頑張っていたことを使い魔であるアルフは誰よりも知っていた。だが、それを一切見ることなく、プレシアはフェイトがアリシアではない、という事実のみで否定した。フェイトをゴミのように捨てた。
アルフにとって絶対に許せないことだった。
だが、その怒りの裏で、その事実を知ってしまったアルフは、逆に捨てられてよかったのではないか、とも思った。あのまま、プレシアの元で虐げながら生きるよりも、今のように翔太の家で笑って過ごせている今のほうが幸せではないか、と思った。
「そうだ。あの子は、幸せになるべきなんだ」
今まで不幸だったから、というわけではない。だが、誰にだって幸せを求める権利はあるはずだ。望む権利はあるはずだ。そして、アルフの幸せはフェイトが笑っていること。だから、アルフは自分の幸せのために決意を新たにした。
それは、使い魔になったときから続く決意だが、その決意をさらに強くする。
「あの子は絶対、あたしが護る」
そう、もうプレシアとは無関係なのだ。プレシアが許せないのは変わりない。だが、もう関係ないやつに怒りを抱くのはエネルギーの無駄だ。今は、フェイトの幸せのみ。ただ、それだけを求めよう。そして、その過程で絶対にフェイトを傷つけない。護りきってみせる。それが、アルフの新たな決意だった。
アルフが決意を新たにした後、プレシアに対する怒りでエネルギーを使ったアルフは、クロノに言われたとおり、食堂へ向かい、クロノの名前で軽食を取った。
軽食というだけあって少量の食事をぺロリと食べ終えた後、翔太たちの話し合いは未だ続いているのだろうか。終わった後には連絡をもらえるように管制塔の人に告げてあるから大丈夫だと思うが、と心配しているところに突如、館内放送が響いた。
『総員っ! 対ショック姿勢っ!!』
いきなりなんだっ!? と思った次の瞬間、時空空間にいるはずの船が大きく揺れた。幸いにして注文していた食べ物は、食べ終わっていたから問題はなかった。アルフ自身は、何とかテーブルにしがみつき、椅子から落ちることはなかったが。
「い、一体、何が起きたんだい?」
独り言のように言ってみるが、誰も答えてくれない。食堂なだけあって、調理場はより混乱している様子で、誰に聞いても分かりそうになかった。片づけを手伝おうかとも思ったが、職員でもないアルフが手伝えることはなく、できることといったら、食器を片付けることぐらいだった。
艦が大きく揺れ、アルフが食堂を出た後、管制塔と連絡が取れず、仕方なく直接出向くしかないか、と向かっていると偶然にもこちらに走ってくる翔太と出会うことができた。
「翔太、どうしたんだい?」
「あ、アルフさん」
走りながらも、息を切らしていない翔太を呼び止めたアルフは簡単に事情を聞いた。
こんなにも大きな艦を揺らすあの少女に驚いたものだが、彼女は、あの暗い瞳を持つ少女だ。揺らすほどの魔法が使えたという事実にはあまり驚くことはなかった。それはともかく、翔太が今日はこの艦であの少女を看るというので、アルフは着替えと両親への連絡係を買って出た。転移魔法を使えるアルフは、その役目にうってつけだからだ。
通信で艦長であるリンディに了解を得ると、アルフはトランスポートの近くで翔太と待っていた恭也たちと合流して、翔太の家へと帰宅した。その後、翔太が時空管理局という艦に泊まることを告げ、着替えを準備して、再びアースラへと向かった。着替えをさっさと渡したアルフはとっとと蔵元家へ帰宅。翔太の父親、母親、フェイトと一緒に晩御飯を食べ、フェイトと一緒にお風呂に入ったとはあっという間に就寝の時間になってしまった。
「………ねえ、アルフ」
「ん? なんだい、フェ、アリシア」
いつもの部屋で布団に横になり、フェイトの髪を手櫛で梳きながら、アルフは優しい笑みでフェイトに応える。
「今日はお兄ちゃんいないの?」
いつもなら、布団に横になっているのは翔太、フェイト、アルフの三人だが、今日はフェイトとアルフだけだった。どうやら、フェイトはそれが寂しい様子だった。だが、それは仕方ないことだ。翔太が向こうを選んだのだから。本当ならフェイトを選んでこちらに来て欲しいという思いもあったが、あの状況で友人を放っておく翔太は翔太ではないような気もした。
「翔太は、別のところだよ」
「どうして? お兄ちゃんも一緒がいいよ」
さて、どうしよう?
アルフは素直なフェイトに弱い。たとえ、今はアリシアと名乗っていようとも、彼女はフェイトなのだから。
フェイトがお兄ちゃんと一緒がいいというのは、やはり寂しいからだろうか。翔太をつれてくることはできない。だから、アルフはせめてもの寂しさを紛らわせる意味で、ぐっ、と抱き寄せ、その豊満な胸の中にフェイトを抱き寄せた。
「明日からは一緒に寝てくれるさ。だから、今日はこれで我慢してくれるかい?」
そういいながら、アルフは優しくフェイトの髪を撫でながら、ぽんぽんと背中を優しく叩く。
「う……ん…。アルフ、あった、かい、ね」
もう半分寝る体勢に入っていたフェイトだ。人肌の温かさと頭を撫でられる心地よさは、すぐにフェイトを眠りの世界に誘っていた。あどけない表情で眠るフェイトを見ながら、微笑ましいものを見るような笑みを浮かべてしまうアルフ。つい、一週間前はこんな風にあどけなく寝る時間などなく、死んだように深く2、3時間眠るしかなかったというのに。今の彼女の表情からは、その頃の面影はなく、また今日、聞いたような思い過去を背負ったような様子も垣間見えない。
知らない―――いや、フェイトのあの言葉から察するにフェイトは知っている。だから、正確には思い出せないことは幸せなのだろうか? 自分の過去を知らないことは幸せなのだろうか?
それはアルフには分からない。だが、このあどけない寝顔は幸せの証だと思うことにした。
「幸せになろうね、フェイト」
今日、新たにした決意を言葉にしながら、フェイトを護るように胸に抱き寄せたまま、アルフもまた眠りにつくのだった。
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