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無印編
第十八話 裏 後 (アルフ、プレシア、なのは)
アルフが気がついたのは、見慣れないビルの屋上だった。雨が降っているのか冷たい雫が頬を打っていた。
緊急的な大雑把な転移魔法だった割には人目につかない場所という点では上出来であると思った。
「フェイトっ!?」
場所はよかった。ただ自分が助かっただけでは意味がない。自分自身よりも大切な主であるフェイトの具合が気になった。アルフが存在している以上、フェイトが死んでしまったということはないのだろうが、死んでいないというだけでは意味がないのだ。だから、彼女の胸の中で抱かれるように眠っているフェイトを見つけてアルフは安堵の息を吐いた。
「よかった」
これで一安心といったところだが、安心したからといって油断するわけにはいかない。冷たい雨が降りしきるこの天気の中、長時間外にいれば体調を崩してしまうだろうから。だから、一刻も早くこの海鳴にいる間、拠点としていたマンションに戻る必要があった。
あそこであれば、最低限の食料はあるし、眠る場所もある。あのクソ婆から解放された以上、フェイトは自由なのだ。これから何でもできる。フェイトが望むならなんだって。だから、今はとりあえず、あのマンションに戻ることにした。
「フェイト、ちょっと我慢してくれよ」
眠っているフェイトをアルフは背負い、アルフは人目につかないようにビルとビルの隙間を飛び降りた。そのまま着地すれば大怪我は逃れられないだろうが、アルフは使い魔だ。飛行魔法程度なら使うことができる。飛行魔法を使って無事に地面に着地したアルフは、そのまま路地裏から出るように歩き始める。だが、その瞬間、急に力が抜けた。まるで、支えであった柱が抜かれるようにガクンと膝を折ってしまうほどに力を入れられなくなった。
「あ、あれ?」
それはアルフにとって初めての経験だった。だが、その原因はすぐに分かった。
フェイトだ。彼女の背中で死んだように眠るフェイトが、アルフが力を入れられない原因だった。
アルフとフェイトは使い魔という主従関係で繋がっている。正確にはアルフは生命体ではない。狼だった死体を基にした魔法生命体であり、その生命の根源はフェイトの魔力である。つまり、フェイトが弱り、魔力供給も困難なほどになれば、アルフの力が入らないのも無理のない話だった。
急に力が抜けた原因ははおそらく最後の飛行魔法だろう。次元転移魔法でアルフの中の魔力はほぼ限界値ギリギリだったのだ。供給魔力が足りなくなった最後の一押しをしたのは、間違いなく最後の飛行魔法だった。
「くっ……」
だが、アルフは動かしにくい身体に鞭打って歩き始めた。この雨が降りしきる中、この場に留まるのはフェイトの体力をさらに削る羽目になる。そうすると、なおアルフは動けなくなる。ならば、今は多少無理してもマンションに戻るのが最善と思ったからだ。
だが、どうやらアルフは大雑把な転移魔法で最後の運を使い果たしたようだった。
―――どうして、あいつがここにいるんだいっ!?
常日頃、ジュエルシードを探しているなら考えられないわけではなかったが、しかし、いくらなんでもここで出会わなくてもいいだろうに、とアルフは己の不運を呪う。
アルフが力が入らない身体を動かしながら、街中を歩いている最中に出会ったのは、フェイトをボロボロに叩きのめしていた白い魔導師一行だった。彼らを視界に入れたとき、アルフの顔から血の気がうせた。あの白い魔導師のどこまでも吸い込みそうな黒い瞳を思い出したからだ。今度、また出会ったら今度こそやられる、と思っていたアルフから血の気が引くのは当たり前だろう。
―――逃げよう。
その結論に至るのに時間は必要なかった。すぐさま踵を返し、走り出そうとしたところで、背後から三つの気配。だが、それにも関わらず一目散に逃げることを選択する。もしも、万全だったなら十二分に逃げられただろうが、この身体では無事に逃げられるだろうか。
―――だけど、フェイトだけは絶対護る。
それが、アルフの使い魔として、いや、アルフとしての決意だった。
だが、想いだけでは現実を覆すことは難しかった。逃げ出した直後に少年の肩にいたフェレットが魔法を使ってきたからだ。拘束用の魔法であるチェーンバインドは、術者の腕前が高かったのか、精密な動きでアルフの足首に絡みついてきた。今のアルフに翡翠色のチェーンバインドから即座に離脱できる手段があるわけがなく、せいぜいできた反抗は、背負っていたフェイトを胸に抱きこむことだけだった。
次に起き上がってみれば、アルフは、囲まれていた。奇妙な形をした剣とフェイトを一日半眠らせた筒、そして最大の恐怖ともいえる白い魔導師のデバイスがアルフを狙っていた。完全な詰みといえる。だが、それでも、それでもフェイトだけは、とアルフは虚勢をはり、牙を見せ、唸る。
アルフに怯えたとは思えない。何せ、目の前にはフェイトを圧倒した魔導師がいるのだから。だから、なぜ襲ってこないのか分からなかった。しかし、だからといって逃げられるはずもなかった。
―――隙があれば逃げてやるのに……。
アルフはそう思うが、囲まれている人間を見ても、白い魔導師を見ても、その可能性はゼロに等しい。逃げられない。襲われない。恐怖と緊張感がアルフの心をじわじわと締め付けてくる。もしも、これが戦術というなら、考えたヤツは相当意地が悪いやつだ、とアルフは思った。
そんな恐怖と緊張感に包まれる空間の中を割るように前に出てきたのは、一人の少年。アルフの周りにいる人間とは違って一見無力そうな少年だった。顔にはこちらを安心させるような柔らかい笑みを浮かべている。一体、何をするつもりなのか、とアルフが身構えていると少年が口を開いた。
「あの、このままじゃ、お互いに風邪ひいちゃいますから、一度僕の家に行きませんか?」
アルフが驚くような提案だった。自分たちは彼らにとって敵であるはずで、ここで倒されるならまだしも、こちらを心配した上での提案だった。自分を囲んでいる連中も中には反対していそうな人間もいたが、おおむね少年に従っていた。そして、アルフが一番度肝を抜かれたのは白い魔導師の言葉だ。
「私はショウくんの言うことに従うよ」
ショウというのが彼の名前だとして、彼女は少年に従うという。アルフの狼としての本能から言えば、弱肉強食。アルフはフェイトには決して逆らえない。ならば、目の前の一見無力そうな少年も、フェイトをボロボロにした白い魔導師を従えるほどの強さを秘めているとでも言うのだろうか。
「ねえ、お姉さん」
「……なんだい」
白い魔導師を従えるほどの少年の問いかけに答えないという選択肢はなかった。
「僕たちについてきてくれませんか? あなたが抱いてる彼女も風邪ひいちゃいますよ? 僕の家なら温かいと思いますし、このままこう着状態が続くよりもずっといいと思います」
自分の陣地に連れ込もうというのは罠だろうか。もしも、そうだとすれば、自分の身も、いや、自分のことなどどうでもいい。それよりもフェイトの身も危うい。しかし、ここで断わることもできない。だから、だから、アルフが考えた末の結論は、
「……わかったよ。私はどうなってもいい。何でも答えてやるよ。だから……だから、フェイトだけは助けてくれっ!!」
フェイトの絶対的な安全の確保だった。
それからの流れはこちらが拍子抜けしてしまうほどだった。フェイトにもアルフにも危害を加えられることはなく、ただ、尋問のように質問を繰り返されただけだ。クソ婆についての情報は隠し立てするほどのこともなかったのですべて正直に話した。しかも、もしも、地球で暮らすなら援助するとまで言ってくれた。もっとも、自分たちは管理世界の人間なので、時空管理局とやらの許可が必要らしいが。
これで、フェイトが無事なら文句なしだったのだが、世の中はそんなに上手くできていないようだった。
目が覚めたフェイトは、アルフが大好きなフェイトでありながらフェイトではなかったのだから。
―――正気に戻ってくれよ、フェイト。目を覚ましてくれよ、フェイト。また、アルフって呼んでくれよ。
そういいたかった。だが、フェイトの名前を出せば、フェイトが―――アリシアが不安定になる。まるで壊れてしまったように。だから、白い魔導師を従える少年―――翔太にもフェイトの名前は出さないように言われてしまった。
そして、翔太の家に保護された次の日。フェイトは朝に目を覚まし、もしかしたら、元に戻っているかも、というアルフの希望を粉々に打ち砕いてくれた。だが、それでも大切なご主人様には変わりないわけでアルフは、フェイトの―――アリシアの世話をすることにした。もっとも、彼女は翔太の母親に酷くなついていたが。起きたフェイトは翔太の姿も探していたが、彼は今日もジュエルシードを探しに出たらしい。
さて、フェイト―――アリシアが起きて確認したことだが、アリシアは実にちぐはぐな記憶を持っていた。アルフを使い魔として認識している。母さんを翔太の母親と認識している。バルディッシュの記憶はなくなっていた。魔法を使えることを知らなかった。おかげで、自己修復中だったバルディッシュは大切にアルフが管理している。
朝ごはんを食べたアリシアは、警察署とか言う場所に連れて行かれた。昨日、一緒にいた忍という女性も一緒にだ。昨日は腫れていた頬はすっかりよくなっていたが、鞭で叩かれた場所は治っておらず、警察官といわれる人間が、顔をしかめていた。後は、翔太の母親が何かを話していた。身元引受人だとかなんとか、捜索願がなんとか。アルフには一切理解できなかったが。
そして、時間は流れて南中した太陽が傾きかけた時間帯。頭上には昨日の雨が嘘のように晴れ渡った空が広がっていた。
「アルフ~、手伝ってよっ!!」
そんな青空の下、自分の名前を呼ぶ大切なご主人様。フェイト―――アリシアは、翔太の黒いジャージといわれる衣服に身を包み、庭に置かれた物干し竿に支えられた洗濯物の下にいた。アリシアが手伝いを申し出て、翔太の母親が洗濯物を入れてくれるように頼んだのだ。だが、物干し竿は、翔太の母親の身長にあわせてあるらしく、フェイトの身長では届かない。だから、アルフを呼んでいた。
「はいよ」
フェイトであるが、アルフが知るフェイトとは微妙に異なるフェイト。だが、それでもご主人様には違いないとアルフは彼女のお願いに従っていた。アルフは、アリシアに言われるがままに下から物干し竿の高さまで持ち上げる。持ち上げられたアリシアは嬉々として洗濯ばさみを取って、衣服を自分の腕の中に入れていた。
フェイトの嬉しそうに洗濯物を取り込む表情を見てアルフは複雑な気持ちになる。アルフは、フェイトのこんな表情を見たかったはずだ。彼女の笑う顔を心から望んでいたはずだ。だが、今のフェイトはフェイトでありながらフェイトではない。だからこそ、複雑な気持ちになる。喜んでいいのか、彼女がフェイトじゃないことを悔やむべきなのか、アルフには分からなかった。
そんなことを考えていたせいだろうか、アルフはフェイトが洗濯ばさみを外した直後に、自重に耐え切れず、物干し竿から落ちていく衣類に気づけなかった。フェイトも手を伸ばすが、届かない。結局、そのまま蒼い衣服は地面に落ちてしまった。昨日の雨で泥になっている地面の上に。
「あ、あ、あああああぁぁぁぁぁ」
「ど、どうしたんだい? フェ―――アリシア」
アルフから逃れるようにばたばたと体を動かし、アルフの腕から解放されたフェイトは、地面の上に落ちてしまった衣服を慌てて拾うと一生懸命、衣服についてしまった泥を落とそうとする。泥は拭っただけでは取れず、もう一度洗濯するしかないのだが、それでも執拗に拭い、落とそうとする。
アルフにはフェイトの行動が分からなかったが、似たような症状は今朝も見ていた。誤ってお皿を割ってしまったフェイトが見せた表情が今のような表情だった。絶望に彩られ、目から焦点を失ったような表情。ただただ、自分の失敗をなかったようにするフェイトの行動。今朝のときは、割れたお皿を素手で片付けようとしていた。翔太の割り込みで幸い怪我はなかったが。
そして、そのとき、決まって呟くことは一つだけだ。
―――――「ごめんなさい」
今のアリシアも屈みこみ、取れることのない泥を払いながら、ごめんなさい、ごめんなさいと念仏のように繰り返している。
こうなってしまえば、アルフにできることはなかった。アルフが声をかけても反応しないのだ。この事態を収集できるのはたった一人だけだった。アルフがその人物を呼びに行こうとしたとき、彼女が様子を見に来たのか、庭に顔を出した。
「あらあら、どうしたの?」
「か、母さん」
そう、フェイトが現状、反応するのは翔太の母親だけだった。
「ああ、洗濯物を落としちゃったのね」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
状況を把握した翔太の母親と翔太の母親にひたすら謝るアリシア。その表情は、今朝と変わらず絶望に彩られていた。翔太の説明によると、彼女のこの症状には、母親―――プレシアからの虐待の記憶があるかららしい。今もフェイトを苦しめるあのクソ婆がアルフは忌々しかった。
そんなフェイトを翔太の母親は抱きこむように背中に手を回す。
「大丈夫よ。また洗濯すればいいんだから。でも、次からは気をつけてね」
その声は慈愛に満ちており、優しかった。
「私は捨てられない?」
「ええ」
翔太の母親の言葉に安心したような表情をするフェイト。せめて、せめて、とアルフは思う。彼女のような優しさがあのクソ婆にもあったら、フェイトはもっと幸せになれたのではないか、と。彼女が望んだ幸せが手に入ったのではないかと。
「それじゃ、もう少し手伝ってね」
「うんっ!!」
翔太の母親に頭を撫でられ、目を細めるフェイトの幸せそうな表情を見るとアルフはこのままでいいのではないか、と思う。たとえ、フェイトがフェイトではなくても、あの辛い記憶がなくなり、幸せならば、それでいいのでは、と。なぜなら、アルフが求めるのはフェイトの笑える幸せだけなのだから。
さて、今度は衣類を落とすことなく無事に洗濯物を部屋の中に入れてしまった後、何気なしに翔太の母親が口を開いた。
「この後、あなたたちの洋服を買いに行きましょうか」
「え? わ、悪いよ」
遠慮だった。ただでさえ、自分たちはお世話になっているのだ。しかも、フェイトがあんなことになって負担がかかっているはずなのにこれ以上迷惑はかけられなかった。フェイトの分はお願いしたいところだが、自分はバリアジャケットにもなっているタンクトップと短パンで十分だった。
「行くわよね」
「……はい」
翔太の母親の眼力に負けてしまった。そこには確かな意思があった。フェイトを見ていたような慈愛が篭ったものではない。明確な意思だ。
「そう、よかったわ。その格好だと、また変身してもらわないといけなかったから」
それは、昨夜、翔太の父親が自分の格好を見て、「け、獣耳のお姉さんっ!?」と叫んだことと何か関係があるのだろうか。その後、翔太の母親に耳をつねられていたが。昨夜は、それを見た翔太に何とかならないか? といわれて狼姿で寝た。
しかし、と先ほどとは違った感情でアルフは、家の中に戻ろうとする翔太の母親の背中を見る。その感情は怯えだった。
翔太は白い魔導師を従える。だが、翔太の母親は翔太でさえも従えるのだ。つまり、アルフの中のヒエラルキーは、翔太母>翔太>白い魔導師>フェイト>アルフだった。白い魔導師を従える翔太でさえ恐ろしかったのに、それを従える母親がいるとは。つくづく、地球は恐ろしいところだと実感するアルフだった。
◇ ◇ ◇
プレシア・テスタロッサの寝起きは最悪だった。
「また、あの夢……」
夢の残滓をふるい落とすかのように頭を振る。もはや見慣れた夢とはいえ、気分がいいものではなかった。むしろ、最悪だ。
あのときの夢とは、悪夢。あの実験機が暴走したときの記憶だ。その夢の中でプレシアはプレシアを責める。
どうして、あのとき会社に逆らってでも転移させなかったのか、と。
仕事などどうでもよかったはずだ。お金などどうでもよかったはずだ。だが、現実は、会社に従い、一番大切なものを失ってしまった。幸せだったはずの生活は一瞬で泡となって消え去ってしまった。あのときの感情は今でもプレシアの胸を締め付ける。
だからこそ、プレシアは前に進むしかない。もう一歩のところまできているのだ。後は、ジュエルシードを手に入れるだけでいい。それだけで、失った時間が戻ってくる。アリシアとの約束を果たすことができる。アリシアの笑顔を見ることができる。
今までそれだけの願いを、妄執を、妄念を糧に生きてきた彼女は、もはやそれ以外のことを考えられなくなっていた。
だから、今まではアリシアと同じ形をしているというだけで気が咎めた失敗作の処分を行うことができた。あれが処分できたのは、彼女の許容範囲を超えたからだろう。存在することは許せても、失敗したことまでは許せなかった。
人形は主の思うがままに装うからこそ人形としての役割を果たせるのであり、言うことを達成できない人形はもはや人形ですらなく、ただのゴミだ。だから、プレシアはフェイトと呼んでいた人形を捨てることができた。アリシアと同じ形をしたものをゴミとはいえ、処分することは胸が痛むかと思っていたが、むしろ、すっきりしたという感情のほうが大きかった。
ああ、そうだ。プレシアは嫌いだったのだ。アリシアと同じ髪で、同じ声で、同じ姿で、母さんと呼ぶ失敗作が。もしかしたら、一度はそれに希望を持っただけに尚に嫌いだったのかもしれない。だが言えることは、プレシアは、ずっと、ずっとあれが大嫌いだったのだ。ただ、それを駒として使えるというただ一点のみで傍においていただけだった。
だが、駒として使えない以上、処分するのは当然であり、あの姿を見ないだけで、あの声で聞かないだけでプレシアは清々していた。そう、プレシアに必要なのは、あのような贋物ではなく、本物のアリシアだ。ただそれだけでいいのだ。
そして、それはもう手に届く範囲まできている。ジュエルシードを手に入れる。ただ、それだけだ。だが、それが難しい上に残された時間は少ない。病に蝕まれた身体のことを考えれば、この機会が最後のチャンスだろう。
寝床から起き上がったプレシアは栄養剤で朝食とも呼べない朝食を済ませ、いつもの場所で思案する。どうやってジュエルシードを手に入れるか、である。
選択肢の一つとしてプレシアが出て行くというのが考えられる。だが、即座に却下。病魔に蝕まれた身体では、いつ倒れるか分からない。そもそも、そんなことができるならば、あのような失敗作、即座に処分している。
あるいは、この時の庭園内部に数多く設置された傀儡兵を落ちたと思われる街に落とすか。単純な人海戦術だからこそ短時間で済むメリットがある。街に住んでいる人間が死ぬかもしれないが、そんなことは知ったことではない。アリシアにもう一度会うためなら幾人だって殺してやる。むしろ、彼らはアリシアが蘇るための生贄になれるのだから喜ぶべきである。
しかし、これも却下せざるを得ない。大量の傀儡兵を動かせるのは、時の庭園内部にある動力炉と直結しているからである。もし、この動力炉から切り離して使うとすれば、非常に大量の魔力が必要だ。だが、プレシアにそれだけの魔力は使えない。ゆえに却下だ。
そして、もう一つは、あのゴミが負けたという魔導師の存在である。ゴミが負けた魔導師が地球にいることは分かっている。だが、地球は管理外世界であり、正規の魔導師がいるとは考えにくい。特に管理局の人間であれば、質量兵器で互いを牽制しているこの星になどいないだろう。それを隠れ蓑にした犯罪組織だろうか。ならば、手はあった。犯罪組織がジュエルシードのようなロストロギアを集める理由は金だ。その一点尽きる。幸いにしてプレシアの手元には大量の金があった。特許として毎年莫大な金が入ってくるし、研究の副産物だけで一財産稼げたのだから。
なるほど、これなら上手くいきそうだ。だが、その交渉のためには、まずジュエルシードを探している魔導師を探さなければならない。
プレシアは、その魔導師を探すために地球に動力炉の魔力を使ったサーチャーを降ろした。
件の魔導師は意外にも簡単に見つかった。そもそも、地球では魔力を持つ存在が少ない。ジュエルシードを見つけたという街で見つけたのは、たったの二人と一匹だ。そのうち一人と一匹はAランク程度の魔力を持ち、もう一人はSランクを超えた魔力を持っていた。数名、魔力を持っていないものが随行しているが、これは現地住民だろう。
おそらく、魔力から考えるにゴミが負けたのは、Sランクの魔導師だろう。だが、ここで疑問がわいてきた。彼らは何者だろうか、と。様子を伺うに一匹が探索魔法を使っている。つまり、こちらは管理世界の人間だろう。ならば、他の二人は? 現地住民だろうか。だが、そうだとすれば、魔法のない世界の住人にあのゴミは負けたことになる。なるほど、失敗作はやはり失敗作だったということだ。
彼らが管理局の人間ならば、あのゴミも管理局の人間に負けたと言うはずだ。なにせ、彼らには最初に身分を提示しなければならないという規則があるのだから。
さて、どうしたものか。犯罪者なら金だと思っていたが、どうやら現地住民らしい。ならば、他に手立てを考えなければ、と思っていたプレシアだったが、彼らを交渉のテーブルにつけるために観察しているうちに気がついた。
「ん?」
Sランクの魔力を持つ少女から奇妙な違和感を感じた。その違和感の原因を見つけるために観察を続け、しばらく観察することでその違和感の原因に気づいた。そして、それに気づいた瞬間、腹の底からこみ上げる笑いをとめることはできなかった。
「あはははは、あははははははははははっ!!」
ああ、簡単だった。交渉の糸口はすぐさま見つかった。なぜなら、おそらくあのゴミに勝ったであろう魔導師は自分と同じだからだ。周りは気づいていない様子だったが、プレシアはすぐに理解した。視線先を見つめるときの彼女の瞳。ただそれだけでプレシアは、彼女を理解した。
つまり、彼女はプレシアと同じくただ一人を求める人間だったということである。ならば、いくらでも交渉の余地はある。
もしも、プレシアが同属でなければ気がつかなかった。彼女が同属でなければ突破口は見つけられなかった。偶然にしては低い確率だった。プレシアにはこれが神の采配であるように思えた。
笑い続けるプレシア。彼女の頭の中からは既にフェイトのことなど抜け落ちており、ただただ復活したアリシアと取り戻すべき時間のみが空想されるのだった。
◇ ◇ ◇
高町なのはの手の中に収まっていたプラスチックの白い箸がバキッという音を立てて真っ二つに割れた。
「……なに……これ」
なのははサーチャーから送られてくる翔太の姿を見て思わず呟いた。
時刻はお昼時。なのははお昼は周りで友人と一緒に食べているクラスメイトが羨ましくて、諦めたなのはには手が届かないものを見せ付けられているようで、悔しくて、だから、教室でお昼を食べることはなく、いつも人気のない場所で一人でお昼を食べていた。今日は校舎裏の日陰になっている場所でお昼を食べていた。
ご飯を食べるとき、なのはいつも翔太のことを考えている。今はどんなお昼をたべているのだろうか。今日の放課後はどんな話をしようか。翔太はどんな話をしてくれるだろうか。翔太に関連する色々なことだ。
「あ」
その最中、なのはは不意に思いついた。思いついてしまった。それはある記憶を基にして思いついたことだった。つまり、あのバケモノの家を覗いたときのことだ。あの時、なのはは翔太にばれることなく翔太の様子を伺うことができた。ならば、今も同じことができるんじゃないだろうか。翔太と一緒にご飯を食べることはできない。だが、サーチャーで翔太の顔を見ながら食べることはできるだろう。気分だけでも翔太と一緒なのは実に楽しいことだと思った。
だが、サーチャーが映し出した光景は、思いもよらない光景だった。あろうことか、翔太と一緒にお昼を食べていたのは、バケモノと自称親友の二人。しかも、バケモノは血を吸っておきながら甘えるように翔太の方に身体を寄せ、しかも、手ずから自分のお弁当のおかずを食べさせようとしている。
その光景にどうして、自分はそこにいないのか、という悔しさとそんなことができるバケモノを羨ましいという思いが重なり、歯がゆく思っていると思わず力を入れすぎたのかつい箸を真っ二つにしてしまった。
―――バケモノなのにショウくんに近づかないでよっ!!
だが、心の叫びはサーチャーを通して聞こえることはない。それどころかなのはに見せ付けるように猫のように身体を近づけお弁当を食べていた。見れば見るほどに悔しさと羨ましさをが募り、ポツンポツンとどす黒いな何かが蛇口を閉め損ねた水道のように胸の中に少しずつ溜まっていく。
少しの間見ていたが、やがて見ていられなくなってサーチャーを消した。残ったのは、ジメジメした暗い場所でただ一人、お弁当を広げている自分だけ。
惨めだった。どうして、どうして、どうして、となのはは自問自答する。
翔太の血を吸うようなバケモノがあんなに楽しそうに食べているのに自分はただ一人で、こんな場所で食べているんだろう、と思う。自分は翔太に褒められるために色々頑張っているのに。しかし、なのはに何かできるわけもなく、今までの翔太との思い出を脳裏に描きながら、真っ二つに折れてしまったプラスチックの箸で黙々とお昼ごはんを食べるしかなかった。
放課後、自分だけが、魔法を使える自分だけが翔太と一緒にいられる時間。今日からはおまけが二人ほど増えたが、彼女たちはなのはの兄と一緒に歩いているためなのは別に気にすることはなかった。
次の日、この日は休日で、朝から翔太と一緒だった。魔法と出会う前は休日など何もすることがない日だったのだが、最近は、一日中、翔太と一緒にいられるため休日が待ち遠しくなっていた。翔太と一緒に海鳴の街を歩き回る。
隣を歩けることが嬉しい。翔太との何気ない会話が楽しい。翔太と一緒にお昼を食べられるのが嬉しい。嬉しくて、つい昨日、バケモノがやっていたのと同じように自分のお弁当の中身を自分の手から食べてもらおうと思ったのだが、翔太が恥ずかしがって無理だった。
―――恥ずかしがらなくてもいいのに。
だが、無理強いして嫌われたら大変だ。だから、なのはは無理強いはせずに、そう、とあっさり引いた。
午後、午前中は晴天だったはずの空が崩れ始め、ついに雨が降ってきた。運の悪いことに住宅街を探していたため、どこにも避難する場所がなかった。そこで、翔太が彼の家へ行くことを提案してくれた。どうやら家は近いらしい。翔太の提案に賛成した全員で翔太の家へと向かう。
なのはが翔太の家に行くのは初めてで、このときばかりは急に振り出した雨に感謝してもいいぐらいだった。
その翔太の家へ向かう途中、思いがけない人物たちと出会う。
―――黒い敵だった。
なのはが倒した黒い敵が、あの時、黒い敵を連れ去った女性に背負われてなのはたちの前に姿を現した。様子がおかしいことに気づいていたが、それがどうした。彼女は、翔太を傷つけた敵だった。だから、なのはは油断することなくレイジングハートを構えていた。翔太の声があればすぐにでも魔法が撃てるように。
しかし、今回はなのはの出番はなかったようだった。自分どころか兄や着いてきた二人で何とかなっているのだから。それでも何かあったらいけないと、なのはがレイジングハートを構えるのをやめることはなかったが。状況は硬直状態に入り、それを破ったのはやはり翔太だった。
「あの、このままじゃ、お互いに風邪ひいちゃいますから、一度僕の家に行きませんか?」
敵にも優しい言葉をかけられるのは、さすがショウくんと思うなのはだったが、もしかしたら、敵がその翔太の優しさに付け込んで牙をむくかと思い、やはり油断はしない。少し翔太が何かを話し、なのはの方を振り向く。どうやらなのはに翔太の意見に対する答えを聞きたいようだった。それに対してなのはが考える時間は必要なかった。なぜなら、答えは問いかけられる前から決まっているから。
「なのはちゃんは?」
「私はショウくんの言うことに従うよ」
当たり前だ。翔太は何時だって正しい。ならば、諦めてしまった自分が反対する理由はどこにもなかった。
その後、あれよあれよという間に話は進んでいき、気がつけば、黒い敵は、翔太の家に住むことになっていた。
―――え……あれ? なんで? なんで? なんで?
翔太が決めたことだから口は出せなかったが、なのはは黒い敵が翔太と一緒に住むことに納得がいかなかった。
あの時、魔法を使った戦いで勝ったのはなのはで、負けたのは黒い敵だ。だが、その黒い敵はなのはが欲しい翔太に一番近い場所を手に入れてしまった。
しかし、やはり昨日のお昼のようになのはが口を出せるはずもなく、またなのはの胸の中に水時計のように少しずつどす黒い何かが溜まっていくのだった。
黒い敵が翔太の家に住むようになった次の日。この日も休日で、朝から翔太と一緒にいられた。それは嬉しかったが、なのはが翔太と一緒の家に住んでいない以上、夜まで一緒にいられない。日が暮れればお互いの家に帰らなければならない。
夜、黒い敵が翔太を傷つけないか気になったなのはは、翔太の家にサーチャーを飛ばした。
そこで見た光景は、先日に引き続き、なのはにとって衝撃的だった。
黒い敵と一緒に夕飯を食べる翔太。食後にソファーでくつろぐ翔太と黒い敵。さらには、一緒にお風呂にまで入っている。もっとも、翔太は黒い敵の肌を見るのが恥ずかしいのか、背を向けていたが。
―――巫山戯るなっ!!
あまりの光景に絶句し、声を出せないなのはは、心の中で叫んでいた。
―――なぜ? なぜ? なぜ? なぜ?
魔法での勝者は自分だ。敗者は黒い敵だ。それにも関わらず、どうして黒い敵はなのはにとって欲しいものをすべて手に入れているっ!? 翔太とずっと一緒の生活。それを手中に収めているのだろう。また、滾々と湧き出る水のようにどす黒いものがなのはの胸の中に溜まっていった。
もはや、なのはの心の中に溜まったどす黒いものは、容量限界ギリギリだった。そのどす黒い何かの正体は、嫉妬とも羨望とも言えるもの。翔太の周りにいる人間がなのはの欲しいものを次々と手に入れていくのを見て、湧き出る負の感情だった。
最初は、名前を呼ばれるだけでよかった。携帯電話でお喋りするだけでよかった。一緒にジュエルシードを探すだけでよかった。だが、人の欲望とは無限である。なのはは、もっと、もっと、もっと翔太と仲良くなりたかった。黒い敵やバケモノがやっているように一緒にお弁当を食べたり、一緒に手を繋いで帰ったり、一緒にお風呂に入ったり、一緒に寝たり、一緒に、一緒に、一緒に……。
なのはが望むようにもっと翔太と一緒になるためにはどうしたらいいだろうか。なのは考える。答えは意外と簡単に見つかった。
―――もっと、ショウくんと仲良くなればいいのかなぁ?
ならば、もっと、もっと、もっと翔太と仲良くなるためにはどうしたらいいだろうか。
魔法が強くなればいいのかな? 一緒にいる時間が長くなればいいのかな? ジュエルシードがもっと暴走すればいいのかな? あるいは―――
―――彼女たちがいなくなってしまえばいいのかな?
そう、もしも彼女たちがいなくなってしまえば、翔太が見てくれるのは自分だけだ。ああ、そうなれば、もっと、もっと仲良くなれるだろう。翔太が自分だけのものになる。
―――なのはだけの翔太。
その言葉は実に甘美なものだった。
だが、それがすぐに不可能だと気づき、愕然とする。確かにそれを可能とする力は持っている。魔法を使えば可能だろう。だが、それでも、バケモノと一緒にいることを決めたのは翔太。あの黒い敵と一緒にいると決めたのは翔太。ならば、そこになのはの意思で介入し、それらを排除することは、翔太の意思を蔑ろにしているだけである。つまり、なのはには実質、不可能だといえた。
「こんばんは」
自分の浅はかな答えに落ち込んでいたなのはの背後から声をかけられ、なのはは驚きながらも背後を振り返った。背後にはいつのまにいたのか、一人の女性が佇んでいた。黒髪を背後まで伸ばし、ローブのような服と外套を羽織った奇妙な女性だ。
そして、同時になのははその女性から感じる並々ならぬ魔力を感じて、すぐさま胸元のレイジングハートを起動させ、先端を女性に向けた。
「ああ、誤解しないでちょうだい。私は、あなたの敵じゃないわ」
信じられなかった。突然、部屋の中に入ってきた女性をどうやって信じろというのだろうか。だから、なのはは無言で女性に杖を向け続けた。
「まあ、信じないなら信じなくてもいいわ。でも、話は聞いてちょうだい」
本当にどうでもよさそうになのはの態度を断わると、女性は、唐突に話を切り出してきた。
「私は、あなたが持っているジュエルシードが欲しいの」
ジュエルシード。その単語に反応しないわけはなかった。同時に先ほどの言葉が嘘だと分かった。なにが敵じゃない、だ。なのはにとってジュエルシードを狙う人間は誰だって敵だった。だから、なのはは無言でディバインバスターの準備をする。集束される魔力が杖の先端に集う。だが、女性はその様子に一切怯えることなく言葉を続けた。
「なにも、ただでではないわ。ねえ、あなた―――」
そこで言葉を切り、女性はなのはを誘うような妖艶な笑みを浮かべる。
「あなたと彼だけの世界が欲しいとは思わない?」
その言葉に思わずディバインバスターの魔法をキャンセルしてしまう。なぜなら、その言葉は先ほどまでなのはが考えていたことと同質のことだったからだ。
「ショウくんと私だけの世界?」
なのはが魔法をキャンセルし、呟いたのを見て意を得たと思ったのか、女性は笑みを強めてさらに言葉を続ける。
「そう、あなたと彼だけの二人の世界」
それは、実に甘美な誘いだった。翔太となのはの二人だけの世界。それが実現できれば、どれだけ嬉しいだろうか。なのはだけの翔太。翔太だけのなのは。それが実現する世界なのだから。なのはが欲しいと思ったものがすべて手に入る世界を彼女は提案してきた。だが、とすぐに思う。
「無理だよ。そんなこと―――」
そんな方法があるならなのはだって探している。だが、世界を作るなんて不可能だ。翔太の周りにいる人間をいなくなってしまわせることさえも不可能なのだから。だが、なのはの呟きを受けてまた女性は愉快、愉快といわんばかりに笑みをさらに強め、続けた。
「不可能ではないわ。この大魔導師の名を持つ私ならね」
「大魔導師?」
聞き覚えのない言葉だが、なんとなくすごいということは分かった。彼女から迸る魔力はなのはよりもはるかに上だと言うことが分かったし、なのはのことを魔導師と呼んだユーノというフェレットの言葉を借りるなら自分よりも高みにいて魔法を使える女性なのだろう。
―――魔法。
なのはが欲しいものを、望んだものを与えてくれた力。なのはが縋るべき最後の希望。それをさらに上手に使える大魔導師という存在。
もしかしたら、という思いがなのはの中で生まれるのも無理もない話だった。
「あなたと彼だけの世界が欲しいとは思わない?」
無言のなのはを見下して、大魔導師が口の端を吊り上げて嗤う。彼女の言葉は、なのはにとって甘い、甘い、甘い誘惑だった。
「欲しいとは思わない? 誰にも邪魔されず。あなたと彼だけのたった二人だけの世界が」
大魔導師は嗤う。まるでイヴに知恵の実を食べるように唆す蛇のように。
「また、ジュエルシードが集まった頃に来るわ。小さな魔導師さん」
それだけを言い残して大魔導師は消えた。
「私とショウくんだけの世界……」
大魔導師と呼ぶ女性が消えて、なのはは一人呟く。まるで夢のような言葉だ。翔太となのはだけの世界。それが実現すればなんと素晴らしい世界なのだろう。
翔太と二人だけの世界であれば、いつでも一緒にいることができる。一緒にお弁当と食べることも、一緒に手を繋いで歩くことも、一緒にお風呂に入ることも。なのはが望んだすべてが手に入るかもしれない世界だった。
「……あは、あは、あははははははははははっ!!」
その甘美な世界を夢見て、なのはは胸の奥から笑いがこみあげてくるのを感じ、声をあげて笑うのを止めることができなかった。
後書き
混ぜるな危険
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