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リリカルってなんですか?

作者:SSA
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無印編
  第十八話 裏 中 (アリサ、すずか、恭也)




 アリサ・バニングスは突然の親友の行動に困惑していた。

 時はお昼時、誰も彼もがお弁当箱を取り出して友人と今日はどこで食べようか、と相談している。教室で食べようとしてる者もいれば、今日は天気がいいので中庭で食べようとしている者もいる。アリサも今日は天気がいいので教室よりも屋上で食べたいと思っており、いつも一緒に食べている親友の月村すずかと一緒に屋上へ向かおうとしたのだが、彼女の姿は既に彼女の席にはなく、何所に行ったのか、と周りを見渡してみれば、アリサのもう一人の親友である蔵元翔太の下へと行っているではないか。

 アリサは翔太を誘うことはやぶさかではない。だが、すずかは今まで翔太を誘うことがあったとしても自分に一言言ってから一緒に誘っていたはずだ。それが、今日はアリサよりも翔太を優先して誘っている。この三年間で一度もなかった事態に驚いていた。

「あ、アリサちゃん。今日のお弁当、ショウくんも一緒だけどいいよね?」

「え、うん。もちろんよ」

 驚いている間にすずかが翔太と一緒に弁当を食べる約束を取り付けたのか、いつもの朗らかな笑みを浮かべて翔太がすずかの後ろに立っていた。その翔太は、アリサが視線を向けると弁当箱を持ち上げ、お邪魔するよ、といわんばかりに微笑んだ。

 ―――まあ、ショウは、他の人と食べることも多いから先に声をかけただけよね。

 クラス全体の殆どの人間は、いつもお昼を食べるメンバーは決まっている。そのグループがくっついて大きくなったりすることはあるものの、基本的に崩れることはない。そんな中、翔太だけは異様だった。まるで渡り鳥のようにいくつかのグループを歩きわたる。今日はここ、今日はここ、と二日続けて同じグループで一緒に食べることはなかった。理由はよく分からない。一度、聞いてみたところ、少し考えて後に「まあ、世話好きの物好きかな」とはぐらかされてしまった。

 そんなわけで、誘ってもあまり乗ってこない彼を捕まえるのは結構難しかったりするのだが、今日のすずかは成功したようだった。どちらにしても、翔太と一緒にお弁当を一緒にできることは少ないのでアリサとしても嬉しかったりする。

「それじゃ、行きましょう」

 アリサはすずかと翔太と一緒に屋上に向かう。屋上までの道のりは授業のことだったり、夜のテレビの内容だったりするのだが、その中でアリサは朝から気になっていたことを聞いた。

「ねえ、そういえば、朝の話ってなんだったの?」

 今朝、すずかと翔太は二人だけでどこかに向かおうとしていた。どこかに行くものだから、授業の準備であればアリサも手伝おうと申し出たのだが、「内緒のお話」といわれたのだ。誰にだって秘密はある。それが分かっているから、アリサも無理を言わなかった。だが、理解するのと気にならないのは意味が異なる。だから、二人が何を話したのか気になった。もしかしたら、今なら話してくれるかもしれないと期待して。

 だが、翔太とすずかの二人は困ったように顔を見合わせて、すずかだけが口を開く。

「ごめんね、アリサちゃん。これは私とショウくんだけの内緒のお話だから」

 今朝と同じようにあしらわれた。親友としては話してくれないことが少し悲しかった。しかし、そこまで言われては、これ以上聞くことなどできない。だから、アリサは「そう」と呟いて退くしかなかった。

 それからは、アリサの湿っぽい雰囲気を払うようにアリサから明るい話題を振る。二人もアリサの意図を察してくれたのかその話に乗ってくれた。一度話が弾めば先ほどの気まずい雰囲気はすっかりどこかへ消えてしまい、屋上につくころには三人で笑いあっていた。

 屋上は同じように昼食を食べようという生徒が存在していた。これはもしかしたらベンチが空いてないかもしれない、とアリサは屋上の出入り口から見たとき思ったものだが、幸いにして一つのベンチが空いていた。たった一つだが、三人で座るには十分な広さを持っている。

 アリサたちは、誰かに取られるよりも先にと思い、駆け出してベンチに座った。最初に座ったのはアリサ。この三人で食べるときは定位置であるベンチの真ん中に座る。そして、右手に翔太。左手にすずかが三人で食べるときの定位置だった。だが―――

「え?」

 思わずアリサは声を挙げてしまった。すずかがアリサの目の前を横切ったからだ。

 自分の右手の位置はすずかのために空けている。だが、それにも関わらず、すずかはアリサの右手に座っている翔太の右手に座ってしまった。アリサがすずかのためにあけていたスペースよりもずっと狭い翔太の隣に。しかも、狭い場所に座った弊害で、すずかと翔太の距離は殆どないと言える。くっついて座っていると言ってもいい。困惑している翔太に対して、すずかはそれに不平不満を漏らすどころか、なぜか嬉しそうに笑っていた。

「ごめん、アリサちゃん。少し向こうに行ってくれないかな?」

 アリサがすずかの行動に呆然としていると申し訳なさそうに翔太が言ってくる。いつもなら、アリサがすずかにこっちに来ればいいじゃない! と怒鳴るところだったが、すずかの不可解な行動に混乱していたアリサはあっさりといつもはすずかが座っている位置に体をずらしてしまった。

「ありがとう」

 そして、いつもアリサが座っている位置に翔太が。翔太が座っている位置にすずかが来る形で昼食が始まった。

 いただきます、と手合わせてお弁当を口にする。アリサのお弁当は小さいが、家のコックが作ってくれたものでどのおかずもおいしいものだった。そうやって、お弁当に舌鼓を打っていると隣から想像もしない会話が聞こえてきた。

「ショウくん、これおいしいんだよ。だから、はい」

「え? いや、はいって……それはちょっと」

 非常に困惑した翔太の声。いつも、冷静なショウが困惑するのは珍しいな、と二人の方に視線を向けてみると、スペースがあるにも関わらず殆ど翔太とくっつくような距離に座ったすずかが自分のお弁当から取り出したおかずを箸に挟み、それを翔太に向けて差し出していた。それを困惑した表情で見つめる翔太。

 ―――え? なにこれ? どうなってるの?

 これには当事者でないはずのアリサも困惑してしまった。

 お弁当からおかずを取り出して食べさせるなんてすずかのキャラではない。少なくとも今まで一度もない。アリサがすずかのお弁当や翔太のお弁当からおいしそうなおかずを取ることはあっても逆はなかった。だが、目の前で繰り広げられている光景は、今まで一度もなかった光景が展開していた。

 少なくとも昨日まではすずかの様子は普通だった。違うのは今日の朝から。あの二人が内緒の話をしてからだ。一体全体、本当に何を話したのだろうか。混乱と困惑と疑問でおそらく翔太と一緒に食べたのに一番口数の少ない昼食になってしまうのだった。

 それからも、すずかの様子は変わらなかった。お弁当を食べた後の休み時間もやたらと翔太と一緒に話したがる。しかも、笑顔が多い。すずかが声を出して笑うことなんて珍しいのに、翔太と話している間は、その珍しいことが何度も起きていた。一回の会話で一年分ぐらい。よほど機嫌がいいのか、とアリサも会話に加わるのだが、アリサが会話に加わった途端、すずかの様子は元に戻ってしまう。翔太と二人だけで話している間だけ、すずかの様子が変わるのだ。

 そのことに気づいたとき、アリサの胸の奥が少しだけチクリと痛んだ。

 お昼休みが終わった後もすずかの様子が変わることはなかった。ちょっとした小休憩にもすずかは翔太の元へと駆け寄り、取り留めのない話をする。それは、今まで席が近くだったアリサとすることが多かったはずなのに。

 すずかの様子が変わったことが気になったアリサは放課後、翔太がいつものようになのはという少女と一緒に探し物にいってしまい、アリサとすずかだけの通学路ですずかから何とか内緒の話を聞きだそうとしていたが、頑なにすずかは笑顔で「内緒だよ」と音符がつきそうな弾む声で話の内容をアリサに決して話すことはなかった。

 帰宅してからもアリサはすずかの様子が気になって仕方なかった。内緒といわれれば気になるのが人の性だ。だが、アリサにはすずかの様子があんなにも変わってしまう理由が見出せなかった。たった一日ですずかから翔太への態度が変わる理由など見当がつかなかった。それに翔太も仕方ないという感じで受け入れていたのも気になる。つまり、すずかの変化の理由を翔太は知ってることなる。

 となれば、やはり気になるのは朝の翔太とすずかの内緒の話だ。

 何を話したのだろうか。気になる。気になるが、放課後のすずかの様子では教えてくれる気配はゼロといっていい。ならば、翔太なら、と思ったが、すずかが話さない以上、翔太が素直に話してくれるとも思えない。八方塞がりだった。だが、どうしても知りたかった。胸の奥に感じた小さな痛みを知るためにも。

 そんな悩みを持ったまま休日前ということで早く帰宅できた母親と一緒に食事をしたのが拙かったのだろうか、眉をひそめた表情をしながらフォークで食事を運ぶアリサを心配した母親が声をかけてくる。

「アリサ、浮かない顔してどうかしたの?」

「え……」

 一瞬、アリサは答えに戸惑った。一緒に食事することなんて殆どないのに、その殆どない機会に悩みを相談していいものだろうか、と思ったからだ。しかし、アリサが抱いている悩みは、もはやアリサ個人でなんとかできる範疇にはない。悩み続けてもいい答えが見つかるわけでもないし、本に答えが載っているわけでもない。だから、アリサは母親にすずかと翔太のことを話すことにした。

「あのね、ママ―――」

 それからアリサは母親に翔太とすずかの話をした。朝の内緒話から二人の様子がすっかり変わってしまったこと。すずかがお弁当の時間に翔太にしたこと。休み時間にも小さな時間を見つけて翔太とお喋りをしていたこと。今日一日、アリサが疑問に思ったことをすべて母親に話した。
 アリサの母親は、子どものこんな話なんて適当に聞き流すかな、と思っていたアリサだったが、意外なことに目を輝かせてアリサの話を聞いていた。

 そして、すべてを聞いたアリサの母親は、わざとらしく腕を組んでう~んと唸ったあとゆっくりともったいぶって口を開いた。

「そうね、すずかちゃんが様子が変わった理由は分かったわ。内緒の話の内容もね」

「本当っ!? ママ」

 アリサには母親の言うことが信じられなかったが、いつでも自信満々なアリサの母親が嘘でこんなことを言うはずがない。だから、母親が出した答えにアリサは期待した。

「すずかちゃんは、翔太くんが『好き』なのよ。だから、内緒の話はきっと『告白』ね」

 最近の小学生はませてるわね、と母親は付け加えるが、アリサには母親の言っている意味が理解できなかった。

 好き、というのであれば、アリサは翔太もすずかも好きである。なにせ二人しかいない親友なのだから嫌いなわけがない。告白という意味に対しても何か重大なことを伝えるということは分かる。つまり、すずかが翔太に好きだと伝えたということなのだろう。だが、なんとなく母親の言っている意味はそうでないような気がするのだ。

「ねえ、ママ、それってどういう意味?」

 アリサの問いにアリサの母親は、一瞬、きょとんとした後、声を出して笑い、アリサの頭を愛しげに撫でる。食事中なのに、と思いながらも母親に頭を撫でられるなんて何時ぶりだろうか、とアリサは母親の手を受け入れていた。やがて、母親はアリサから手を離し、笑いながら言う。

「あはははは、アリサにはまだ早かったかしら? すずかちゃんはね、翔太くんのことが特別に好きなのよ。そして、それを恋っていうのよ」

「特別な好き? 恋?」

「そうよ、綺麗な女になるには必須事項だから覚えておきなさい」

 アリサには母親のやけに愛いげなものを見守るような柔らかい笑みが印象的だった。

 夕食後、お風呂も済ませてあとは寝るだけとなったアリサはベットに飛び込んでうつ伏せになりながら夕食のときの母親の言葉を考えていた。

「特別な……好き? 恋?」

 定義は分かった。だが、それがどんなものなのか分からない。理解できなかった。母親がいう恋というものはあんなにも人を変えてしまうものなのだろうか。そして、すずかの変化を受け入れていた翔太も『恋』を理解していたのだろうか。

 分からない、分からない、分からない――――

 分からないことがアリサにとって苛立たしくて、不満で、そして、不安だった。

 ―――特別な好き。恋。

 それらを分かっているすずかと翔太がアリサとは違う別の関係になったような気がして。二人が理解できているものが理解できない自分がいて。二人から置いていかれたような気がして。

 アリサは胸に漠然とした不安を抱いていた。それが、胸の小さな痛みだった。

「……でも、変わらないわよね」

 そう、たとえ二人の関係が変わったとしても、アリサとすずかの、アリサと翔太の関係は変わらないはずだ。親友という関係は変わらないはずだ。変わってほしくない。

 翔太とすずかとアリサ。三人の関係が変わってほしくない。それが、それだけがアリサの願いだった。



  ◇  ◇  ◇



 月村すずかは、晴れ晴れとした気分で教室の窓の向こうに見える青空を見ていた。

 「気持ちが変われば、見える風景も変わる」とは、いつか読んだ本の一節だが、本当のことだと実感した。昨日までは、明るい青空を見るたびに自分の中にある呪いを消し去ってほしいと思っていたのに、今は素直な気持ちで晴れた青空を見ることができるのだから。

 彼女は、今朝、昨日の大事件を起こしてしまった翔太に校舎裏で素直に頭を下げた。昨日は確かに許してもらえるとは言っていたが、血を倒れるほどに吸ってしまったのだ。面と向かって謝らなければ気がすまない。なにより、まだすずかの心の中には怯えがあった。昨日はあまりの出来事に気が動転して、思わず許してしまったが、一日経って冷静になるとやはり自分を怯えているんじゃないか、という恐怖だ。

 だが、そんなすずかをあざ笑うかのように翔太は、笑顔ですずかを許してくれた。

「ショウくんは、私が怖くないの?」

 改めての質問。念を押すような最後の質問だった。昨日は扉越しだった。だが、今日は顔を合わせている。その中ですずかは確かなものが得たかった。そして、翔太は、すずかの望んだ答えをくれたのだ。

「昨日も言ったけど、大丈夫。僕はすずかちゃんを怖いなんて思ってないから」

 その答えで改めて救われた気がした。今まで嫌われることが怖くて、バケモノと恐怖の瞳を向けられることが怖くて、人と距離を置いていたすずかが初めて距離を近づけてもいいと言われた気がした。

 翔太の答えに安堵したすずかだったが、今度は逆になぜか翔太が慌て始めた。

「すずかちゃん? 泣いてるの?」

「え……あ」

 翔太に言われてすずかは初めて自分が泣いていることに気づいた。だが、それは昨日、帰ってから流した涙とは違う。その涙を流させる感情はまったく別物。逆ベクトルのものである。だから、すずかは笑う。自分にこんなに嬉しいと思わせてくれた彼に、せめてものお礼にと思いすずかは笑った。

「えへへ、大丈夫だよ。ショウくんの言葉が嬉しかっただけだから」

 きっと、自分は今までで一番の笑顔を浮かべられているとすずかは思った。

 改めて許してもらったすずかは昨夜、ベットの中で感じたとおりもっと翔太と仲良くなりたかった。だから、お昼に誘い、お弁当の中身を交換した。本当なら、食べさせあいっこもしたかったが、これは翔太が恥ずかしがって拒否したためできなかった。

 食べさせあいっこができなかったことは残念だったが、すずかがずっと本当の意味での友達ができたらやりたいことを半分はやれて満足だったし、翔太と一緒に過ごす時間は今まで以上に楽しかった。今日は翔太の表情一つ一つの感じ方が今までとは違った。慌てる翔太もおいしそうに食べる翔太もちょっとした雑談に笑う翔太もすべてが今まで以上に特別に思えた。

 学校が無事に終了し、翔太を見送ったすずかはアリサと一緒に帰宅した。家に帰ったすずかをファリンが出迎えてくれた。姉である忍ともう一人のメイドであるノエルは珍しくいないようだったが、今日から翔太のジュエルシード捜索を手伝うと言っていたことを思い出した。

 本音を言うとすずかも手伝いたかったが、あくまでも忍が着いていくのは夜の一族としての立場だ。それをすずかが担うにはまだ小さいといわれた。たとえ、すずかが月村家次期当主候補であろうとも、だ。単なる手伝いとして行ってもすずかは大人以上の力は出せるもののそれだけだ。戦い方を知っているわけではない。それを学ぶのは小学校を卒業してからの予定である。つまり、今のすずかは戦闘になった場合、足手まといでしかない、といわれたため、大人しく帰宅したのである。

 ―――ショウくん、大丈夫かな?

 昨日、そういえば、翔太は自分を魔法使いと呼んでいた。魔法が使えるなら大丈夫だと思うが、それでも心配だった。翔太はすずかの秘密を知っても友人関係を続けてくれる唯一の友人なのだから心配しないはずがない。だが、心配する以外にすずかができることはない。だから、考えてみた、何かできないか、と。

 しかし、そう簡単に思いつくはずもなく、考えた末にすずかは、メイドのファリンとノエルに相談することにした。そこで、年長のメイドであるノエルが提案してくれたのだ。彼女の中でもそれはグッドアイディアと思えるようなものを。

「そうですね。でしたら、手料理などどうでしょうか?」

「お料理?」

「はい、すずかお嬢様の手料理を蔵元様に食べていただくのです」

 なるほど、確かにそれは言い考えだ。だが、それを実行するには一つだけ大きな問題があった。

「私、お料理作ったことない」

 確かにノエルの案のお弁当の中に自分の手料理を入れることはいいアイディアだと思った。食べさせあいっこを拒否した翔太だったが、自分で作った料理ならもしかしたら了解してもらえるかもしれない。それに、自分で作ってもらったものを食べてもらうのは嬉しいことだ。少なくともファリンもノエルもそういっている。だから、自分もそれを感じたくて、翔太に自分の作ったものを食べてもらいたくて、ノエルの案を呑んだのだ。

 だが、作れないからといって諦められないすずかは、ノエルとファリンに料理を教えてもらうことにしたのだ。

 ―――ショウくん、食べてくれるかな?

 自分の手料理を食べてもらえる光景を想像しながらすずかは、今日よりも翔太ともっと仲良くなれることを願うのだった。



  ◇  ◇  ◇



 高町恭也は、目の前の友人である月村忍が告げた事実に驚きを隠せずにいた。

「本当なのか?」

「嘘言ってどうするのよ」

 確かに、と恭也は思ってしまう。この場で嘘が言える状況ではないだろう。しかも、自分が吸血鬼であるなどという傍目から見てみれば妄言にしか聞こえない事実を。

 恭也が忍に話させたのは、昨日の翔太を半ば有無を言わせず月村家へ連れて行った理由だ。理由もなく忍が翔太を拉致に近い形で連れて行ったとは思いたくなかった。こんな自分に友人でいてくれる人なのだから。しかし、それでも中途半端に済ませるつもりもなかった。

 蔵元翔太は、恭也たちがずっと思い悩んでいたなのはの最初の友達だ。恭也も翔太の性格も行動も気に入っているし、彼が大切な妹の最初の友人でよかったと思う。ただ、最近、なのはが口を開けば、ショウくんが、ショウくんが、と彼の名前を連呼するのは、いささか気にかかってはいるが。

 大学でであった忍にそのことを切り出すと、連れてこられたのは、大学の近くにあるカラオケハウス。そこを二時間で部屋を取った。どうしてこんなところに? と思ったが、カラオケハウスというのは防音が聞いているうえに個室で、さらに防音であっても多少は漏れ聞こえる音楽の所為で内緒の話をするのに都合がいい場所なのだ。

 流行のポップミュージックのカラオケを背景に聞いた話はおいそれと外で簡単に話せる内容でないことは確かだった。

 なにせ、月村忍が夜の一族といわれる一族の一員で、吸血鬼だというのだから。昨日の件も彼女の妹のすずかが翔太の血を吸ったということで緊急的に呼び出したという話だった。
 彼女の言うことに整合性はある。翔太は自分で歩けないほどに体調不良だったし、それを貧血と結論付けると、血を吸われたというのは、荒唐無稽ではあるが、理にかなう説明だ。

 だが、しかし――――

「いまいち信じられない?」

「ああ」

 正直な感想だ。いきなりそんなことを言われても信じられるはずがなかった。何か隠していて誤魔化そうとしているんじゃないか、と思えるぐらいだ。友人を疑うのは気分が悪いと思いながらも、心は冷静に忍を疑っていた。もしかしたら、恭也の中に流れる裏の暗殺者としての血がそうさせるのかもしれない。

 だが、そのことに気づきながらも忍は嫌な顔せず、どうしよう、と悩んでいた。

「実際に血を吸って見せるのがいいんでしょうけど……嫌よね?」

「当たり前だ」

 血というのは実は人体にとっては毒薬である。コップの半分ほどの血を飲んでしまえば、胃の中身をすべて吐き出してしまうほどに。だから、恭也の血を実際に吸わせれば、それを栄養素として扱ってしまえば、忍の言うことを信じられるのだが、さすがに血を吸われるのは勘弁してもらいたいところだった。

「だったら、もう一つのほうでいきましょう」

「もう一つ?」

「そうね、恭也。私の目を見て」

 つぅ、と顔を近づける忍。美女といってもいいほどに整った顔が近づいてきて少し戸惑ったが、それでも言われるがままに目を見つめる。忍の瞳が一瞬、血のような赤に変わったと思ったのは気のせいだろうか。そして、その気のせいを感じた次の瞬間にまた忍は元の位置に戻った。

「それじゃ、恭也。私が頼んだ飲み物は何でしょう?」

「何って……」

 あれ? と自分でも思った。忍がすべてを話し終えた後、喉が渇いたと飲み物を頼んだのだ。電話でカウンターに頼んだのは自分で、恭也はウーロン茶を頼み忍は―――思い出せなかった。電話をかけて何かを頼んだところまでは覚えている。だが、その内容が思い出せなかった。

「私の力の一つで魔眼よ。今は古典的に記憶を失わせてみたんだけど、どう? 信じられそう」

「―――信じるしかないだろうな」

 古典的だったが、ここまで正確に忘れ去られたら認めるしかなかった。そして、丁度、恭也が降参するように忍の発言を認めた後、部屋の入り口付近に空いている小さな窓口から二つのグラスが急に出てきた。歌っている最中に邪魔しないためのシステムで、ここに勝手にジュースなどを置いていくのだ。二つのグラスの中身は、一つは恭也が頼んだウーロン茶、そしてもう一つは、忍が頼んだアイスコーヒーだった。

 先ほどは思い出せなかった頼んだ飲み物だったが、もう一つのグラスがアイスコーヒーだと認識した瞬間、まるで風船が割れて風船の中に隠されたものが分かったようにはっきりと忍の頼んだものを思い出したのだ。

「……なるほどな」

「思い出した? さっきは簡単だったから切欠があれば、すぐに思い出せるタイプの魔眼なの」

 そういいながら、恭也が持ってきたアイスコーヒーに口をつける。

「それで、恭也も私たちのことを知っちゃったから答えて欲しいの」

「何を?」

「………恭也は、私たちのこと怖いと思う?」

 恭也は少し考えたが、それでも忍の問いには首を横に振って答えた。

 確かに最初に言われたときは驚いたかもしれない。しかし、それは当たり前だ。友人が吸血鬼だというのだから。驚かないほうがどうかしている。だが、それだけだ。彼女が恐ろしいとは思わなかったし、ああ、そんなものもいるんだ、程度の認識だった。これが普通なのかどうか分からない。もしかしたら、自分も裏といわれる世界に片足を突っ込んでいたせいなのかもしれない。だが、どんな理由にせよ恭也は忍のことが怖い、恐ろしいと思うことはなかった。

「よかった」

 ほっ、と安堵の息を吐く忍。そういえば、先ほど、恭也に問いかけたとき、忍が瞳が恐怖で揺れていたような気がする。もっとも、彼女が拒絶されるようなことを告白した後なのだから、当然なのかもしれない。

「それで、ここからが本題なんだけど……」

「何だ?」

 昨日のことはすべて聞いた気がする。だが、忍はこれが本題ではないという。一体他になにが残っていただろうか、と恭也が頭をめぐらせ、答えにたどり着く前に忍が先に口を開いた。

「私たちのことを話した相手には、私たちのことを話さないように契約を結んでもらうんだけど―――」

「大丈夫だ。俺は誰にも話さないさ」

 忍が話したことが明らかに秘密に値することは分かっている。翔太のことを聞いたとき、彼女は夜の一族のことを話してくれた。それが自分への信頼から来るものだと分かっている以上、誰にも話すつもりはなく、墓まで持っていくべきだと思う。契約というのは秘密を漏らさないためのものだろう。彼女たちの秘密が決して外部に漏らせない、漏らしてはいけないものだとすると納得できる処置ではある。

 だが、契約の話が出てきた後、忍はなぜか口をもごもごさせて、視線を恭也から逸らして、頬を赤く染めながらようやく決心したように口を開いた。

「契約はね、夜の一族の誰かと関係を結んでもらうことになるの。それで……恭也は私のことどう思ってる? ただの女友達? それとも―――」

 それとも、の後に続く言葉を問いかけるほど恭也は無粋ではないつもりだ。だが、ある種の婉曲的な告白とも言える言葉に恭也は衝撃を覚えていた。確かに忍は恭也にとって数少ない友人ではあるがそれ以上に見たことなどなかった。一緒にいて心地よいとは思うが、友人の延長線上で、異性として綺麗だと思ったことはあるが、それはあくまで恭也の男としての意見で、高町恭也として月村忍を意識したことがあるか? といわれると疑問である。

 言われて見れば、確かに同じクラスになって席が隣になってから一緒に帰ることも、どこかに行くことも多くなったような気がしたが、ちょうどその頃はなのはのこともあり、あまり外に目が行っていなかったこともある。事実、休日に誘われてもなのはの方を優先させていたのだから。

 もし、今、なのはのことがなければ、恭也は答えを出すためにしばらく時間を貰うだろう。自分が月村忍に抱いている想いは友情なのか愛情なのか。だが、今は生憎ながらジュエルシードのことがある。それ以外に目を向ける余裕があるわけでもないし、二つのことを同時にこなせるほど器用でもない。

 そして、それ以外にも彼女の最初の友人である翔太のこともある。今は順調とはいえ、いつ二人の仲がこじれるか分からない以上、彼らを見守っておきたい気持ちも強い。もしかしたら、なのはのために自分ができる何かがあるかもしれないと思うから。

 だから、時間もなくやることもある以上、高町恭也として月村忍に返せる答えはなかった。

「ねえ、何か言ってよ」

 婉曲的な告白とはいえ、何も答えが返ってこないのは不安だったのだろう。忍が瞳を不安に揺らして問いかけてきた。本当なら答えたくはなかった。恭也の答えは「答えがない」という答えで、不誠実にも思えたから。

「すまない。答えは保留でもいいだろうか?」

 それが恭也が忍に返せる精一杯だった。もっと時間があれば、余裕があれば、答えは違ったかもしれない。だが、現時点で返せる答えはそれしかなかった。

「は?」

 忍の目が点になる。当たり前だ。告白したつもりが、答えが保留だというのだから。だが、恭也は忍が伝えたくれた想いを無下にしたくなかった。自分の中にある想いと向き合いたかった。だが、それには時間が足りない。だからこその保留。

「いつまで?」

「……少なくとも今の件に蹴りがつくまで」

 それからなら考えられる。翔太のこともあって、なのはの件も今までよりも緩やかになるだろう。翔太経由で、女友達もできてくれればいいのだが、と思う。だから、それからなら彼女への想いへの答えも返せるだろうと思うから。もしかしたら、嫌われるかもしれない、とも思ったが、忍ははぁ、と呆れたのかため息を吐く。

「はぁ、まあ、今日は振られなかっただけましと思うわ」

「……いいのか?」

「だったら、今すぐ答えを返して、って言ったら返してくれるの?」

 それは無理だった。少なくとも友人だと思うが、忍といると心地いいのも事実なのだ。だからこそ、迷っている。迷うということは別の想いがあるということだ。だからこそ、考えたかった。

「はい、だから、この話はおしまい。後は恭也が答えを返してくれるのを待つだけ」

「すまないな」

 本当にそう思う。そして、恭也の答えに笑って忍は、いいわよ、と言ってくれた。本当に有り難いことだと思う。

「ところで、話は変わるが、昨日の件、きちんとショウくんに謝ったんだろうな?」

「もちろんよ。さくら―――私の叔母がお詫びの品まで送るって言ってたし」

「そうか」

 それだけが気がかりだった。彼も小学生なのだから、きっと無理矢理あんなことをされて、さぞ傷ついたと思うから。謝罪をして、侘びの品まで送っているなら、彼なら大丈夫だろうと恭也は思った。

「さあ、後一時間ぐらいあるし、歌いましょう」

「……俺は、歌なんて知らないぞ」

 恭也の抗議にも関わらず、忍は結局、恭也と一緒に残りの一時間をカラオケボックスで過ごした。


 ―――次の日、件の侘びの品がレバーだと知って、さすがに絶句し、それは拙いだろう、と思った恭也は忍に翠屋のシュークリームとケーキを持っていかせるのだった。



 
 

 
後書き
 アルフ、プレシア、なのはは次回で。 
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