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無印編
第十二話 裏 (なのは、恭也、アリサ)
高町なのはの朝は非常に早い。短針が4を、長身が30示す時間に携帯のアラームが鳴り、それで目が覚める。まだ、太陽も昇っていないような時間。辺りは真っ暗だ。しかしながら、なのはは、眠りたいという欲求を自らの意思で振るい払い、起き上がり、私服に着替える。制服に着替えるには早すぎる時間だからだ。
―――Good morning my master.
机の上においた出会って一週間足らずの愛機が、朝の挨拶をしてくれる。それになのはは眠い目をこすりながらも、おはようと返した。
私服に着替えたなのはは、机の上のレイジングハートを首からかけると朝の冷気でまだ冷たい板張りの階段を降りていく。一階に降りてきたなのはが外を見てもまだ日の出には程遠い時間帯。夜と言っても差し支えのない暗さの中、なのはは躊躇することなく、靴を履くと中庭へと向かった。
「今日もよろしくね、レイジングハート」
―――All right.My master.
レイジングハートの内部に保存されている魔法練習用カリキュラムに則り、なのはは魔法の練習を行う。
現状、この早朝の魔法練習で実際に習得した魔法は、四つである。
プロテクション、バインド、ディバインシューター、ディバインバスターだ。なのはの基本戦略は近づくことなく遠距離攻撃のみで勝つというものだ。
この戦略は、なのはとレイジングハートが考えたものだ。レイジングハートはなのはに砲撃魔法に関する適正を認めたからだし、なのはは翔太を護りながら暴走体と戦うならば、近接戦闘よりも遠距離からのほうが都合が良いからである。
両者の思惑は少し違っていたが、それでも方向性は同じだったため、なのははレイジングハートが示すカリキュラムどおりに訓練を進めている。
中庭での魔法の訓練で二時間ばかり費やした後は、シャワーを浴び、制服に着替えて朝ごはんを家族全員が集まって食べる。最初は、滅多に朝食に現れないなのはが急に朝食の場に姿を現すようになって驚いた士郎、桃子、恭也、美由希だったが、一週間もすれば、慣れるもので、最初は会話が少なかった食卓が今ではそれなりに賑やかな場になっていた。
もっとも、なのはが饒舌に喋ることはなかったが、今まで朝食になのはの姿はなく、会話すらなかったことを考えれば、進歩したといえるかもしれない。特に学校関係のことは気を遣って聞きづらく、もっぱらなのはとの会話は魔法関係になることが多かった。
さて、この間、実はなのはにはレイジングハートによって強い魔力的な負荷がかけられている。要するに魔力的な要素を強化する魔導師養成ギプスのようなものだ。レイジングハートの持ち主であるユーノが知っている並の魔導師であれば、ろくに動けないものをなのはは三日程度で「もう慣れた」とばかりに特に気にすることもなくなっている。
基本的になのはが動くとき―――通学時、体育の時間―――などはこの状態だ。
朝食を食べ終えたなのはは、母親からその日のお昼のお弁当を受け取る。だが、いつもなら笑顔でお弁当を渡してくれる母親の桃子が少し怪訝な顔をしていた。
「あら? なのは、少し顔色が悪いんじゃない?」
「そうかな?」
実のところをいえば、なのはは少し無理をしている。頭が回らないような気がするし、足元がおぼつかないのも確かだ。だが、もしも、ここでそれがばれてしまえば、桃子は学校に行くことを許さないだろう。ならば、絶対にばれるわけには行かなかった。
学校は、なのはが翔太に出会える唯一の場所だ。もしも、学校にいかなければ、ジュエルシード探しもなくなり、暴走体に出会う可能性もなくなり、魔法も使えなくなってしまう。それだけは絶対嫌だった。
だから、なのはは長年鍛えた演技で桃子や家族を欺く。
「私は、大丈夫だよ」
笑顔で言い切るなのは。なのはにとって幸いなことに幼年期の殆どをいい子であろうとするがために鍛えられた演技力は、なのはを決して裏切らない。桃子は、そう? と怪訝そうにしながらもなのはの言い分に納得したようになのはにお弁当を渡す。
桃子からお弁当を受け取り、その足で玄関へと駆け出し、いってきます、という言葉と共に家を出た。
学校に着いたなのはは、自分の席に着くとすぐにレイジングハートが示すカリキュラムを消化する。
むろん、学校の教室のど真ん中で魔力を漏らしながら実際に魔法を使うわけではない。魔法で戦闘を行うためには必須項目ともいえるマルチタスクの練習だ。
マルチタスクとは、言葉の通り、二つのことを同時に脳内で処理することだ。つまり、音楽を聴きながら勉強するといったようなことだ。通常の人間なら効率が悪いことになるだろうが、魔導師ともなれば、攻撃しながら次の攻撃。防御しながら回避などマルチタスクを多用する。
今、なのはは教師の授業をうけながら、レイジングハートが送信する仮想戦闘で魔法の訓練を続けている。レイジングハートが行う仮想戦闘は、魔法を覚えたてのなのはでもクリアできるように簡単なものからレベルアップしている。
しかし、翔太が以前感じたようになのはは魔法に関しては天才だ。一を聞いて十を知る天才が、千を知るために千の努力をしたとすれば、万の実力がつくことになる。現状のなのははまさしくそれだ。しかし、いくら人間っぽい返事を返そうが、機械であるレイジングハートにそれを伝える義務もないし、比べる対象もいないなのはにしてみれば、万の実力がついているかどうかもわからない。彼女たちは、己がどれほどの高みに登っているか分からず、強くなる努力を続けていた。
さて、学校が終われば、ようやくなのはが待ち焦がれた時間だ。つまり、翔太とのジュエルシード探し。もっとも、なのはの兄である恭也や姉である美由希やフェレットのユーノがついてくるが、なのはにはあまり関係ないらしい。自分を友達と言ってくれた翔太と一緒にいられるこの時間がなのはにとって至福のときだった。
その翔太であるが、彼は一年生のときから変わらず人気者だ。なのはが一緒に歩いていると必ずなのはの知らない誰かが、翔太に声をかけてくる。その内容は、放課後、一緒に遊ぼうという誘いだったり、授業で分からないところを聞いたりすることだったが、それらをすべて断わり、なのはと一緒にジュエルシードを探すことを選択してくれた。
それがなのはにとって、一年生の頃は、なのはにとって理想だった翔太を独り占めできているようで、なのはは優越感を感じていた。
ジュエルシード探しは基本的に日が沈んだ後も少し続けられる。大体、七時から八時までだろうか。後は、翔太の家の前まで恭也たちが送って―――高町家へ翔太の両親が来たときに取り決められた約束の一つ―――そこで、また明日、と別れる。やっていることはジュエルシードの捜索というありえないことだが、普通の友達とのやり取りのようで嬉しかった。
帰宅したなのはは、晩御飯を食べてお風呂に入り、また中庭で魔法の練習だ。しかし、それは、大体10時程度で切り上げ、後は部屋に戻って、魔力を高めるために自らの魔力を纏わりつかせる瞑想を行い、短針と長針が数字の12で重なる時間に眠りにつく。
これが、神社での戦いで恭也たちより強くなればいい、という結論を出した高町なのはの一日だった。
◇ ◇ ◇
――――早く終われ、早く終われ。
なのはは、まるで念仏のように早く終われと教卓の横に立つ担任を半ば睨みつけながら繰り返していた。前までは、ショートホームルームをいかに長時間やっていようが、気にならなかったが、ここ一週間ばかりは、無駄に長いこの時間をなのはは嫌っていた。
このホームルームのおかげでいつも翔太を待たせてしまう。それがなのはには忍びなかった。だから、終わった直後、それを待っていました、といわんばかりに鞄を背負い、ロケットのように飛び出していく。担任の先生の後に続いて教室を飛び出したなのはは、廊下を挟んだ向こう側に立っていた翔太を目にして息切れしそうなほどに急いで駆け寄った。
「ショウくんっ! ごめん、待った?」
「いや、ついさっき終わったところだから大丈夫だよ」
なのははそれが嘘だということを知っている。隣の第一学級のホームルームが終わるのは非常に早い。今日も十分ほど前に隣のクラスから駆け出していく生徒を見た。だから、翔太が待っていた時間は少なくとも十分以上であることは明白なのだ。だが、それをあえて指摘したりはしない。それが翔太の優しさだとなのはは理解しているから。
「それじゃ、いこうか」
いつものように笑いながら言う翔太にうんと答えると二人は並んで歩き出した。
なのはは、恭也と合流するまでのこのちょっとした時間が好きだった。翔太と二人だから。誰にも邪魔されず、友達と二人だけで話す時間が持てることが素直に嬉しかった。もっとも、なのはがきちんと受け答えするにはまだ翔太が相手といえども時間がかかってしまうことが多かったが、翔太はなのはの答えを嫌な顔一つせず待ってくれるので、最近は前よりも短い時間で答えることができるようになっていた。
だが、そのなのはが好きな時間を楽しむ余裕は今日のところはなかった。お昼を過ぎた頃からだろうか、なのはの視界が安定しないのだ。グルグル回っているような気がするし、こうして歩いている間にも一歩一歩を確認しながら歩かなければ、左右に揺れていたことだろう。
これがばれるとこの時間がなくなることを本能的に悟っていたなのはは、翔太にばれないようにいつもどおりを装っていた。だが、装うということは、演じるということだ。マルチタスクを練習しているなのはといえども、体調が最悪なときにいつもの実力を発揮できるわけがない。
結果として、なのはの努力もむなしく、翔太になのはの演技はばれてしまっていた。
「なのはちゃん、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫」
気丈にもなんでもないう風を装って、拳を握って胸の前で上下させるが、翔太の不安そうな顔を拭うまでの効果はなかった。
そして、翔太は少し考えたような表情をした後、なのはが考えうる上で最悪の提案をしてきた。
「―――今日はお休みにしようか?」
それは、この時間を失うということだ。このなのはが一番好きなこの時間を。それだけは嫌だった。毎日、なんの楽しみもなく、屍のように生きてきたなのはがようやく手に入れた時間。それを与えてくれた人から、いとも簡単に投げかけられた言葉。それは、まるで翔太がなのはのこの一番好きな時間を軽く扱っているようで、ひどくショックを受けた。だから、そんな翔太の言葉を否定したくて、なのはは思わず声を上げる。
「ダ、ダメだよっ!! ショウくん、どうして―――」
どうして、そんなことを言うの!? という言葉は最後まで言うことができなかった。ダメだよっ! と大声で叫んだのがまずかったのかもしれない。あるいは、翔太にこの時間を軽く扱われたことがショックが大きかったのかもしれない。溜まりに溜まった疲労がこの場面でピークを迎えたのかもしれない。
様々な要因が考えられるものの、高町なのはは、翔太に対して最後まで言いきることなく、意識を暗闇の中へと沈めてしまった。
◇ ◇ ◇
「う、ううん……」
なのはが気を取り戻したのは、倒れてから数時間後のことだった。彼女の視界に最初に入ってきたのは、知らない真っ白な天井だった。
「なのはちゃん、大丈夫?」
声のした方向に少しだけ首を傾けてみると、彼女がよく知る彼女を唯一友人と言ってくれる蔵元翔太の心配そうな顔があった。その顔を見た瞬間、霧のようにもやがかかっていた意識が一瞬でクリアになる。
翔太が今日は休みにしようか、といったことを思い出し、それを問いただそうと、上体を起こしたが、不意にまた眩暈が訪れ、上体を起こした瞬間にまた重力に身を任せてベットに身を沈める結果となってしまった。
「なのはちゃん、ダメだよ。貧血で倒れたんだから、急に起き上がったりしちゃ。もう少しで恭也さんが来るから、ちゃんと病院に行くといいよ」
「そんなことより……ジュエルシードは?」
心配そうな顔をして言ってくれる翔太だったが、それよりもなのはが気になっていることがあった。つまり、今日のジュエルシード捜索のことだ。なのはにとって翔太に魔法が使えるところをアピールできる唯一の行動だ。それが休みになることは、すなわち、機会を一度損失することに他ならない。だから、聞いたのだが、翔太はその問いに少し怒ったような表情をした。一年生のときでさえ、滅多に見たことがない翔太の珍しい表情だった。
その表情を見たが故になのはは何も言えなくなる。
なのはが何よりも恐れていることは翔太から嫌われることだ。いや、翔太に限らず不特定多数だが、翔太の場合は、特にという枕詞をつけるべきだろう。だから、そんな風に滅多に見せない怒った表情を見せた翔太になのはは何もいえなくなる。いや、頭の中では先ほどの言葉をいかにして弁解しようか魔法で鍛えたマルチタスクでいくつも同時に必死に考えている。
もし、ここで翔太がなのはに前のような笑みを向ける条件を出したのならば、なのはは一も二もなく飛びついただろう。
さらに、翔太の問いに答えないのは、直感で、正直に理由を言えば怒られるとわかっていたから。呆れられると分かっていたから。だが、何も言わないのも状況が悪くなると分かっている。だからこそ、なのはの頭の中では同時に十数の思考が流れていた。
だが、翔太はなのはが答えないのをみて、今度は別のものへと話しかけていた。
「レイジングハート、原因に見当は?」
―――レイジングハート言わないでっ!!
―――Maybe magic practice.
なのはが信じていた愛機は、なのはの願いもむなしく、あっさりと主を裏切って、翔太の問いに答えていた。
その答えを聞いて、翔太がはぁ、とため息を漏らす。
―――どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう。
なのはの頭の中は混乱の極みにあった。なのはの言葉が、翔太の癪にさわり、怒らせ、さらに倒れた原因を知られて呆れられた。その事実がなのはを混乱へと誘っていた。
このままでは、翔太に、もういいよ、といわれてしまうかもしれない。その不安は、なのはの中で最大の恐怖だ。だからこそ、なのはは必死に考える。この状況を打破するための行動を。だが、そう簡単に脱出できるのなら、苦労などしない。
―――でも、それでも考えないと、考えないと、ショウくんに……。
「なのはちゃん」
そんな風に混乱の極みにあるなのはに翔太が呼びかける。
―――もしかして、許してくれるのかな?
そんな淡い期待を抱いてなのはは被っていた布団から、半分だけ顔を出す。なのはが見たのは翔太がいつも浮かべる優しい笑み。だからこそ、その期待が本当になるんじゃないか、と希望を抱いた。
「ちょっと見てて」
だが、その希望は、それ以上の絶望で塗りつぶされることになる。
ぞくっ、と背筋に走る悪寒。それがなのは本来のものだったのか、あるいは魔導師としてのものなのかは分からない。だが、その悪寒を感じた瞬間、なのははとても嫌な予感がした。できれば外れて欲しいと思うほどの大きな嫌な予感。だが、得てしてそういう嫌な予感は当たってしまう。今回も、なのはの嫌な予感は見事的中した。
翔太が掲げた手に浮かぶ白い光を放つ球体。
魔法に関して言えば、翔太の数十倍は先に進んでいるなのはは、言われずともその正体に気づいていた。
それの正体は、魔法だった。
―――あ、あ、あ、あ、ああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁ。
あまりの衝撃に声を出すことはできなかったが、胸の内でなのはは叫んでいた。
目の前の現実が信じられなくて。その現実を作っているのが翔太であることが信じられなくて。
―――嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だうそだうそだうそだ。そう、うそだよ。わたしはまだゆめのなかにいるんだ。
現実が信じられなくて、目の前で起きていることが信じられなくて、信じたくなくて、なのはは現実を否定していた。
当たり前だ。なのはが翔太と一緒にいられる理由はただ一つ。翔太が使えない魔法をなのはが使えるというただ一点なのだから。そのおかげでなのははあの翔太に賛美の声ももらえるし、あの温かい笑顔も向けられる。もしも、あの蔵元翔太が魔法を使えるようになれば、なのはなど必要なくなり、あの賛美の声も、温かい笑顔もすべてもらえなくなる。一度、あの甘美な感覚を体験をしてしまったからこそ、それを手放すことはなのはにとって考えられないほどの絶望だった。だからこそ、一層目の前の現実を否定したかった。
だが、なのはの視覚から入ってくる情報が、なのはの魔導師としての資質が、すべてが目の前のリアルを現実だと告げている。
―――どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして?
「ど、どうして? どうしてショウくんが魔法を使えるの!?」
胸の内の疑問は、知らず知らずのうちに声になっていた。いつも、嫌われることを恐れて思ったことを声に出さないなのはにしては珍しい、否、初めてのことだった。そのことに気づかないほどになのはは切羽詰っていた。
だが、そんななのはの感情を知ってか、知らずか翔太は、身体を乗り出してまで問い詰めるなのはに少し驚きながらも平然と答える。
「どうしてって……ユーノくんに習って練習したからかな? 僕にも魔力はあったから」
―――そんなはずない。
それがなのはの正直な感想だった。
「で、でも、あの時、『僕にはできないから』って」
そう、あの時確かに翔太は言ったのだ。自分にはできない。なのはにしかできないから助けてくれ、と。もしも、あのフェレットに教えてもらえるだけで魔法が使えるのならば、自分など必要なかったはずだ。
これは、なのはのくもの糸のような細い希望だった。仮に、これで翔太が、「いや、使えるようになったんだよ」などと答えたなら、なのはは一生、心に残る傷を負うことになっていただろう。せっかく手に入れたと思っていたものも、しょせん、翔太によって簡単に追いつかれるもので、結局自分には何もなかった、と強く認識してしまうものになっていただろから。一度、手に入れてしまったからこそ、その絶望は深い。
だが、ギリギリのところで、なのはの希望の糸は繋がっていた。
「うん、僕にはできないよ。ただ、魔法が使えるだけ。ジュエルシードの封印ができるのはなのはちゃんだけだよ。僕ができるのはお手伝いだけ」
よかった、となのはは心の中で安堵の息を吐いた。本当なら翔太の言葉だからと無条件に信じるのは拙い話である。もしも、これが翔太の嘘であれば、なのはの希望はすべて潰えるのだから。だからこそ、なのははしっかり確認するべきなのだ。
だが、あえて翔太に問いただすことはしなかった。否定されることが怖かったから。ジュエルシードを封印することが、翔太には無理だというこの答えを信じたかったから。だから、あえてなのはは翔太の言葉を確認しなかった。
だが、今よりももっと強くなるとさらに決意を新たにした。無理だと言いながらも翔太なら、という考えがなのはにあったから。ならば、翔太でさえも追いつかないほどに強くなるしかない。翔太が魔法を覚えようと思わないほどに。
だが、次の翔太の言葉が、なのはに思いもよらない喜びをもたらす。
「だからさ、もう少ししたら僕もなのはちゃんと一緒にジュエルシードの封印ができると思うから」
「ショウくんと一緒に……」
それは今まで考えたこともないことだった。ずっと一人だったから。誰かと一緒に何かをした記憶はない。だが、もしも、もしも、翔太と何かを一緒にできたのなら、それはもしかすると喜びを共有することになるのだろうか。翔太と共有する何かを持つことができるというのだろうか。
翔太と共有する何かという言葉は、なのはにとって賛美の言葉を貰うことと同等程度の甘美な言葉だった。
「そう。だから、こんなに倒れるまで頑張らなくてもいいんだよ」
翔太は笑顔で、そっとなのはの肩を押して、ベットに寝かせる。横になった瞬間、短時間での驚愕と絶望と希望が入り混じることが多かったせいか、眠気が一気に襲ってきた。
「さあ、もう少ししたら恭也さんが来てくれると思うから、それまでお休み。僕もずっと隣にいるから」
―――ずっと隣に。うん、私はもっと魔法頑張るから。だから、ずっとわたしのとなりに……。
もしも、それが叶うとすれば、どれだけの幸いをなのはに与えてくれるのだろう。
そんなことを考えながら、またなのはは暗闇の中へと意識を落とした。
◇ ◇ ◇
高町恭也にとって蔵元翔太という少年は実に奇々怪々な存在だった。
初めて言葉を交わしたのは、ジュエルシードという魔法の存在に彼の妹であるなのはが初めて触れた晩のことだ。小学生しからぬ言葉遣いをする少年に実に面食らったものだ。ジュエルシードという魔法の産物を探す行動に同行する今となっては、さらに翔太の行動を見ることや言葉を交わす言葉を聞いて、時々、小学生ではなく自分と同年代じゃないか、と思うことさえある。
両親の話によると、あのなのはが不登校だったときに友達がいないという重要なことを教えてくれたのも彼だという。なるほど、普通の小学生なら無理だが、彼なら納得だ、と思ってしまう。
行動にしても、なのはが歩道をあるいていると必ず翔太が車道側を歩くし、歩道橋を歩くときは一段下にいる。小学生としては考えられない行動だった。もっとも、恭也からしてみれば、なのはに害があるわけではないので、放置している。
しかしながら、恭也の中で翔太が奇々怪々な存在であることは変わらない。理解できるとも思わないが。
だが、そんな奇々怪々である翔太であるが、一つだけどうしてもはっきりさせたいことがあった。
「なあ、翔太くん」
「なんですか? 恭也さん」
なのはが倒れたと聞いて、急いで学校に駆けつけたとき、保健室にいた少年―――翔太と一緒になのはをつれて行き、すっかり日が暮れてしまったので、なのはを背負って、翔太を送っている帰り道、無言だった二人の間の静寂を破るように恭也が口を開いた。
それは、恭也にとって、いや、高町家にとって一番聞きたいことだった。今までは聞く機会がなかったが、なのはは恭也の背中で寝ているし、自分と翔太の二人しかいない絶好の機会だった。だからこそ、今日は問う。
「君は、なのはの何だ?」
蔵元翔太という少年の位置づけが高町家には分からなかった。正直言えば、なのはを魔法というファンタジーの世界に誘った張本人でしかないのだが、最近の話の中で翔太に関する会話についてのみなのはが饒舌になるのだ。
これは、もしかして―――という期待が高町家の中に生まれるのも変な話ではなかった。
「友達ですよ」
何でそんなこと聞くんですか? といわんばかりに怪訝な顔をして即答する翔太。
それは、恭也が、高町家の全員が望んだ答えだった。なのはに友人が。それを求めて一年間何かと行動してきたのだ。だから、こうして実際になのはの友人だという少年を前にすると感動もひとしおだった。
恭也は滅多に浮かべない柔和な笑みを浮かべて、少年とも同年代とも思ってしまう翔太に言う。
「そうか。これからも、なのはをよろしくしてやってくれ」
―――父さん、母さん、なのはに友達ができたようだ。
一刻も早くこの事実を家族に伝えたい恭也だった。
◇ ◇ ◇
アリサ・バニングスにとって蔵元翔太はたった二人しかいない親友の一人だった。
ぴっ、と携帯の通話を切るボタンを押して、携帯を放り投げるとアリサは、ばふんとベットに向かって仰向けに寝転がった。天井に向けられた顔に浮かんでいるのは、満足げな表情だった。電話がかかってくる前まで、電話をかけてきた翔太に、翔太をつれまわす見知らぬ女の子にむかついていた気分が嘘のようだ。
先ほどまでの通話の相手は、アリサの親友の一人である蔵元翔太だ。何でも明日、サッカーの試合があるから見に行かないか、という誘いの電話だった。サッカーを見ることは、彼女の父親の影響もあって、好きなのだが、最近の翔太の行動を思うとそう簡単に頷くこともできず、翔太にシュークリームと最近の事情を聞くことを条件に頷いた。
―――ショウがいけないんだから。
アリサにとって翔太は、たった二人しかいない親友の一人だ。だからこそ、最近の自分たちよりも誰か―――聞いた話によると高町なのはという女の子を優先させている最近の行動が許せなかった。聞いても、何をやっているかはぐらかすし、塾に一緒に行こうと思えば、やはり、高町なのはという女の子を優先させる。何より許しがたいのは、週に二回程度の割合で開いているアリサとの英会話も休んだことだ。やはり、高町なのはを優先させて。
むろん、アリサとて、すべて親友である自分たちを優先させろとは言わない。だが、事情も一切話さずただぽっと出てきた女の子を優先させるのは何かが違うと思う。
誰かに話せない内容だとしても、自分たちには話してくれればいいのに、と思う。そうすれば、アリサも最大限力になるというのに。翔太は、たった二人しかいない心許せる親友なのだから。
アリサ・バニングスに友人は少ない。彼女に何か問題があるわけではない。多少、負けん気が強いもののクラスを引っ張っていけるリーダーの気質であるといえるので、むしろ人気者になるだろう。
だが、ただ彼女の容姿が彼女の友人が少ない原因となっていた。彼女の父親である米国の血を引いた艶やかな金髪。大人であれば、綺麗な髪だと褒め称えるだろう。だが、子供の世界にあって、その金髪はあまりに異質だった。
足が遅い、頭が悪い、線が細い、なんとなく。そんな理由でいじめに繋がる子供の世界だ。周りが全員、黒髪という日本において、金髪という明らかな異質をして、子供たちは受け入れることなどできなかった。
アリサも小学校に入る前は、よく金髪ということでからかわれたものだ。そのたび、彼女の母親は、アリサにそんな奴らに負けるな、と教育してきたのだから、アリサの負けん気はそこで形成されたのかもしれない。そんな要因で、アリサには友人が少なかった。また、負けん気も悪いところで顔を出してさらに友人ができなかった。
しかし、もう一人の親友である月村すずかと親友になれたのは、蔵元翔太のおかげだ。彼があそこで止めなければ、おそらく、自分は一人で寂しい小学校生活を送っていただろう。
なお、二人ともアリサの金髪については、綺麗だね、の一言で済ませてくれた。同年代の友達から自慢の金髪を褒められることはなかったので、嬉しかったことを覚えている。もっとも、変な事を言ったのならば、アリサと親友などやっていないだろうが。
アリサとしては、だからこそ自分の異質さを受け入れてくれた親友の二人には、何でも話して欲しいと思っていた。自分が力になれるのだから。翔太に対してその願いは、明日叶いそうである。
「あ、そうだ」
パタパタとベットから降りたアリサは自分のクローゼットへ駆け寄り、クローゼットを開いて、中身を見る。クローゼットの中は色とりどりの可愛い私服で占められていた。明らかに普段着用ではない。アリサは、この中から明日の洋服を選ぶつもりだ。
―――アリサ、その翔太って子ちゃんとキープしておくのよ。
不意に翔太のことを話していたときの母親の言葉を思い出したからだ。キープというのはよく理解できなかったが、そのキープするという方法の中に翔太と会うときは可愛い洋服を着るように、と言っていたような気がするので、こうしてアリサは明日のための洋服を選んでいるのだ。
「さ~て、どれにしようかしら?」
久しぶりに親友と遊べる明日を想像して楽しい気分になりながら、アリサは明日の洋服を選ぶのだった。
後書き
高町家、ついになのはに友人ができたことに大喜び。
アリサにとってなのはは、翔太をつれまわす女の子。
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