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無印編
第十一話 裏 (なのは)
ピピピピとカーテンから差し込む朝日を浴びた携帯電話が震えながらアラームを鳴らす。
その音に反応して、携帯電話が置かれた枕元に布団の中から手が伸びてきて、ピンク色の携帯電話を掴み、布団の中へと持っていってしまった。その直後、布団がばさぁっと舞い上がる。布団の中から出てきたのは、栗色の髪を肩より少し下まで流した小学校中学年程度の女の子。この部屋の主である高町なのはだった。
彼女は、身体を起こすと急ぐようにベットから飛び降り、ばたばたと着替え始める。掛けてあった制服に袖を通し、下ろしていた髪をリボンで変則的なツインテールにする。それが終わると、顔を洗うためにパタパタパタと駆けながら、部屋のドアを開け、階段をタンタンタンと下りていく。階段を降りきり、リビングに顔を出すとなのはの母親である桃子が朝食を作っており、なのはの鼻をくすぐった。
「あら、なのは、今日は早いわね」
「うん」
桃子の少し驚いたような声を軽く受け流し、なのはは洗面所へと駆け込んだ。
桃子が驚くのも無理はない。なのはが起きるのはいつも学校に間に合うぎりぎりの時間。むしろ、自発的に起きてきたことが珍しい。いつもは、美由希か恭也が起こすまで起きないのだから。
顔を洗ったなのはが洗面所から出てきて、リビングにあるテーブルに座る。彼女が一人で座るのはいつものことだが、目の前に熱々のソーセージと目玉焼きが並ぶのは初めてだ。
「どうしたの? 今日は何かあるの?」
「ちょっと」
桃子が何かを探るように声を掛けるが空振り。そんなことは知ったことか、といわんばかりになのはは、お皿に盛り付けられた目玉焼きやソーセージをいただきますと手を合わせた後にいつもより明らかにハイペースで口の中に詰め込む。
はぐはぐはぐという擬音をつけたほうがいいのだろうか。いつものなのははこんなに能動的ではない。のろのろと口に運び、時間ギリギリになって手を合わせるのだが、今日は、一秒も無駄にはできないと言わんばかりに急いでいる。
桃子が呆然としている間にあっという間になのはの朝食が盛られた皿は空っぽになってしまった。
「ごちそうさま」
丁寧に手を合わせてお辞儀をしてなのはは、席を離れてパタパタパタと二階に駆け上がると、すぐさま降りてきて玄関に走り、用意していたお弁当を鞄に入れると、いってきます、という言葉と共に外に飛び出した。
「……いったい何があったのかしら?」
昨日とは違いすぎるなのはに呆然と疑問の声を漏らすしかない桃子だった。
◇ ◇ ◇
朝食を急いで食べたなのはは近くの停留所で聖祥大学付属小学校が動かしているバスに乗り込むと友達と仲良く話している聖祥大付属小の生徒を無視して一人座席に座る。いつもなら、周りの生徒を目に入れたくなくて俯いて、半分夢の中に逃げ込んでいたなのはだったが、今日は、まっすぐ前を見ていた。なぜなら、今日のなのはには希望があるからだ。
―――また明日。
昨夜の去り際の蔵元翔太との単なる口約束。だが、それでも、蔵元翔太が口約束とはいえ、約束を違えるとは到底なのはは思えなかった。だからこその希望。
ただ、翔太は、時間の指定をしていなかった。朝か、昼か、夕方か。それはなのはには分からない。だが、もしも万が一、翔太が朝のつもりだったら、なのははいつもなら遅刻ギリギリにいくものだから、翔太に会えないかもしれない。
いや、会えないだけならまだしも、なのはが一番恐れることは、翔太にそれで呆れられることだ。約束も守れない高町なのはだと翔太に認識されることだ。
だから、今日は今まで一度も使っていなかった携帯電話のアラームも使って起きた。本当なら朝は苦手なのに頑張って起きたのだ。
やがて、バスはなのはを聖祥大付属小学校へと運ぶ。
バスから降りたなのはは教室へと一人向かう。まだ、比較的朝が早いためか周りにクラスメイトの姿は見えなかった。それは、なのはがいる教室も同じで、なのはが来るいつも時間なら殆どの人間が来ているはずだが、今日は数人しか来ていなかった。しかも、彼らはよっぽど真面目なのだろう。机の上に教科書とノートを広げてカリカリカリと今日の予習をしていた。もしかしたら、宿題かもしれないが、それはなのはの知る由でもない。
いつもより、一時間ほど早く教室にたどり着いたなのはは、とりあえず、教室の中に翔太の姿が見えなくてほっとした。どうやら、まだ来ていないようだった。もっとも、なのはよりも早く来た可能性もあるのだが、一生懸命思い出した一年生の頃の記憶を掘り出してみれば、翔太がくる時間帯は、だいたい始まる三十分ぐらい前だったはずだから、可能性は低いだろうと、なのはは考えていた。
さて、後は翔太が来るまで何をするか、だが、幸いにして自分ひとりだけで時間を潰す方法に関していえば、よく知っていると自負している。鞄からつい最近まで読みかけだった文庫本を取り出して、挟んでいた栞が示すページから読み始める。だが、内容はさほど頭に入ってこない。読んでいたとしても気づけば、一行飛ばして読んでいたりして、いつもよりも明らかにペースが遅くなっていた。
いや、原因は分かっている。要するになのはは気になって仕方ないのだ。いつ、翔太が来るのか。今までなのはがこのように誰かを待つというのは初体験だ。また、明日といわれて待つ時間。それはまるで友達のようで、なのはにとってはその待つ時間も楽しいものだった。いつ、来るのだろう? と思いながらなのはは、ただ待っていた。
しかし、なのはの期待を余所にいつまで経っても翔太が表れることはなかった。
そうこうしている内に朝の始業のチャイムが鳴り響く。どうやら、朝の時間では翔太が来ることはなかったようだ。
しかし、今日という日は始まったばかりだ。そう、自分を慰めて、なのはは、翔太を待つことにした。
一時間目の休み時間―――来ない。
二時間目の休み時間―――来ない。
三時間目の休み時間―――来ない。
最初のうちは気丈にきっと次の時間こそは、もう少ししたら、と思っていたなのはだったが、だんだんと不安になってきた。もしかしたら、翔太が来ないんじゃないか、という不安がこみ上げてきたのだ。
しかし、その思いをすぐになのはは否定する。なぜなら、彼はあの蔵元翔太だ。なのはにとっての理想を体現した人だ。ならば、約束を違えるなんてことは絶対にしない。だから、なのはは次の時間はきっと、と待ち続ける。
だが、四時間目の休み時間も彼の姿がなのはの教室に現れることはなかった。
さすがにここまで来ないと、もしかして来ないんじゃないかと不安に駆られる。しかし、ならば、なぜ? という疑問が浮かび上がる。
一つの可能性としては、翔太が約束を忘れていることだが、それはありえないとなのはは断言する。憧れていたから、理想の体現だったから、一年生の頃、なのはは翔太を観察していたといっても過言ではない。そんな中、彼が約束を破るということはなかった。
もう一つの可能性としては、昨日の約束を翔太が約束と認識してない可能性だ。
―――また、明日。
なのはが思い描いた妄想の中には友人との別れ際に告げる言葉の一つではあった。なのはにとっては初めて言われた言葉で、約束と思ったのだが、それは翔太からしてみれば、日頃ありふれた言葉で、例えば、友人ではないなのはにも言うほど軽い言葉―――社交辞令に近い言葉だとしたら。
その考えに至った瞬間、ぞくっ、とした悪寒になのはは襲われた。それは考えてはいけないことだった。
昨日からなのはは帰り際のその言葉に有頂天になっていたのだ。気分が高揚していつもはかけない目覚ましまでセットして、一時間も早く登校して、昨日の一言を楽しみにしていたのに。それが、実はただの勘違いだとしたら。なのははどれだけ滑稽なのだろう。
―――嫌だ、嫌だ、嫌だ。そんなはずない、蔵元くんはきっと来てくれる。
その考えを頭から消すように左右に振る。
だが、時間は無常に流れていき、気づけば、帰りのショートホームルームさえ終わりかけていた。
早く終わって欲しいとなのはは思っていた。早く終われば、隣のクラスに翔太の様子を見に行くことが可能だから。だが、生憎ながら、このクラスの担任は話が長いことで有名だった。だから、第二学級のクラスの帰りのショートホームルームが終わるのはいつも最後だ。
そして、ショートホームルームの最中、隣からワイワイガヤガヤと何かから開放されたような声が聞こえた。
隣のクラスのショートホームルームが終わったのだ。隣のクラスが下足場に向かうためには必然的に第二学級の前の廊下を通らなければならない。だから、ばたばたと下足場へと向かう生徒がいる中で、幾人かは足を止め、第二学級が終わるのを待っている。おそらく、第二学級の友人を待っているのだろう。
こっそりと、廊下を見るなのは。もしも、その中に翔太がいれば、なのはは、安心できただろう。なぜなら、二年生になってから翔太が隣のクラスに顔を出すことなど滅多になかったのだから。つまり、彼が待っているということは、明確な用事があることに他ならない。まだ、昨日の約束を信じているなのはにとってはそれが最後の希望と言っても過言ではなかった。だが、だがしかし、その希望は脆くも無残に砕け散った。
廊下で待ち合わせているであろう面々の中に翔太の姿はなかったからだ。
しかも、第一学級の生徒たちは、全員もう教室から出て行ってしまったのだろう。つまり、翔太はなのはのことなど一切気に留めることなく帰宅したということだった。
その事実がなのはを打ちのめす。ああ、そうだ。信じた自分が滑稽だったのだ。
―――また、明日。
それはありふれた言葉。しかし、初めての言葉。舞い上がり、忘れていた。自分がすべてを諦めてしまっていたことを。しかし、昨夜、魔法という蔵元翔太でさえも適わない力を手に入れてしまったことも起因しているのだろう。彼から繋がれた手が、暖かい言葉がなのはに夢を見せていたにすぎないのだ。
魔法という力を手に入れようとも、蔵元翔太にとって高町なのははそこら辺の他人と変わらないのだろう。
結局、期待した自分がバカで滑稽だったのだ。
そう、そう思っていたからこそ、また、一年前と同じくせっかく手に入れた魔法も忘れて、すべてを諦めて同じように生きる屍のように過ごそうと思っていたからこそ、帰り際に背後から肩に手を置かれ、名前を呼ばれたときは、「ひゃいっ!?」なんて情けない声を出してしまった。もっとも、学校で帰り際で名前を呼ばれることなどなかったので、すっかり気を抜いてしまっていたことも少なからず原因ではあるが。
そして、振り返って、そこにいたのが、翔太であると確認したとき、思わず泣いてしまいそうになった。
彼が、社交辞令で「また、明日」と告げたわけではないと分かったから。確かな約束でなのはに告げてくれたことを知ったから。そして、そんな彼を疑ってしまった自分が情けなかったから。
その後は、泣きそうな顔を見られてしまったが、なんとか持ち前の演技力で誤魔化すことができた。
すぐ泣いてしまうような情けない女の子と見られたくなかったから。それは、せめて蔵元翔太の前では、良い子でありたいというなのはのせめてもの抵抗だった。
◇ ◇ ◇
初めての経験だった。いや、誰かとお弁当を食べることではない。少なくとも一年生の頃はなのはも誰かとお弁当を食べるようなことはあったのだから。二年生になってからは、あまり記憶がない。教室内にいても、みんなが仲良くお弁当を食べている姿が、目に入るのが嫌で、抜け出していたから。初めてだったのは、こうして会話しながら、お昼を食べるという光景がだ。一年生の頃は、確かに誰かと食べていたが、会話はしていなかった。いくらなんでも、相手が言ったことにただ頷いているだけの行動を会話とは呼ばないだろう。相槌というのだ。
だが、今日は、違った。翔太はわざわざなのはに話しかけ、答えを待っている。この状況に慣れておらず、舌が回らないなのはは、まごついてしまうが、それでも翔太はなのはが答えるのを待っていた。初めて、なのはは会話らしい会話をしながら昼食を食べたのだった。
しかしながら、昼食という時間は永続的に続くわけではない。当然ながら、弁当が空になれば、その時間は終わってしまうわけで、終わると、次はお互いに自己紹介に移っていた。その中で、なのはは単純に自分の名前ぐらいを言えばいいか、と気楽に考えていたのだが、途中、翔太がとんでもないことを言い、なのはの度肝を抜いた。
「友達は僕のことをショウと呼ぶよ。だから、高町さんもフェレットくんもそう呼んでくれると嬉しい」
それは、つまり、蔵元翔太が高町なのはを友達と認めるということだろうか。
最初、意味が分からなくて、呆然としていたなのはだったが、やがて、気まずそうな顔をして前言を撤回しようとしていた翔太を見て、すぐさま正気に返り、彼の申し出を急いで肯定した。
嬉しかった。友達と言ってくれたもの、初めてできた友達が蔵元翔太のようないい子だったことも。
彼と一緒にいれば、自分もいい子になれると思ったから。彼なら、自分に色々なことを教えてくれるような気がしたから。だから、なのはは名前を許可されて、若干緊張しながら初めて名前を呼ぶ。
「う、うん……ショウ……くん」
呼び捨てはさすがにハードルが高かったのでこれぐらいで勘弁してほしい。しかしながら、なのはは自分で頬が緩んでいるのが分かった。初めての友達だ。かつて、なのはが切望して、熱望して、渇望したものだった。しかも、その相手は、ずっと理想としてきた蔵元翔太だ。文句の言いようがなかった。
だが、彼女の幸福は今までの不幸をすべて帳消しにするかのように続いた。
翔太がフェレット―――ユーノというらしい。正直、翔太と友達になれたことで頭が一杯で聞いていなかった。―――と何かを話している。どうやら、今後の方針を決めているようだった。ジュエルシードという危険物を集めるか否か。なのはにとってはどっちでもいい話だった。
昨夜、助けたのも翔太でさえ適わなかった力を手に入れることで何かが変わるかも、と思ったからだ。現になのはは魔法の力を手に入れて、翔太と友達になれた。それだけで満足だったのだから。これから先は、一年生の頃に友達ができたらやってみたいことを翔太と一緒にやっていければいいな、と思うぐらいだった。
だが、翔太はなのはに選択を迫った。
「どうしようか? なのはちゃん」
「ふぇ? わ、私?」
寝耳に水だ。どうして、私が決めなくちゃいけないんだろう、と思った。
「え……ショ、ショウくんが決めてよ」
そう、翔太が決めればいいのだ。それになのはは、絶対に従うのだから。そもそも、なのはは恐れていた。翔太の意に沿わない意見を言って、嫌われてしまうことが。表面に出さなくても、心の中で僅かに思われるのも嫌だった。せっかくできた友達なのに、こんな下らない選択肢で嫌われるのが嫌だった。だから、選択権を翔太にゆだねるつもりだった。この方法なら少なくとも、翔太に嫌われることはないから。
だが、翔太は首を横に振る。
「ダメだよ。これからのことはなのはちゃんが主役なんだ。脇役の僕が決めていいことじゃない」
この言葉になのはは、驚いた。
今まで、なのはは、主役などになったことはない。主役どころか脇役にすら、いや、下手をすると舞台にすら上がったことがないのかもしれない。何かあれば、他人に流され、自分の意見を言うことなく、ただ隅で目立たないように存在しているだけ。もっとも、誰かに認識されることで存在を定義されるというのなら、認識すらされていなかったのだから、舞台にすら立っていなかったということになるのだろう。
だが、翔太はなのはに君が主役だ、と告げた。その真意はどこにあるのか分からない。だが、なのはが読み取る限りでは、翔太がなのはを騙してどうこうという話ではなさそうだ。本当に翔太は、なのはが主役と思っているのだ。
しかし、たとえ、そうだとしても、それはなのはが主役になったのではない。それは、翔太がなのはを主役に引っ張り上げてくれたのだ。もし、赤の他人に君が主役だ、などといわれてもなのはは信じることはなかった。
友達になろうといってくれた翔太だから。憧れだった蔵元翔太だから、なのはは翔太の言葉を信じられた。
「……本当に私が決めるの?」
最後の確認。だが、それでも翔太は首を縦に振る。なら、なら、もしかしたら自分が決めてもいいのかもしれない。
それは、生まれてこの方、ずっと嫌われないように他人の意見に追従してきたなのはが初めて自分の意思を表に出そうとした瞬間だった。
もしかしたら、嫌われるかも、でも……それでも、なのはの意思が通って欲しいという願望のほうが強くなっていた。
緊張から身体中に力を入れながら、なのはは緊張から乾いた舌を一生懸命動かしながら、口を動かした。
「わ、私は……ショウくんと、一緒に、ジュエルシードを探したいっ!」
この意見が受け入れられれば、ジュエルシードを探している時間はずっと翔太と一緒にいられる。初めてできた友達とずっと一緒に。だからこそ、なのははその言葉を口に出したのだ。
なのはがこれ以上緊張することはないだろうと思いながら口にした一言に翔太は―――
「分かったよ。僕も手伝うよ」
笑って肯定の意を示してくれた。
それが、そのことが嬉しくて、なのはは最近になってようやく浮かべるようになった笑みを翔太に真正面から向けることができたのだった。
◇ ◇ ◇
気づいたら、いつの間にか家に行っていて、ジュエルシードが発動して、姉に背負われて、近くの神社まで来ていた。
本当にいつの間にか、だ。話は翔太と両親が進めるし、なのははいつものように流れに身を任せていたから。もっとも、それは翔太に全幅の信頼を置いていたからだが。
だが、ジュエルシードの暴走体が目の前にいるならやることは唯一つだ。
「いくよ、レイジングハート」
そう、自分にしかない力―――魔法の力を使って、暴走体を封印する。ただ、それだけだ。そして、また翔太に―――
だが、前に出ようとしたなのはは、兄の制止する手によって遮られた。
「なのは、下がっていろ。少しの間、ここは俺たちに任せてくれ」
「そんなっ……」
驚いた。あれは、あのジュエルシードの暴走体は、なのはが力を示すためのものなのに。あれがいなかったら、なのはは意味がないのに。
だが、兄にそんなことを言える勇気はまだなのはになかった。ここで何か言って兄に嫌われるのは、嫌だったからだ。
だからこそ、兄に従い、その場に立ち尽くすなのは。だが、直後、それは後悔に変わる。なのはは兄の制止を無視してでもレイジングハートを起動させ、昨夜のようにさっさと封印するべきだったのだ。
「……うそ……だよ」
半ば呆然としたような声がなのはの口からこぼれた。
なのはの目の前で繰り広げられるのは、兄である恭也と姉である美由希が昨夜の思念体とよく似た暴走体と互角に戦っているところだ。ダメージは与えられていないのだが、見ているだけなら確かに互角に見える。
そして、なのはの耳は隣で同様に見ている翔太の口からこぼれた言葉を拾ってしまった。
「すごい……」
その声に込められたのは確かな賞賛だった、感嘆だった。それを高町なのは許容できない。
昨夜と同様に翔太に賞賛と感嘆を与えられるのは自分だけで十分だからだ。いや、それは自分だけの特権であるはずだからだ。魔法の力を持つなのはだけの。
だが、現実的に翔太は、恭也と美由希に感嘆の声と賞賛の表情をしていた。
―――どうして? どうしてこうなった?
なのはには今の現状が分からなかった。
翔太と友達になれて、自分がこの件の主役で、魔法の力を使ってジュエルシードを封印して、翔太に温もりをもらえるはずだった。
だが、今、その温もりの源である賞賛と感嘆を貰っているのは兄と姉だ。
―――嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
もし、もしも、このまま恭也と美由希が暴走体を倒してしまったら?
答えは簡単だ。昨日の翔太の感嘆と賞賛の言葉は二人へと向かい、暴走体が二人でも抑えられることが分かれば、父親である士郎はなのはに危険なことに首を突っ込むなといい自分は決してこの件には関われなくなるだろう。
―――取らないで……私がやっと見つけた場所なのに……
だが、その思いは声にはならない。彼らは戦っているからだ。
どうする? どうしたらいい? どうしたら、兄たちに自分の居場所を取られない?
なのはの幼い頭脳が一生懸命に思考する。結果、答えはすぐに見つかった。
―――ああ、分かった。私がもっと強くなればいいんだ。
そう、すべては弱いからだ。強くなればいい。恭也も美由希も歯牙にかけないぐらいに。彼らが足元に及ばないぐらいに。そうすれば、恭也が、美由希が戦う必要もなく、なのはだけでいい。翔太も護りながら戦えるようになれば、彼も安心だろう。
だから、だから、なのはは強くなろうと強く決意した。
「……レイジングハート、私強くなれるかな?」
―――Of course .You desire it.
レイジングハートから返ってきた答えは《あなたが望むなら》。
なるほど、ならば高町なのはは望むだろう。誰よりも強くなることを。それが、なのはが望む幸福へと繋がるのだから。
「レイジングハート」
―――All right.
もはや目的を同じくした主従の間には起動ワードなどという無粋なものは必要なかった。名前を呼ぶだけで愛機は起動する。なのはの服が分解され、穢れを知らない純白を基調とした聖祥大付属小学校の制服のようなバリアジャケットが生成される。バリアジャケットの生成が終わった後、なのはの左手には杖の状態へと変化したレイジングハートが確かな重みを持って存在していた。
昨夜のように暴走体を拘束して封印しようかと思ったが、それには兄と姉が邪魔だ。接近戦な上に高速で動いている彼らの中から暴走体のみを拘束できる自信がなのはにはなかった。せめて止まってくれれば……。そう思っていたなのはに機会が訪れた。
兄の刀が煌いた瞬間に暴走体が吹き飛んだのだ。しかも、それなりのダメージを負っており、すぐに動けるような状態ではなかった。
この機会を逃すほどなのはは惚けていない。たとえ、すぐさま傷が癒えようが、背中から翼が生えようが、なのはが拘束することにまったく問題はなかった。
レイジングハート、となのはが願うだけで、暴走体は地面から生えた桃色の帯に拘束された。魔法の種類で言えば、バインドという魔法の類であることをレイジングハートが教えてくれた。
そして、すぅとレイジングハートを地面と平行に構える。ここから、あれを封印するためにはそれが正しいとなのはは感覚で分かっていた。レイジングハートがなのはが望むように形を変える。いうなればカノンモード。射撃に適した形だ。
先端の宝石部になのはから無尽蔵に供給される魔力が集う。その光を見てなのはは笑う。その輝きこそが、なのはの強さを示しているから。兄や姉すら適わなかったあの暴走体を屠る魔法の力が、確かにそこに集っていることを感じ取られるからだ。
「貫いてっ!!」
なのはの叫びと共に桃色の光が暴走体を貫き、なのはの魔法の言葉と共にジュエルシードは封印された。
「えへへ、やったよ、ショウくんっ!」
思わずガッツポーズ。あれほど押していた兄や姉さえも適わなかった暴走体を封印したのだから、きっと昨夜のように翔太は賞賛の声を掛けてくれると思ったから。そして、なのはの望みは適う。昔は遠くから見ているしかなかった、皆へ向ける笑みを浮かべて翔太は賞賛の声をなのはにくれた。
「うん、さすがだね。やっぱり、なのはちゃんはすごいな」
その言葉で、なのはは笑みがこぼれるのを止めることができなかった。
◇ ◇ ◇
「あ、ちょっと待って」
帰り道、別れ際に翔太がなのはを呼び止める。彼は、肩にユーノを乗せてポケットに手を突っ込んで何かを探しているようだった。やがて、取り出したのは、手の平サイズの黒い薄い箱のようなもの。一般的にいうなれば、携帯電話だ。
「なのはちゃん、携帯持ってる?」
うん、と頷く。
「よかった。昨日、連絡しようと思ったら、僕、なのはちゃんの携帯知らないことに気づいたからね。だから―――」
ドクン、と心臓が高鳴った。その後に続きそうな言葉に予想がついたから。それは、携帯という道具を手に入れて以来、なのはが望みながらも、一度も言われたことない言葉。その言葉を言ってくれるような友達を熱望して、切望して、渇望したなのはがようやく手にした友人、蔵元翔太。彼からすぐにそんなが言葉が出てくるなんて、にわかには信じられなくて、だが、翔太は、なんでもないようになのはが望んでも口にされることのなかった言葉を簡単に口にした。
「携帯の番号交換しようか」
望んでいたはずなのに。そんな風に言われたら、すぐに対応できるように説明書も全部読んだのに。
翔太からそれを提案されたとき、すぐになのはは動くことができなかった。だが、動きが止まったなのはに小首をかしげた翔太をみて、初めて正気に戻り、いつも制服のポケットに入れっぱなしの携帯を慌てて取り出した。
「あ……ちょっと待って」
ぱかっ、とピンク色の携帯を開いたなのはは慌てて携帯の電源を入れた。そう、なのははずっと携帯の電源を切っていた。鳴らない電話に意味はない。家族からも番号を登録したものの、かかってきたことは一度もない。なのはもかけたことがない。ならば、携帯が使われることはなく、電源を入れたままにすることは無駄だったからだ。
電源のボタンを押しっぱなしにして、ようやく時計と日付が表示される。
「あ、できたよ」
「それじゃ、赤外線で」
すぅ、と翔太が携帯を近づけてくる。しかし、なのはには赤外線の意味が分からない。さすがに説明書を全部読んだといっても二年も前の話だ。すっかり忘れている。
「あれ? もしかして、分からない?」
コクリと頷く。
素直に頷くのは戸惑ったが、ここで否定してもっと時間をかけることの方が心苦しかった。だから、なのは素直に頷く。そういうと、翔太は、なるほど、と頷いて、なのはに「ちょっと貸してね」と断わると、携帯をなのはの手から取り、ピコピコと操作し始めた、やがて、はい、と返されると、ディスプレイには「赤外線受信」と書かれていた。
「はい、携帯を近づけて」
「う、うん」
恐る恐る携帯を近づけると、ぴこんという音と共にディスプレイに「蔵元翔太のアドレスを受け取りました」と表示された。ピコ
ピコと携帯を弄り、アドレス帳を呼び出すと、全部で七件のアドレスが登録されていた。
『お父さん』『お母さん』『お兄ちゃん』『お姉ちゃん』『お家』『翠屋』そして、つい先ほど登録された名前がそこにあった。
―――『蔵元翔太』
そのディスプレイに新たに表示されたたった一件の名前が、なのはには誇らしく、愛おしく思えた。
◇ ◇ ◇
暴走体を封印して、翔太から褒められ、さらに携帯電話の番号まで交換し、すっかり夢見心地になり舞い上がってしまったなのはだったが、家に帰って晩御飯を食べた後に士郎の部屋になのは一人だけ呼び出されてしまった。
なんだろう? と疑問に思うものの、かつてないほどに気分が高揚しているなのはは特に気にすることもなく士郎の部屋へと向かう。ドアをノックし、部屋に入るとそこには、真面目な顔をして座っている士郎がいた。しかも、どこか空気が重いような気がした。
「座りなさい」
士郎に促され、正面の座布団に座る。士郎の部屋は簡素なもので、タンスやらがあるだけで後は畳だ。普通はテーブルがあるのだが、今日はどこかにたたんでいるようだった。
「今日のことは恭也から聞いた。魔法を使ってユーノくんが言っていたジュエルシードとやらを封印したらしいな」
「うん」
「なのは、その魔法の力というのはとても大きな力だ」
それはなのはも同意だ。なにせ、兄も姉も、あの蔵元翔太も適わなかった力だ。ならば、魔法の力というのは強大なものであることには間違いない。
なのはがコクリと頷くのを確認して、士郎は言葉を紡ぐ。
「力そのものに善、悪はない。あるとすれば、それは使う人間次第だ。だからこそ、なのはにはその魔法の使い方を考えて欲しい。なのはは何のためにその力を使う?」
そんなことは、決まっている。ジュエルシードを封印するためだ。そして、翔太に褒めてもらうため、構ってもらうためだ。なのはが魔法を使ってジュエルシードを封印する限り、翔太はなのはの傍にいてくれるだろう。だから、なのはは魔法を使う。ただ、それだけだ。
「それは、なのはの力だ。なのはが決めたことなら自由に使っていいと思う。だが、できれば、父さんは、恭也や美由希が学んでいる剣術―――御神流の理念である人を護るためにその力を使って欲しいと思う」
何を言っているんだろう? なのはは、一瞬、士郎の言っている意味が理解できなかった。
ヒトヲマモル、ひとをまもる、人を護る。
どの口がそれを言っているというのだろう。
なのはが幼い頃、一人でいることが寂しくて、耐えられなくて、夜に涙で枕を濡らしているときに助けてくれなかった人たちが、構って欲しくて後ろを着いていったり、遊んでと懇願していたのに、「忙しい」の一言でなのはを遠ざけていた兄や姉たちの理念が『人を護る』?
ならば、幼い頃のなのはは人ではないとでもいうのだろうか。あるいは、護るに値しない子供だったというのだろうか。
この部屋に入る前まで有頂天だったなのはの気分は今は地の底にまで落ちていた。
暖かい何かが居座っていた心の中心は、思い出さないようにしていた幼い頃の記憶が思い出され、一気に冷却され、今は寂寥感に支配されていた。しかも、芋づる式にずっと寂しかった頃の記憶が思い出され、なのはの気分は底なし沼のように沈んでいく。
心が冷たかった。
今はただ、この部屋にいたくなかった。部屋に駆け込んで枕に頭をうずめて涙を流したかった。だから、なのはは小さく「わかった」と口にして、士郎の部屋を出て、すぐに自分の部屋へと駆け出した。
◇ ◇ ◇
部屋に駆け込み、ドアを閉め、鍵を掛けたなのはは、ボスンとベットにダイブし、枕に顔をうずめて、涙を一滴流した。
つい、一時間前までは、暖かかったのに、今ではすっかり絶対零度だ。寂しかった。家族以外の誰かの声が聞きたかった。ふと、横を見てみるとそこには久しぶりにポケットから出した携帯が。
ばっ、と顔を上げるとなのはは急いで携帯を広げ、アドレスを開いて目的の名前を取り出す。
―――蔵元翔太。
なのはは、震えて指を押さえながらも、その番号を選択する。トゥルルルルという呼び出し音が鳴る。
心臓がかつてないほどに高鳴っていた。携帯電話を使うのが初めてだったからだ。それに、もしかしたら、出てくれないかもしれない。仮に出たとしても何を話せばいいんだろう。様々なことが頭を巡る。だが、三コール目にがちゃっ、という音と共に相手が出た。
『はい、ショウだけど、なのはちゃんどうしたの?』
ついさっきまで聞いていた翔太の声が携帯から聞こえた。
「え? あ、あの……どうして、私のこと分かるの?」
『いや、ディスプレイに出るよね?』
何を当たり前のことを、という感じで言われ、くすっ、という苦笑が聞こえた後に『変ななのはちゃん』、と言われた。
ちょっとした会話。ただ、それだけで先ほどまでなのはの中で絶対零度だった心の中が暖かくなった。それは、翔太の声が昨夜や今日のこととを思い出させるからかもしれないし、初めての友達だからなのかもしれない。
「へ? そ、そうなんだ」などと差し障りのない言葉を選びながら、なのはは強く思う。
―――ああ、この暖かさを絶対に手放したくないな、と。
彼女の始めての携帯での会話は十分程度で幕を閉じるのだが、それまでなのは笑って会話できたことに満足する。
それじゃ、お休み。とある種、定型の言葉をお互いに口にして携帯の通話を切る。切る直前まで耳に当てていた携帯をなのはは閉じるとそのまま愛おしそうに胸に抱き、先ほどまでの会話の相手の名前を呟く。
「―――ショウくん」
今日はなんだかいい夢が見れそうな気がした。
後書き
番号交換のシーンについて
翔太:何気ない日常であるが故に気にも留めない
なのは:初めての友人、初めての番号交換
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