| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

世界はまだ僕達の名前を知らない

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

開眼の章
08th
  山






 感覚が無いというのは実に奇妙で、気持ち悪くて、寂しくて、如何にも殺風景だった。

「……………………」

 脳が暇がっている。処理する感覚が無い分空いたリソースを思考に回してくるのだが、考える事といえば結論の出ない『何故』だけなのでとても迷惑だった。

「……………………」

 かと言って虚無に耽る事もできないので、知る由の無い外界の事を考えていたりする。

「…………? …………」

 そうしていると時折何かが見えかける気がして、やっぱり何も見えないのだが、その錯覚が心地よくて、暫くこれをして時を潰していた。

「……………………」

 何度その錯覚を得ただろう。

 或る的突然に、耳が聞こえた。

「!?」

 否、耳だけではない。

 目が光を捉え、皮膚が空気を感じ、鼻は木の匂いを嗅ぎ、舌は唾液の味を伝えている。

 五感が戻ってきたのである。

「っ」

 頭が痛い。手で頭を押さえて、押さえられる事に感動した。

「ごめんなさいね、お待たせして」

 頭上からの声に頭を上げると、微笑むフィリアが視界に入った。

「拘束は外して、手は治してもらったからそれで許してくれる?」

 手。

 その言葉を聞いた瞬間に、トイレ男は自分の手がめちゃくちゃにされた事を思い出す。が、痛みは感じず、見てもそこには健常な指があった。爪も付いている。「…………」、が、生々しい血痕は残っていた。

「立てるかしら? それともまだ難しい?」

 問い掛けに、トイレ男は立ち上がろうとする事で答える。

 どうやら拘束から外された後は壁際に寝かせられていた(或いは感覚が無い内に自分で壁際まで移動した)ようで、それを支えにしながら立ち上がる事ができた。

「……………………」

「もう大丈夫そうね。なら付いてきてくれるかしら? 見せたいものがあるの」

 フィリアはトイレ男に手を差し伸べた。

「……………………」

 トイレ男はその手を取るべきか取らざるべきか迷った。彼女に治されたとはいえ、そもそもトイレ男の手があんなになったのはフィリアのせいである。トイレ男から暫く感覚を奪ったのも彼女である。彼女が自分に対し友好的なのか敵対的なのかが全くわからないのだ。接し方は友好的だが、友好的に敵対的態度を取ってくるから困る。もしかしたら彼女の中では、それらも『友好的な』態度なのかも知れないが。

 フィリアは変わらずトイレ男をまっすぐに見つめながら微笑んでいる。が、灰色の瞳はその裏側を覗かせない。彼女が何を考えているのか、全くわからなかった。今回は友好なのか敵対なのか。トイレ男を害するのか否か。どちらにも見えないその瞳は、或いは彼女の中にその二つの区別などない事を示している気がした。

「……………………」

 トイレ男は結局、その手を取った。取ろうとして取ったのではない。彼女の目を見ている内に気が付けば取っていたのである。トイレ男は次から彼女の目を見る事はやめようと思った。操られた気がしたのである。

「じゃあ、行きましょうか」

 そう言って、フィリアはドアの方へ歩き出した。それに付いていくトイレ男だが、部屋を出る直前に或る物を思い出して足を止めた。

「? どうしたの?」

「……………………」

 トイレ男は部屋全体を見渡して、隅っこに置いてあるトイレを確認した。

「……あぁ、セッちゃんね。どうぞ、取ってきなさい」

 フィリアはトイレ男から手を話して、彼の背中を押した。トイレ男はトイレのある場所まで小走りで行って、回収すると小走りで戻った。

「じゃあ、今度こそ行きましょうか」

 フィリアそうニッコリ言った。



     ◊◊◊



 フィリアと二人で歩いた。

 フィリアの手を握りながら暗い道を歩き、悪臭のしない光に満ちた場所に出た。フィリアはそこを『外』だと言った。どうやら先程まで居た所は『旧地下水路』というらしい事も教えてくれた。彼女は「変な子ね」と言いながら笑っていた。

 暫く外を歩いて、彼女は突然立ち止まったかと思えば、

「じゃじゃーん」

 と何かを見せた。

「…………?」

 何だ? と思いつつそれを見る。

 彼女の腕の指す先には山があった。木と石の破片で出来た山だ。あまりに綺麗に積み重ねられているので、それが自然に出来たものではなく人為的に作られたものであるとわかる。階段が付いていて、その頂上には何やら木の棒が刺さっていた。

「あれを抜いてみて」

 フィリアがそう言うので、階段を登り、棒を抜いた。

「!?」

 途端、山が崩れる。トイレ男は急いで下ろうとしたが、足場を置いていた場所も崩れてしまったためバランスを崩し、結局麓まで転げ落ちる事になった。

「…………! !?」

 何をするんだ! という目でフィリアを見るが、彼女はそこには居なかった。多分、トイレ男が山を登っている間にどこかへ行ったのである。

「……………………」

 彼女は何がしたかったんだ。考えるも答えは出ない。

 トイレ男は本人に訊こうと、フィリアを探す事にした。

 が、

「……ツァーヴァス?」

 そう後ろから声が聞こえて、振り返ると、崩れた山の中から構造物が出てきている事に気付いた。

 薄い壁と平坦な屋根のみで出来た簡易的な建物である。が、壁は三面しかなく、こちら側の壁が無い。

 そして建物の中には四人の俯いている人影と、一人の倒れた人が居た。

「……おい! ツァーヴァス!」

 どうやら声は倒れた人から発せられてるらしかった。ツァーヴァスとは何だろうか。

 倒れている人は起き上がり、トイレ男の方に駆けてきた。

「ツァーヴァス! 何してたんだよ!」

「……………………」

 小柄な、黒い服を着た人物だった。下僕達とは違い顔が見える。小黒男は腕を上に伸ばしてトイレ男の肩を掴みながらも、その瞳に心配の感情を灯してそう問い掛ける。「…………」、どうやらツァーヴァスとはトイレ男の事らしかった。

「皆お前を探してたんだよ! それで、あんな……」

「…………?」

 皆? 建物の中でじっとしている四人の事だろうか。小黒男の言う事の訳がわからず、トイレ男は困惑した。

「……おいお前、何だよその顔は」

 小黒男は低い声でそう言ったかと思うと、トイレ男から手を離して後ずさった。

「皆、お前を探してこうなったんだぞ! 何でそんな何も知らないような顔ができるんだよ!!」

「……………………」

 そう言われても、実際に何も知らないのである。

「お前のせいで、ハミーもディグリーもアーニも親父も皆死んだんだよ!!」

 小黒男は勝手にヒートアップしながら、建物の方を指差した。

「……………………」

 見ると、そこでは変わらず四人が俯いている。が、トイレ男は漸く違和感を覚えた。彼らは全く動いていないのだ。

 彼らに近寄ってみる。どうやら女性が一人、男性が三人という構成らしい。

「…………っ」

 トイレ男は或る地点で足を止めた。

 そこに至って漸く、トイレ男は違和感の理由を悟った。彼らは()()()()()のだ。四人とも全員、死んでいる。立っているのは、そう見えているだけで、実際には細い紐で首から天井に吊らされているのだ。

「……………………」

 トイレ男は吐き気を覚えた。

「……何でだよ」

 片手で口を押さえたトイレ男に、小黒男が言う。

「何でその程度なんだよ」

「…………?」

 小黒男の言わんとする所がわからず、彼の方に向き直るトイレ男。

「アーニ達が殺されて、感じる事は吐き気だけかよ」

「……………………」

 まだ彼の言う事はわからない。

 更に言葉が続けられるのだろうと思い待ったが、小黒男的にはそこで終わりだったらしい。剣呑な目でトイレ男を睨んでいる。「…………」、何が何やらでひたすら困惑する。

「…………わかった」

 トイレ男は何も言っていないが、彼は一体何がわかったのか。

「お前にとってはその程度だったんだな、ツァーヴァス。僕の方が間違ってたって訳だ」

 小黒男はどこから取り出したのかナイフを手にしていた。

「まだ出会ってからの時間はかなり短いけど、僕は、僕達は君を大事な仲間だと思っていたし、君にもそう思われていると思っていたよ。この詐欺師め」

 ナイフを構え、心当たりの無い事を淡々と述べる小黒男。

「もういい、死ね」

 そう言って襲いかかってくる。

「!!」

 トイレ男は逃げた。背を向けて走る。

 が、突然背中に痛みが走り、コケた。

「っ…………」

 どうやら何かを刺されたらしい。振り返ると、さっきとは反対の手にナイフを握った小黒男が悠々と歩いきていた。

「どうせ全部罠だったんだろ。僕達を殺すための罠だ。何で僕だけが生かされたのかは知らないし、君がどんな理由でもって僕達をハメたのかも知らないけど、罠だったんだろ」

 小黒男は動けないトイレ男の目の前まで歩いてくると、逆手に持ったナイフを高く掲げた。

「今更詫びてももう遅いぞ。僕は君を殺す、ツァーヴァス」

 小黒男はナイフを振り下ろした。

「!!」

 トイレ男は咄嗟にトイレで頭を守った。

 ナイフがトイレにぶつかるザギンという音がして、加わった力がトイレ男の肘を曲げた。

 ⸺頭を、ぶつけた。 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧